【ロイヤル・ソレイユ編】第2話
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『ロイヤル・ソレイユ』のモデルオファーの件は、アンナから、KFG担当本部へ、そしてFLORIAの事務所へ。
美咲のような現場のマネージャーではなく、事務所の社長の元へ直接届けられた。
それは、もはや単なる「仕事の依頼」ではなく、帝国からの王命に等しい。
受話器を置いた社長の手は、微かに震えていた。
彼は汗を拭うと、即座にチーフマネージャーを呼びつけた。
「今すぐ、FLORIAの4人をこの部屋へ!」
その有無を言わせぬ命令は、そのまま現場マネージャーの美咲へと降りてきた。
美咲は、その指示に言いようのない胃の痛みを覚えた。
社長がメンバー全員を直接呼び出すなど、聞いたことがない。
しかしチーフマネージャーからは、切迫した緊張感が含まれていた。
(もしかして……また、あの方絡み……?)
美咲は重い足取りで、レッスンを終えたばかりのメンバーたちがいるラウンジへと向かった。
「皆さん、お疲れ様です。……急で申し訳ないのですが、社長が皆さんをお呼びです」
その言葉に、ラウンジの和やかな空気が、ピシリと凍りついた。
汗を拭いていた4人の顔から、サーッと血の気が引いていく。
数日前のチーフマネージャーからの注意が蘇った。
「社長が……?」
ソユンが、不安そうに呟いた。
「なんでですか?」
カエデも、ペットボトルを持つ手が止まる。
「……もしかして、この前のことですか」
サラが意を決して言うと、他のメンバーも硬い表情で美咲を見つめる。
「仕事に身が入ってないって言われた件……」
ミジュの声が震える。
「まさか、社長から怒られるの……?」
ソユンの顔が青ざめていく。リーダーとしての責任感が、彼女の心を重く締め付けた。
アルカディアという大役を任されたのに、気が緩んでいると判断されたのかもしれない。
「……あれって、現場だけの軽い注意じゃなかったんですか?」
サラが、信じられないといった様子で美咲に詰め寄る。
「い、いえ、私たちは社長にまでは報告してません…!」
美咲は必死に首を振るが、恐怖に支配された彼女たちの耳には届いていないようだった。
「どうしよう……」
ミジュは、本気で泣きそうになっていた。
「怒られるのかな?Kさんの顔に泥を塗っちゃうよ……」
「それだけは、絶対にダメ!」
ソユンが悲痛な声を上げた。
「Kさんにご迷惑をかけることだけは、絶対にあっちゃいけない…」
その時だった。
今まで黙って見ていたカエデが、静かに、しかし自分を奮い立たせるように言った。
「…少し、大袈裟じゃない?」
その声に、3人の視線が集まる。
「確かに、私たちは注意された…。でも、それで社長に呼び出されるなんて、考えすぎよ。何か別の話なんじゃないの?」
カエデは冷静だった。
しかし、その瞳の奥には、他の誰よりも深い、不安の色もまた揺らめいていた。
(でも…もし、本当に、私たちの素行が問題で、何か影響が出たら…)
「まあ……とにかく行ってみるしかないわ」
ラウンジは、地獄のような沈黙に包まれた。
これから待ち受けるであろう、社長からの「お説教」という名の断頭台へ向かう死刑囚のように。4人の女神たちは、重い足取りで事務所の社長室へと向かうのだった。
***
社長室の重厚な扉は、まるで地獄の門のように彼女たちの目に映った。
ソユンが、震える手でドアをノックする。
「失礼します……」
中から聞こえてきたのは、重々しい声だった。
「入ってくれ」
4人は、おずおずと部屋へと足を踏み入れた。
社長はデスクの向こうで、腕を組んでこちらを見ている。
喜ばしい歓迎ムードではないが、かといって怒鳴り散らすような雰囲気ではなかった。
いや、むしろ、社長自身も何かに困惑し、緊張しているようにも見えた。
「まあ、まずは座ってくれ」
社長に促されるまま、4人は緊張で強張った身体を、来客用の革張りソファへと沈めた。
一緒についてきた美咲は、直立不動で後ろに立っている。
社長は、ため息を一つつくと、デスクの引き出しから一つの鍵を取り出した。
そして、部屋の隅に置かれた金庫を開ける。
中から現れたのは、深紅のベルベットで装丁された、重厚な箱が4つ。
彼はその箱を、テーブルの上に一つずつ、丁寧に並べていった。
「先ほど、ニューヨークから……KFGさんの本社から、荷物が届いてね」
ドクン。
その「ワード」に、4人の心臓は、同時に大きく跳ねた。
「君たちを応援してくださっている…KFGの会長さんからだ。まずは、これを受け取ってほしい、と」
社長はそう言うと、メンバーの前に箱をそれぞれ一つずつ、丁寧に置いた。
(……え?)
どうやら怒られる雰囲気ではない。
無論、解雇通知でも、契約解除の書類でもない。
ソユンは、震える指でその箱をそっと開ける。
パカッ。
中に収められていたのは、眩いばかりの光を放つ、美しい腕時計だった。
文字盤にはダイヤモンドが散りばめられ、ベルトは最高級のレザー。
その中央には、太陽を模した黄金のエンブレムが輝いている。
「わ……きれい……」
ソユンが、か細い声を漏らす。
その瞬間、今まで張り詰めていた空気がフッと緩んだ。
「ちょっ!それ……『ロイヤル・ソレイユ』じゃない!?」
最初にそのブランドの名を叫んだのは、メンバーの中でも特にファッションに人一倍詳しいサラだった。
彼女は信じられないといった様子で、自分の前に置かれた箱を開けると、息を呑んだ。
「嘘……本物だ……!これ、世界最高のブランドだよ!セレブとかがつけるやつ!」
その名を聞いて、他のメンバーもこれがただの時計ではないことを悟る。
もちろん名前は聞いたことがある。
世界最高峰のブランド。
自分たちとは住む世界が違う、雲の上の存在。
値段なんて到底見当もつかない。
これ以上の説明は不要だった。
こんなものが自分たちにおいそれと差し出されるわけがない。
ただ一人、Kからのプレゼントを除いては。
一ヶ月間、連絡がなかったことへの寂しさ。
仕事に身が入らず、忘れられたのではないかという不安。
その全てが、この一瞬で吹き飛んだ。
「きゃああっ!」
最初に歓喜の声を上げたのは、ミジュだった。
彼女も自分の目の前の箱を開けると、子供のように目をキラキラと輝かせた。
「Kさん、私たちのこと忘れてなかったんだ!」
全員の心の気持ちを代弁したその一言を皮切りに、社長室は一気に熱狂の渦に叩き込まれた。
「すごい…綺麗……」
カエデは、うっとりとした表情で繊細な作りの時計を眺めている。
「また、プレゼント……?私たちのために……」
ソユンの声が、喜びで上ずっていた。
「Kさんすごすぎ!天才!最高すぎる!」
サラはただただこの出来事に驚き喜んでいる。
Kが、またプレゼントをくれた。
関係は終わっていなかった。
その絶対的な幸福感が、彼女たちの乾ききっていた心を完全に満たしていった。
だが、Kからのサプライズはこれで終わりではなかった。
「……さて。本題はここからなんだ」
社長の声に、歓喜に沸いていた4人がハッと顔を上げる。
「会長さんから、もう一つ伝言をいただいている」
社長はそこで一度言葉を切った。
その目は、喜びに沸く彼女たちとは対照的に、どこまでも冷静で、ビジネスライクな光を宿していた。
「この時計のブランド、『ロイヤル・ソレイユ』のグローバル・アンバサダーに、君たちを起用したい、と。……どうする?」
その、あまりにも予想外の、神の福音。
4人は一瞬、言葉を失った。
自分たちのことを忘れず、時計をプレゼントしてくれただけでも天にも昇る気持ちだったのに。
その世界の頂点に立つブランドの、顔に?
「……うそ」
最初に声を漏らしたのは、カエデだった。
彼女の理性が、事の重大さに追いつこうと必死に回転する。
「私たちが……『ロイヤル・ソレイユ』の……?」
「はいっ!やります!やらせてください!!」
太陽のような笑顔で叫んだのはサラだった。
彼女はもはや、考えるよりも先に口が動いていた。
「Kさんがそう言ってくださるなら、私たちはなんだってやります!」
サラの言葉に、他のメンバーも我に返った。
そうだ、何を迷うことがある。
「Kさんが、また私たちを選んでくれたんだ…!」
ソユンは、忘れられていなかった安堵と、再びKからのオファーの喜びに、涙ぐみながら強く頷いた。
「また会えるのかな!?」
ミジュは純粋に、Kとの再会という一点に心を躍らせていた。
社長は、その熱狂的な反応を静かに見守っていた。
しかし、その表情は手放しで喜んでいるものではない。
「……一つだけ懸念を伝えさせてくれ」
社長の声に、4人の動きがピタリと止まった。
「このブランドは、皆も知っての通り世界でも最高峰の格式を持つ。顧客は世界の貴族や、年配の富裕層だ。正直に言うと…若いアイドルのイメージとは、あまりにもかけ離れている」
社長は、厳しい現実を突きつける。
「この仕事を受けることは、君たちにとっても、そしてブランドにとっても大きなリスクになるかもしれないんだ。もしかしたら世間から『不釣り合いだ』と批判される可能性もある。……それでも、やるか?」
その、あまりにも真っ当な、ビジネスとしての懸念。
美咲も、不安そうに4人の後ろ姿を見つめている。
しかし、今の彼女たちの耳には、その言葉は届いていなかった。
彼女たちの頭の中は、ただ一つ。
(また、Kさんに会えるのかな!)
(Kさんからの依頼だって!)
その絶対的な喜びの前では、ブランドイメージも、世間の評価も、もはや何の意味も持たない。
カエデが、一歩前に出た。
彼女は、凛とした表情で社長を見据えた。
「社長。おっしゃることは分かります。でも……」
彼女は、手元の時計を宝物のように握りしめた。
「Kさんが私たちを選んでくださったなら、私たちはその期待に応えるだけです。不釣り合いだと言うなら、私たちがこの時計に見合う存在になればいい。……やらせてください!」
その言葉に、ソユン、サラ、ミジュも力強く頷いた。
「お願いします!」
3人の声が、完璧に重なった。
その瞳には、一点の曇りもない、純粋な決意の光だけが宿っていた。
社長は、ふぅ、と息をつくと、小さく苦笑した。
やはり、止めても無駄だった。
「…分かった。KFGさんには、承諾の返事をしておく。できれば一か月後には発表したいとのことで、近々正式なオファーをいただけるはずだ。それまで心の準備をしておきなさい」
「「「「はい!!」」」」
元気よく返事をして、4人はスキップでもしそうな足取りで社長室を出て行った。
その背中は、断頭台に向かう死刑囚から、舞踏会へ向かうシンデレラへと変貌を遂げていた。
残された社長と美咲は、顔を見合わせて深い深いため息をついた。
「……また、とんでもないことになりそうですね」
「ああ。だが、断ることなどできはしない」
世界の常識を無視した、王の次なる遊び。
『ロイヤル・ソレイユ』は彼女たちにどのような結果をもたらすのか。




