【ロイヤル・ソレイユ編】第6話
深夜のFLORIAの寮。
数分前までそのリビングを支配していた通夜のような静寂は、今や完全に過去のものとなっていた。
Kが創り出した、いや、その絶対的な力でねじ伏せるようにして現実とした「奇跡」の発表。
その衝撃と歓喜は、4人の少女たちの理性を吹き飛ばすには十分すぎた。
「Kさん、すごすぎる…!」
「見て!!ネットニュース!もう私たちの名前が出てる!」
「信じられない…!というか、本当にロイヤル・ソレイユのアンバサダーに…!」
ソファの上で飛び跳ね、抱き合い、スマートフォンを片手に叫び続けるメンバーたち。
その狂騒の中心で、ミジュは、人一倍大きな熱に浮かされていた。
ひとしきり大騒ぎが続いた後、さすがに見かねたマネージャーの美咲が、パン、と手を打ち鳴らした。
「皆さん!気持ちはわかりますけど、もう深夜です。明日に響きますから、各自部屋に戻って休んでください!いいですね?」
その声に、メンバーたちは「はーい……」と気の抜けた返事をしながらも、興奮で紅潮した顔を見合わせ、名残惜しそうにそれぞれの部屋へと散っていく。
だが、この熱がそう簡単に冷めるはずもなかった。
『ねえ、みんな起きてる!?』
ソユンからのメッセージを皮切りに、FLORIAのグループチャットが再び火を噴いた。
ミジュを除く3人が、ベッドの中でスマートフォンの光を顔に浴びながら、今日の出来事を反芻し、Kという存在の規格外さについて、尽きることのない言葉を交わし続けた。
『Kさんって、本当に私たちのこと見ててくれたんだね…』
ソユンの言葉に、全員が同意のスタンプを送る。
『うん。でも、それにしてもやり方が派手すぎ!心臓に悪いよ!』
サラの少し呆れたような、それでいて嬉しそうなメッセージが続く。
夜が更け、日付が変わる頃、最年長のカエデが冷静にチャットを締めくくった。
『みんな、そろそろ本当に寝ましょ!明日も仕事だから、続きはまた明日ね!』
その一言で、深夜の祭りはようやく幕を閉じた。
しかし、ミジュだけは、その祭りの中心から一歩も動けずにいた。
彼女は自室のベッドに座り込み、スマートフォンの画面をただじっと見つめていた。
そこに映し出されているのは、ロイヤル・ソレイユの公式アカウントが発表した、あの投稿。
A little bird told us a secret...Welcome to the family, FLORIA.
(小鳥が秘密を教えてくれた…ようこそ、家族へ、FLORIA)
小鳥。
それは、間違いなく自分のことだ。
自分の軽率なミス。
本来ならば、事務所から厳しく叱責され、投稿は削除され、ファンにも呆れられ、ブランド側にも謝罪して、もしかしたらこの大きなチャンス自体が白紙になっていたかもしれない、致命的な失態。
そのすべてが、Kという男のたった一言で、美しいサプライズへと昇華された。
自分が不甲斐なく転んでしまったにも関わらず、世界へ羽ばたく翼をくれた。
世界が、彼の力によって作り変えられたのだ。
ミジュは、自身のSNSアカウントを開く。
コメント欄には、先ほどまでとは比較にならないほどの数のメッセージが殺到していた。
『ミジュちゃんすごい!匂わせだったなんて!』
『全然気づかなかったよー!最高のサプライズ!』
『末っ子がモデルに選ばれて本当に嬉しい!おめでとう!』
『さすミジュ!』
称賛、祝福、歓喜の声。
自分のミスが、Kによって「偉業」に書き換えられた瞬間だった。
KFGが手配したのだろう、世界中のあらゆる言語のメディアが、このニュースをトップ記事として報じている。
ミジュが投稿した、あの時計の写真が、再び世界中に拡散されていく。
スマートフォンの画面を更新するたびに、フォロワーの数がじりじりと、しかし確実に増えていくのが見えた。
ミジュはゆっくりと、腕にロイヤル・ソレイユの時計をつけた。
プラチナの冷たい輝きと、ずっしりとした重み。
今日もらったとは思えない、ずっと大事にしてきた宝物に見えた。
そしてそれをそっと外すと、両手で包み込み、まるで聖遺物に触れるかのように、敬虔な祈りを込めて、冷たいガラスに唇を寄せた。
「……Kさん…」
漏れた声は、震えていた。
彼のために、自分にできることはないだろうか。
この感謝と、胸を焼き尽くすほどの想いを、どうにかして伝えたい。
でも、連絡先はおろか、彼に近づく術さえ知らない。
それでも、何かしなければ、この迸る感情の行き場がない。
ミジュは衝動的にスマートフォンの連絡先を開くと、そこに並ぶ名前を、一人、また一人とスクロールしていく。学生時代の同級生の男子。
芸能界で出会った、ほんの少しだけ好意を寄せてくれた男性アイドルたち。
『今までありがとう。今後連絡は取れません。元気でね』
定型文のような最後の挨拶を、律儀に一人ずつに送っては、その名前を躊躇なく削除していく。
もういらない。
この世界に、K以外の男は必要ない。
彼の光を見てしまった今、他のどんな輝きも色褪せて見える。
ミジュは、FLORIAの中で誰よりも早く、そして誰よりも深く、Kにその心を奪われた最初のメンバーとなった。
***
翌朝。
結局、ミジュは一睡もできなかった。
他の3人も、興奮と寝不足でどこかふわふわしていたが、それでも朝早くからロビーに集まり、昨夜の話題の続きに花を咲かせていた。
「いやー、マジでKさんやばすぎでしょ!」
サラが、次々と更新されるネット記事を読み上げながら、昨日から何度目かわからない言葉を繰り返す。
そこへ、幽霊のような足取りでミジュがやってきた。
目の下にはっきりと刻まれた隈を見て、カエデが眉をひそめる。
「ミジュ…もしかして、寝てないの!?」
その声には、心配と、ほんの少しの呆れと怒りが混じっていた。
「だって…寝れるわけないですよぉ…」
ミジュは、少し拗ねたように唇を尖らせながらも、力なく謝った。
「まあまあ、カエデちゃん。気持ちはわかるよ」
ソユンが優しく仲裁に入る。
「でも、ミジュ。今日は夕方の雑誌インタビューなんだから…ダンス練習は休んで、少しでも寝ておきなさい。ね?」
メンバーたちに促され、ミジュは一度自室へと引き返した。
***
3人が練習スタジオへと向かった後、ミジュはこっそりと部屋を抜け出し、再びリビングへと戻ってきた。
そこにいた美咲を見つけると、駆け寄ってその袖を掴む。
「美咲さん…!」
「ミジュ!?どうしたの、寝るんじゃ…」
驚く美咲の目に映ったのは、大きな瞳に涙をいっぱいに溜めたミジュの姿だった。
「お願いがあります…!Kさんに、お礼を言いたいんです…!どうしても…!」
涙声での懇願。
美咲は一瞬、無理に決まっているでしょう、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
だが、昨日のミジュの憔悴した姿と、一瞬で蘇らせたKの規格外の対応を思えば、彼女のこの気持ちを無下にはできなかった。
「……わかりました。会長に直接、というのは難しいと思いますけど…」
美咲は深いため息をつくと、観念したように言った。
「伝えたい内容を文章にしてきてください。それを私がメールにして、社長に送ってもらいます……。そこから先に届くかどうかは、保証できませんけど…それでもいいですか?」
「はいっ!ありがとうございます!」
ぱあっと顔を輝かせたミジュは、くるりと背を向けると嵐のように自室へと戻っていった。
ミジュは、眠気も忘れ、机に向かった。
どんな言葉を選べば、この気持ちが伝わるだろう。
感謝。尊敬。そして、気づけば胸の大部分を占めていた、燃えるような恋心。
一時間後、便箋数枚にわたる手紙を書き上げたミジュは、それを大切に抱えて再び美咲の元へと走った。
手紙を受け取った美咲は、その場で内容に目を通し、思わず顔を赤らめた。
そこには、感謝の言葉以上に、初恋を知ったばかりの少女のラブレターのような、あまりにも真っ直ぐで、飾り気のない愛の言葉が綴られていたからだ。
『Kさんのこと、好きになってしまいました』
『早くまたお会いしたいです』
「(……この子、本気だわ…)」
美咲は呆れながらも、その純粋さに胸を打たれ、約束通り、手紙の内容を一字一句違わずにPCで打ち込み、事務所の社長へとメールを送信した。
手紙を託したミジュは、憑き物が落ちたようにどっと眠気に襲われ、ベッドに倒れ込むと、深い眠りに落ちていった。
***
ミジュの想いが込められたメールは、美咲から事務所の社長へ、そして社長からアンナへと転送された。
アンナは自室のターミナルでそのメールを開き、流麗な文章の中に込められた熱烈な感情に、珍しくふっと笑みを漏らした。
「……彼女には、会長は少し刺激が強すぎたようですね」
そのメールは、アンナの手によって、Kのプライベートターミナルへと転送された。
時刻は夜。
マンハッタンの摩天楼を見下ろす、ペントハウスの最上階。
部屋の明かりは落とされ、眼下に広がる宝石のような夜景だけが、静かに室内を照らしている。
Kは、革張りの最高級ソファに深く身を沈め、空中に投影されたディスプレイに映るメールを、無表情のまま眺めていた。
ミジュからの、拙くも、熱のこもった言葉の羅列。
しばらくの間、彼はそのメールから目を離さなかった。
やがて、指先をわずかに動かすと、そのメールはディスプレイ上を滑るように移動し、『FLORIA』と名付けられた、特別な保管ボックスの中へと吸い込まれていった。
「……よかったな、ミジュ」
誰もいない部屋で、王は一人、嬉しそうに呟いた。
摩天楼の夜景は、ただ静かに、そのすべてを見守っていた。




