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去来挽歌(二)

▼▼▼


 完全に陽が昇るにはまだ早く、しかし月明かりが目立つには明るすぎる時間帯。頼りない人工の光が部屋を照らし、風で僅かに揺れる窓の音が不安感を煽ってくる。


 アリスが宿に戻った時、既にキルトの姿はなかった。あれだけ疲れていた様子の彼が、こんな時間まで外出しているのは妙だ。


 いや、妙な事はもう一つあった。襲撃に対して過剰な警戒をしているキルトはアリス達と別れて単独行動をした。彼らしくもない判断である。それに、消されたランプと無くなっている外套から、キルトは自分の意思で、更に言うならアリス達が帰ってくる前にここへ戻るはずだった。


「あぁもう……くそっ!」


 頭を掻き、沸騰寸前の脳内を冷やしていく。元々、考えるのが得意ではないアリスは、こういった事は全てキルトに任せていた。少ない材料、僅かな違和感から推測出来ることの範囲があまりにも少なすぎる。


 ここでも自らの力不足を痛感した。おそらくキルトならば、すぐに結論へ達して最適な行動を導き出せる。経験不足では片付けられない決定的な能力の欠陥。それはアリス自身の怠慢と、キルトに対する絶対的な信頼が仇となった結果である。結局、人に頼り縋るしかない無能だという事だ。


 今、アリスが辿り着ける結論は一つ。キルトはここへ戻ってこれる状況ではない。その過程で何があったのかはアリスが考えるだけ無駄だろう。重要なのは、キルトが帰ってこないという事実だけ。


 それだけあればアリスの行動は決まっている。自らの力不足を理解しているのだから、誰かに協力してもらえば良い。


 おそらく、ミコトなら最適解を導き出せるはず。そして事態を解決できるだけの頭脳と力を備えている。彼女に相談すれば間違いはない。


 しかし、すぐに動き出せない理由は、アリス自身の弱さに他ならない。キルトに認められ、役に立ちたい、強くなりたいという想いがアリスの行動を制限していた。更に、この想いは強固にアリスの中で根を張っている。彼女の軸と言ってもよかった。これが決して千切れない鎖となりアリスを縛り付けている。


 この想いを否定してしまえば、アリスはきっと壊れてしまう。それほどまでに彼女は弱い。だが、それに反するように彼女の軸は通常では考えられない程に強固だ。


 だからこそ、キルトの事を第一に考えられる。絶対に、そこだけは間違ってはならない。


 一人で出来ることには絶対に限界がある。それは、アリスが知る限り最強の人物であるミコトだって例外ではなく、もちろんキルトもそうであろう。


 しかし、その限界を超越するくらいの覚悟でなければ、ミコトやキルトには一生追い付けない。そんな中でアリスが何故、ミコトに頼ろうなどという思考に至った理由は、彼女もまたキルトの関係者だから。そして、アリスの友人だから、である。


 今の状況を知ればミコトは確実にキルトを探す為に動き出す。そんな事が容易に想像できてしまうから、アリスはミコトを頼ろうとした。


 何よりも重要なのはキルト。何よりも優先すべき事を理解しているアリスの精神は、矛盾という膿を抱えたまま変化していく。


 それは行動に表れ、すぐさま部屋を出てミコトのいるであろう部屋を目指した。アリスの青い瞳にはゆらゆらと揺れるランプの火、外からの頼りない青みがかった光が映されている。廊下に差し込まれた光から僅かな埃が見え、アリスは意識せず息を吐いた。白い煙のような息は余韻も残さず空気中に溶ける。揺蕩い惑う、アリス自身の精神と同じように。


 だけど矛盾という膿、不純物でさえ飲み込み昇華させるだけの強さはあった。歪められようとも、それさえ自らの糧とする。理性的とは言えないものの、アリスは既に異常なまでの強さを持つ精神を持っていた。


 長いわけではない廊下が、やけに長く感じる。これが焦りなのか、それとも心がミコトに頼る事を拒否しているのか、考えても仕方ない。今、この時においてアリスがどう思うかなど重要ではないのだ。結局、アリスはミコトに頼らざるをえないのだから。


 ーー己の鎖を引きちぎるように一歩、また一歩と踏み出す。停滞も後退もせず、狂信的に前を向き続けるアリスもまた、怪物を飼っている。あるいは自分自身が怪物なのか。だからこそ、過程や本人の意思は別として、アリスは正解を引き続けるのだ。


 うまく思考が纏まらないまま、アリスはミコトの部屋の前に立った。


「ミコト、いる?」


 そう言いながらも、ミコトがここにいるという確信があった。


「あァ? なんだァクソガキ」


 ドアを開け、姿を見せたミコトにすぐさま頭を下げる。その行動の裏にある意図を嗅ぎとったのか、ミコトは冷たい視線をアリスに浴びせた。


「頼ろうか迷った。少しでも、ミコトを疑った。ごめんなさい」


「……話してみろ」


 と、アリスの謝罪に対するミコトの反応は随分と淡白なものであった。まるで、今の状況が全て分かったという反応だ。


「キルトがいなくなった」


 その言葉に、ミコトは軽く息を吸った。


 瞬間、アリスは自分の心臓がわし掴みにされたような感覚にとらわれた。顔は真っ青になり、全身に悪寒が走る。明らかに、周りの空気が変わったのを肌で感じ取れた。


 それがミコトの発する怒気だと気付いた時には既に、周りを覆う禍々しい空気は消え失せていた。


 恐る恐る、ミコトの赤い瞳を見詰める。当の彼女は、自分の短い黒髪を左手で乱しながらアリスを押し退けるように廊下へ出た。


「テメェがここに来る気配を感じた時から、ある程度の予測は出来た。どんな状況なのかもな」


 呆然としているアリスの前で立ち止まり、いつもの獰猛な笑みを張り付かせた。


「いくつか確認したい」


 我に返ったアリスは、少しでもミコトの役に立とうと、強い意思を視線にこめる。


「なに?」


「イルヴィーラ・フォーファルスは、当初はアタシを探していた。間違いねェよなァ?」


「うん。それは間違いないよ。結局、キルトで妥協したって感じだと思う」


 数秒、思案の表情をした後、次の言葉を発する。


「あのアマがグリブスレイドで子供を見た、ってのはアタシ達に会う十日前」


「そうだよ。私がいた時に話してくれた事だから、覚えてる」


「成る程なァ。アタシも衰えたもんだ」


 珍しく弱気な発言をしたと思えば、次の瞬間には爛々と輝く赤い瞳は虚空を見つめ、邪悪さを孕んだ無の表情を見せた。


「いや、違うな……。魔法ーー魔法、か」


 何かを納得した様子のミコトを眺め、アリスは首を傾げた。彼女が何を考え、どう推測し、どんな結論に至ったのか、検討もつかない。


 しかし、ミコトを信じると決めたアリスは疑問の声を挟まず、彼女の動向を注視する。


「ーーついて来い」


 不意に歩きだしたミコトは、こちらも見ずにそう言った。


「あの馬鹿がいなくなった。その事実だけを材料にして重要視したのなら、見えてくる。……まずは確認作業だ」


「確認、作業?」


「……その上で、テメェの役割は一つだけ。ーーアタシがブチ殺さないように止めろ。それだけだ」


 凶相の中に溢れんばかりの殺気を、赤い瞳の内に禍々しい濁りを湛えながら、ミコトはアリスを一瞥した。

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