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閑話、キルミク夢

「や、やめてくれぇ!」


 死の臭いが充満し、チリチリと肌を痛め付ける火の粉が飛び散り、血が水溜まりとなり赤い絨毯を作り上げている。


「いやあああああ!」


 断末魔が空気を潰すかのように響き渡り、折り重なる。地面に流れる臓物を見た時、せり上がってきた吐き気を我慢出来ずに嘔吐する。炎がうねり、黒い煙を撒き散らしながら空へと昇っていった。


 家屋の大半は焼けて原型を留めておらず、それはまた人間も同じ。炭で出来た人形のような死体が転がり、腹を裂かれた女、頭を潰された子供、上半身が折れ曲がった老人がそこかしかに横たわっていた。


 ーーこれは夢だ。


 キルトはそんな事、分かりきっている。過去に過ぎ去った軌跡を強制的に見せられているのだ。どう足掻いても取り戻せない、罪の形。その証拠に、この悲劇は終わりを迎えず延々と繰り返された。


 本来ならばここで悲劇を終わらせる存在がいたはず。銀色を以て、このどうしようもない状況を切り裂いてくれた存在がーー


「あれ?」


 無意識に出た声は、景色を変えていく。水の奔流に家屋も死体も、自分さえ飲み込まれていった。


 キルト・レイデンムーンの追憶の中に、こんな事は一度もなかった。何の脈絡もない濁流に身を任せ揉まれていく最中に見たのは、銀色ではなく赤い瞳だった。


 責めるでもなく、ただ獰猛さの湛える瞳は輝きを伴ってキルトを睨んでいた。その正体に気付いた時、キルトの中で様々な疑問が沸き上がってくる。


 だが、そんな暇もなくキルトの体は地面に投げ出される。辺りを見回すと、そこは自分が存在するはずのない世界だった。


 煙に包まれた鉄の橋から下は、どこまでも深い闇。真っ直ぐと前を見てみると、そこには一人の人間と一匹の化け物がいる。どうやらその二つは戦っているようで、縦横無尽に橋の上を移動していた。


 人間の方は白い髪の男。顔や姿の詳細は判別出来ないが、何となく白い髪の男だと理解した。もう一方は赤い瞳を持つ四足で歩く化け物だ。これもそれ以外が認識出来ず、漠然としたイメージが伝わってくるだけ。


 化け物は尾を振りかざし、男を襲う。必殺の威力と速度を持った尾は、しかし空振りに終わった。僅かな隙に男が動く。前傾姿勢のまま地を蹴り、化け物の腹の下に潜り込む。腹部に向けて拳を放った。


 凄まじい衝撃と共に化け物の体が一瞬だけ宙に浮いた。すかさず男が二撃目を放つが、化け物は暴風を呼び起こすような叫び声を上げなら、前足の一本で男を横に殴った。


 そのまま豪雨のような連撃を与え、数えるのが億劫になった頃、化け物の動きが止まる。地が抉れ、鉄が飛散する橋は今にも崩れそうだ。白い煙が漂う中、化け物はキルトの芯を揺るがすような咆哮を一つ。


 瞬間、化け物の尾が切り落とされた。


 それをキルトの中で処理される前に、白い煙が刃となり化け物へ襲い掛かる。間を開けずに、ひしゃげて折れ曲がった鉄が蛇のような姿となり化け物に攻撃を仕掛けた。


 まるで、この世界自体が化け物の敵であるかのよう。異物を排除するが如く、隙間を見出だせない凶器の嵐に晒された化け物は風を切る鋭い音と共にその場を離れた。


 追撃する煙や鉄を、その禍々しい姿からは想像出来ない精密さと美麗さを以て回避を行っている。足さばきは戦闘に馴れた達人のようであり、皮一枚のところで間隙を縫っていた。


 ふと、化け物に破壊されたであろう男を見てみると、傷一つなく佇む姿が確認できた。しかし、よろよろとおぼつかない足取りを見るにダメージはあるようだった。


 本能的に、キルトは化け物を応援していた。不思議と、アレが自分を救ってくれたのだろうと思ってしまう。過ぎ去った、拭いきれない過去に傷つく自分を奔流を用いて拾い上げてくれた。


 このあり得ない世界に拒絶されても尚、戦い続ける化け物に憧憬の念を抱いてしまう。それは過去に追い求めた理想で、キルトが望んだモノであった。


 歯を食い縛り、自由に動かせない体を無理矢理にでも鞭を入れて立ち上がらせる。全身が痺れてしまったようにチクチクとした痛みが走るが、心を叱咤する。こんなもので動けないようでは、何も守れない。強い意志と決意は、枯れてしまった力を絞り出した。


「クソッタレがあああああ!」


 今、初めてキルトは己の過去を捩じ伏せた。あの化け物を助けようとする一心で、積み上げられた怨念と罪に抗おうと立ち上がる。


 そうする内にも、化け物の体には血飛沫と共に無数のキズが出来ていた。それでも、化け物は動きを止める事なく戦う。牙を剥き出しにし、豪腕を振るい、足の回転は速まっていった。


 キルトの足が地面を掴む。魔力による強化も無しに、地を蹴ったキルトの速度は並の人間よりも少しだけ速い程度。軋む骨の音を聞きながらも、キルトは疾走する。


 そこでようやく、男はキルトの存在に気付いた。顔は見えないものの、驚愕に身を竦ませるのは分かる。決定的な隙。前傾姿勢を取りながら、キルトは口元を歪ませた。


「オラァァァ!」


 拳を構え、鋭い一撃を繰り出した。速度と体重を乗せた拳は、男の顎を打ち抜く。間隙を入れず、第二撃を入れた。肋を穿つように打った右拳の次には、左が鳩尾を貫いた。


 まるで手応えが無いのも夢だからと済ませ、更なる連撃を加えていく。この時機を逃せば、おそらくキルトは一瞬にして倒されれしまうだろう。最初で最後の攻撃だから、一発一発を速く、重くする。


 次々に当たる攻撃の最中、男はニヤリとした笑みを浮かべた。


 滑りのある触手のようなものが男の背中から飛び出てくる。その瞬間、キルトの世界は遅くなった。


 既にキルトの拳は振られ、止められない。足は完全に相手に向いており、姿勢もまた同じ。ここから回避を行うのは不可能だ。触手の先は鋭く尖っており、ポタポタと水のようなものが滴っている。


 死を、幻視した。頭を貫かれグチャグチャに蹂躙される。


 刹那の間を置かず、キルトの体は衝撃で吹き飛ばされた。横からの一撃に、まともな受け身も取れず地面に叩き付けられる。


 眼球が光を捉え、脳に伝えていく。キルトがいた場所には、傷だらけの化け物がいた。全身を触手に貫かれ、低い唸り声を上げている。その後、化け物の姿が消えてしまう程に多い量の煙や鉄が、突き刺さった。


「あァァァァ!」


 肺の空気が尽きる程の咆哮を、星もない空へと放った。ゆっくりと倒れていく化け物の体からは大量の血が吹き出している。


 これが夢である事も忘れ、キルトはありもしない星に願った。こんなもの、拒絶してやる。


 ーー目の前の化け物を受け入れているからこそ、この光景だけは認められない。


 その時、ナニかが嘲笑を以て眼を開いた。


『良いだろう。その拒絶、受け取った』


 青く濁った煙が、橋を覆いつくす。世界が割れるような感覚と音が脳に響き渡った。


 白い男は悔しさに歯を軋ませながら、この世界から退場する。風のように消えてしまった男に、キルトは僅かな焦燥を抱く。


 しかし、それよりも化け物へと手を伸ばした。


「何で、こんな……」


 瀕死の重症であろう化け物は緩やかな動きで立ち上がる。赤い瞳が睨み、心配を掻き消すように獣の如き叫びを上げた。


『あの時、貴方は私を救ってくれなかった。だけど、私は貴方を救う』


 その声は直接、頭の中に伝えられる。まだ幼い子供の声。全てから見捨てられ、愛情を知らないような悲しい声だった。


『だから、今は起きて』


 意識が閉じられ、夢が終わる。再び目を開けた時、キルトは現実に戻り全てを忘れているだろう。


 その前に、どうしてもキルトは言っておきたかった。


「ありがとう」


 感謝の言葉は、終わっていく世界の闇に消えていった。

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