『ミズキ』
「少し暖まりませんか」
森の入り口までもどってきたところで、ヒナ様のお連れの方が体を震わせていることに気が付きました。恐らく、先ほどの男に倒された際、服が水にぬれたせいでしょう。このままでは、体を冷やしてしまいます。
私は焚火をおこし、少女を火の傍へと座らせました。
「そのままでは、風邪をひいてしまうから服を脱いだらどう。ヒナはこっち見ないでね」
「ご、ごめん」
ヒナ様は慌てて顔を反らし、少女は顔を真っ赤にしながら首を横に振りました。
「そう。無理はしないで。それにしても災難でしたね」
「助けもらったのに、お礼も言わずに済みません。私、ミズキといいます。本当にありがとうございました」
ミズキ様は、私とヒナ様を交互に見ています。恐らく私達の関係が気になるのでしょう。
見慣れない私の事が気になるのも、理解できます。
ヒナ様といえば、私の正体を明かすべきか迷っているようです。
ミズキ様。この方は、とても不思議な瞳をしています。澄んだ群青の色の瞳。こんな可憐な瞳をもつ彼女に嘘をつけそうにありません。
ここが人目に付かない森で良かった
「赤い髪……」
外したカツラの隙間からこぼれ落ちる髪を見ながら、ミズキ様はそっと呟きました。
「改めてご挨拶を。私、レッカと申します」
「間違っていたら、ごめんなさい。貴方って、もしかして」
「ええ、オリジンでは赤髪鬼と呼ばれている者です」
赤髪鬼。その通り名を出しても、ミズキ様に怯えた様子がありません。それどころか興味津々と言った感じで、身を乗り出しています
「怖くはないのですか」
「はい、全然。そんな事よりも、レッカさんの髪はとってもきれいな色をしていますね。夕焼けみたいなオレンジ色と燃え盛る炎のような赤色。素敵だと思います」
髪の色をほめていただいたのはこれで二度目ですが、嬉しさは色褪せません。
「私の名前は、ヒナ様が名付けてくれました。名前の由来は、ミズキ様が仰ってくれた通りです。ミズキ様は、自分の髪色がお気に召しませんか」
ミズキ様は先ほどから、自分の髪と私の髪と見比べながら、自分の髪を毛先を指先に絡めています。
「違う。気に入らないってわけじゃないの。だけど羨ましい、です」
「ミズキ様の髪も素敵でございますよ」
銀色の髪。太陽の光を浴びた髪は、きらきらと輝く白糸のごとく輝いています。
「ありがとう。レッカさんは優しいね」
「いえ、決してお世辞ではありませんよ。素敵なものは素敵。私、嘘はつけない性格です」
「ヒナも良い人に助けてもらえてよかったね」
「初めて会ったときは殺されるかと思ったけどね」
そんなことを笑いながら仰るヒナ様。
ミズキ様と出会って微かな時間しかたっていませんが、私なりに信頼を積み重ねてきた自負があります。しかし、その一言でこれまで積み重ねた信頼が、崩れかねない事態にヒナ様は気づいているのでしょうか。
ヒナ様は意地が悪いです。そして話を端折り過ぎです。
自分の失言に気が付いたのか。あっと言いながら口を押えましたが時すでに遅し。
先ほどまで友好的だったミズキ様の目が、不審者でも見るような疑いの目に変わりました。
友人が殺されかけた。そんなことを聞いて冷静でいられる訳がありません。ミズキ様の顔が険しくなるのは当然のことです。
「殺されそうになった…?」
「ミズキ様、少し私のお話を聞いていただけないでしょうか」
こうなってしまえば、全てをお話しする以外に道はありません。ヒナ様と出会ってからの事を包み隠さず、漏らすことなく。
「ヒナ様も協力してくださいませ」
ヒナ様もうんうんと頷いていますが全部話したところでミズキ様から伝わる、この不穏な感情を払拭できる自信が私にはございません。
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「以上となりますが、おわかり頂けたでしょうか」
「一応……ね」
話したことに脚色は一切していません。ただ、今まで二人で過ごしてきた日々は、少なからず命のやりとりを繰り返してきました。ヒナ様に降りかかった過酷な出来事に、ミズキ様は少なからず感傷的になってしまったようです。
「ミズキ様。出来れば今聞いた話は、、貴方の胸の内に留めてもらいたいのです。お願いできますか」
ミズキ様は、私の言葉を噛みしめるようにゆっくりと頷きました。
「もちろん。約束する」
ミズキ様は右手の小指をすっと差し出しました。
「俗に言う、指切りですね」
「私とヒナの間で大事な約束を交わすときは、いつでもこうするの。今、レッカさんが話してくれたことも、とても大事なことだと思う。だから指切りしよう」
「かしこまりました」
私もミズキ様と同様に、小指を差し出し絡め歌のリズムに合わせ指を動かしました。
「ヒナ様に続いて、指切りをしたのは二度目です。また針を集めなければなりませんね」
「針を集めるの?」
「ええ、ヒナ様と約束した分の針を千本集めましたので、今度はミズキ様のために針千本。集めておきますね」
どうしたことでしょう、なにやらヒナ様とミズキ様が互いに目を合わせています。まるで目で会話をしているかのようです。仲睦まじい関係。うらやましい限りでございます。
「確認をしておきたいことが一つ。先ほど私が投げ飛ばした彼もまた、ヒナ様を狙う一人であることに間違いありませんか」
「間違いない。ヒナが私に会いに来てくれたところを見つかって、あんなことに」
「彼らの言う、生け贄の御子とは一体なんですか」
「この街の風習で年に一度、祭壇の奥にある大穴に人形を投げ入れるの」
そういえば、先ほど果物屋の店主が同じことを言っていました。
「人形を御子と呼び、御子を神の供物として捧げることで、街には繁栄をもたらされるっていう神事だけど。昔の話だよ」
「人形を投げ入れるのであれば、なぜヒナ様が生け贄の御子と呼ばれているのですか」
「紛い物では供物にならないって。これからも繁栄を願うなら紛いものの人形ではなく、生きた人間を投げ入れるべきだ、と言い出す連中が現れたの」
「それを言い出したのは、黒のローブを身にまとった連中ですか」
「そう。あの人達は何か良くないことに心酔してる。でも街の人達は反対したよ」
今日出会った街の人々。わずかな時間ではありましたが、彼らは生け贄などというものに心酔するような人達には見えませんでした。
「聞く限り、生け贄の御子の儀式に賛成しているのは少数派。それなのに何故、諦めようとしないのですか」
「困難の壁を乗り越えてこその儀式っていう考えみたい。あと人を生贄にするのは、しばらくの間だけだと。我々の錬金術は人を造れると息巻いていたよ」
「人を造る錬金術? そんな夢物語を本気にしている連中ならば、これまでの異常な行動も理解できる気がします。……ヒナ? どうしたの、ヒナ?」
ヒナ様は心ここにあらずといった感じで、私の呼びかけにも気づいた様子はありません。瞬きを忘れ、ただじっと一点を見つめています。その視線の先にあるのは焚火。しかし、その眼差しは焚火の遥か先の何かを見ているかのようです。
「ヒナ」
「……あ、ごめん。少し考え事をしていたんだ」
気にしないでと付け加えると、焚火から視線を外し、会話の輪に加わる様に顔をあげ、ヒナ様はかすかに微笑みました。なにか思いつめた顔に見えるのは私の考えすぎでしょうか。ともあれ、もう少しミズキ様から情報を引き出さねば。知ることが増えれば、きっとヒナ様の役に立てるでしょうから。
「まだ、分らないことが一つ。何故、ヒナ様が生け贄の御子に選ばれたのでしょう」
「多分」
それっきりミズキ様は押し黙ってしまいました。落ち着きのない視線は、いろいろな思惑が交錯しているのでしょう。そんな友人の姿をヒナ様はじっと見つめ、言葉の続きを待っています。
それにしても聞けば答えてくれるミズキ様の情報量。それはどこで知り得たのでしょう。
「ヒナのお父さんが原因だと思う」
焚火にくべた薪のはぜる音だけが聞こえる。あまりの静けさに呼吸をすることすらためらいを覚えてしまう。
「僕のお父さんが? どうして関係しているの」
「ヒナのお父さんが竜を殺したから」
竜殺し。確かお父様の二つ名でしたね。しかし、その名を英雄視する人も多かったはず。それなのに何故、ヒナ様の命が狙われる原因となるのでしょう。そして、お父様が竜を討ったのは、ヒナ様が生まれる以前の話だと聞いています。
思い返せば黒のローブには、いずれも竜の刺繍がありました。己の信仰の対象である竜を殺した罰として、ヒナ様を生贄に捧げ償わせるつもりなのでしょうか。
ヒナ様とミズキ様は黙ったまま焚火を見つめています。あれほど、言葉を交わしていたのが嘘のように沈黙の時間が続く。
これ以上考えたところで、話がまとまることはないでしょう。生け贄の御子の件については、よく調べる必要がありそうです。ミズキ様の言葉を鵜呑みにするつもりはありませんが、、嘘と否定する理由もない以上、今は真実として受け止めるべきでしょう。
「いろいろと教えてくれてありがとう。ミズキ様は、情報通なのですね」
「違う。いつも私に教えてくれる人がいるの。私はそれを喋っているだけ」
なるほど。知識の源になる方がいらっしゃったわけですね。それならば、納得でございます。しかし、それほどの情報を持つ方であれば一度会って、生け贄の御子について、お話したいところです。
「ところで、大穴の中は一体どうなっているの」
「大穴は、昔から底なしって言われているくらい深い穴らしいよ。そんな穴。誰も好き好んで調べたりしないよ」
「いるよ、入った人」
「え、嘘」
「本当だよ、でも中に入って戻ってきた人は誰一人としていない。入った人全員が命綱をつけていたみたいだけど、ロープが巨大な何かに食いちぎられていたって話」
「大穴に潜むのは得体の知れない何か、ですか。まるでお伽話ね」
「でも事実」
ずいぶんと長い間話し込んでしまいました。森が陽を遮るせいか、少し冷えてきました。ミズキ様のお召し物も触ったところ、だいぶ乾いたようです。
「陽が沈む前に街へ戻りましょう。ヒナ。用事は終わったの」
「ううん、まだ。途中で邪魔が入っちゃったから」
「そうでしたか。それなら一度街に戻りましょう。先ほどの事もありますから私も一緒に行きます」
さて、街に入る前に、準備を整えねばなりません。かつらを被り直せば、私の方は大丈夫でしょう。しかしヒナ様の場合、さきほどのこともあるので別人のように変身して頂きましょう。
「ヒナ様。私、こんな事もあろうかとクローゼットより、もう一つカツラを拝借してきました」
「え、なんで。っていうか口調が元に戻ってる」
「気になさらずに。ここでは、私よりもヒナ様の方が狙われる率が高いと思います。どこに誰の目があるかわからないことから、油断をしてはいけません」
「心配しすぎだってば、裏道を通れば人目も少ないし大丈夫だよ。それにそのカツラ、女性用だよ。恥ずかしいから嫌だよ」
「念には念を。という言葉があります。人目につかない場所だからこそ用意周到にする必要があると思います。ミズキ様もそうは思いませんか」
「思います」
即答するミズキ様をヒナ様は信じられないといった表情で見ています。
「えぇ、でも…」
「観念してください」




