傷付けない暴力
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アリスは隣で颯爽と歩くミコトをチラリと盗み見る。引き締まった肉体は筋肉質だが、あんな怪力を生み出す肉体とは思えない。魔力の流れを見る為の魔法を使い、更に気分が落ちてくる。アリスがどれだけ努力しても到達出来ないレベルの魔力操作を今も繰り返していたのだ。他人が見れば凄まじい技術であっても、彼女にとっては児戯に等しい。
なぜそこまでの強さを得たのか、疑問が口から出てしまう。
「ミコトは何で強いの?」
問いにすらなっていない問いに、ミコトは楽しそうに凶悪な目を細めた。
「理由なんざねェよ。なんだクソガキ、テメェ強くなりたいのかァ?」
あまりにも弱すぎる今の自分が許せない。何も出来ない、誰かに求めるだけの過去には戻りたくなかった。母はアリスが弱かったから死んでしまった。キルトにも迷惑をかけている現状に不満なのは身の程知らずなのだろうか。
それでも、強さを求める気持ちに嘘偽りは無い。強く頷いたアリスは、拳を握った。
「うん。キルトと並べるくらい、キルトを守れるくらい強くなりたいよ」
キルトの名前が出た事に、ミコトはピクリと反応した。五年より前からキルトと知り合っていた彼女は、アリスよりもキルトの強さを知っている。だから、こんな反応を示したのだろう。
「アタシから見ればゴミみたいな才能だけどよ、テメェはゴミの中じゃあ上等な才能を持ってるぜ。それで満足しておけよ」
「でも、まだ足りないんだよ。きっと、このままじゃ一生追い付けない」
背を見るだけでは、守られる対象から抜け出せない。遥か先の道を歩きながら、待ち受ける悪意からアリスを守っている彼の隣で、彼を守る。
「止めとけよ。あの馬鹿は……また違うんだよ」
ーーキルトの強さは間違ったモノだ。
ミコトはそう言って、立ち止まった。流れるような魔力操作に目を奪われている隙に、認知出来ない程の速度でアリスの懐に飛び込んでくる。全く反応出来ず、アリスは呆然と目の前にいるミコトを見上げた。
「最低限、これくらいの速度には対応しろよ。今のままじゃ、アイツの足元にも及ばねェぜ」
先程の言葉を吹き飛ばすような蔑みに、アリスは理解した。キルトが間違っているのは戦闘能力ではなく、精神だと。だからあえてミコトは、アリスに対応出来ない速度の踏み込みを見せた。
「……アイツは冒険者の中でも特に戦闘能力が高い。そういう奴は大抵、育ちが悪いんだよ。その点で言えば、テメェはまだ恵まれてる」
命の危機に直面した事はある。その時にはいつもキルトが守ってくれた。心のどこかで安心感を肥大させたような依存が、アリスを縛り付けていた。そう、成長を促すのは強い意思だが、踏み越えるには才能と環境が必要なのだ。
「アタシも育ちが悪いからなァ、分かるんだよ。汚泥を啜って生きてきた薄汚ないネズミの臭いが」
「……キルトもそうだって言うの?」
アリスの中にある溝渠が深くなる。穿たれた隙間をどうにか埋めようと、必死に言葉を探した。
「それが、キルトの強さだって言うの?」
しかし口から出たのは下らない質問ばかり。違う、そう叫びたいのに完全に否定出来ない自分もいる。キルトの過去は知らない。それでも辛い過去なのだとは分かる。どちらが正しいのか、呵責にも似た自問がアリスの中を駆け巡った。
「違う、違うんだよ、ミコト。キルトは優しくて、傷だらけになりながら他人を助けてる。きっと、その優しさがキルトを支えてくれてるんだよ」
信じたかった。少なくとも、アリスの知っている彼はいつも笑ってくれている。正しいか、間違っているか、未だに答えは出ない。そんなもの、ここにおいては重要ではなく大切なのはキルトとの絆、信頼だ。
その答えが気に入らなかったのか、ミコトは歯を剥き出しにして嘲笑を浮かべた。
「クソガキがァ、あの馬鹿を知らねェからそんな事を言えるんだよ。腐った奴は、どこまでいっても腐ってるんだ。醜く踊るしか生きられねェんだよォ」
責めるような厳しい言葉に、アリスは強気に笑った。今なら彼女に対する畏怖も、ねじ伏せる事が出来る。
「ただ単に腐ってしまった人間は、あんな優しくない。ミコトとキルトを一緒にしないでくれる?」
挑発を返す余裕もあるくらいに、アリスを支えるモノは頑強になっていく。何があっても、キルトを拒絶しないという決意は芽吹くように胸に広がっていった。
「面白い事言うじゃねェか、クソガキ。このミコト様によォ、挑発なんてする奴は珍しいぜェ」
これは、暴力を用いない戦闘だ。互いの意見を押し付けあうだけの、醜く無意味な戦い。それでも、何か一つだけ譲れないモノがあるならばアリスは戦うしかない。そして、暴力を用いないのならば勝つしかなかった。
「否定はしないんだね。ミコトの小さい物差しで、キルトを計るなんて間違ってる」
「あァ、あァ、否定なんてするか。アタシは自分の力、暴力で何かもを視てきたんだ。何も知らねェクソガキが、アタシに意見するンじゃねェ。笑って済ませるには、アタシの器はでかくない」
「そうやって暴力で解決しても、何一つ救われない。ミコト自身も。自分さえ守らないミコトは恐くないよ」
信じられるものが暴力だけなんて、あまりにも悲しすぎる。それでは、本当に必要なモノを得られない。血と闘争以外の何かが彼女には必要だ。強さを得て、何も守れないのならば意味がない。
確かに、それだけを求めてきたからこそミコトはここまでの強さを得たのだろう。並大抵の努力ではなかったはずだ。ここに自分を預けるのも理解出来る。しかし、それ以外には無い。アリスはどこか空虚な強さに思えて仕方がなかった。
「自分が何言ってんのか理解してんのかよ。そりゃァ、あの馬鹿に向けて言ってやれよ。咽び泣いて喜ぶぜェ、愛しのアリスにそんな事を言われたんだからなァ」
「違う。キルトは守らないわけじゃない。傷だらけになってでも、それでも自分を守りながら戦ってる。多分、それは間違った強さじゃない。キルトは正しいよ」
誰よりも偉大な行いをしてくれたキルトに、間違っているなんて言えない。微塵もそんな事を思っていない。アリスが求める強さは、ミコトとは異質なものである。それでも、憧憬と嫉妬は抱いてしまう。
あの時、確かにミコトはキルトの隣に立っていた。遥か先を行っているはずなのに、戻ってきてまで隣に立ったのは本心ではキルトの強さを認めているという事ではないのか。
「クソだな。クズはどこまでいってもクズ。正しさなんて、とっくに捨ててるに決まってるじゃねェか」
揺れない信念を素直に称賛し、憧れる。これがミコトなのだ。口汚く罵っていても、キルトを否定していない。本当の意味で否定するのなら、こんな事を言わないはずだ。
だからこそ、アリスは柔らかな瞳でミコトを見据えた。
「悲しい事言わないで。それじゃあ、ミコトが可哀想だよ。それは正しくない、自分は間違っていると全否定しながら戦ってる。人は、そこまで強くない。きっといつか壊れてしまうよ」
「お前、何言ってーー」
「こうして、私と話してる。キルトを拒絶しないのは、寂しいからじゃないの? ミコトの言う強さなら、一緒に行動する必要なんて無い。何でも一人で解決しちゃうんでしょ?」
「テメェ、好き勝手言ってくれんじねェか。ふざけてんじゃねェよ。このミコト様が寂しい? あの馬鹿と一緒に居たいって? ンな訳あるかよォ」
気付けば、ミコトの表情に凶悪さが消えている。相変わらず、波紋さえ感じないがそれでも構わず、アリスは自分が大好きな笑顔を作った。
「ミコトは友達だからさ。一緒に居たいって思う事は、頼りたいって思う事は間違ってないと思う」
理性のフィルターを通さず、その青く澄んだ瞳でミコトを見詰める。キルトなら、どうしていただろう。それでも、彼のような笑顔でアリスは友達だと言ってみせた。
ーーその笑顔が父親に似ているとは知らず。
「言うに事欠いて、友達かよ……」
「悪くないでしょ? 面白いと思わない?」
「笑えねェ。笑えねェが、確かに面白い」
ブレない芯を持つミコトにも響いた。
「ーーお前、十分強いぜ」
その呟きに、アリスは首を傾げる。ミコトからそんな言葉が出るとは思っていなかったので、何を言われているか理解が追い付かなかった。こんなにも未熟で弱いのに、と。
「ん?」
「聞き返すんじゃねェ。今すぐ記憶から消せ。ーークソッタレ、あの馬鹿が」
殺気を帯びた荒々しい魔力操作が収まり、弛緩したのを見ないフリをした。一瞬でひねり潰せるのに、彼女をそれをしなかった。その事に、ほんの少しだけ救われた気持ちになる。
自分にも、何かが出来た。こんな弱々しい存在が、強大なミコトに勝ってしまった。未だ自らを下卑する気持ちはあるものの、少し前に進んだような気がした。
ーー間違った道を歩んでいる事にも、彼女は気が付かないままで。




