芸術に酔いしれる者は、その狂気に気付かない
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キルト・レイデンムーンは金が無い。だから人一倍、金には敏感な嗅覚を持っている。どんな仕事でも来い、とばかりに意気揚々と商人の元へ向かうキルトの頭には、金しか映っていなかった。
「金貨っ、金貨っ、山盛り金貨っ! 嬉しいなっ!」
キルトが言っている金貨とは、この国が発行しているフィストンプル金貨の事である。一枚の価値で言えばキルトとアリス、大食いの二人が十日間は食に困らず家からも追い出されない。
完全に性格が変わってしまったキルトにアリスは唇をひくつかせているが、前しか見ていないキルトの視界には入っていなかった。もうお花畑の中を疾走しているかのような、先走った幸福感で満たされている。
ゴブリンロード討伐、更には商人からの依頼となれば大金が入ることは確定。ひもじい生活をアリスに強いる事なく、金が稼げない自分を情けなく思うこともない。
世の中の親は偉大だ、と常日頃から感じていた。
僅かに跳び跳ねながら移動するキルトの足取りは軽く、隣を歩いているアリスもキルトの様子に呆れながらも溢れ出る俗物的な笑みを押さえられないでいた。
頭の片隅で先程までのやり取りが過るが、それを無視できるくらいにはキルトの正気は失われている。
「それにしても、どんな依頼なんだろうね」
「大方、積み荷の運搬か護衛だろ。近くにはゴブリンの集落が発生してたくらいだからな。足止めでも食らってんじゃねぇの?」
「いっぱいお金入ったら良いね」
「おいおい、組合の仲介を通さない依頼だぜ? あの守銭奴共にハネられる心配なく、直接入ってくるんだ。温い金額だったら交渉、駄目だったら断っちまえば良いんだよ」
そうは言っても相手が商人である以上、過度な心配はしていない。あまりにも酷い依頼ならば断る。はした金でこき使われる程、流石のキルトも落ちぶれてはいない。多分、と心の中で付け加えておく事を忘れないが。
そんな事を話している内に、部屋の前へ辿り着く。覚悟を決め、唾を飲み込み扉を叩いた。
「はいはい、誰ですか?」
快活さと上品さを兼ね備える若い女性の声。不思議とすんなり耳へ入ってくる心地の好い声に、キルトはすぐさま唾を吐きそうになった。おそらく、商人の嫁か愛人といったところだろう。何だか、顔も拝んでいない商人に敗北した気持ちだった。
「冒険者のキルト・レイデンムーンとアリス・レイデンムーンと申しますぅ。ミコトが不在なので、代わりにお話を伺いに参りましたぁ」
揉み手、垂れ下がった目尻にだらしなく弛緩した表情。普段のキルトでは考えられない様子だが、隣のアリスは気にしない。何故なら彼女も同じような表情であったからだ。
「あぁ、冒険者の方ですか。入っても良いですよ」
相も変わらず商人の声は聞こえない。馬鹿にしているのか、そんな苛立ちを覚えるが表情には出さず木製の扉を開いた。
「失礼致します!」
「し、しつれいします!」
ピン、と背筋を伸ばし胸を張る。
が、一瞬後には間抜けに口を開くキルトの顔があった。
「あ、あれ? 私めは商人の方にお話があった参ったのですが?」
そこには椅子に上品に腰掛ける、高級な装飾で自らを飾り付ける貴婦人のような女性がいた。彼女と自分達との格差を表したような部屋の豪華さは村の宿にしては過ぎたものだが、彼女の持つ上品さと合っている。清楚さを全面に出した装いだが、漂う色香は隠しきれていない。美しく、輝くような金色の髪に透き通るような白い肌はフィストンプルやその周辺国家の出身だろう。穏やかに下がっている目は優しくこちらを見据え、口元には上品な笑みが作られていた。
何より、キルトの目を引いたのは服の上からでも分かる豊満な二つの膨らみ。更に観察する為に目へ魔力を集めた。やはり、今まで見た中でも最高クラスの形と大きさ。大げさに肥大していない、けれども溢れんばかりの母性を感じさせる適度な大きさと、どんな用途でも対応可能な形はまさに臨機応変、完璧に近い乳房。この世の至高とも言うべき芸術が、キルトの視界を独占していた。そして、キルトは誰よりも芸術の理解出来る男と自負している。
不躾な視線に嫌がる様子もなく、優しく微笑みながら僅かに首を傾げた。
「どうぞ、お座りになってください。まずは自己紹介から始めましょう」
呆然とアホ面を晒すキルトの脇腹に、アリスの肘が突き刺さる。
「クボハッ……! 何すんだテメェ!」
中に薄い防護服を着ているが衝撃が伝わってきた。おそらく、魔力で強化した一撃である。
「何をだらしない顔してるの! キルトには恥というものが無いのかなぁ!?」
「あったら男の美学は極められねぇんだよ!」
「訳の分からない事を言うなぁ!」
既に、依頼人への印象操作はボロボロだ。完全に素の二人に戻っていた。
しかし、女性はクスクスと笑い気を悪くしたというよりも楽しんでいる様だ。
「ひとまず、お座りになられてはいかがですか?」
仮面が剥がされてしまったキルトは舌打ちを一つ。不機嫌な表情で椅子に体を預ける。アリスも同じく目を細めて、キルトを睨みながら着席した。
「改めて、冒険者のキルト・レイデンムーンと申します」
「……アリス・レイデンムーンです」
拙いながらも丁寧な言葉で話そうとする二人に女性は違和感を覚えたのか、柔らかな笑みを困ったようにする。
「取り繕うにはもう遅いかと。普段通りでよろしいですよ」
「そうかい。じゃあ遠慮なく、だ」
立場と度量、その線を見極めるような思惑を感じて、キルトはあえて普段通りの振る舞いをした。商人と冒険者という違いを明確にしなければ、交渉に差し支えがあると考えた。
「え? 良いの?」
「えぇ、良いですよ」
そんな思惑を知らないアリスは、戸惑った様子で問い掛け、女性は慈愛のこもった目でそれに応える。
「私、商人のイルヴィーラ・フォーファルスと申します」
「あァ? あんたが商人?」
今の時代、女が商人になるのは珍しい。この国、フィストンプルでは商人は組合に所属しなければ厳しく、魔物や盗賊がいる今の世の中で女性が行商をするのも、護衛を雇うのも一苦労だ。それでも少なからず女性の商人は存在しており、彼女達は自分の性別を最大限に利用してのし上がった者達や夫から引き継いだ者達がほとんどだ。
それに、イルヴィーラと名乗る女性は見る限り羽振りが良い。つまり、見栄を張って許されるくらいには地位が高いのだろう。
ーーどういう事だ?
だからこそ沸き上がる疑念。冒険者になってから培われた勘が、イルヴィーラには何か後ろめたい部分があると言っている。おそらく、この思考は間違っていない。ここはあからさまに出すより、有効な場面で出す方が良いと判断する。
「はい。珍しいでしょう? 私は死んだ夫から引き継ぎまして、今の組合に所属しているんです」
「凄い凄い! 女性なのに商人なんて格好いいなぁ、憧れるなぁ」
何故だかアリスが過剰に反応し、顔を赤らめて身を乗り出した。
「あら、ありがとう可愛いお嬢ちゃん」
ヌメリとした違和感がキルトを襲った。今までのイルヴィーラから考えられない、濁った色が瞳を支配している。その先には明るく笑うアリスがいた。気のせいかもしれない。それでもキルトの中で疑念が育っていた。
「で、本題に入ろうじゃねぇか。アンタも暇じゃないんだろ?」
「そうでしたね。では、依頼の話に参りましょう」
表情を改め、鋭さの見える目でキルトを見据えてくる。先程までの違和感はなく、凛々しく曇りの無い瞳だ。
「単刀直入に言いますと、誘拐された娘を取り戻して欲しいんです」
覚悟の決めた人間の顔がそこにはあった。




