小閑、その人だーれだ
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太陽が姿を隠し、月が顔を見せ始める時間帯。輝きを放つ星達が地上を照らし、人工の光がない村を明るくさせた。それでも、外を見れば一寸先がギリギリ視界に収められるくらいだ。
「いやぁあああああ!」
薄暗さの残る村に、はた迷惑な金切り声が響き渡る。それだけを聞いても性別の判断は難しく、不快感を煽ってくる声はキルト達が泊まる宿の一室まで届いた。
夕食をとり、眠りについていたキルトは飛び起きる。昨日からの疲れが尾を引いて、早めの睡眠をとっていたキルトの鼓膜を無遠慮に刺激する声に、頭痛を堪えながら辺りを見回した。
金属を擦ったような声が空気を振動させてからは、深閑とした静寂が漂っている。窓から覗く巨木は村の中心に立っており、月明かりに照らされ幻想的な美しさを醸し出していた。これは村の象徴的な木で、樹齢は千年に達していると言われる。
キルトが窓をいの一番に確認したのは、聞こえてきた声が外からしたような気がしたからであった。それを確かめる為に動かない理由として、まだ眠気が波のように襲ってくるからだ。
重い石を引きずるように、ドアまで歩く。ひたすらに怠さの残る体に活力の火を灯し、部屋を出た。キルト達四人は別々の部屋に泊まっている。まずはアリスの様子を見に行こうと、隣の部屋のドアを確認もせずに開いた。
「おい、何を縮こまってんだ?」
「え? な、な、なんでノックもせずに入ってくるの!? キルトには礼儀ってものは無いの!?」
ベッドの上で膝を抱えながら震えるように座っていたアリスは、突然の訪問者に焦りを覗かせながら責め立てた。脳を揺らすような甲高い声は頭痛を促進させ、キルトは軽く頭を押さえながらジトっとした目でアリスを眺める。
「お前、もしかしてーー」
「違うよ! ちゃんと一人で寝られるよ?」
まるで必死に弁解する犯罪者のように、焦りが体に伝わり全身を動かしていた。冷や汗が垂れていて目も泳いでいる事から、キルトは自分の予想が正しいと確信して目を揉んだ。確かに、思い返せばアリスが一人の空間で寝た事などない。いつもキルトが横にいたはずだ。
まさか、こんな悪癖があったとは予想だにしないキルトは、膝を抱えるアリスに近付いてポンと頭に手を乗せた。とにかく、予期せぬ事実を知ってしまったとはいえ、アリスに何の問題もなくて良かった。安堵が目付きを柔らかくさせ、口調も優しいものへと変化する。
「後で俺の部屋に来い。明日、それで眠れませんでしたって言われても困るからな」
「……うん。今から行く」
気弱そうに、上目使いでキルトを伺うアリスの瞳には、叱られた子供が親に見せるような揺れがあった。
「おう。この後、外の様子を見てくるから、お前は先に隣の部屋に移ってろ」
「……? 分かったよ」
首を傾げ、疑問符を浮かばせながらも了承の意を伝えたアリスは、よろよろと立ち上がり荷物の整理を始めた。
それを見届け、キルトは再び廊下に出る。一応、イルヴィーラにも声をかけようと思い、ランプの灯りを頼りに少しだけ出口側に進む。彼女の部屋はキルトの部屋よりも三つ隣で、階段を挟んだ先にある。途中、何気なく上に続く階段に目をやると、ランプが消えてほの暗い不気味な空気が上階から流れてきた。
薄ら寒いものを感じながらも、気にしないフリをして足早にイルヴィーラの部屋へと向かう。若干、強めにドアを叩きイルヴィーラに声をかけた。
「起きてるか?」
「え!? あっ、はい起きてます」
なぜかアリスと同種の焦りが声に含まれていた。数秒後、ドアが開きイルヴィーラは上気させ赤らめた顔を覗かせた。その笑みはあからさまに作ったようで、落ち着いた雰囲気はない。
「どうしました、キルトさん? 夜這いにはまだ早いかと思いますが……」
「違う! 一応、見に来ただけだ」
彼女もあの金切り声を聞いたと決めつけながら、呆れ半分の驚きを込めた憮然とした面持ちで告げた。
しかし、なぜかイルヴィーラは更に顔を赤らめて頬に手を当てる。キルトから目を逸らし、恥じらいの表情を見せてくる彼女は、どこか妖艶さを醸し出していた。これも夜のせいだと、心の中で否定してみせる。
「えっと、私は夫に操を立てていまして、だからキルトさんのお気持ちには答えられないというか……。いえ、キルトさんは素敵な方だと思いますが、夫を裏切るような事はーー」
「話を聞け。違うって言ってんだろ」
勘違いをしているイルヴィーラに苛立ちを覚えるも、息を吐くことで誤魔化した。それに対して、彼女は目を見開きながら一歩だけ後ろに退いた。
「心を通わせてから、というわけですか……?」
「それも違うんだよ、残念ながらな」
その時、イルヴィーラの部屋から何かが床に落ちたような音が聞こえ、訝しげに中を覗く。
瞬間、イルヴィーラは自室の中央に戻り、床に落ちたソレを拾い上げた。
「あぁ、私の可愛いマイア。ごめんね、目を離してしまって。痛くなかった? あぁ、こんなに汚れてしまったわ。後で綺麗にしてあげるからね」
慈愛、という言葉が似合う。親が子に向けるような表情をしながら、彼女は人形を慈しむように撫でていた。その光景はどこか異常で、本当に人形を我が子であるかという扱いをしている。
そっとテーブルの上に人形を置き、彼女は吹っ切れた笑顔でキルトに向き直った。
「すみません。この子、目を離すとすぐいなくなってしまうから」
「あ? アンタ何言ってーー」
「私がついてあげないと駄目なんですよ。可愛いでしょ? マイアっていうんです。ほら、マイアも挨拶をしなさい。……良くできたわね。この人はキルトさんって言って、マイアを助けてくれる優しい人なんだよ。あれ? マイアを助ける? 違う。マイアはここにいるわ。でもーー」
この言葉を放っている本人が、どこまでも美しく見えてキルトは背筋が凍った。その表情からは狂気は感じられず、あたかも自分は正常であると言っているようだ。
よく見ると、人形は綺麗に手入れされており、造形だけを見ればアリスと似ていた。
何も言わず、複雑な面持ちでドアを閉める。きっと、これからの時間でキルトは必要ないと理解してからだ。彼女は彼女の世界に潜ってしまった。それを邪魔しようとは、今のキルトには思えない。
元から無かった気を更に削がれてしまい、ため息をつく。
それでも好奇心が勝ったキルトは、先程より足の回転を早めて宿を出た。ひんやりと渇いた風が髪を撫でる。人工の光が届かない村の中は、強化を使わずとも、建物から漏れ出す灯りや星達の輝きで何とか視界は確保できる。
何となく、導かれるように村の中央にある巨木に歩いていく。なぜか人影はなく、それを疑問にも思わない。ゆらゆらと動く細い枝からは警告を与えるように、渇いた音が鳴る。太く生長した木の根元は地面にしがみつくような広がりを見せ、口や目とも思える窪みがある幹は僅かなうねりを伴っていた。
逞しさ、雄々しさよりも不気味さが先行するのは、閑散とした夜の空気に晒されているからか。部屋の中から見た印象とは全く別物だった。
目を凝らすと身動ぎをする人影が確認出来る。アリスよりも更に小さく、おそらく幼い子供だと推測した。
風に揺られ、葉のざわめきが大きくなる。キルトの気配に気付いたのか、人影はこちらを窺うように動きを止めた。こんな場所、時間に子供がいる不自然さに口元をひくつかせながら、恐る恐る近付いていく。
「こんな時間に何してんだ? ガキは寝る時間にだぜ」
数秒の間。静寂が巨木のざわめきを際立たせる。
「お兄ちゃん、だれ?」
「俺か? 冒険者だ。この村の住人じゃねぇよ」
基本的にトゲのある言い方をするキルトも、幼い子供
が相手なら口調も丸みを帯びてくる。男か女かは分からない、高い声に少しだけ安心した。
「お兄ちゃん、遊んでくれる?」
不思議と姿は見えないが、相手がキルトを見上げたのは分かった。
「兄ちゃんは忙しいから遊べない。送ってやるから、家を教えろよ」
「僕が鬼になってお兄ちゃんを追いかけるから、お兄ちゃんは逃げる人ね」
「いや、だから遊ばないって」
話を聞かない子供を諭す為、更に距離を詰める。
「逃げなくていいの? 捕まえちゃうよ?」
一瞬だけ、思考が停止した。
「お、お前……」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、早く逃げないと捕まえるよ」
その子供の姿は、幼い頃の自分によく似ていた。いや、同一と言っても良い。それほど、子供の容姿は幼い頃のキルトと瓜二つであった。
ニヤリと子供らしくない醜悪な笑みを浮かべ、後退するキルトににじり寄ってくる。口と目は弧を描き、まるで出来の悪い仮面のような表情をした。
「捕まえたら僕のモノだからね。僕だけのモノにしちゃうからね?」
硬直するキルトに、子供の手が触れる。氷のように冷たい小さな手は、キルトの全身を撫で回してきた。醜い悪意の宿った顔を勢いよく近付け、先程の声とは全く正反対の低い声を発する。
「捕まえたぁ。捕まえたぁ、お兄ちゃん」
その瞬間、キルトの意識は途絶えた。暗闇に沈む瞬間に見えたのは、醜悪な笑みを切り裂くような銀の一閃だった。




