【ロイヤル・ソレイユ編】第7話
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『ロイヤル・ソレイユ』のグローバル・アンバサダー就任発表から、約三週間後。
FLORIAの4人は、都内の大型スタジオに集結していた。
今日は、ポスター用の写真撮影と、CMの本番収録を兼ねた、一日がかりの大仕事だ。
「うわ……また衣装がとんでもない……」
控室に並べられた衣装を目にした瞬間、ミジュが感嘆の声を漏らした。
アルカディアの撮影では「ドレスの女神」としての美しさを引き出す方向性だったが、今回のロイヤル・ソレイユのコンセプトは少し違った。
時計というプロダクトの性質上、品格と洗練、そして「時の流れを超えた美しさ」がテーマだ。
衣装は深みのある色調で統一され、アクセサリーは最小限に絞られている。
その代わりに、それぞれの手元で輝く『ロイヤル・ソレイユ』の時計が、全ての主役となるように設計されていた。
「これ、私の……?」
ソユンが、自分の名前のタグがついたシャンパンゴールドのドレスをそっと指でなぞる。
繊細なシルクと、わずかに透ける素材が重なり合った、気品あふれる一着。
「似合うに決まってます!早く着ましょう!」
ミジュがソユンの背中を押す。
「ミジュ、急かしたら駄目でしょ、着替えも丁寧にね」
カエデが窘める傍らで、サラはすでにハンガーからドレスを外して颯爽と控え室へ向かっていた。
「サラ!丁寧に!」
「わかってますって!」
廊下に響く声を聞きながら、カエデはひっそりと微笑んだ。
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撮影が始まると、4人のスイッチは完全に切り替わった。
アルカディアの経験が、彼女たちの中で確かに生きている。
カメラの前に立つことへの慣れ、レンズに向ける視線の質、指先の角度に至るまで。
「ソユンちゃん、その手元のアングル、完璧!そのままキープ!」
「カエデさん!その少し遠くを見る感じ、最高です!」
世界的なフォトグラファーが、モニターの前で興奮気味に声を上げる。
アルカディアの時には手探りだった部分が、今回は最初から噛み合っていた。
「あの経験があったからだよね」
休憩の合間に、サラがぽつりと言った。
「Kさんのおかげで、私たちこうして成長できてる」
誰も反論しなかった。全員がそう思っていたから。
ミジュは、自分の手首に巻かれた時計をちらりと見下ろした。
撮影用に借りたモデルではなく、あの日Kから贈られた、
自分だけの「ロイヤル・ソレイユ」。
スタッフの計らいで、撮影にはこの時計をつけることができた。
(Kさん……今日も、頑張ります)
カチン、とクラッパーボードが鳴る。
4人の女神たちは、再び時間を超えた美の世界へと羽ばたいていった。
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撮影は、アルカディアの時と同じように順調に、そして予定より早く幕を閉じた。
スタジオに拍手が鳴り響く中、4人は互いに顔を見合わせ、力強く頷き合った。
言葉はいらなかった。
またひとつ、Kが用意してくれた舞台で、全力を出し切れた。
ただそれだけで、十分だった。
***
数日後。
KFGニューヨーク本社、最上階の会長執務室。
アンナが、いつものように音もなく入室し、Kのデスクの端に、大判の封筒を置いた。
「会長。日本より、ポスターの最終データと、サンプル印刷物が届きました」
「ああ」
Kは手元の書類から目を離さぬまま、短く答えた。
アンナが退室しようとした、その背中に声がかかる。
「待て、開けてみてくれ」
「……かしこまりました」
アンナは封筒を開き、四つ折りになっていたポスターをゆっくりと広げて、デスクの上に置いた。
そこには、4人の少女たちが写っていた。
洗練された光の中で、それぞれが纏う品格と、その手元で静かに輝く「時計の王」。
そして何より、画面越しには決して伝わらない、生き生きとした、本物の輝き。
「……」
Kはいつの間にか書類から手を離し、そのポスターをじっと見つめていた。
一言も発しない。
しかし、その目は、世界の経済地図を読む時の目ではなかった。
しばらくの沈黙の後。
「これを…」
「はい」
「社内に貼れ」
アンナの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
「……社内、と申しますと」
「KFGの、社内だ。全拠点に」
(…全拠点)
アンナの頭脳は、瞬時に「KFGの全拠点」という言葉が意味する規模を計算した。
アメリカ本部ニューヨーク本社…ロサンゼルス支社、シカゴ支社…東京、ロンドン、香港、シンガポール、フランクフルト、ソウル…。
世界中に及ぶ、KFGグループの全ての拠点。
「……社内の、どのような場所に、でしょうか」
アンナは努めて事務的な声で問い返した。
Kは、少し考えるそぶりを見せた後、いたって真顔で答えた。
「エントランス、ロビー、エレベーターホール……あとは任せる。目につく場所なら良い」
(目につく場所……)
アンナは深く、音を立てない程度の溜息をついた。
この男が何を考えているのかは、完璧に理解できる。
自慢したいのだ。
自分が見出した逸材を、お気に入りを、帝国中に知らしめたいのだ。
それは、オーナーが愛犬の写真を職場のデスクに飾るような、あまりにも微笑ましく、そしてKFGという世界最大の金融帝国にはあまりにも不釣り合いな衝動だった。
「……かしこまりました。経営企画本部に伝達いたします」
アンナは完璧な一礼をすると、執務室を後にした。
廊下に出た瞬間、彼女はこめかみを指で押さえた。
世界中のKFG社員が、出社のたびに『ロイヤル・ソレイユ』のFLORIAのポスターを目にする日々が、もうすぐ始まろうとしていた。
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経営企画本部への伝達から数日。
KFGグループの全世界拠点のエントランスに、エレベーターホールに、会議室に。
4人の少女たちの姿が、静かに、しかし確実に飾られていった。
ニューヨーク本社の1階エントランスでは、出社してきた社員たちが一瞬足を止めた。
これまで社屋は徹底的にストイックに管理されていた。
どんな有名モデルによる自社の広告も、グループ内で達成された偉業も、この世界一の社屋では掲示されたりはしない。
若い女性アイドルのポスターを見上げ、誰とも確認し合わずとも全員が「会長案件だ」と全てを察し、誰も何も言わずに自分の席へ向かった。
それ以外の選択肢がないのだ。
ここにポスターを貼れるのは世界で一人しかない。
ロンドン支社では、現地の担当者が恐る恐るアンナに確認のメールを送ってきたが、「全拠点共通の対応です」という一文のみで返信された。
世界は粛々と、王の命に従った。
***
そして、それと前後して。
日本のテレビ画面に、ある変化が起き始めていた。
「わっ、CM……また流れてる」
ある日の夜、バラエティ番組の収録を終えてスタジオの控室に戻ってきたソユンが、壁掛けのモニターを見てぽつりと言った。
画面の中では、洗練された映像の中でカエデが時計をつけた手を光にかざしている、あのCMが流れていた。
「あ、本当だ。今日だけで何回目だろう」
ミジュが首を傾げる。
「朝も見たし、移動中もラジオで音声流れてたし……なんか、多くない?」
「多いよね。ふつうこんなに流れないよね?」
サラも同意するように眉を上げる。
業界経験はそれなりに積んできた彼女たちでも、CM出稿の仕組みや費用感など、裏側の事情はあまり知らない。
ただ、直感的に「おかしい」とは思っていた。
そこへ、資料を抱えた美咲が戻ってきた。
「美咲さん!」
ミジュが駆け寄る。
「私たちのCM、多すぎませんか?一日何回流れてるんですか?」
美咲は、一瞬目線を泳がせた。
(あ、気づいてたか)
彼女は少し考えてから、抱えていた資料をテーブルに置き、4人を見回した。
「……実は、私も詳しくは聞いていないんですけど」
美咲の話し出しで早くも察したカエデが静かに微笑む。
「社長から少し聞いた話だと……K会長からの、支援があったようで」
一瞬の沈黙。
「……やっぱり!!!」
静寂を破ったのは、サラの爆発的な歓声だった。
「やっぱりKさんですか!!」
ミジュが嬉しそうに両手で口を押さえながら叫ぶ。
「絶対そうだと思ってた!!こんなに同じCM流れるの普通じゃないもん!!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……!」
美咲が慌てて周囲を見回す。ここはまだスタジオ内だ。
「Kさん……私たちのこと、こんなに……」
ソユンの声は、歓喜と感動が混じり合ったように震えていた。
Kは黙って自分たちのことを世界に届けようとしている。
「……ねえ、ソユン」
カエデが、珍しく頬をほんのり赤らめながら言った。
「ネットで調べてみようよ。どんな反応になってるか」
「やろうやろう!」
4人は各自スマートフォンを取り出す。
「えーっと……」
ソユンが検索すると、SNS上のあちこちに、見覚えのある映像のスクリーンショットが拡散されている。
『ロイヤル・ソレイユのCM、多すぎん?』
『この子たち誰?めちゃくちゃ可愛いんだけど』
『FLORIAっていうグループらしい!知らなかった!』
『高級時計のCMなのになんかフレッシュで逆に新鮮』
『え、普通に顔面強すぎでしょ』
「……」
4人は、画面を見つめたまま、しばらく固まっていた。
「……なんか」
最初に口を開いたのはミジュだった。
「……知られてきてる……?」
「うん……」
サラも、珍しく静かな声で呟く。
「私たちのこと、知らなかった人が……Kさんのおかげで、見てくれてる……」
ソユンは、スマートフォンをそっと胸に押し当てた。
感謝という言葉では、とうに足りない何かが、胸の奥からじわじわと溢れてくる。
彼は一度も「有名にしてやる」などと言わなかった。
ただ、当たり前のように、自分たちを世界に届け続けてくれている。
「……Kさんって」
ミジュが、夢見るような目で宙を見つめながら呟いた。
「本当に、なんなんでしょうね」
その問いに、誰も答えなかった。
答えられなかったのではない。
全員が、その答えを、胸の中に大切にしまっておきたかったから。
美咲は、夕焼けに染まった控室の中で、少女たちの横顔を静かに見つめながら思った。
(……この子たちは、もうとっくに、引き返せないところにいるのかもしれない)
窓の外では、陽が静かに沈んでいく。
地球の裏側、ニューヨークではちょうど朝日が昇る頃。
帝国の王は、世界の富を動かしながら、
その眼差しの奥ではまだまだ、物足りなさを感じていた。




