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私の手から目を背けたいのなら

 夜が明け、家から出たキルトとアリスは口をポカンと開き目の前の光景に呆然としていた。


「なにこれ」


「知らねぇよ」


 地面が何かに切り裂かれ、その跡が蛇のように街中を這いずりわまっている。幾何学的な模様が街全体に引かれているようでもあった。薄気味の悪い傷跡に、街の人々は何事かと騒然としている。整地された地面がもうボロボロであった。


 昨日の夜、街が少し騒がしかったのはこれかと納得する一方、これは何なのか全く答えは出ない。巨大な爪で引き裂かれたようにも見えるが、万が一魔物がこの場所に現れていたらもっと大きな騒ぎになっているはず。


 ふと、脳裏に浮かんだのはネムサールだった。あの魔王が何かをした、と考えるのが自然だろう。とことん厄介な存在である。それでも混乱の兆しも見えないのは、ネムサールが目立たずに行動していた事を表していた。その点でだけで言えば、まだ可愛いげがある。


「まあ、気にしても仕方がねぇ。さっさと行くか」


「そうだね。その内、調査も入るだろうし」


 取り敢えず無視する事にしたキルトは、アリスを引き連れて冒険者組合の支部まで歩いた。その途中にも、地面が抉られた跡は続いている。住民も怪訝な様子ながらも、気にしない方向で各々の仕事に戻っていた。


 家から数分、かなり近い場所に支部はある。枯れ木を連想させる古びた外観は相変わらずで、内装との差異にはもう慣れたものだ。中に入ると複数の冒険者がたむろしており、一様に不景気な顔をしている。やはり、金に困っているのは皆同じだ。


 金属の重苦しいイスに座る。テーブルを挟んで向こう側にアリスも席につき、キルトはチラリと辺りを見回した。昨日、夜の内にミコトとイルヴィーナへは連絡を入れていた。待ち合わせ場所は冒険者組合の支部、時間は朝。まだ早かったかと、後悔を霧散させるように頭を掻いた。


 あまり眠れていない。正直、キルトの疲れは取れていなかった。むしろ一夜を明かした事で更に酷くなっている。精神的な疲労はそこまでではないのだが、やはり体は素直に訴えてきた。


 コキコキと首を鳴らして、頬杖をつく。休みたいのは山々だが、どうにもキルトはこういった暇をもて余す時間が好きではなかった。何をすれば良いのか分からない

心労が、苛々させる。膝を小刻みに揺らし、溜まった膿を取り除くように息を吐いた。


「早すぎたかな?」


 キルトの様子を観察していたアリスは、苦笑いを浮かべながら言った。


 それに対してキルトは不機嫌な表情を隠そうともせずに、低い声を発する。


「アイツが遅ぇんだ。なにやってんだよ」


 このところ無理矢理にでもする事を見つけては動いていたキルトは、暇を処理する方法を忘れてしまっていた。待たされるのは慣れているはずなのに、今日に限っては過剰に反応してしまう。


 それはおそらく、昨日の事もある。しかし、それよりも大きな原因は大金のかかった仕事で緊張しているからだろう。冒険者になってからこんな大きい依頼を持つのは初めてだった。


 近い内に大量の金貨が手に入ると思えば、色々と妄想もしてしまう。これが緊張の理由だと、キルトは気付いていない。金の魔力はいつだって人を惑わすものだ。中には鬼にも悪魔にもなれる人間もいるくらいだから、金とは人間が作り上げた最強の魔物かもしれない。


「キルト、涎が垂れるよ」


 不機嫌なまま涎を垂らす、という中々に凶悪な面を指摘されたキルトは涎を拭い少し前屈みになる。


「大金を妄想して何が悪い。お前だって欲しい物くらいあるだろ」


「うーん、美味しいものお腹一杯食べたいな」


「お前は食欲しかねぇのかよ。宝石とか、装飾品とか、もっとあるだろ」


「食欲を馬鹿にしてるの? 私は宝石とか装飾品とか、お腹が膨れない実用性もない無駄な物はいらないの。美味しいものをお腹一杯食べるのが幸せなの」


 女に生まれた自覚がまるで無い。着飾ればそれなりに可愛らしい容姿をしているのに、このままではいつまで経っても嫁には行けない。


 嫁の貰い手がないアリスの姿を想像して、急に危惧の念が湧き出てきた。これは非常にマズイ、アリスの幸せを考えるならばこの辺りの年齢で女としての自覚を育てなければならない。一生独り身は寂しいだろう。


 いつかアリスもキルトの元から巣立ちの時を迎えるのだから、その辺りの事を教えておかないと本当に結婚できないといった事態になってしまう。そんな未来を簡単に想像出来てしまうから、更にキルトの恐れは加速していった。


 だが同時に、自分の周りには相談に乗れる女性がいない事に愕然とした。確かにそこまで好かれる性格ではないものの、こうも周りにまともな女がいないのか。否、そもそもまともな女性の定義が曖昧だ。性別だけで考えれば、知り合いなら多くいる。ここで問題になるのが、アリスに女性的な魅力の必要性を教授してくれる人物。


 当然ながら、そんな女性はいない。唯一、アリスの母親が該当するものの彼女は既に他界している。生前、彼女ならばアリスに女らしい立ち振舞いを教えていたはずだが、キルトと出会った時にはもうこの姿であった。少年のように走り回る姿を微笑ましく見ていた時期も過ぎたのだ。


 誰かいないか、必死に記憶の糸を手繰り寄せ、その先に出てきたのはイルヴィーラだった。未亡人ながら、結婚した実績と未だあの美貌を保っている意識の高さ、何より芸術にまで昇華させた二つの山は天から与えられただけではなく、努力の賜物だろう。アリスも彼女になついているし、今日にでも言ってみようと密かに決意した。


「しかし遅ぇ。なにやってんだよミコトの奴」


「ほんとにね。まだ寝てるとか? ほら、実は傷が治ってなかったとかさ」


 その可能性も僅ながらに存在する。だけど本当に治っていないとすれば、ミコトなら申告するはずだ。傷が深くなって困るのは彼女だけでなく、キルト達にも火の粉が飛んでくる。その辺りはプロ、いくらなんでもやせ我慢で不利益な行動をする程、彼女は馬鹿ではない。


「迎えに行くかぁ?」


 子供ではないのだから、と呆れ半分に呟いた時、建物内の空気が変わった。


 それだけで理解したキルトは責めるように鋭くさせた目を、入り口に向ける。


「おい、何やってーー」


 言葉が途切れたのも仕方がなかった。入り口から表れたミコトの姿は、想像だにしなかったものである。


 今さっき、ゴブリンロードと戦ってきたように傷だらけの体を引きずるように歩いてくる。ミコトを知っている者なら考えられない程の痛々しい姿に、この場にいる全員が絶句した。


「お前、どうしたんだよそれ」


「どうもしねェ。テメェには関係ない事だ」


「ふざけんな。そんな傷だらけで、今からグリブスレイドまで行けんのか?」


「良く見ろよ、馬鹿が。こんな浅い傷で心配される程、アタシは弱ェのかァ?」


 ミコトに促され、肌に蓄積された傷を観察してみると、確かに浅い。見た目だけは派手だが、ダメージは無いようだ。彼女にしてみれば、傷の内に入らないだろう。


 しかし、どうしてこんな状態なのかが気になる。ミコトにこんな姿をさせる相手なんて、キルトの中では数える程しかいなかった。


「いや、俺が気になってんのは、どうやったらそんな傷が出来るかって事だ」


「ま、確かにあり得ねェよな。けど言うつもりは無いぜ」


 そこで、キルトは昨日出会ったネムサールを思い出す。キルトを見逃した際の不可解な言動と、ネムサールがこの街にいたという事実。あの魔王ならミコトを傷つける事も可能なはずだ。


「やり合ったのか?」


 ネムサールが言った魔人がミコトなら、この一言で十分に理解できるはずだった。


「テメェには関係ねェ。そう言ったはずだろォ。理解しろよ、この馬鹿」


 ミコトはキルトから目を逸らしながらそう言った。これで彼女が魔王と何かがあったのはほぼ確定した。


 それでもキルトは追及せず、立ち上がった。彼女が言わないのならば、聞くことはない。もし本当に問題があったのなら彼女から言ってくれるはずだから。それに、キルトは恐ろしくて聞けずにいた。もしも彼女が魔王に負けたと知ってしまえば、何かが崩れ去ってしまう。


 ふとさっきから黙っているアリスを見た。こんなミコトを見れば取り乱して心配するはず。


「なっ……!」


 驚きが隠せなかった。アリスは、真っ直ぐとした信頼の目をミコトに向けている。それが何を意味するのか、キルトには痛いくらいによく分かっていた。畏れを抱いていたはずのミコトに向ける視線は柔らかいものだ。アリスもまた、昨日の内に何かがあったのだろう。


 ほんの少し、胸の中に寂しさが広がっていく。それを誤魔化すよう、アリスの頭を軽く叩いた。


「何もしてないのに、何で叩くかなぁ?」


「うるさい。さっさと行くぞ」


 これは父親が娘に抱く感情なのか、全く違うものなのかは分からない。ただ、愛情からくるものだとは理解出来た。決して悪いものではなく、嬉しく思うものであると。


「依頼人がお待ちかねだ」


 向かうのは遺跡都市グリブスレイド。


 

 

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