月光を浴びて、呪われた子は醜悪な感情を隠して笑う
何やら街中が騒がしい。夜だというのにご苦労な事だと、キルトはベッドに座りながら窓の外を一瞥し、息を吐く。こんなにも疲れているのに眠れない。たった二日間の出来事の一々がキルトを苛んでいった。
隣のベッドで眠るアリスの安らかな顔を見て、荒んだ心を誤魔化していく。己に根付く化け物が激しく糾弾し主張した。負けて、負け続けて敗北の辛さを忘れていたのか。お前は何も守れない、罪から逃げるだけの弱者でしかないのだ。怒って、憤怒を撒き散らして自分がアリスを守れていない事実から目を逸らしているだけだ。
アリスを置いて光の勇者と争っていた時も、キルトは負けた。正しい事をしたはずなのに、アリスは涙を浮かべた。それは、キルトが都合よく解釈して目を背けていた結果だ。
街に帰ってきて、ネムサールと名乗る魔王に叩きのめされた。圧倒的な存在の前に、キルトは殺されはしないという打算の元で戦っていた。アリスが死ぬ可能性があったのに、命を惜しむ。挙げ句の果てに、正体不明の何かに助けられ見逃される。情けなくて自分を殺したくなってきた。
化け物は言う。何一つとして正しい行いなど無いではないか、と。
キルトは反論した。自分は正しい、結果を見れば明らかではないか、と。
相反する二つの意見が、弱った体を痛め付ける。これは罰ではない。贖罪とは一片も思ってはいなかった。失ってしまった魂よりも多くを助ける。その想いは、色褪せてしまっていた。
沈んでしまいそうな心を支えているのはアリスだ。彼女を守っている、そう自分に信じさせているからこそキルトは頑張れた。だけど、ファメルソウドの言葉が反芻し化け物が嘲笑する。
五年前、キルトは大切な者を失った。最後に聞いた彼の言葉は、娘を心配する声だった。母を亡くし、悲しみに暮れる娘を助けてほしい、彼はそうキルトに告げた。それが彼を救う事に繋がると知ったキルトは、アリスと出会う。
世界を呪い続けるアリスの姿が誰かと重なり、父親を守れなかった事を悔いて謝罪した。憎しみの声を上げる彼女の全てを受け入れて、穢れた部分は自分が背負う。そう決意した。アリスだけは、自分のようになってはいけない。何度も折れて、負けて、自分を拒絶する化け物を作り出してしまった。生きる資格もないクズにはなってほしくなかった。
しかし、最悪の選択をした彼とは違う。何があろうと守り抜いて、最後の瞬間まで笑顔でいる。罪から逃げるクズであっても、敗北するしかない弱者でも、頑張って足掻いて這いつくばってでもアリスを守るのだ。弱い部分を見せず、笑顔を浮かべながら彼女と過ごすのは許されるだろうか。
化け物が、悲鳴じみた叫びを上げた。汚泥を啜り、大切な者の血肉を食って生きてきた怪物が、希望を見出だすな。その背にあるのは怨念と絶望だけ。光とは、醜い部分を照らすものでしかなく、根っこからのクズが何を勘違いしているのだ。許さない。一生、未来永劫お前は許される事はなく自分を拒絶して死んでいく。
慟哭にも似た叫びを一蹴する事など出来ない。これも、間違いなく自分なのだ。相容れなくとも、この化け物を抱えて生きていくしかない。その根底にあるのもまた、アリスを想う気持ちだと知っていたから。
「キルト……?」
鈴のように美しく、消え入りそうなアリスの声。目を擦りながら、上半身を起こしてキルトを見ていた。
「起こしちまったか? まだ寝てていいぜ」
「うん。キルトも寝た方が良いよ」
「分かってる。疲れてるからな」
無理矢理にでも笑顔を作る。上手く作れているかは分からないが、今はこれで精一杯だ。醜悪に歪められた心の内を、アリスに見せるわけにはいかない。
その笑顔を受けたアリスは、ベッドから立ち上がりキルトの横に座る。その表情から心をうかがい知る事は出来ない。胡乱な影が差し、少なくとも明るい心情ではない事だけは分かった。
「キルト、辛そうな顔してる」
そう言って、その小さな体でキルトを包み込むように優しく抱いた。どう返していいか分からず、力が抜ける。
「私がいるから。キルトの辛さも、私が取り除くから。だからそんな顔しないで」
呻く声を抑えられなかった。顔に触れてみると、そこには空虚な笑みが浮かんでいた。滑稽だ、惨めだ、そんな感情の渦がキルトを支配するが、かろうじて踏みとどまる。
胸に広がる温もりと、アリスの鼓動が伝わる。こんな人間でも想ってくれる人がいるのだと、改めて分かった。自分の心が悲鳴を上げても、その人がいるからキルトは頑張っていた。それを思い出させてくれる温もりに、感謝を捧げる。まだ、自分は頑張れるのだと。
「馬鹿か、生意気言ってないで早く寝ろ」
自分が許さなくとも、この一時だけは浸らせてほしい。アリスを抱き返し、溢れそうな涙を拭う。
「でも、もう少しだけこのままで良いか?」
「……うん」
救いを求めるように、キルトは強く抱き締めた。
いつの間にか、顎を開く化け物も消えている。沼の底から泥を掬い、僅かな光を求める。弱い自分を奮い立たせてくれるのは、いつだってアリスだ。絶望を抱いても、希望を捨てるにはまだ早い。この背にあるのが許されない程の罪でも、この光があるからキルトはギリギリの状態でも前を向ける。
光に照らされた闇の正体に恐れを抱くには、彼女は眩しすぎた。醜悪な化け物がその身に食らい付く隙間さえ与えてはくれない。自責の念は押し潰す程に抱えている。自分が弱者だと気付いている。だけど、折れてしまったモノはまた直せば良い。何度失敗して挫折を味わおうと、アリスを見捨てる理由にはならないではないか。
魔王に叩きのめされてもアリスを守る事だけは絶対に揺るがなかった。どれだけ悩もうが目の前に答えがあるのなら、手を伸ばせば良い。
傷だらけの心を奮い立たせて、キルトはこの螺旋のように回り続ける世界で頑張るしか、道は残されていなかった。




