【リ・フローラ編】第4話
数日後。
日本中の主要な経済ニュースが、一斉にひとつの見出しを掲げた。
『K氏、日本政府の国家戦略諮問に応諾』
『"世界経済の怪物"、故郷の財政戦略に協力へ』
『KFG会長、日本政府スペシャルアドバイザー就任』
新聞の一面、経済誌のトップ記事、ネットニュースの速報欄。
どこを見ても、あの名前が踊っていた。
その日の朝のワイドショーでは、ニュース枠を大幅に超える時間がその報道に割かれた。
スタジオの巨大モニターには、KFG本社ビルの荘厳な外観と、以前どこかの国際会議で撮影された、冷徹な表情のKの横顔が映し出されている。
『——専門家の方にお話を伺います。K氏がこうした形で日本の公的な立場に関わるのは、事実上初めてだと伺いましたが』
司会者の問いに、経済評論家の男性が、珍しく少し興奮した様子で答える。
『ええ、これは本当に驚きました。K氏は、これまで特定の国家の政策に直接関わることを避けてきた人物です。
政府関係者とのパイプは当然ありつつも、明確に意図した深い繋がりはなく、むしろ国家単位の枠組みから距離を置くスタンスを貫いてきた。
その彼が、今回なぜ日本政府の要請を受けたのか、その真意は正直申し上げて、読みかねます。ただ——』
評論家は、ぐっと身を乗り出した。
『ただ、これは日本経済にとって、間違いなく歴史的な意味を持ちうる出来事です。
彼が動くということは、彼が見据える数十年先のビジョンに、日本が組み込まれるということを意味しますから』
『なるほど……では視聴者の皆さんにも、改めてK氏の凄さというものを……』
司会者の言葉に合わせ、画面にはKの経歴を紹介するテロップが次々と流れていく。
世界の金融システムの中枢を変え、毎年巨大な成功を収め続け、資産規模は国家予算を超え、現在の資本主義そのものを握る男——。
***
その同じ映像を、FLORIAの4人も、事務所のラウンジに置かれた少し大きめのテレビで見ていた。
「うそ、うそ、うそ!テレビで特集されてる!」
ミジュがクッションを抱きしめながら、身体をバタバタさせる。
「Kさん、やっぱりすごすぎ!きゃー!」
サラも真剣な顔でテレビを見つめている。
「カエデさん、コメンテーターの人、Kさんのこと『読みかねる』って言ってたよ」
「ふふ、あの方はほんと、誰にも読めないからね」
カエデが少し得意げに微笑む。
テレビの中では、SNSの反応も紹介され始めていた。
アナウンサーが画面の投稿を読み上げていく。
『"ついに動いたか!K会長、日本を頼みます!"』
『"経済のことはよく分からんけど、K会長が来てくれるなら安心できる気がする"』
『"生きてるうちにKが日本のために動く日が来るなんて"』
『"日本の未来、Kに任せた"』
SNSの画面には、そうした投稿が滝のように流れていく。
Kという名は、もはや一人の実業家ではなく、一種の伝説として、日本の人々の間で語られていた。
「……ふふ」
ソユンが、小さく笑った。
しかしその笑い方は、どこか切なげで、苦しそうだった。
「ソユン?どうしたの?」
カエデが声をかけると、ソユンはテレビを見つめたまま、胸元をぎゅっと握った。
「はあ……Kさん、すごい……かっこいい……」
ほとんど呼吸が乱れていた。
頬は紅潮し、瞳はテレビの中のKの映像に釘付けだった。
「え、ソユン大丈夫?」
サラが慌てて覗き込む。
「だって……こんなに凄い人が、日本に来るんだよ……?」
「……私たちに、会いに」
「うぅ……胸がいっぱいで……」
ソユンはクッションに顔を半分埋めた。
三人はしばらく、そのソユンの様子を見ていたが、やがてミジュがぼそりと言った。
「……気持ちは、すごく分かる」
「うんうん」
「そうね」
ラウンジの少女たちは、テレビから流れてくる世界的な大ニュースの中で、ただ一つのこと——
数日後、あの人が自分たちに会いに来てくれる——
という事実に、胸を締め付けられていた。
***
同時刻、ニューヨーク。
KFG本社ビル最上階、会長執務室。
Kは、アンナを呼び出していた。
「会長、お呼びですか」
アンナが音もなく入室すると、Kはデスクで書類に視線を落としたまま、アンナの顔を見ようとしなかった。
「……なんか」
Kが、ぼそりと呟いた。
「何か、手土産でも、持っていくか」
アンナは一瞬、その発言の対象を精査した。
日本政府の要人向けか。それとも、FLORIA向けか。
普通の文脈であれば、国家的な会合の手土産について相談しているはずだった。
しかし、このタイミングでKの口から出た「手土産」の対象が、ほぼ確実に何であるか、アンナはもはや完全に理解していた。
そして、確認することすら、もうやめていた。
確認したところで、答えは分かっている。
しつこく確認する意味もない。
「……お会いできるだけで、皆様、大喜びされますよ」
アンナは、事務的な声で、暗に「手土産までは不要です」と伝えた。
しかしKは、その言葉をさらりとスルーした。
「何か……練習設備とか、送りたいな」
「……練習、設備」
「ああ。ダンスの練習部屋とか、あいつらのために一式、新しくしてやるか……」
アンナのタブレットを持つ指が、ほんの一瞬、冷えた。
(……あと数日で日本に向かわれるのですが)
ダンススタジオ一式、と口にできる規模のプロジェクトが、数日で完成するわけがない。
しかもKのことだ、それは世界トップクラスの設備を意味する。
防音設計、最新の音響機器、プロ仕様のミラー、空調、照明、専用の休憩スペース——。
(やるとなると……経企、不動産管理、現場施工は、地獄を見る案件になりますね……)
アンナは、深いため息を心の中でつきつつ、それを口には出さなかった。
出したところで、この男は「人員を増やせ」と言うだけだ。
そこでアンナは、その話題を自然に流すことに決めた。
「ところで会長」
「ん?」
「日本政府との協議の準備は、大丈夫でしょうか」
本来であれば、この話題こそが最優先で確認されるべきことだった。
国家戦略諮問会議。
日本の財政、金融、経済安全保障の中長期的な方針に関わる場。
世界のメディアが「K氏の真意は読めない」とこぞって騒ぎ立てている、重大な協議。
しかし、Kはちらりとだけ書類から目を上げると、あまりにも気のない声で答えた。
「ん?ああ……」
それは、何も準備をしていない者の返事だった。
この男が、準備など必要としないことを、アンナは誰よりも知っている。
国家レベルの協議であろうが、Kの頭の中には、すでに数十年先までの青写真が描かれている。
日本政府が提示するであろう論点の全てに、彼はその場で最適解を返すことができる。
準備とは、頭脳が平凡な者が必要とする儀式であり、彼にとっては時間の無駄ですらある。
それを知っているからこそ、アンナは指摘はしなかった。ただ話題を逸らしたかっただけだ。
(……練習設備は、決定事項ではなかったようですね。)
少しして、Kはデスクの手元にあったリモコンを操作した。
執務室のスピーカーから、FLORIAの楽曲が、静かに流れ始める。
最近、彼のお気に入りになっているらしい一曲だった。
Kは、それを聴きながら、書類を一枚めくった。
「アンナ」
「はい」
「……この曲が一番気に入ってる、って伝えようと思うんだが」
「……」
「どう思う?」
アンナは、今日何度目か分からない「本日のKの発言」を、冷静に受け止めた。
明日にも日本の国家戦略に関わる会合へ向かおうという男が。
FLORIAに「この曲が好き」と伝えても大丈夫か、を部下に相談している。
(……本当に、いつまでそんなことを考えていらっしゃるのですか)
アンナは、顔色一つ変えずに答えた。
「大丈夫だと思いますよ」
「そうか」
Kは短く頷き、それ以上何も言わなかった。
安心したような、納得したような、その声色。
アンナは、練習設備の件は聞いていなかったかのように、静かに一礼すると、執務室を後にした。
扉が閉まる瞬間、執務室からは、まだFLORIAの歌声が流れ続けていた。
***
そして、数日後。
日本への出発の日。
KFGが所有するプライベートジェット。
VIP用の専用空路を使い、一般の航空管制とは異なるルートを確保して、太平洋を渡る。
機内は、小さな会議室と、高級ホテルのスイート顔負けの巨大ラウンジを兼ね備えていた。
Kは、革張りの広々としたソファに座っている。
しかし、その姿勢は、いつものそれとは、少し違っていた。
ソファに深く座り込まず、背筋が微妙に立っている。
タブレットを手にしているものの、画面は先ほどから一度もスクロールされていない。
窓の外を、ちらりと見る。
手元の腕時計を、確認する。
また窓の外を見る。
(……そわそわされていますね)
向かいの席で書類に目を通していたアンナは、顔を上げずにその一連の動きを完璧に捉えていた。
各国首相との会談の前よりも。
ジュネーブの世界経済会議で数千人の前で講演する前よりも。
今、彼は明らかに、緊張している。
そしてそれは、彼が自分でも気づいていない可能性が高かった。
「……会長」
「ん?」
「到着まで、まだ四時間ほどございます」
「ああ」
Kは、また窓の外を見た。
アンナは、タブレットのページを一枚めくりながら、音もなく、深い深い溜息をついた。
***
一方、その頃。
日本、FLORIAの事務所。
「目、こっち見てね。はい、動かないで」
「はーい」
FLORIAのメンバーは、朝の早い時間から事務所に集合していた。
通常のライブや収録の時よりも、はるかに入念なメイクが施されている。
普段は50分から1時間ほどで仕上げるメイクを、今日は2時間以上かけている。
メイクさんも美容師も、事務所側の依頼で最上級のスタッフがアサインされていた。
「ソユンさん、まつげ上向きすぎると可愛くなりすぎるかも」
「あっ、ちょっと大人っぽくしたいです!でも清楚な感じも残してほしいです!」
「はいはい、わかりました」
「ミジュさんの髪、今日は少しふわっと仕上げましょうか」
「お願いします!耳元だけちょっと見えるようにしてください」
「カエデさん、リップの色もう少しローズ寄りにする?」
「はい、その方が落ち着いて見えそうなので」
「サラ、アイシャドウもう一段深く入れる?」
「入れて入れて!かっこよくしたい!」
4人は、鏡に向かって、それぞれが細かく注文を出していた。
普段はメイクさんに任せている子たちが、今日はまるで初デートの朝のように、一つ一つの仕上がりに神経を尖らせている。
美咲は少し離れた場所で、椅子に座り、コーヒーを飲みながらその光景を眺めていた。
(……ああ)
なんだか、デジャヴだ。
そう思いながら、深く息をついた。
4人の様子を、例えるなら。
そう、「ご主人様の帰りが待ちきれない子犬たち」だった。
扉が開く度にぴくりと耳を立て、時計を何度も確認し、メイクの仕上がりを気にして、そわそわと尻尾を振っている。
「美咲さーん!」
サラが、鏡越しに振り返った。
「Kさんの飛行機って、予定通り飛んでますかね!?」
「はい、さっきご連絡がきてたので、予定通りみたいですよ」
「やったー!」
「きゃー!」
「もうすぐ来るんだね……!」
少女たちが、メイク中にもかかわらずバタバタと騒いでいる。
「皆さん、あまり動かないでください、落ちますよ……!」
メイクさんが慌てて笑う。
美咲は、コーヒーカップを両手で持ちながら、もう一度、深く、静かに、溜息をついた。
太平洋上空を飛行中のプライベートジェット。
本来世界で最も落ち着いている男が、実は誰よりもそわそわしているなどとは、この事務所の誰も知らない。
しかし、その男と、その男を待つ4人の少女たちの想いは、確かに、同じ地点へと向かって収束し始めていた。
ご主人様が、帰ってくる。
少女たちの胸は、それだけでキラキラと輝いていた。




