五話「試練」
一方えりあは不気味な美女と対峙していた。
「何故貴女が? 毒蜘蛛、アラクネ」
「あらまぁ、私のこと知ってるの? 嬉しいわ」
純白のドレスを着た美女が嗤う。
金鈴を鳴らす様な声には淫靡さが含まれている。
アラクネ。
デスシティ殺し屋ランキング2位。
「毒蜘蛛」の異名で恐れられる世界最強の暗殺者。
単純な殺しの腕なら1位の大和より上だといわれている。
名実ともに、世界最高のアサシンだ。
彼女は紫がかかった黒髪を揺らす。
「あなたたちに恨みはないけど、依頼なの。ごめんなさいね」
「依頼……誰から受けたのかしら?」
「自分で考えてみたら?」
毒のある笑みを浮かべるアラクネ。
縦に一つの線が奔った。
えりあは身を翻して躱す。
遅れたロングヘアの先端が綺麗に斬り分けられた。
「……糸ね」
目視できないレベルまで細く研ぎ澄まされた金属製の糸。
毒蜘蛛の糸だ。
鋼糸術の達人という噂は本当だった。
えりあは揺蕩う鋼糸を振り払い、二丁拳銃を構える。
「依頼主を言わないなら無理やり吐かせるまで……。手足の一本でも折れればその気になるでしょう?」
「生意気ね。痛めつけ甲斐があるわ」
瞬間、えりあの四方八方を鋼糸が囲んだ。
彼女は毒蜘蛛の巣にかかってしまった。
◆◆
聖人。
唯一神から直接祝福を受けた存在。
生来の超越者ではないがそれに極めて近い、人類の上位種。
生まれながらに山河を砕く膂力と星を覆い尽くす魔力、そして絶対的な不滅性を有するという。
プロテスタントが唯一存在を確認できている聖人。
ダンテ・アリギエーリ。
正確に言えば元・聖人だ。
彼は地獄に連れ去られた最愛の妻ベアトリーチェを救うために、自ら聖人の位を返上して地獄を巡った。
そして見つけ出し連れ戻した。
歴史に残る愛妻家でもある。
斬魔は聞いた。
「この都市にいるとは聞いてたが、……アンタ、殺し屋なんてガラじゃないだろう」
「いいや、意外と性に合っている。俺は屑が嫌いでな」
「おっかねぇ。なら俺もその屑に認定されたってことか?」
「否だよ、現代の天使殺戮士。俺は試しにきた。貴公らが天使病に打ち勝つことのできる存在なのかを」
ダンテはリボルバーの引き金に指をかける。
「先輩からのありがたいシゴキってワケだ」
「そういうことだ」
迷うことなく発砲する。
銃弾は六発全て放たれたが、あまりの早撃ちに一発しか聞こえなかった。
斬魔は既に物陰に隠れている。
「おっかねーなー!! 少しは加減してくれよ先輩!!」
答えは無い。
ダンテはリボルバーのシリンダーをスイングアウトして空薬莢を排出、弾丸を一発ずつ装填していく。
反撃のチャンスだが、下手に出れば蜂の巣にされる。
ダンテは敢えてゆっくりと見せつけていた。
斬魔は建物を迂回し、広間に躍り出る。
銃身が跳ね上がり、銃火が迸る。
斬魔は迫りくる弾を的確にさばいた。
黒鉄の長棒が甲高い音を立てる。
「ほぅ」
ダンテは感嘆の声を上げた。
斬魔の捌き方に確かな技術があったからだ。
「腕のいい銃使いがそばにいるな。でなければ俺の弾を捌ける筈がない」
「相方がトリガーハッピーでな。あと、殺気が鋭いから読みやすいぜ。アンタ」
「……フッ、そうでなくては」
ダンテは口角を上げてトリガーを引く。
やはり一発分しか聞こえない。
なのに六発迫ってくる。
(音を置き去りにするレベルの早撃ち……相棒もよくするが、こんな正確無比に急所は撃ち抜いてこねぇ。いや、マジで百発百中だぞ)
こめかみ、心臓、鳩尾、肝臓、そして腹に複数発。
一発でも見逃したらアウトだ。
多少オーバーなリアクションをしてでも避けるしかない。
「よっ、ほっ、はっ」
海老反り、逆立ち、くの字と、まるで体操選手。
ダンテは聞く。
「ところで、抜かないのかね? その長物は」
「!」
やはり気付かれていたかと、斬魔は冷や汗を流す。
「聖人様は何でもお見通しってか?」
「抜く気はないかね?」
「ないと言ったら?」
ニヒルに笑う。
ダンテは肩を竦めた。
「仕方ない。強引に抜かせてみよう」
銃声が鳴る。
六発の弾が斬魔の急所を貫こうとする。
「なら俺も!! 言いたいことがある、ぜ!!」
斬魔は黒鉄の長棒を手首を用いて回転させる。
黒い旋風が丸い盾となって前方を守る。
弾が丁寧に纏まる。
斬魔はそれを豪快に蹴り抜いた。
「特製花火のっ、完成だオラァ!!」
纏まった弾はダンテの頬を切るように通り過ぎ、空で特大の爆発を巻き起こした。
爆風が辺りを駆け巡る。
斬魔は「ブハー!!」と息を吐くと、その場で尻もちをつく。
「何故軌道を逸した? 当てればよかったものを」
「ならアンタは、一度でも俺を本気で殺そうとしたか?」
斬魔は大袈裟にため息を吐く。
「あんなに的確に急所を撃たれ続けたら、馬鹿でもわかる」
「……フッ」
ダンテは笑った。
「見事だ、現代の天使殺戮士。実力、胆力、共に申し分ない」
斬魔はやれやれと肩を竦める。
「スパルタ過ぎるぜ、先輩」
ダンテはリボルバーを懐のホルスターに納めた。
「許せ。黄金祭壇に声をかけられた時、心配になってしまった」
「黄金祭壇?」
「魔導師たちだ。注意するといい」
ダンテは踵を返す。
「貴公らに大いなる父の祝福があらんことを」
そう言って暁の闇の中に消えていった。
◆◆
えりあは跳躍する。
既に毒蜘蛛の巣は張り巡らされていた。
避ける、避ける、避ける。
銃の反動、肉体の捻り。
あらゆる技術を用いて死の線から脱出する。
傍目から見れば、えりあが一人で舞っているように見えた。
その舞いは美しいが、頬に伝う冷や汗が緊迫感を物語っている。
壁が斬り飛ばされ、斜めにずれた建物が遅れて倒壊する。
全方位で織り成される立体的な斬撃は剣士の比では無い。
アラクネは一歩も動いていない。
頬に手を添え、優雅に佇んでいるだけだ。
地上に逃げ場を無くしたえりあはやむを得ず空中に逃げる。
銃撃の反動で横に移動し壁に着地。蹴りつけて回転し着地する。
瞬間、先程までえりあの足場だった建物が一文字に両断された。
轟音と共に土煙が上がる。
「厄介な糸……」
アラクネは素直に称賛する。
「綺麗に避け続けているわね。でも、糸は斬る以外にも色々とできるのよ」
細長い指が微かに複雑な動きを見せる。
「!」
えりあは足元を見る。
蜘蛛の巣が地面に張り巡らされていた。
逃げようとするが、足首を縛られて上空に打ち上げられる。
そのまま建造物に叩き付けられた。
「もっと速いステップは如何?」
アラクネは両の指を使い、死の演奏を奏でる。
振り下ろせば束ねられた鋼糸がえりあに向かい更なる衝撃を与える。
振り上げれば、何重にも絡められた鋼糸がえりあを縦横無尽に振り回した。
凄まじい勢いで地面に叩き伏せられたえりあは、よろけながらも立ち上がる。
「五体満足でいられるなんて……頑丈ね」
えりあはアラクネを睨む。
発砲したが、劣化ウラン弾はアラクネの手前で静止した。
鋼糸が弾丸に絡まり、運動エネルギーを殺している。
切断、拘束、防御。
その他、あらゆる万能性をみせる暗器──鋼糸。
扱いが極端に難しいこの武器を、アラクネは身体の一部のように使いこなしていた。
毒蜘蛛の二つ名の由来を、彼女は圧倒的実力で示している。
「無駄よ。私に銃撃は通用しない」
アラクネは甘い毒のような声音で言う。
「私を殺す気で戦わないと……勝てないわよ?」
迫り来る妖糸。
アラクネの言う通りだった。
殺す気で戦わないと勝てない。
魔界都市の住民はそこまで甘くない。
しかも、彼女はこの世界で頂点の一角に君臨するバケモノだ。
無力化など不可能。
それでも、そうだとしても──
えりあの意思は変わらなかった。
例え死のうと、彼女は自分の意思を曲げようとはしなかった。
天使殺戮士は天使病の患者を殲滅する存在。
殺し屋では無い。
天使病の患者以外は殺さない。
しかし、その意思ごとアラクネは断ち切ろうとしていた。
えりあの回避がどんどん間に合わなくなる。
アラクネは残念そうに呟いた。
「本当に死んじゃうわよ?」
360度、全方位を囲まれる。
逃げ場はない。
回避しようとすれば鋼糸に絡め取られてバラバラにされるだろう。
詰み。
えりあはそっと目を閉じた。
(こんな時に……居てくれたら)
鋼糸がえりあを覆う様に縮小していく。
刹那、銀光一閃。
地を割る斬撃はえりあに纏わり付く鋼糸を両断した。
「よぅ、待ったか」
その声は明るく爽やか。
彼は赤茶色の髪を靡かせ、ニヒルに笑っている。
えりあは待ち望んでいた。
彼の登場を。
相棒──斬魔はチンと、長刀を納刀する。
黒金の鉄棒は鍔の無い日本刀だったのだ。
◆◆
斬魔はえりあを確認する。
青いロングコートは擦り切れ、白い肌は土で汚れている。
何時も無表情の顔は安堵で少し緩んでいた。
ニヒルな笑みを崩す斬魔。
彼女は天使殺戮士、プロテスタントが誇る最高戦力だ。
それをここまで追い詰めるとは──
「大丈夫かよ」
「……ええ、問題無いわ」
えりあは無表情に戻る。
斬魔は対峙すべき女に視線を向けた。
(あの気難しい男が見逃した? ということは……へぇ、やるじゃない)
アラクネは斬魔に蠱惑的な笑みを向ける。
「随分と可愛い坊やね。普段だったらお持ち帰りしてるところだわ」
色っぽい流し目を向けられ、斬魔は嬉しそうに口笛を吹いた。
「こりゃまた大層な別嬪さんだ」
「……」
えりあの眉間に皺が寄る。
斬魔はやれやれと肩を竦めた。
「冗談だっての。戦闘中だぜ? 真面目にやるさ」
「そうして頂戴」
同時に構える。
互いに背中を預けるその形は、言葉で言い表せない信頼の証だった。
「演奏再開といこうかしら」
アラクネは鋼糸を無数の投擲槍に変形させる。
30本以上の槍が二人に迫る。
しかし、斬魔が全て両断した。
既に収まりつつある長刀を、鍔鳴りと共に納める。
神速の抜刀術。
これが斬魔の本来の戦闘スタイルだ。
相棒が作ったチャンスをえりあは見逃さない。
銃撃による高速移動でアラクネと距離を詰める。
アラクネは事前に張り巡らせていたトラップを発動する。
しかし指に感触が伝わらない。
先程の一閃がトラップも切断していたのだ。
えりあが懐に入り込み、バレットアーツを炸裂させる。
拳銃のハンマーがうなりを上げる。
重く硬い一撃。
辛うじて受け流すが、思わず数撃貰ってしまう。
数撃、されど致命傷。
アラクネは動きを止める。
このチャンスを逃すまいと、えりあは拳銃を逆手に持ち替え上半身を引き絞る。
アラクネの顔面に渾身の右ストレートを叩き込もうとしていた。
「フフフッ」
アラクネは嗤っていた。
口の端に血を滲ませて尚、嗤っていた。
右ストレートがアラクネの顔面を通り抜ける。
この感触の無さは異常だ。
構えるも、既にアラクネはいない。
「やるじゃない」
いつの間にか、アラクネは建物の上に佇んでいた。
「もっと遊びたいところだけど、これ以上やると火がついちゃいそうだから、やめておくわね」
アラクネは完全に折れている筈の右腕を瞬く間に修復させる。
脇腹も、伸びをすることで嫌な音を立てて治っていた。
「また今度、遊びましょ♡」
そう言って闇の中に消えていった。
えりあは彼女を完璧に捉えていたが、最早気配すら追えない。
諦めて二丁拳銃を下ろす。
「結構ヤバかったな」
「ええ」
えりあは表情を険しくする。
「彼女が本気だったら、キミもわたしもタダじゃ済まなかったわ」
「確かに」
斬魔は苦笑する。
これはダンテにも言えることだ。
彼は終始、銃撃しかしてこなかった。
もしも肉弾戦に持ち込まれていたら──
山河を砕く膂力を生まれながらに有するという聖人に、勝てる気など一ミリも起きない。
斬魔は改めて、優しい先輩に感謝した。
「しっかしアラクネかぁ、そうかぁ~」
「どうしたの?」
「いやぁ、めっちゃタイプだったから連絡先聞いておけばよかったなって……。アレは絶対、Kカップはあったぜ。くぅ〜!!」
「……」
えりあの視線が呆れを通り越して軽蔑へと変わる。
「遺言は?」
「やべっ」
暁の世界が消えていく中、斬魔の断末魔の悲鳴が響き渡った。




