『決着』
「夜分遅くに失礼いたします」
ツバキ様のお兄様が住む屋敷に到着して、早一時間。守護する輩や、敷地内を警備する冒険者など、多くの方の相手をしていたせいで思ったよりも時間を浪費してしまいましたが、ようやく目的の人物を見つけることが出来ました。
まぁまぁ、半裸のままベッドの上で女性を何人も侍らせている、こちらの方がツバキ様のお兄様ですか。モニカ様が見せてくれた似顔絵とそっくりです。
「シニョ貴様何をしにきた。それと……誰だお前は?」
「えぇと、これには止むを得ない事情がありまして」
侵入者である私達を目の当たりにしておきながら、ベッドから立ち上がろうともしないのは、何か策をお持ちなのでしょうか。いえ、襲撃の間に淡々と迎撃の準備を整えていた可能性も考えられる。
情報通りであれば、相当に頭が切れるとのこと。となれば手強い相手になりそうです。
まずは会話から相手の出方を伺うのが得策でしょうか。言葉、態度。その全てに人格が現れる。見落とすことなく見極めねばなりません。
「主の命が狙われた以上。原因を早急に取り除くのが一番、と先輩に教わりまして。ですよね、先輩」
「ええ、その通り。可愛い後輩の為、一肌脱がせていただきました。貴方が誰かはすでに承知しております。ですが相手が誰であろうと、私には関係ございません」
「はっ!」
品のない笑い声をあげたかと思えば、笑いをこらえるように体を震わせています。
「とうとう頼るあてもなくなって、先輩のメイドにでも泣きついたのか」
「私としては、お嬢様を連れて逃げ回るというのが最善の手でしたが、人生は何が起きるかわからない。いやー今日ほどこの言葉を噛みしめた日はありませんよ。だって、こんな切り札が手に入るなんて予想もしていませんでしたから」
「フフッ、男の悦ばせ方でも教えてもらったか。見た目は、悪くはない。だが俺を懐柔するには遅かったな。見ての通り、ベッドの上に余裕はなくてな」
彼の傍に居る複数の女性から、値踏みされている様な嫌な視線を感じます。優位な立場からこちらを見下すような目つき。少なくとも私達にとって好意的ではないのは確実です。
「そうだな。床に這いつくばって、奉仕でもしてみるか。俺の気が変わるかもしれんぞ」
男が笑い出すと、それにつられて周りにいる女性たちも声を上げて笑い始めました。時折、私達を煽るような言葉を投げかけては、こちらを挑発してきます。
「……殺し」
「だ、駄目!」
シニョは慌てた様子で、私の口を手でふさぎました。
「先輩、その目。マジで怖いです! 殺意込めすぎです、貴方達も余計な事を言わないでって。先輩を誰だと思ってるんすか。赤髪鬼ですよ、赤髪鬼」
「なんだと? 赤髪鬼だと……。その燃えるような髪の色は最近まで貼ってあった手配書通りの人相……だった気がする。まさか、本物なのか」
聞き捨てなら無い言葉が聞こえました。
手配書通りの人相ですって。この方の目は節穴なのでしょうか。まあ、この責任は手配書の作者であるモニカ様にとってもらいましょう。
「本物ですよ。ツバキ様にとって最強の切り札。赤髪鬼という切り札を手にしたからこそ、ここに来たわけですよ」
「……なるほど。そういうことか。それならば、私にも考えがある。赤髪鬼、ツバキではなく俺に従わないか」
「……はい?」
「あいつの財産がどれほどのものかは、私は把握している。おまえに手渡した額など微々たるものだろう。だが俺はお前が受け取った額の三倍、いや五倍だそう」
何の冗談でしょうか。貴方の命を奪いに来た私を金で釣り上げるつもりですか。
もし逆の立場であれば、全財産を差し出して命乞いをする位がちょうどいいと思うのですが、まさか殺されないとでも思っているのでしょうか。
「どうだ。悪くない話だろう」
なぜ今の状況で自信たっぷりに笑いかけることができるのか。ここにきて、ようやく解りました。やはり他人の話というのはあてになりません。結局のところ、真偽は私自身の目で確かめるしかないようです。
部屋を見渡すとテーブルの上に、無造作に置かれた模造のナイフが目に入りました。いい重量感で、私の手によく馴染む。刃はついていませんが、当たればそれなりに痛いですよ。
「な、なにをする! 私を殺す気か」
放ったナイフは狙いを寸分違わず、男の顔を掠め壁へと突き刺さりました。私の行動が気に障ったのか、
男は動揺しながら声をあらげています。
ようやく、笑みを取っ払うことができて、私満足でございます。
「この期に及んで、金で懐柔ですか。殺す気かと聞きましたね。その通りです。最初からそれが目的でしたが、殺しに来たと言わなければ伝わりませんか」
「私を誰かと知ったうえで、だと。本気か赤髪鬼!」
「それも最初にいいました。切り札の名に相応しい行動をとらせていただきますよ」
「兄上様、お金の懐柔で先輩が止まると本気で思っていますか。それに出す額が五倍って。それじゃ全然足りませんよ」
男は隣にいた女性を押し退け、転げるようにベッドから跳び降りると、卓上にあったベルをけたたましく鳴らし始めました。
「アイツ呼び鈴なんかならしていますよ! 先輩」
シニョは狼狽する彼の姿を見るのが楽しそうです。興奮しているのか少々顔が赤いようにもみえます。
「残念ですが、この建物内にいた護衛はすべて排除させて頂きました。そちらの部屋に控えている方以外は」
一見真っ白な壁面に二本の黒い線が走ると、その一部が下がり始めました。仕組みは知りませ
んが、床に走る振動と共に降りていく壁。光がほとんど差し込まない隠し部屋の暗がりから姿を現した人物。それをみたシニョの体が強ばりました。
「二度目ですね」
「ああ」
ツバキ様を襲った首領。予想通り、彼の手先でしたか。剣に手を添え、鋭い目つきで私を睨んでいます。
「やる気ですか」
「そのつもりなんだがね」
「仲間も連れず貴方一人ですか。私のことを舐めています」
「生憎だが舐めているつもりはないさ。仲間も連れてきたかったがそっちの嬢ちゃんがボコボコにしてくれたおかげで、今は仲良くベッドの上だよ。怪我していない奴らも看病で手一杯よ」
「謝りませんよ」
「必要ない。こういう稼業で生きているんだ、覚悟はしてるさ。だからこそお礼を言いに来た」
お礼とは変なことをいいますね。彼女に仲間が倒されたというのに。
「そんな顔をするなよ。当然の事だろ。あれだけの戦いを繰り広げて起きながら、仲間が誰一人として死んでいなかったからな」
「偶然、ではないのでしょうね」
「ああ、その通りだ。そこの嬢ちゃんが加減をしてくれた。だろ」
シニョは黙ったまま、小首を傾げ不敵な笑みを浮かべています。
否定も肯定もありませんが、認めているようなものです。
多勢に立ち向かう気概だけでなく、相手を気遣う余裕まであったと。あれだけ死ぬ目にあっておきながら、相手を殺めないとは不思議な方ですね。
「恩に着る。ありがとう」
彼はシニョに向けて深々と頭を下げました。
「じゃあ、俺は行くぜ。また顔を合わせたとしてもいきなり切りかかるのは勘弁してくれよ」
首領の男は、まるで友達と別れるかのように手を気安く振りながら、部屋から出ていこうとしています。彼は私を待ち受けていた訳ではなく、ただ礼をするために居たということですか。呆気にとられる私とシニョの視線を気にとめる様子もありません。
「ちょ、ちょっと待て!」
彼を呼び止めたのはツバキの兄上様。自分が雇った用心棒がただ挨拶だけをして、この場を去ろうとしているのです。必死な形相で声を張り上げるのも少しわかる気がします。今の彼には先ほどまでの余裕はなさそうです。
「悪いが俺たちの仕事は、アンタの妹とそこにいるメイドを襲った時点で終わっている。これ以上することはない」
「どういうことだ。奴らはまだ生きているじゃないか」
「おいおい、仕事を受ける前にきちんと内容を確認しただろう。俺は彼女たちを殺せばいいのかと。それでアンタは頷いた。そして俺は前金を受け取って、きちんと彼女たちを襲った。だが、仕事に失敗した俺は後金はもらえない。契約はきちんと成立してるだろ」
「ふざけるな!」
兄上様は手にしたベルを振り上げ、頭領を目掛けて投げつける。ベルは頭領に掠ることモニカく、壁にぶつかり一際大きな音を立て、床を転がりました。しんと静まり返る部屋の中で、兄上様だけが荒い呼吸を繰り返しています。
「そういえば」
にらみつける眼差しなど意にも介さず、頭領は飄々した口調でしゃべり始めました。
「仕事前にアンタは言ったよな。とても簡単な仕事があると。子供二人を殺すだけの簡単な仕事だと」
「それがどうした」
「一人は確かに子供だった。人を疑うことを知らない世間知らずのお嬢様。だが傍に立つメイドは違う。奴は主に従順な獣だよ。飼い主のみに忠実で、敵に牙を剥く獣。」
「なにがいいたい。おまえ等が怪我をした理由は、私のせいだとでも言いたいのか」
「違うな。俺の傷は俺のふがいなさのせいだ。仲間の傷も弱さが招いたものだ。お前のせいにするつもりはない。だが、お前の情報に命を預けたのも事実だ。その結果がこのざまだ。仕事のつきあいをするなら信頼のおける相手に限るだろ。つまり、お前は信頼できない。それでこの話は終わりだよ。もう話すことはない」
依頼人と請負人。その関係は対等でなければならない。それが頭領の信条ということでしょうか。
「金のためなら俺たちは命を捨てる覚悟がある。だが俺を含め誰一人として無駄死にさせるつもりはない。俺が頭領である限りだ。じゃあな」
それだけ言い残すと、すがるような目を気にとめることなく、この場から立ち去っていきました。唯一の手駒を失い、ベッドの上に居た女性もいなくなっています。この場に一人残された男は歯を食いしばり、開きっぱなしの扉を苛立った様子でにらみつけています。
そろそろ幕を下ろしましょうか。
「覚悟は決まりましたか」
一歩踏み出した私に、怯える姿を見るに、演技ではなさそうです。
「待て、私の話を聞け」
ここに来てようやく命乞いですか、判断が遅い。モニカ様の情報に踊らされ、彼を買いかぶりすぎました。仕事をするなら信頼のおける相手に限る、ですか全くその通りですね。
「全財産だ、全ての金をおまえにくれてやる」
「命が欲しいのなら手放しなさい。全てを」
「全て、だと。金だけでなく地位まで捨てろと言うのか」
「命の重さには変えられないでしょう」
迫る私から逃れように、彼は後退りを繰り返す。無様に躓いて転ぼうとも、逃げ場がないと知っていながら逃れるように、這いつくばりながらずっと、ずっと。
そんな中、シニョは私を諫めるように手で止めると、床に尻を着いたままの男を見下ろしながら優しく語りかけました。
「まあまあ、そんな怖がらずに。命が大切な兄上様に朗報です。今、先輩が言った内容をこちらの紙に一言一句間違えずに書いて頂ければ、これ以上の貴方を追い詰める真似をしないことをここに誓います」
シニョが懐から出した筒の中に入っていた書簡。それを見た瞬間、彼の目は今までにないほど見開かれました。
「ヒイラギ家の家紋が入った契約書……」
「ええ、記した言葉は絶対不変となる契約書。こちらに書かれたことはいかなる理由があろうと違えることは許されない素敵な書類となっております」
満面な笑みを浮かべるシニョとは対照的に、兄上様はがちがちと歯を鳴らし、恐怖に耐えているかのように見えました。
「私を殺すつもりなのか? これを書いてしまったら私は生きていくことができない」
「生きていけない? それは大変ですね」
やや芝居がかった喋り方をしながら、シニョは顎に手を当て、考える素振りをしています。
「でしたら、今すぐにでも死にますか。私、先輩ほど気が長くありませんよ」
シニョの両手に握られた剣。音もなく鞘から抜かれた刃を見せつけています。自分を冷静に見据える彼女の眼差しに、彼は床に落ちた契約書をひったくるような勢いで拾い上げました。
「わかった。書く、書くからそれを仕舞ってくれ」
「素直でいい子ですね。私、今の貴方なら好きになれそうですよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「知謀に長けているとはいったものですね。ただの金遣いの荒い子供ではありませんか。あの程度の相手にあんなに時間をかけることになるなんて」
まったく散々警戒したのが今更になってばかばかしく思えてきました。
追求する私にシニョは頭をかきながら、視線を彷徨わせています。言い訳を考えているのか、弁解をしようとしているのか。どちらなのかはわかりかねますが、人間追いつめられている最中に、相手を正しく見極めるのは至難の業とも言えるでしょう。それ故、深く追求するつもりはありません。
「前から気になっていましたが、貴方とツバキ様の接点はどこにあったのでしょう。生まれも育ちも違うにもかかわらず、深い絆で結ばれているように見受けられます」
「いや、そんな大層なものではありませんよ。なんたって私が主と知り合ったのは、奴隷市場ですから」
「奴隷市場……そんなものが未だに存在するというのですか」
「数年前の話ですよ。奴隷を持つということは金持ちにとって一種のステータスみたいなものでしたし、珍しくもない話ですよ」
「そこで貴方はツバキ様に買われたというわけですか」
「そうです。商品、人が多く並んでいる中で私の前にいきなり歩いてきたと思ったら、仁王立ちですよ。しかも睨みつけるように私を見ていました」
言葉とは裏腹にシニョの顔には笑顔が見え隠れしています。照れ隠しでしょうか。
「で、めでたく私は買われたわけですが、家につくなり借用書を目の前に突きつけられました。私の値段が書かれた紙をわざわざ鼻先まで近づけてきたと思えば、おまえを買ったつもりはないと言うんです。私が払った分の金は、自分で働いて返せと。初めてでした。私を一人の人間として扱ってくれる人は。国外から連れてこられた私を、誰もが見下していたし、彼女の親も私を対等に見ていませんでした。知っているでしょう。本来メイドは主に口を利くことなど、できない身分であるということに。だけどツバキ様は私を慕ってくれました」
「彼女に救われましたね」
「それが嬉しくて、私もツバキ様の力になりたい。そう考えるようになりました。私にあるのは幼少の頃から学ばされ、身につけるしかなかった人殺しの技術。それが彼女の身を守ることに役立てる日がくるとは思いませんでした」
「貴方の業は全て人体の急所を狙い撃つものでした。あれを見せられれば人殺しの技術に特化しているという言葉も嘘とは思えません」
シニョのいうとおり彼女のもつ技術は一朝一夕で身につくものではありません。それこそ子供のころから人を殺めることのみを目的とした鍛錬を重ね、技術を磨き、長年に渡って体に刻まれていった。そんな印象を受けました。人並みならぬ苦難が彼女の人生には幾度となくあったはず。それでいて、過去の辛さを微塵も感じさせない彼女の強さには感嘆すべきものがあります。
「あーあ、もう陽が見え始めているじゃないですか。早く帰って眠りたいです」
闇夜に紛れ襲撃したせいで、随分と夜も更けてしまいました。念のため、街に寄ったついでにミズキ様の店を訪れヒナ様に事情を説明しておいてよかった。大層心配していた様子だったので、朝一に迎えにいかねばなりません。
「あの唐突なお願いで申し訳ないですが、出来ればベッドを貸してもらえると有難いのですが」
「埃っぽいことに少々目を瞑って頂けるのであれば、どうぞご自由にお使いください」
「ありがとうございます。最近はツバキ様を連れて野宿が重なっていましたから。天井があって、天気に悩まない環境での睡眠は久しぶりです。流石にレッカさんも疲れましたよね。私が言えた事じゃないですけど、ゆっくり休んでくださいね」
「いえ、私はこれからヒナ様を迎えに行かなければなりません」
「え、これからですか。少し休みましょうよ。昨日から動きっぱなしですよ」
甘えた声を出すシニョを無視して、ヒナ様が待つミズキ様の家へと向かうことにしましょう。昨日は一目見ただけで、それ以外のお世話を全てミズキ様のご家族にお願いしてしまいました。これではヒナ様のメイドを名乗ることなどおこがましい。
「兄上様の動向が気になりますか。それなら、この契約書通り、私たちに危害を加えることは出来ないように行動は押さえましたし、心配はいりませんよ」
焦る私を他所に、全てが順風満帆に終わったと言わんばかりに、シニョの顔から緊張感がなくなっています。
「メイドとはいえ休息も大事ですよ。まして、今日は色々ありましたから、肉体的にも精神的にも疲れているでしょう。こういう時はぐっすり寝て、万全の状態でヒナ様を迎えに行くことこそメイドとしての勤めだとは思いませんか」
確かにシニョの言う通り今日は本当に色々ありました。万全の状態でお迎えに上がるというのも理解できます。しかし、寝る……ですか。その感覚は私の記憶の中では、経験したことがございません。
「どうかしましたか」
「いえ……。ひとつ聞いてもいいですか」
「ええ、私で答えられることならば。といってもレッカ様が知らないことを私が答えられるとは思えないですが」
「眠気とはなんでしょう」
「はい?」
そんな訝しげな顔をされるとは予想外です。
「なんか哲学的な問いかけだったりします?」
「いえ、そんなつもりはありません。ただ、私は一度も眠気と呼ばれるものを感じたことがないのです」
「もしかしてレッカさんって立ったまま寝る人ですか。ツバキ様の執事にもそんな人がいましたよ。ツバキ様の命令に迅速に行動するためとか言いながら、立ったまま目を閉じていました。それとも一瞬で寝れちゃうとか。羨ましいな~。寝つき悪いんですよ私」
どうやら冗談としてとられたようです。ですが眠ったことがないというのは言うのは事実です。
私自身あまり深く考えていませんでしたが、寝ることが出来ない人間というのは、何か問題があるのでしょうか。