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琥珀色と閑言を

 ーー子供のような我が儘を成立させてしまった。


 駄々をこねて何とかアリスとの二人部屋を勝ち取ったキルトは、放心したように宿の外にある木製の長椅子に座っていた。自尊心と羞恥心の失った大人、そう自分を評価して落ち込み、夕闇が訪れようとする空を眺める。


 ポカンと口を開けるキルトの顔は間抜けと言う他なく、頭が緩くなってしまった人間のような表情をしていた。


「おや、どうされました? 魂が抜けたような顔をしていますね」


 呆けていたキルトは、急に感じる気配に驚きを持って嗄れた声の主を見る。濃い褐色の肌と、水分を失ったように艶の無い黒髪の男。極端に細い目から僅かに覗かせる瞳は、黄が強い琥珀色だった。気弱な印象の残る顔付きで、既に壮年を過ぎた歳だと分かる。安らぎを与えるような笑みは弱々しく、どこか頼りない。


 肌の色と髪から、キルトは男が砂の海があるクムスルアルスという国の出身だと予想した。


 完全に呆然としていただけではなく、男からは人間が持つ気配が無く、あまり幸せそうには見えない。昨日、全財産を失い妻に逃げられたと言われても納得してしまう程の薄幸とした笑み。その腰には一本の剣があり、少し不釣り合いな印象を受ける。


 心配そうにこちらを伺う男の性格は、雰囲気と容姿だけで分かってしまった。


「あぁちょっとばかし自尊心を捨ててきたところだ。慰めの言葉はいらねぇぞ」


「そうですか。しかし、こんな村に宿泊するという事は旅人ですかな?」


 確かに、この村は目立った点もなくどちらかと言えば活気の無い村だ。好き好んで滞在しようとは思わない。


「いや、メツトリシムで冒険者やってる。今はグリブスレイドに向かう途中だ」


 そう正直に言うと、男は元々細い目を更に小さくして笑う。


「なるほど、どうりで強そうな人だと思いました」


 チラリと腰の剣を見て、キルトは再び口を開く。


「オッサンも、剣士だろ?」


「いえいえ、これは護身用ですよ。あまり抜く事はありません。私が剣士なんて、とんでもない。虫も殺したくない弱い人間ですから」


 男の故郷であろうクムスルアルスは、剣士を特別視しており限られた才能ある者しか名乗ってはいけない。確かに、こんな弱そうな男が名乗れる称号でもなかった。


「悪い悪い。勘違いしちまったよ」


「良いんですよ。ーー私はスオ、と申します。見ての通り、くたびれた旅人です」


 何となく、スオと名乗る男から安心感を覚える。対人関係は別に得意ではないキルトが、こんなにも早く心を許してしまう程の何かがスオにはあった。


「俺はキルトだ。さっき言ったように、冒険者してる。本当は後、四人いるんだけどな」


 自己紹介を終えたところで、視界の端にミコトが映った。どうやら宿から出て、どこかに行くようだ。


「よう、ミコト。こんな時間からどこに行くんだよ」


「テメェには関係ねェだろ。ーーんァ? そいつは……?」


 スオに気付いたミコトは、その獰猛な目を向ける。威圧感溢れる眼光に、スオはどこか怯えたような笑みを作った。


「はじめまして、お嬢さん。私はスオと申します」


 友好的な態度を蹴り倒すように、ミコトは鼻を鳴らし無言で去っていく。


「すまねぇな、あんな奴なんだよ。多分、お嬢さんが悪かったんだと思うぜ」


「……気にしませんよ。故郷にもああいう方はいましたから。憧れます、私には絶対無いモノをお持ちですから」


 何かを思い出しているのか、困ったように笑う。笑顔の絶えない男だと、ますます好感を持った。


「あれはミコト。俺と同じ冒険者だ」


「女性だというのに、強そうな人でしたね」


 ミコトが去っていった方向を眺める琥珀色の瞳から感情はうかがい知れない。横から見ると、姿勢が良いという感想しか浮かばなかった。雰囲気と相まって背筋が丸まっている印象だったのだが、少しだけ意外である。


「強い、なんてもんじゃねぇぞ、アイツ。はっきり言って怪物だよ、怪物。強さにしても、性格にしても、とんでもねぇ女だ」


「ははは。でも、友人なんでしょう?」


 予期せぬ問いかけに、詰まってしまう。キルトにとってミコトとは、あくまでも同業者でしかない。友人と表現するよりも、仲間と言った方が正しい気がした。


 それを言うのも気恥ずかしく、目を逸らしながら頭を掻く。


「まあ、似たようなもんだ」


「良いものですね。私には友人も家族もいませんから」


「意外だな。オッサンなら友達千人って言われても疑わねぇぜ」


「人生、そんなに甘くないって事です。だから旅なんてしてるんでしょうね」


 きっと、スオにも色々とあったのだ。そう思うと、少し感傷的な気分になってしまう。こんな良い人そうな人間が幸せになれない現実に、拳を握った。


「そういえば、キルトさんはメツトリシムから来たんですよね?」


「ああ。それがどうした?」


「じゃあ、昨日辺りに大きな木がある村に立ち寄ったんですよね」


 嫌な記憶が、キルトの口元をひくつかせる。昨日と今日の事は記憶から抹消したかったのに、嫌な方向に話題を転換してきたものだ。


「お、おう。男心がくすぐられるくらいデカイ木だったぜ」


 声が震えてしまうのも仕方ない。それに気付いているのかいないのか、スオは人の良さそうな笑みを浮かべたまま言う。


「じゃあ、幽霊には会いましたか?」


「会ってねぇ! そんなもんいないんだよ! いもしねぇ奴にどうやって会うってんだ!」


 長椅子から立ち上がり、声を荒げて叫ぶ。感情の高ぶりも仕方のない事である。


「失礼。そうですね、そんなものは幻想です」


 大人が子供に合わせるような口調をされて、キルトは顔を赤らめた。今が夕闇の中で良かったと心底思う。


「腹が減った! もう食って寝る!」


 今日こそはまともな睡眠をと、羞恥を誤魔化すように言ったキルトは宿に入ろうと動き出した。スオを一瞥し、共に行くよう提案する。


「オッサンも一緒に食おうぜ。いつまでもこんな所にいたら風邪になっちまう」


 その言葉に、スオはゆっくりと首を横に振った。穏やかな琥珀色の瞳は、夕闇に薄れゆく景色に向いている。


「いえ、私はもう少し外にいますよ。夜風に当たりながら、歩きたい気分です」


「そうか。じゃあ、また明日の朝にでも会うだろ」


 返事を聞かず、歩を進めるキルトの背後かほんの僅かに鋭さを帯びた声がかかる。


「キルトさん」


「あぁ? どうした?」


 足を止め、首だけを動かしスオを見る。夕闇の中、微かに見える瞳がキルトを射ぬく。細い目は少しだけ開かれ、異様な空気を醸し出していた。


 夜の肌寒さを覚える風が通り過ぎる。風の音がキルトの鼓膜を揺らす。


「ーー良い夜を」


「……? あぁ、オッサンもな」


 カタリと、剣が納められる鞘が鳴った気がした。

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