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爺さん、ボケるにはまだ早すぎる

 醜い内側に蓋をするような思考をしている間に、目的の場所へと着いていた。


 表向きはどこにでもある民家のようだが、その実は違う。扉を開けば、埃っぽい空気と紙の独特な匂いが鼻腔をくすぐる。無数に積み上げられた本の山を辟易とした表情で見ながら、ファメルソウドを探す為に奥へと進んだ。


「ジジイ! 客だぞ!」


 すると、山の中からいびきのような声が家の中に響く。キルトはこめかみに青筋を立てながら、ズンズンと本を蹴りながら声の方向へ行った。


「クソジジイ! 客だって言ってんだろ! 寝てんじゃねぇよ」


 紙に包まれ、まるで本をベッド代わりに眠る老人も蹴りあげた。


「ファッ!? な、何じゃ!? 襲撃か!」


「ボケてんじゃねぇぞ。誰がテメェを襲うってんだよ」


「おぅ? キルトかの?」


 ファメルソウドはシワだらけの手で横にあった片眼鏡を眼窩にはめ、キルトの姿を確認する。古代の遺物である片眼鏡は、魔力による強化を使わずとも視界を確保してくれる道具だ。


 少ない白髪を掻いて欠伸をするファメルソウドにため息をつきながらも、積み上げられた本に腰を下ろす。


 見ようによっては好好爺、知る者にとっては狸爺、深く関わる者にとっては賢者、と称される老人の実年齢を知る者はいない。少なくとも、五十年前には既に老人であった。


 片眼鏡の奥で光る偽物の眼球は、濁った茶色をしている。人の良さそうな笑みでキルトを見てから、ファメルソウドはゆったりとした動作で身を起こした。


「死んでおらんかったか。残念で胸が張り裂けそうじゃよ」


「テメェはそのまま紙に潰されてろ。用件は分かってんだろ?」


 老獪さの見え隠れする表情をして、ファメルソウドは頷いた。本当に分かっているのか、そんな懐疑的な視線を送る。


「ゴブリン討伐の件じゃろ? それなら、金が入ってからで良いわい」


「あぁ、それもあるんだけどよ」


 一旦、そこで言葉を切った。膝の上に体重を預けるように前屈みの体勢となり、真剣な面持ちで口を開いた。


「商人組合について調べてもらいたい」


「キルトよ、とうとう冒険者から足を洗う気になったか? 元々、お前は冒険者に向いていないんじゃ。辞めて正解正解」


「んな訳あるかァ! 冒険者以外でどうやって食ってくんだよ。こちとら、アリスもいるんだぜ」


 ファメルソウド曰く言いにくいが、キルトは冒険者としては絶望的なくらい向いていないらしい。戦闘能力が高くとも、頭がキレても、冒険者に必要なモノが足りない。それが何なのか、キルトには分からなかった。訊ねてもはぐらかされて終わりなので、もう考える事も止めてしまった。


 顔を真っ赤にして怒り狂うキルトを愉快げに眺め、ファメルソウドは静かな口調で質問する。


「まだ、アリスちゃんには何も話しておらんのか」


 熱くなった脳が冷えていくのを感じた。このタイミングでそんな事を言われるとは思わず、白けた表情で答えた。


「知らねぇ方が良いんだよ。あいつは今のままで良い」


「それがあの子の為になると本気で思っとるのか。母親が死んで、残されたのは父親だけ。話してやるのが正しいとワシは思うがの」


「ーー殺されてぇのか、クソジジイ。ボケるには遅すぎんだよ」


「すまんすまん、そんなに恐い顔をするでない。殺気がだだ漏れじゃ」


 知らぬ内に、拳を握り締めていた。何に苛ついているのか理解していても、それを拒絶する。許容してしまえば、破裂してしまう。アリスに関して間違った事はしない、そう信じて行動するしかないキルトは、現状を否定された事に対して苛立ちを覚えていたのだ。


「下らねぇ事言ってないで、さっさと話を聞きやがれ」


「そうじゃな。お前に何を言っても無駄と分かっとる」


 それでもキルトの行いに言及するのはファメルソウドの優しさだろう。彼は本気で心配して、キルトと話していた。過去を知り、冒険者としてのキルトを助けてくれたファメルソウドに恩を感じている。だけど、優しさに甘んじてしまえば今までの頑張りが無駄になってしまう気がした。


 ぐちゃぐちゃの心中を押し殺し、キルトは今回の件について話を始めた。


「依頼人はイルヴィーラ・フォーファルス。商人とは言ってるが、正直信じられねぇ」


「ふむ、お前が言うのだから何か裏があるのでろうな。イルヴィーラ・フォーファルスを調べろ、そう言っておるのか?」


「あぁ。おそらく明日、俺達はグリブスレイドに行くから、結果は手紙か帰ってきてからで良い。奴に関する事を洗い出してくれ」


「依頼の方は手伝わなくて良いかのぅ?」


「大丈夫だ。そっちは俺が何とかするからよ。とにかく、気持ち悪いまま終わりたくないんだ」


 素性を完全に信じたわけではない。もっと言うならば、彼女の依頼に立ち込める靄のようなモノを感じ取っているキルトは、ファメルソウドに調べる事を頼んだ。これにはもう一つ狙いがあるのだが、そちらは芽吹かない事を望むだけだ。


「多分、調査には時間がかかる。それでも良いなら、正式に調べるが、どうするかのぅ?」


「良いぜ。じゃあ、俺の持ってる情報から話すぜ」


 キルトはファメルソウドに自分の情報と推測を話した。多少の主観が入ってしまったが、それは情報が少ない今は仕方がない。


 一通りの話を聞いたファメルソウドは、好好爺の仮面を剥がし老獪な情報屋の表情になる。


「興味深いのぅ。確かに、調べる価値はありそうじゃ」


「そうか。それじゃあ、報酬の話にーー」


「金貨三十枚! これより下は認めん!」


 金の話になった瞬間、高々に叫ぶファメルソウドから老いは感じない。むしろ、キルトよりも若々しく見えた。


「ふっざけんな! テメェ、ナメてんのか」


 なぜ金貨三十枚も払わなければいけない。普通ならば金貨五枚でも多いくらいの内容である。ファメルソウドにとって一介の自称商人を調べるなど、造作もない事だ。それが報酬の約三分の一とは完全にキルトを馬鹿にしていた。


 鋭い視線をファメルソウドに向けると、彼は駄々っ子のように手足をバタバタと動かした。


「嫌じゃ嫌じゃ! それより下は認めんぞ!」


「テメェはガキかよ」


 年老いた男が駄々をこねる様は、これより見苦しい光景もない。あまりの醜さに、キルトは冷えきった視線を突き刺した。


「ふざけんのも大概にしろよ、クソジジイ。俺は忙しいんだ」


「……じゃあ、金貨はいらん。その代わり、帰ってきたらアリスちゃんに父親の事だけでも話してやってくれんか?」


「それこそ、ふざけてんじゃねぇか。アイツに背負わせ気かよ」


「あの子はお前とは違うんじゃ。傍に支えてくれる人がいる。キルト、お前があの子の涙を拭ってやれば良いじゃろう」


「俺は守ってる。間違える事なんて無く、アイツを泣かせない為に守ってんだよ」


「それだけでは駄目じゃよ。それではあまりにもーー救われない」


 魔力の奔流が体を支配し、周囲に風を起こした。紙が舞い、本がめくれあがる。瞳孔が広がり、憤怒の表情を作った。底冷えのするような声が、空間を震わせる。


「知ったような事言ってんじゃねェぞ。これまでも、これからも、正しいやり方でアイツを守る」


「キルト……。お前のやり方はーー」


「間違ってるはずなんか無い。そんな戯れ言、絶対に言わせねェぞ」


「もう、何も届かんのか。ワシの言葉は、お前の心に響かんか」


 ファメルソウドは諦めたように達観した様子で、片眼鏡を外した。濁った瞳がキルトの脆い心を射抜く。見透かしたような、悲しみを湛えた偽物の瞳からキルトは己を覗いた。


「クソッタレがァ!」


 立ち上がり、本の山を蹴り飛ばす。そこにあったのは、醜悪な盲信によって化け物に変貌した自分の姿だった。アリスを悲しませて、周囲を呪う怪物。何もかもを拒絶して、自らの全てを捨て去ってしまう自分に、キルトは怯えにも似た感情を覚えた。


「……金ならくれてやるよ。しっかり調べとけ」


 そう告げて、キルトはファメルソウドから背を向ける。足早に出口へと歩き、扉を開いた。


 ーー優しさからも、逃げて拒んで、目を背ける。本当に大切なモノが何なのか、理解しないままその場から去っていった。


 


 


 

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