反芻する行為
警戒はそのままで、辺りを見渡すキルトの目に映ったのは、闇の隙間からこちらを覗く白い人影。木と木の間に佇むそれは、まるで陽炎のように安定しない。どこかで見たことはある、そう思いながら影が誰なのかは思い出せなかった。
「僕の悪夢はお口に合わなかったかな?」
小馬鹿にするような声色で放たれた言葉は、耳の奥には行かず手前で詰まる。膜で覆われた、掠れた少年の声にキルトの後頭部がズキリと痛んだ。鈍く、一点に集中した痛みは表情を歪める程でもなくあくまでも表面上は平静を装った。
キルトが驚かないのは、この状況を想定していたからである。内で監視していた御者だけでなく、更に外から見ている者もいるというのは当然の思考だ。しかしこれで、予測に確信が持てた。
やはり暗殺は最後の手段、事が動いたのは襲撃の時。御者の言葉を信じるならこの状況が彼にとっては想定外の出来事だった。それはつまり最終日においても行動を起こさなかった、という推測が出来る。
相手の目的が不透明で、行動に一貫性が無い。疑問点は多く残されているが、ここでキルトは一つだけ分かった事がある。相手はイルヴィーラをグリブスレイドに引き入れようとし、それまでは静観を守る方針に切り替えた。
グリブスレイドに入れる事はそんなに重要な情報ではない。中心に添えるべき情報は、襲撃の際に方針が変わった事にある。ここまで慎重に進めてきた相手側が襲撃を踏み切ったのは別の思惑があるとして、それでも方針を変えたのはおそらく、不確定要素の塊であるミコトを正しく認識出来ていなかったから。
相手側も全ての情報を握っているわけではない。この依頼を邪魔する事を計画されたのは、本当に最近。少なくとも、イルヴィーラとキルトが出会う前や拠点であるメツトリシムに帰る以前には行動を起こせない状態にあった。
ーーあの狸爺。
不幸な事に、芽吹いてほしくない狙いが的中してしまった。ファメルソウドという老人を理解していたからこそ、キルトは辛うじて許す事が出来る。
ファメルソウドと話した時、キルトは情報を得るとは別に情報を渡すという狙いもあった。メツトリシムで情報収集をするなら、あの老獪な狸を通さなければならない。
もし相手側が情報を得たいのであれば、何らかの形でファメルソウドは関わっているはず。時期と、情報の質を操作する意味でキルトはファメルソウドに依頼したのだ。
もちろん、あの時に敵の存在を知っていれば更に有効な手段は幾らでもある。あくまでも、イルヴィーラに対する疑念から出た推測でしかなかったので、このような不完全とも言える状況を作り出してしまった。
キルトはこの場に来た声の主が発した言葉を吟味しながら対応する。
「あれはテメェのせいだったのかよ。あいにく、俺はゲテモノは食わねぇ主義なんでな」
暗に趣味の悪さを罵倒し、声の主が悪夢と言った事の意味を考えた。
「それは残念。あれ、僕でも難しかったんだけどなぁ。結構気合い入れたんだよ」
その答えに辿り着いたキルトは、闇を湛えた瞳で御者を睨み付けた。これも彼の想定の範囲内、策略だとすれば恐るべきものだ。
御者は、キルトが何かされていた事を知っていた。あえて助長させ、更に保険まで打っておいたのだ。あのまま精神的に負けていれば、キルトはあっさりやられていただろう。そうでなくとも、仲間を引きずり出す状況に持っていける。
おそらく御者はキルトが接触してくるのならば最終日だと予想し、あらかじめ仲間に話を通しておいた。これは可能性の一つでしかないが、御者と声の主は本当の意味で情報を共有する仲間ではなく、ただ同じ雇い主というだけの関係。その証拠に、御者とキルトが戦っていても声すら発しなかった。元々、手助けするつもりはなく、この場面になったからこそ姿を表したのだ。
意思や情報が統一させていない者を仲間と言うのは正しいかのか。それでも、一応は敵対していない第三者でもない人物を利用して引きずり出した御者の計略に脱帽した。何もかもが考えられ、権謀術数の糸に絡められている錯覚さえ起こしてしまう。
そうなれば、心臓に鼓動を与える殺気は声の主に向けられた。御者が呼び込んだ、という事実から声の主にも戦闘能力が備わっている。それこそ、二人がかりならばキルトにだって勝てる可能性が高いくらいに。
相手の能力が分からない今、迂闊に動くのは愚策だと思われるが、ここはじり貧になるくらいなら全力を以て突っ込んでいくしかないと判断。まずは即席の戦術の元、声の主へと疾走した。
アリスという精神的な支柱を取り戻したキルトは、古代魔法を使わない通常の強化でも先程よりも鋭いものだ。どこかにあった躊躇いすら無くなり、これでやっと全力を出せる。五分の戦いに持ち込めなかった自分の無能っぷりを恥じている暇はない。
淀みなく常に魔力を操作し続ける。
唐突に加速したキルトに、御者は反応出来ない。対して声の主は、冷静にその姿を揺らめかせていた。
ようやく近付き、声の主を確認する。彼の姿はまだ幼い子供だった。十を過ぎた頃、老人のような白い髪に透き通った白い肌が目を引く。また、瞳さえも白濁としており異様さを掻き立てていた。小さい体躯から、白い煙が湧き出る。
美しさと醜さを同居させた顔を邪悪に歪め、少年はキルトの突撃を回避するように横へ飛んだ。僅かな煙の残像がその場で揺らめき、視覚を惑わせる。
追撃をかけようとしたキルトは勢いを殺し再び足に力を込めようとするが、ほんの一瞬だけ全身から力が抜けた。甘い香りが更に強くなって、風で運ばれてくる。これが何らかの術だと気付いた時には既に、少年はキルトの顔を鷲掴みにしていた。
衝撃となった魔力が噴出され、強化された体を突き破り脳を揺らす。少年を押し退けるように迫り来る御者は、頭から倒れていくキルトの腕を掴み足を払い肩に乗せてそのまま投げた。
勢いを持続させて、御者はキルトの間接を押さえ拘束する。
「終わりだ、現役冒険者」
「ふざ、けんな……」
キルトは使いたくはなかった切り札を使ってしまう。この場から離れた場所にある自分の魔力を乱し、あらかじめ込められていた魔法を解放した。
宿の柵からここまでは近い。一面を照らすような光が糸からキルトのナイフに繋がり、僅かながらの目眩ましになった。
ほんの少しだけ御者の力が緩むのを感知したキルトは、すぐさま拘束から脱出する。
無理矢理な魔法の行使からくる頭痛に耐えながら、先程のやり取りから完全に自分が不利だと悟る。この不利を覆す為には、何か効果的な一手を打つしかない。
『向こう側』の魔力を奪い、邪悪な意思に抗う。大切な何かが失われていく感覚を誤魔化し、神の行為を具現化させた。
「……古代魔法だ! アロン、離れて!」
少年が御者に何か言っているものの、今のキルトには言葉の意味が理解出来ない。
拒絶と嫌悪の神、ファメルキスの無意識を奪う。古代魔法とは、神の魔力を奪って彼らの行為そのものを下界にて現象とするものだ。それは扱う人間により程度は異なるが、神のソレと比べれば矮小なもの。
キルトは自分が持つ『軌跡の残骸』を発動させた。




