鐘の音を聴ける者達の種火(二)
作者は地雷原の上を踊っているようだ。
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肥大した鈍い残響が脳を震わせる。
砂の海が揺れる地平線を描き、乾いた空気がチリチリと音を立てながら肌を刺激した。爛々と見下ろす太陽を睥睨し、喉の奥から低い声を吐き出す。
「外に出てみればこれか」
凍えるような地下から出て数日経った今、頭の中に直接響く不快な鐘の音を聞いた。これと同じものを五年前にも聞いた事がある。しかし、その時よりも大きく不愉快さが増していた。
砂の海が満ちるクムスルアルス共和国にいた彼は、五年前の戦いには参加しなかった。その結果、光の勇者は死んで魔王の一人は消えた。
幾重にも曲線が交差した、幾何学的な模様の描かれた機械の腕を砂に沈める。
「うむ、北西の方向……。確か、氷の小娘がいる場所であるな。それと、西にも。ここは、あの最強がいる所だったか」
白い金属に覆われた腕は激しい音を立てて、地中にワイヤーを張り巡らせていく。古代文明、その技術を最大限に生かした彼の体は遥か昔から、機械になっていた。『向こう側』の魔力を動力源に動く彼の体には、様々な機能が付いている。
クムスルアルスに眠る魔王、ネムサールはワイヤーを通してあらゆる情報を得ていた。
「まだ、奴の娘は目覚めてはいないようだな」
世界に満ちる『向こう側』の残痕がネムサールに教えてくれる。この世界に混沌を望んだ『暴く者』の残した種子が芽吹いていない事を。まだ渦は生まれていない。
「ニアキスよ、お主は本当に望んでいるのか?」
失い続けた魔王は拒絶する事を選んだ。しかしそれは本当に彼が望んだ事なのか、古代文明と呼ばれる時代よりその解は出ない。
ーー絆を否定してまで得たい未来とは一体何なのか。
「あるいは、過去かもしれんな」
かつての親友はネムサールとの絆を拒絶してまで、ありもしない過去に執着して消えてしまった。今も、同じ時代を生きた者として彼の鼓動が聞こえる。再びこの世界を混沌の渦に巻き込もうとしている。
「止めるぞ、ニアキス。儂が必ずお主を止める」
白濁とした瞳が天へと向けられる。 機械仕掛けの羽が背中から開き、轟音を響かせた。大きな体躯は空へと持ち上げられ、『向こう側』の魔力を放出した。
「神よ! 儂は立ち上がり、動く! この世界を救わんが為、鐘の音に応えよう!」
ワイヤーを地中に置き、情報の取得をしながら飛翔する。凄まじい速度で西のフィストンプルへ向かっていく。感知出来る大きな気配は三つだ。問題になるのは二つ。一つは、ネムサールにとって馴染み深いモノ、もう一方は人間のようであった。
フィストンプルの塔に眠る魔王は活動を停止させており、動く様子はない。ネムサールが唯一、暴力においては己よりも上位に位置すると認める彼が起きる事は望ましくない。
ーーアレには、苦労させられたからな。
戦いの本能が植え付けられた存在は、かつて凄まじい暴力を以て破壊の化身となった。その時にネムサールともう一人、氷の魔王が必死になって抑えたものだ。それでも眠らせる事だけで終わったのだから、その強大さはネムサールのような上位の存在の中でも群を抜いている。
破壊の魔王ーートラウィエルは異質な存在である。赤ん坊のように純粋であるが、常軌を逸した学習能力により様々な事を吸収していった。眠らせた時に記憶を消去しておいたので、目覚めた直後ならば対抗出来るだろう。
それとは別にまだ問題がある。魔王と同等以上の領域にいる人間。絶対的な上位者、ドラゴンを連想させるような強大さを感じる。同時に人間らしい矮小さも兼ね備えており、長く生きたネムサールでも訳の分からない存在だった。
この人間を、ネムサールは魔人と称する事にした。
ーー未知数であるか。
魔人がどういう役割を持っているのか、ネムサールには感じ取れない。だからこそ、ネムサールは魔人に会うべくフィストンプルに向かっていた。
先に氷の魔王と会う事も考えたが、今は距離の近いフィストンプルに向かうのが先決。何より、好奇心が刺激されていた。勇者でも、もちろん魔王でもない人間がどうして上位の存在として君臨しているのか。古代文明に生きていた時、あらゆる機械技術に関わったネムサールには狂気的な好奇心が胸を焦がしている。
ーー目指すはフィストンプル。光の勇者がいる国へ。
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「ありゃ、これは派手にやってくれたねぇ」
ゴブリン達の死体が散乱する森の中で、一人の少女が呟いた。
「完全に停止しちゃってるよ。僕の作品をこんなにするなんて、あれは化け物だね」
美しい琥珀色の瞳を眼下の鬼に向ける。緩いウェーブのかかった黒髪をわしゃわしゃと乱しつつ、果実のような可愛らしい唇を歪めた。キメ細かい白い肌には血液が付着しており、肌の色を引き立てるような同色のドレスで拭う。女性らしい曲線のある体つきだが、胸にある膨らみは小さい。同様に身長も低く、童顔とあって年齢が把握しにくく、人によっては意見が別れる。
「もうっ、せっかく誰にも迷惑かけないでやってたんだけどなぁ」
憤慨したように口を尖らせて、腰に手を当てた。少年のような動作の中にも、年齢に相応しくない色気がある。それは彼女が長い時間を生きてきた事にも繋がる。事実、彼女の既に人では考えられない程の年月を生きていた。
人々に魔王と恐れられる少女、テスカは自らの作品であるゴブリンロードを愛しげに見詰める。
「可哀想に。ごめんね。僕が造ったのに、殺させちゃった。僕は酷い奴だよ」
彼女にとって自分の作品は、この世界で二番目に愛するモノだ。壊された悲しみと、それを仕向けた自分への憤りがテスカを苛む。これは必要な犠牲だと割り切れない弱さに、情けなくなった。
ーーこれじゃあ、彼を救えない。
十年前、空っぽだったテスカに光を注いでくれた人間に想いを届けるように呟いた。
「キルト……」
懺悔の言葉など、出るはずがない。テスカは彼に許されない事をしたのだ。自分の使命を果たす為、再び彼を渦中に呼び込んでしまった。これが彼を救う行為に繋がると理解していても、悲痛に歪む顔を抑えられない。
狂おしい程の愛情は、未だテスカを満たす事はない。まだまだ足りない、もっと彼の為に、彼に尽くさなければ。己の存在全てを捧げてでも、彼を満たす光になってみせる。昔、テスカにしてくれたように。
足りない、足りない。もっと、もっと、盲目となって彼に尽くせ。そう言い聞かせ、破裂しそうな愛情を抑え込む。もし爆発してしまえば、彼が大切にするモノを奪ってしまう。全てを受け入れる器になり、醜さも弱さも包み込む。
「愛してる、愛してる……愛してる愛してる愛してる愛してるーー」
原動力となる言葉を反芻して、自分を鼓舞した。布に染み込ませる水のように、浸透していく。まだ不完全だが、立ち上がるには十分だ。
「だから、愛してください」
それは懇願であった。血の海に佇む彼女の想いは形となり、『向こう側』の魔力を奪っていく。
ーー『創造の灯』。
この時代では古代魔法と呼ばれるソレは、壊されたゴブリンロードに命を吹き込んだ。同時に体を作り替え、知性を向上させる。少なくとも言葉が話せるくらいにならなければダメだ。
闇のような黒い魔力がゴブリンロードを包み、肉が潰れる音と共に再生されていった。
「初めまして。僕は君のお母さんだよ」
鬼のように醜く、恐ろしげな顔を倒れたまま向ける。
「オカアサン……」
聖女のように清らかな笑みで、テスカは告げた。
「悪いけど、北に行ってきてくれないかな」
ゴブリンロードは歯を剥き出しにして、醜悪な笑顔を見せた。そこには母に対する愛情が含まれ、また知性的な色があった。
「ワカッタ。オカアサン」
「言葉は、また道中にでも覚えてね。あと、くれぐれも人間には迷惑をかけないように」
テスカは母が子に教えるように指を立てる。最大限の学習能力を与えておいたので、言語能力を伸ばすだけなら問題は無いはずだ。
「僕はこれから、愛しの彼に会ってくるから」
どこまでも明るい笑顔で、彼が行くであろうグリブスレイドに視線をやる。
「貴方は、僕が救うんだ」
誰にも取られたくない、奪われたくない、自分だけに愛情を向けてほしい。だからこそ、全身全霊で愛してみせる。
ーー魔王の決意は、計画と共に動き始めた。




