鐘の音を聴ける者達の種火(一)
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勇者がその名を告げた時、彼らがいるフィストンプルから北にある国の更に端、永久凍土となっている山の頂上に建つ城にソレはいた。
古代に建てられた城は廃れる事なく、今の世に建っている。現在では再現不可能な建築技術と金属、研究すら進んでいない機械技術がふんだんに使われた城は現在、魔王が住まう地として知られていた。
その中の一室に二つの存在がいる。
「彼等が過激な事をしなければ良いんだけど、それは望み薄だろうな」
この世界ではドラゴンに次ぐ上位者、魔王と呼ばれるソレは言った。人間のような姿で、だけど決定的に違う。雪のような長く白い髪は艶やかさを保たれて、褐色の肌が彼女の白さを強調している。男を惑わすような完成された肢体を玉座に預け、緋色の瞳は己の部下に注がれていた。魔性、ともいえる色気を持つ容姿の中で特に目を引くのが、芸術の域に達した程に整っている顔の造形。つり上がった目は気の強さを、しかしどこか儚さを感じさせる。
「忌々しいドラゴン共がこの機会に大人しくしているはずもないか」
強大な力の片鱗とも言える声に、眼下で跪く彼女の部下は身動ぎ一つする事なく答えた。
「我々は陛下のような上位者ではないので何とも言えませんなぁ。それより、他の魔王の動向についてお考えになられた方がよろしいかと」
主人に向かって慇懃無礼な言葉遣いをする彼は、全身を鎧で覆った人形の魔物であった。兜からは二本の角が生え、それと同じものが両肩にもある。漆黒の色は重々しい印象を与え、三メートルはあるかという体躯には膨大な魔力が感じられる。
声から察するに男性、それも老人だという事だけは分かった。慇懃無礼な言葉遣いからは連想できない忠誠心と畏れが声に込められていた。
「ガルタブ、貴様は私に仕えて何年になる?」
「……未だ千年ほどの若輩者でございます」
千年。命ある者にとっては途方もない時間を過ごしたガルタブであるが、彼女に仕えた年数で言えば未だ若い。最古参の者は三千年の時を彼女と共にいる。
「もう千年か。故郷が滅びたのがつい昨日のように思えてくるのだがな」
ゆったりと、体の力を抜く。所作一つ一つさえ完成されている。
「千年も共にいて、私が危惧すべき事を悟れないとは、老いるにはまだ早いぞ」
隙だらけのはずなのに、その身から魔力を感じないのに、凄まじい圧力がガルタブを押し潰さんとする。それでも、表面には出さず掠れた声を発した。
「私の本分は戦いの中にあります」
その言葉で十分であった。ガルタブの存在理由は戦う事だ。故に、主の心を理解する必要はなくただ命令に従い、血潮の雨を生み出すだけ。この千年、変わる事のない主従関係だった。
「そうだな。貴様に訊いたのが間違いであった」
滅多な事では間違いを犯さない魔王が、つまらない事で間違えた。これはその心中が穏やかではない証拠である。
「……どうなされたのですか?」
「なに、少し『向こう側』から不愉快な干渉があっただけだ」
この世界の生物が神と称する『向こう側』の住人の事は、ガルタブは詳しく知らない。いや、魔王以外には知り得ないはずだ。彼女を含めた九の魔王しか、神がどういう存在かは分からない。仮に言葉で説明されても理解など出来ないだろう。
「奴が居なくなってから五年。これはいよいよ、世界が動き出すのかもしれないな」
かつて主と共に魔王と呼ばれていた一人、役割を果たさぬまま消えてしまった彼に何を想っているのか、ガルタブは考える必要などなくただ頷いておいた。
「他の魔王や、ドラゴン共にもこの報せは届いているだろう」
「一体、どういう……」
上手い言葉が見つからない。どう疑問を言語化すれば良いのか、どんな問いが最適なのかが分からなかった。それでも意図は届いていたようで、彼女は魔性の笑みを浮かべる。
「ーー鐘の音を聞いてしまった。誰が動くのか、私でも推測の域を出ない」
鐘。以前にも彼女はそう表現していた。五年前、魔王の一人がいなくなった時だ。同時に、千年の間で初めて彼女が心を乱した時でもある。
「ニアキス、お前は動かないのか」
五年前に居なくなった魔王の名を呟き、ここからでは見えないはずの空を見上げた。
「ーーこんな世界、いっそのこと拒絶して捨ててしまいたい」
彼女の心は分からない。だが、その表情からガルタブが生まれるより遥か昔に思いを馳せているのだと理解した。
「私は、戦わなくてはいけないのだろうか」
優秀過ぎる頭脳を持つ彼女でも、答えが出なかった。それは自分への問い掛けか、はたまた別の誰かへのーー
「どちらにせよ、会う事になる」
彼女は、心に深く刻まれた名を告げる。星に向かい、冷たい空気を小さく震わせるように。
ハルト、と。
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「鬱陶しい音だ。満足に剣も振れねェ」
ミコトは空を獣のような瞳で睨み、憎々しげに呟いた。五年前にも起きた現象に辟易する。
「テメェ等の遊びに付き合ってられるかよォ」
これが『向こう側』の住人が催す悪趣味な遊戯だと、ミコトは言った。実に的を射てる言葉は無意識に放たれ、誰かへ届くことなく空気へ溶けていった。
間違いなく人間である彼女は、世界の上位者だけが聞き取れる鐘の音を聞けた。それは後天的に上位者となった事を表しており、いつからかは分からないが少なくとも五年より以前だとは証明されている。
「参加資格だァ? ふざけてんのか」
彼女は強さだけを突き詰めた結果、気付かぬ内にドラゴンや魔王といった上位者達の領域へ足を踏み入れていた。だから、鐘の意味が理解出来る。そして参加資格を証明した行為も。
「あのゴブリンロード……。そういう事かァ」
好戦的な笑み、空へ向けられた静かな殺気は大気を揺らしている。それは凶器となり、世界を斬る刃を呼び起こした。
狂気的なエゴが形となり、見えない刃は『向こう側』へ到達しないまでも意思を示す。戦いの中でしか生きられないミコトは、生まれた頃よりある疑問を抱いていた。自分の底とは何か。今まで、全力で戦った事のないミコトは、戦闘能力を自らの手で相手へ合わせて戦ってきた。
異常な強さでも、無敵とは限らない。キルト・レイデンムーンが言った言葉であるが、それはミコトも分かっている。だけど知りたかった。自分の根底に横たわる強さの限界を。少なくとも今は『向こう側』に刃を突き立てられない。神と称される存在すら、ミコトにとって自分の底を見る為の道具に過ぎなかった。
しかし、上から眺めながら糸で操るだけの神を許容したわけではない。参加資格などと上空から叩き付けて、不愉快な音で苛立たせる神は完全にミコトの怒りを買っている。
「ふざけてンじゃねェぞ、クソ共がァ!」
今度は先程よりも強く、限界を知らぬ刃は世界を斬る為に飛翔した。あの先に何があるのか、そして境界線となるべき場所がどこに繋がっているのか、答えはおそらく魔王やドラゴンしか知らない。
知らない、認識、認知出来ないモノは斬れない。そんな理、ミコトには関係なかった。振るうべき刃があり、そこに斬る対象さえあれば斬ってやる。そんな強靭過ぎる意志と共に放たれた斬撃は、確かに意味を持って境界線を斬り裂いた。
それは昨日のゴブリンロードを容易く殺す程の威力。固体によっては、絶対的な上位者であるドラゴンでさえ傷付ける一撃だった。
だがそれでも足りない。矮小な生物を嘲笑う声が聞こえてくるようで、ミコトの怒気は更に跳ね上がる。
「そうかよォ、理解したぜ」
未だ知り得ないミコトの底から、悪意の塊がにじり出てきた。
「乗ってやる。テメェ等の遊びに付き合ってやるよォ」
ーー引き換えに、命無き存在である神を殺す。
「ヒヒ、ヒャハハハハハハハ!」
邪悪な笑い声が、思念となって『向こう側』へ贈られた。
次話から書きたかった第一章の開始。
ここまでが最初の後書きで言った序盤。




