記録.98『”愉悦者”ョミョ』
わぁ~、たかぁいねぇ。
「そうだねー」
俺、最近もプロペラに連れられてお空を飛んだんだぜ。
あいつ、俺が短期間に二回もお空を飛んだって知ったらきっと羨むぜ。
俺はそう言って、いつもよりもよっぽど近い空を目に映した。
「空は元気?」
あ?プロペラ?あいつは元気だ。
気持ち悪いくらいに元気で、こっちが参っちまう。βの頃までとは言わないが、もうちょい慎ましくして欲しいもんだぜ。
俺とヨミ君は他愛ない話をする。
次第に会話はなくなり、言葉は減り、どちらからとも言えない嫌な雰囲気がその場を支配した。
……どうする?
「どうするって言われても…ねぇ」
俺の言葉に、ヨミ君が今の状況を楽しむ様に手を顎に持ってきて唸る。
俺は、そんなヨミ君から視線を外して、辺りを見た。そこは空、空、空…至る場所が青々とした青空だった。
そして、極め付けに上を見ると……、
――わぁ、もふもふだなぁ…。
もふもふとした謎の生物が俺達の腹を掴んで、大きな翼を羽ばたかせていた。
右隣でヨミ君がなんとかそのもふもふとした毛に触れないものかと四苦八苦している。
俺はそれを横目に見ながら、ほろりと涙を流すのだった……。
トホホ…、やっぱりβのゴミ共とは関わりたくないよぉ~…。
自分のその一人だと、そろそろ自覚をするべきでしょう。
◇■◇
時は、少しだけ巻き戻る。
エビふりゃーとヨミ君は、嫌々と駄々をこねる俺を引っ張って新世界の奥へ奥へと進んでいく。
魔物が襲ってくる度に、奴らは連携を取って倒していった。しかし、勿論無傷って訳にもいかねぇ。奴らは傷だらけになったその身体をこちらに向けて、血を流したその顔でにこりと笑うのだ。
ひ、ひぃ……!か、怪物どもが…!
この世のものとは思えない悍ましい化け物が…!俺にその顔を向けるなぁ!
怯えた様に俺がそう言って、目を塞ぐ。
すると、ポーションを振りかけながら奴らは再び俺を引っ捕まえるとまた新世界の蒼い草を踏みしめて、歩き出すのだった。
そこで俺はようやく、もう自分が逃げられないことを悟った。
はぁ……、なーんでルーキー狩りしかしてねぇ俺がここにいるんだろうな…。
そう呟きながら、奴らの手を跳ねのけて俺は立ち上がった。血液腕を形成し、周囲に浮遊させると、エビふりゃーは笑顔を一瞬で辞め、ヨミ君は更に嬉しそうに笑顔を深めた。
「さっさと諦めてりゃ良かったんだ」
「ふふっ…頑張ろうね、ルート」
そうして、俺達三人は再び歩き出した。
…新世界の街は、未だに解放されていない。厳密にいえばフローのみが到達し、奴だけが使える街として解放はされている。しかし、それだけだ。
多くのプレイヤーは、〔サイショ〕、〔コウザン〕、〔シンリン〕、〔ムホウ〕、〔ミカイ〕の五つの街を行き来して暮らしている。
新世界の街までの街道さえ繋げちまえば、新世界攻略は人海戦術で可能となる。今、人海戦術が使えない理由は、新世界の入り口に旋回している殺人鳥がいるからだ。奴らが、空から縦横無尽に首を刈り取ろうとする限り、ルーキー共は頭数に入れられない。新世界の入り口から2、3km進めば奴らの姿は消えるが、ルーキー共じゃそこまで辿り着けない。廃人共が守って進むってのも本末転倒だ。
だからこそ、街道を作り、繋げ、新世界の教会を手に入れる他無い。
それに教会が手に入りゃ、エビふりゃーのスキル獲得だってもっと楽になる。だからこそ、奴はヨミ君と俺と共に自分のスキル獲得をほっぽって進んでんだろう。
ったく…、意識が高いってのは気持ちが悪いなぁ!
そうは思わねぇか?ョミョ君よぉ…。
「あはは!ルートはほんと変わんないね。まだ色は真っ黒なのかな?」
知るかよ、ムイに聞いてくれや。
エビふりゃーが剣の柄に手を置きながら、周囲を警戒している後ろで俺とヨミ君はだらだらと駄弁る。どうせ俺達が警戒しても、奴の《敵対知覚》の索敵範囲には敵わない。ならば、素直に奴が敵を検知するまでは適当しててもいいだろうよ。
俺は亜空間から飴を取り出して、それを口に放り込んだ。飴食う?
「何味あるの?」
林檎、グレープ、ソーダ、コーラ…その他諸々…意外と何でもあるぞ。
「青林檎ある?」
あぁ、あるぞ。ほらよ。
俺は青林檎味の飴を取り出して、ヨミ君に向けて山なりに投げた。ヨミ君はそれを両手でキャッチすると、お礼を述べながら口に放り込んだ。
おい、エビふりゃー!飴!
俺はそんな事を言いながら、前の方にいる警戒を怠らない奴へと握り締めたメロン味の飴を思い切り投擲した。
「あぁ」
エビふりゃーがそんな事をいいながら、左手だけをこちらに向ける。
奴の左掌に、投擲された飴が吸い込まれるように近づいていき―――、
――その飴は、巨大な何かに掠め取られるようにして奪取された。
「あ…っふ」
「んっぶふッ」
「―――あ゛???」
俺、ヨミ君、エビふりゃーの順に声が零れる。
その巨大な何かは、もふもふとしたまんまるの体毛に、鳥の様な足と翼が標準装備されていた。
飴玉を奪い取ったそれは、エビふりゃーの方を向いてキャッキャと嬉しそうに毛むくじゃらの身体を揺らした。
それを見て、エビふりゃーの額に青筋が幾つも浮かび上がる。奴からピキピキ…と怒りのボルテージを現す音が鳴る。
それを見たヨミ君が、遂ダムを決壊させ、腹を抱えて笑い転げ始めた。
「あ、あははははっはは!!す、スキルを…、とられて…!飴もとられて……、か、かわいっ、かわいそっ!あっははははは!!ははは!!!」
地面を叩き、目尻から涙を零し、大口を開けて笑うヨミ君を見て、俺は必死に笑いを堪えていた。
「え、っびふりゃーっくん…、まぁッ…そ、そん、な日も…あるよ…ふ…んっふふ」
言葉の端々に、笑いが零れる。
それを見て、ヨミ君が更に笑い声をあげる。
俺は地面に顔を向け、ヨミ君は地面に転がった。エビふりゃーは、そんな俺達を見ると青筋を更に増やして、蒸気を噴出させながら、鞘から剣を抜いた。
奴はその剣を携えて、魔物がいる空を見上げた。しかし―――、
「……いねぇ」
エビふりゃーが空を見上げた時には、既にそこに毛むくじゃらの魔物の姿は無く、青々とした空だけが広がっていた。
エビふりゃーは、大きく深呼吸をしながら剣を鞘に納め、俺とヨミ君が転がっていた地面へと顔を向けた。そして、
「……フン」
鼻を鳴らしたエビふりゃーの視線の先―――、
地面に転がっていた俺もヨミ君も、誰一人として、跡形も無く消失していたのだった……。
子供から目を離してはいけないとあれほど言ったでしょう。
◇■◇
――”鉱石卿”が言っていた。
『お前はいつも楽しそうだ』と。
――ぽぽぴぱが言っていた。
『事件あるところに君がいる』と。
――”目隠れ”が言っていた。
『先生は後先考えないね』と。
そんな事を言われる度に、ふざけんなと声を荒げながら否定した。
そりゃそうだ。
廃人共の相手をしている事のどこが楽しい?
何故、俺がいつも事件に巻き込まれにゃならん?
常に動き続ける俺のブレインを馬鹿にされ、どうして黙っていられる?
世の中は不条理ばっかりだ。
善い行いをする者ほど、割を食い易く出来ていやがる。だから、俺は《加速因子》に巻き込まれたし、廃人共に絡まれるし、ルーキー共に敬遠される。
……だからよぉ…。こうなってる現状も、この先に待ち受ける絶望的な未来も、腹に食い込む鋭い爪も、何もかもお前が悪いってことでいいよな?ョミョ君…。
果てしない大空の中、俺は隣でモフモフの魔物に同じく捕まっているョミョへといら立ちを隠す事無くそう言った。
「はは、酷い理論武装だ」
うるせーよ。
俺は最近、何かとお空と縁があんだよ。どうなってんだ。なんでプロペラじゃなくて、俺が空を飛ばなきゃならない。お生憎様だが、俺は太陽に焼かれる翼を持ってねぇぞ。
「僕もないさ」
俺とヨミ君はモフモフとした魔物の毛を触りながら、そんな会話をする。
一瞬――、一瞬だった。
俺とヨミ君が笑い転げ、エビふりゃーがこちらを見て、再び魔物に視線を戻すまでの一瞬。その一瞬が、俺とヨミ君を大空へと連れ去った。
やはり新世界の魔物は別格だ。
時と場合が揃えば、エビふりゃーでさえも悠々と出し抜くポテンシャルを奴らは持っている。つくづく俺はここにいるべきじゃねぇと実感する。
「どうする?ルート」
ヨミ君が俺に言う。
…ぁあ?てめぇ、何抜かしてやがる。
俺はそんなヨミ君に両手で訳が分からないといったポーズをとって、対抗した。
なーんで俺が考えんだ?
エビふりゃーと俺の二人ならともかく、ここにいるのは一般ルーキーのルート君と、β組のバックブレイン、ョミョ様だろ??
んなら考える役割はお前にあるに決まってんだろーが。なに楽しようとしてんだお前はよぉ。
俺の言葉にヨミ君が声を殺す様にくっくっと笑った。
βの愉悦主義者、ョミョ。
奴はβ時代、参謀補佐の役割で多くの大規模戦闘に参加していた。勿論、その戦闘の中の幾らかはョミョ自らが仕組み、掌で躍らせたパペットシアターではあったが、正真正銘の戦闘においては奴の脳味噌から弾き出される戦略はどれも一級品だった。
「分かった、分かったよ。それじゃ…」
ヨミ君はひくひくと口角を吊り上げながら、右手と左手を強く打ち鳴らした。そして、ぴったりとくっついた両手の平を勢い良く開くと、そこには小さな丸い球が転がっていた。
…おい、そりゃ一体…。
「喰い散らして」
そうヨミ君が呟いた途端―――、
「ん、なッッ!!!?」
俺とヨミ君の腹に食い込んでいた魔物の足が消失した。
掴んでいた魔物の足が俺とヨミ君の腹から消えたことにより、俺達は重力に従うように下へと落下し始める。
しかし、そんな事御構い無しにヨミ君はニマニマと俺の方を見ながら、再び両手を叩いた。そして、それを開くとそこには先程見た小さな球があった。ヨミ君は掌に出現した球を人差し指と親指で掴むと、まるで商品紹介でもするように俺へとこう言うのだった。
「これは〈暴食〉のUnique・Skill《喝采喰らわば》。
拍手をした掌に自由自在に動き回る”暴食の魂”を召喚する。
”暴食の魂”の働きと召喚時間に比例して、使用者の満腹度が減少し、もしも満腹数値が足りなった場合は命の一部を奪われる。
”暴食の魂”を召喚中に再び拍手をすれば、”暴食の魂”は再び手の中に舞い戻る」
大空を超スピードで落ちていく中で淡々と説明するヨミ君を、俺はどこか懐かしい気持ちで見ていた。
これが俺じゃなく、もっとゲームに固執する奴に教えていたならば今この場で戦いが起きていただろう。しかし、この場にいるのは紛れもない俺だ。
俺の特に何も思っていない表情を見たヨミ君が、酷く嬉しそうににんまりと笑う。
「あぁ、そうだ。君ならそうだと思っていた。だから伝えるんだ、―――加速因子!」
ヨミ君はそう言って、摘まんだその球をぎゅうと握り締めた。
……俺は他の連中と比べれば、ゲーム攻略への切望は薄い。
それこそ、廃人共は先へ先へと行きたがるし、ぺろりん率いる精鋭ルーキー共も新世界で四苦八苦している。それは偏にワールドクエストを進めたいからだ。
勿論、俺だって一プレイヤーだ。
情報が得られるなら、喜んでそれに齧り付くし、しゃぶり付く。だが、”七つの大罪”系の職業だけはどうにもきな臭い。俺の中の嫌な予感がビンビンと警戒報を鳴らす。
だからこそ、深くは聞かない。
それにここで深く聞いて、もしもヨミ君の気まぐれが発動したら俺はこのままお陀仏だしな。今は流れに身を任せるのが正解ってやつだ。
「――暴食!引き寄せて!」
ヨミ君の手の平に握り込まれていた球が、ヨミ君の手の甲を食い破って飛び出す。
そして、その球は俺の服の裾に齧り付くやいなや、そのまま俺をヨミ君の方へと放り投げた。
「ざつぅ」
素直にそれに抵抗することなく、俺は大空をヨミ君目掛けてロケット投擲された。
超速と化したルート君ロケットは、ヨミ君の鳩尾へと弾着し、ヨミ君は口の端から血を吹いた。
俺とヨミ君は、達磨の様に一緒に固まって落ちていく。
ねぇ、これどうすんの?
正直、どうしようもないって思ってここまで流れに身を任せてきたけどさ、この状況詰んでね?ねぇ、ヨミ君?これ詰んでるよね?
「ははは、そんなことないさ」
口から垂らした血が上へと昇っていくのを見ながら、俺はヨミ君を見る。
ヨミ君は手の平を叩いて、そのまま俺を左手で強く抱き締めた。ヨミ君の暖かな体温と心臓の鼓動が俺の顔に伝わってくる。
トゥンク…。
俺の胸の鼓動が優しい音を奏でる。な、何この気持ち…。
もしかして…、これが…恋…!?
少女漫画ばりの展開が幕を開けようとしたその瞬間、ヨミ君が右手を思い切り下へと突き出した。そして―――、
「―――”僕とその所有物は落下時衝突ダメージを受けない”」
その瞬間、俺を抱え込んだヨミ君の身体が地面に衝突する。
四肢は粉々に砕かれ、身体は再生不能なくらいにぐしゃぐしゃに、真っ赤な血液が辺りに飛び散り、凄惨な光景がそこには形成され――、るはずだった。
「はい、もういいよ。ルート」
ヨミ君は脇の下を持って、俺を地面に立たせると亜空間からどら焼きを取り出して、もぐもぐと貪った。
そんなヨミ君を、俺は訝しげな眼で見つめた。
…俺は確かに他の連中程、お前に興味はねぇ。だがな、あまりに異質なものを目の前にして黙っていられる程甘くはねぇぞ。
半目で睨みつける俺を前に、ヨミ君は嬉しそうに焼き鳥を口に運びながらこちらを見ていた。
お前は〈暴食〉のスキル《喝采喰らわば》で窮地を脱し、俺を抱え込んだ。
《喝采喰らわば》は、お前の言った事が真実なら小さな球体が辺りを喰い散らかす命令&自立型攻撃スキルだ。あぁ、強い、強いとも。
だがな、ついさっき…お前が右手を突き出して発動した力…、恐らくは口にしたことを現実にする能力は〈暴食〉の範疇じゃねぇだろ。
ただのスキルにしては、あまりに破格の性能だ。俺の《血液操作》みてーなドロップレアスキル…それかもっと別の何か…。
問い質す俺を、ヨミ君はニマニマと笑顔を崩す事無く見ていた。
そして、俺が一息入れたその瞬間、ヨミ君が主導権を奪い取るように喋り出した。
「あぁ、ルート。やっぱり君は凄いスパイスだ。君が、君がいれば―――」
あ、あの…しっかり咀嚼してから喋って貰えません…?
マジで何も聞き取れないんすけど…。あと話してるとこに割り込まないで貰えます?
人としてなってないんじゃないすかね?もうちょい人道っつーやつを学んでくらいや、ヨミ君よぉ。
人道からかけ離れた男が何か言ってる…。
◇■◇
ヨミ君は、俺達を掴んでいた魔物の足を食らい尽くして窮地を脱した。
そこはまぁ良いだろう。正直、俺の《血液操作》じゃ火力が足りなかっただろうし、天秤を活用して魔物の足を捩じ切るのだって、俺の身体が掴まれている以上、巻き添えを喰らうから出来なかった。
俺の命があるのは、奴の功績と言って差し支えない。
だから感謝はするさ。
有難うございますですね、ョミョさん。感謝感激です。
俺の棒読み染みた言葉と表情に、ヨミ君がシュークリームを口に詰め込みながら手を振った。
よし、礼言ったしもういいよな。
正直、お前のスキルやら何やらについて聞きたい事は山ほどあるが、今はそれを言っていられる程余裕がねぇ。
俺はそう言って、ぐるりと周囲を見渡した。
見渡す限りの蒼、蒼、蒼の草原。
新世界の陸地はこればっかりだ。俺達は未だに新世界で蒼の草原以外のフィールドを見つけていない。海外勢も新世界には苦戦しているという情報だけ入ってくるが、どうやら連中も俺達ジャパニーズと同じく新世界で二の足を踏んでいるらしい。
「おい、どうすんだ。これ」
「うーん」
ヨミ君が俺と同じく周囲を見渡す。
魔物に運ばれた距離は、かなり長かった。
恐らく方向さえ合っていれば、俺たち二人が新世界の街に辿り着けるくらいには。しかし、近くに町が見当たらない以上は、連れて来られた方角が現在判明している街とは違う方だったっつーことだ。
…しゃーない。
おい、インテリクソ眼鏡。とりあえず歩くぞ。
どうやらフローが辿り着いた街とは違う方向らしいが、進んでいけば別の街に辿り着くかもしれねぇ。俺たちに出来る事はそれくらいだろうよ。
「…そうだね。そうしよう」
ヨミ君は眼鏡をコナン君よろしくクイッと持ち上げ、俺の隣に並んで歩き始めた。
…どうせだし、歩きながらこいつを問い詰めるか…。こいつの事だし、少しは情報落としてくれんだろ…。
俺はそんな事を考えて、ヨミ君に話しかけようとした。しかし―――、
「…ルート。――霧が出てきた」
……ぁ?
俺はすぐに辺りを見回す。
すると、先程まで全く無かった筈の真っ白な霧が俺達を包んでいた。
お、おいおい…。
なんだこりゃ…数秒前までの空が見えた快晴はどこ行きやがった?新世界っつーのはつくづく理不尽だな、おい。
「離れたらマズいかも。ルート、手をつないでおこう」
ん、あぁ、そうだな。
俺は霧の中でヨミ君がいた場所らへんに手をぶんぶんと振った。しかし、幾度も空振り、一向にヨミ君のお手々が見つからない。
「おい、ヨミ君。さっさと手ぇ出せ」
「…出してるよ」
ヨミ君の声に緊張感と焦燥感が乗っている。
…マズい。明らかにこの霧はおかしい。これは、これは…ただの霧じゃねぇ…!
嫌な予感が、今更になって脳裏を揺らす。
手を振っても、息を吹いても、何をしても霧が払われない、纏わりつきやがる!
「ョミョ!!!」
「分かってる!」
俺の叫びと共に、誰かが地面を勢い良く蹴る音が耳朶を震わせた。
俺もそれを追うように地面を蹴った。
直ぐ傍で誰かが走っている音が聞こえる。しかし、隣を見てもそこには誰もおらず、音だけが聞こえる。
やばい…!
何か、とんでもなく嫌な感じがする…!
俺は《疾風》を発動させ、一気に加速する。すぐに、すぐにこの霧を抜けねぇと…!
「――ルート!霧から抜けた!もっと早く走って!」
瞬間、前方からそんな叫びが聞こえた。
俺はそれを聞き、足裏に凝固血液を出現させる。
唸れ…!メリットとデメリットの天秤!ハイリスク×ハイリターンの到達点…!――血液噴射!
俺の体躯が真っ赤な血液に押し出され、一気に加速する。
霧が俺に纏わりつくのが分かる。四肢を、胸を、腹を、腰を、頭を、あらゆる場所がこれでもかと泥濘の如く纏わりつき―――!
どらっしゃぁああああああ!!!
血の加速が、限界値にまで到達した瞬間、体躯が纏わりつく霧の呪縛から解放され、青空へと解放された。
よっしゃ!抜け出せた!
ヨミ君、俺を受け止めろぉ!!
霧から脱出してすぐ、目の前にヨミ君の姿が見え、そう叫んだ。
加速した体躯の勢いは止まる事を知らない。
恐らく、ヨミ君の身体はズタボロになるだろう。しかし、俺さえ生き残っていればそれでいいのだ…!ョミョ…、俺の為に尊い犠牲になってくれや…!!
俺の身体は、勢いよくヨミ君の胸へと突撃した。
俺はしくしくと涙を流す。あぁ、ヨミ君…君は交通事故ばりの衝撃を受けて死んじゃうんだね…。俺は悲しいよぉ…。
そんな事をこれ以上ないくらいの笑顔で考えていた。しかし……
―――ぽふっ。
「え?」
――俺の身体はあまりにも容易くヨミ君にキャッチされた。
呆けた様な声が俺の口から洩れる。
ど、どういうことだ…?
何故奴はこうも簡単に俺をキャッチできた…?衝撃によってこいつは粉砕される筈じゃ…?
俺は数秒考えて、ヨミ君の顔を見た。
「?????????」
すると、ヨミ君は訳が分からないといった顔をしていた。
β時代、常に笑顔を浮かべていたヨミ君にしては随分と珍しい顔だ。しかし、何故そんな顔をここで浮かべる必要がある…?
そんな事を思いながら、ふと俺は自分の身体を見た。
……ふむふむ、クリームパンみたいに柔らかそうな小さいお手々、短足で済ませてはいけないくらいに小さなお足、標準体型だった筈なのになぜか出っ張ったお腹…。
……ふーん?(震え声)
俺はふいに、その小さなお手々で自分の頬を触った。お餅みたいに柔らかい感触が俺の指に伝わってくる。
「え?」
ヨミ君が俺を抱きかかえて声を漏らす。
「え?」
それに返す様に、俺も声を漏らした。
二人分の声がその場を支配する。
固まるヨミ君を上に見ながら、俺は深く溜息をつく。そして、亜空間から葉巻を取り出してそれを口に咥えると、凄みを利かせてこう言うのだった…。
――オラ、さっさと火ぃつけんかいワレェ…。
ギャングベイビー、ルート君…爆誕!ばぶぅ!




