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これがはくどい勘違いと言う

 ーーキルトは御者の名を知らなかった。それで成立していたし、身の上の話を垂れ流す彼に何の疑問も抱かなかった。果たしてそれは嘘か誠か、今になってみれば考える余地の無い事である。名を知らない事が、僅かな救いだと分かっている。


 ここまで対人戦に慣れている冒険者は稀有だ。本来、魔物や獣を相手にする事の多い冒険者が人との殺し合いをする事はない。特殊な経歴がない限り、あり得なかった。


 だからこそ、キルトは御者の通常では考えられない能力に、ある種の感嘆と同情を抱く。彼もまた、人を殺さなければいけないような人生を送ってきた。悪意に晒されて生き残っていくには、自らも悪意を持たなければいけない。


 一瞬の間、御者が動き出して一秒も経たない僅かな間に入り込んできた思考は、キルトの精神に波を作る。これが戦闘に影響するかは問題じゃない。既に納めるべき鞘を失った事実が、キルトにとって重要だった。


 迫り来る人影を冷めた表情を意識しながら見る。策とは、予見していなければ、それを破る圧倒的な力が無ければ必殺だ。おそらく、御者から向かってくるという事は何か策を残している。


 そう悟ったキルトは、無意識の内に後退した。強すぎる暴力が必ずしも勝利に結び付くとは限らないと理解してからだ。偶然ではなく必然性のある出来事しか起こらない。ともすると、御者がしている行動の一つ一つは無駄がないのかもしれなかった。


 馬小屋を出て、木々に囲まれた開けた場所に行く。狭い場所ではこちらが不利になる一方だからである。


 キルトはチラリと後ろを一瞥した。速度は明らかにキルトが勝っている。ならば、保険で置いていた罠の場所まで誘導は可能だ。相手が何をしようが、この間合いがあれば対応は出来る。


 感覚を鋭敏にするイメージで魔力強化を操作した。接近戦にならない距離を保ちながら、淡い闇の中を疾走する。


 その時、鋭敏になった感覚が投擲された何かの存在を察知した。それがナイフだと分かるのにさほど時間はかからず、視覚に頼らないまま回避行動を取る。


 この選択が間違いだと気付いたのは、視界にナイフの姿が飛び込んできた時だった。柄の辺りに小さな穴があり、そこから細い糸が通っている。魔力が込められ、魔法が発動すると思った時には既に遅く、ナイフは軌道を変えた。


「チッ……」


 糸がピンと張られ刃の先端がキルトを襲う。仕方なく速度を落として手に持ったナイフで真っ直ぐ向かってくる攻撃を弾いた。空を舞い、力を失った投擲ナイフは地面に落ちる。


 狙いはキルトの速度を落とす事だったのだ。後ろを見れば、かなり距離は詰まっている。このままだと追い付かれると悟ったキルトは、振り向きざまにナイフを薙いだ。


「詰めが甘いよ、あんた」


 その行動を予測していたかのように避ける相手は、握った右拳で大振りの打撃を繰り出すが、キルトにとってそんなもの完全に見切れる。あえて紙一重で避けながら、次の行動を注視した。


 すると相手の左手が僅かに動くのを確認し、その場を飛び退く。一瞬後にキルトがいた場所に、地面で転がっていたはずのナイフが通りすぎた。おそらく、何らかの魔法が込められた糸で操っているのだと予想したキルトは、糸を切る為に空を舞うナイフに意識を向ける。


 しかしキルトが対応するより先に糸は切れた。意識が、ほんの少しだけ空いてしまう。その間隙を縫うように

御者は全力でキルトの足に向かって組み付いてきた。


 どうにかしようにも、魔力操作は間に合わない。ここに来て、未だ相手を侮っていた事に気付いた。一連の攻防はキルトの隙を作るため、迷いなく行動する為のものだった。ナイフを投擲した時から、あの言葉までもが相手の術中だったのである。


 押し倒される間、キルトは素直に賞賛の念を抱く。こんな危険な戦い方をする相手の度胸と、自分を信じられる精神力に。おそらく少しでも疑いが入ると動きに濁りが生じ、全てが瓦解する。一粒の迷いさえ抱かず淡々と行う心の強さに、感服した。


 戦闘能力が低いのならば、考えて心だけでも強く在ろうとする御者は紛う事なき冒険者である。


 この心の動きは、キルトの体に影響をもたらした。地面に向かっていく背中から、力が抜けていく。記憶の奥底で蠢く怨嗟の言葉が脳裏を過った。


 それは、自分に手を差し伸べてくれた彼と出会う遥か昔の記憶だった。


『貴方なんて産まなければ良かった! 呪われた子ーー貴方は呪われた子よ!』


 いつか、誰かが自分に投げ掛けた言葉の数々を反芻する。弱い自分を諦めて心を閉ざした過去が、キルトを締め上げていった。辛い境遇を嘆いて、何も出来ない子供が泣きわめいて諦めてしまっていた。


 弱いのだ。だからこそ、地獄から救ってくれようとした彼に憧れと憎しみを抱いたし、目の前にいる御者に賞賛を送る。諦めず、思考を止めないでいる事の難しさを誰よりも分かっているからこそ、弱いまま強くあろうとする人間に特別な想いを持ってしまった。


 ーーまた、諦めるのか。


 怒りを絞り出したような、悲痛な叫びが頭を打つ。そんなわけ無いだろうと精一杯の否定を繰り返すが、力を失った体は動こうとはしない。


 キルトの最大の弱点、それは心の弱さにあった。アリスを守ろうとする時には何よりも強いキルトだが、こうした相手やそれ以外の事に対して驚くほどに脆い。要因の一つとして困憊もあるだろうが、それを抜いても精神力の無さは異常だった。


 実は今回の旅の中でキルトも半ば予想していた事だが、何者かが精神への攻撃を仕掛けている。毎晩、必ず悪夢を見たように飛び起きるのだ。それは、あの木があった村からである。


 何度も何度も神経をすり減らされ、御者と戦った事で蓄積された痛みが表に出てしまった。


 ーーお前は弱いまま、何も守れない。


 違う、そう言って何もかもを拒絶して耳を塞ぎたくなるが、声はそれを許さない。


 ーーあの人みたいにはなれないんだ。


 その瞬間、キルトは声の主が幼い頃の自分だと理解した。悲痛に歪み、まだ共にいてくれた彼がいなくなってしまう前の自分。諦めない事を知り、憧れを抱いていた頃の自分が訴える。せめて諦めるな、そう少年は言った。


 緩やかに流れていくだけの一時的な真空状態にあるキルトは過去の残痕を受け入れられずにいる。間違い続けてきた自分が誇れるものなど無い。思考停止の中に生きてきたキルトが歩んできた軌跡は、実際の年数よりも遥かに薄っぺらだ。


 そして、反射的に心がアリスに向かってしまうのも、またキルトの弱さ故だった。しかし、意図せずその方向性は矛盾を含みながらも奮起する一因になった。間違ったものだと気付かずに歪みきった想いを垂れ流す。


 自分とは違い、望まれて生まれてきたアリス。希望の象徴に醜く縋り付く負の存在であるキルトが、なぜ今まで頑張れたのかを思い出した。


 全てから望まれた彼女の望みだからだ。弱いキルトではなく、強いキルトを望んだからこそ虚勢を張って誤魔化しながら、折れそうな膝に力を入れてきた。常にその根本にあった答えに、自らを蔑む。同時に、目の前にいる男を否定し拒絶した。


 弱い自分が、それでも弱いと称する相手。何も、魔王や勇者なんて非常識な存在を相手にしているわけではない。ただの夢破れた負け犬に苦戦するなど、理想の姿とは遠くかけ離れている。


 ーーふざけんじゃねぇぞ……!


 噴き出すような怒りが器を支配する。こんな相手に苦戦する自分への憤怒、アリスの望みを崩そうとする相手への憎しみが、キルトの体を満たしていった。


 理不尽な怒り、間違った方法だがキルトにはこれしか残っていなかった。脆弱な精神を保ち、敵を打ち負かすだけの強固な意思を以て、力の抜けた体を動かす為にはこの選択以外に方法は無い。


 足に組み付いて倒そうとしてくる御者を鋭い目で睨み、全身を捻った。地面に手を付き、その力も加えながら御者を引き剥がそうと円を描き、遠ざかろうとする力を利用する。


 不意に力を取り戻したキルトの緩急に戸惑ったのか、あっさりと相手は離れた。これはおそらく、御者の意思によって話されたのだろう。攻撃を繰り出す前に避ける為、わざと引き剥がされた。


 お互いに間を置きながら、だけど御者は口を開く。


「少し、驚いた。かなり弱体化しているはずなのに、まだまだ足りないか。やっぱり負け犬にはキツかったかねぇ」


 キルトが言葉を放つ間隙を穿つように、木々のざわめきに混じりまた別の声が響いた。


「あーあ、せっかく僕が頑張ったのになぁ。意外としぶといね、キルト・レイデンムーン」


 静かな、空白を連想させる儚げな声。だけど、その中には目一杯に込められた蔑みと侮辱の色で塗り潰されていた。


 


 

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