何かの鐘が鳴り響く予感、一秒前
序章終了。
何か一つでも自己の否定に繋がれば、それで良い。光の勇者とは、どこまでも傲慢で高潔な精神の持ち主でなくてはならない。今のところ、キルトから見た青年は条件を満たしている。
ーー過去の残像の掠りが光の勇者を救う、という事に繋がった。
間違っていない、そう盲信して道理に反した理不尽を振りかざす。これは罪から逃げる為であり、決して贖罪なとではない。勇者を救う事で、少しでも過去の残像に近づきたいが為の利己的な考えだった。
「お前は、この世界から目を逸らしたいんだよ。平和な世界から呼び出された理不尽に目を瞑って、光の勇者を享受するのがその証拠だ」
阿呆な子供だからこそ、光の勇者として召喚されたのだろう。正しくて、高潔。眩しい光を放つ青年の瞳に、キルトは己の黒く濁った精神が悲鳴を上げる。
再び、星が笑った。『向こう側』の意思はキルトには感知できない。だから、垂れ流すように意味を持った言葉とも言えない思念を受け流してしまった。
「違う、俺は望んでいた。元の世界で俺は何もしてこなかった。自分の殻に閉じ籠って、親の言うことに耳を貸さないクズだったよ。だからせめて、この世界では変わろうと思った」
変わる事は、変わらずに腐っている者よりもよっぽど凄い。だけどキルト思ってしまう。
「元の世界でクズだった奴が、環境が変わったくらいで変われると思うなよ」
楔を打ち込む意味で、言葉の応酬を続ける。
「そうかもな。でも、そう在ろうとは思うんだ。本質は変わらなくても、行動によって自分へ示す。何なら逃げ道を塞いでやっても良い。これで逃げられねぇぞ、臆病者ってな」
拒絶した先には何があるのだろうか。勇者として機能しなくなった青年は、これから辛い出来事がある。それでも勇者をして戦い続けるよりもましだ。
無責任な事である。青年にとってどちらが幸せなのか、それは青年自身にも分からない。少なくとも、一人で生きていくまで責任くらいは取ろうと思う。
救った、守った、曖昧な境界線であるがキルトにとって完結すべきラインは、行動の末に起こった結果がいかに道理的か、という事だった。だからキルトの行動の結果、青年が辛い状況に置かれる事が明白である以上、キルトには責任が発生してしまう。
そんな心構えであった。
「だから、俺は俺の道理に反した理不尽を許さないって決めた。この世界に来た時から、そう決めていたんだよ。逃げるのは、もうおしまいにしたいんだ」
ーーその言葉に、内に宿る醜い獣が頭をもたげる。
キルトは今まで逃げ続けてきた。己にまつわる過去と罪、真実から目を背ける人生。呪われた自分を拒絶した。逃げる事が出来ない事実に直面して、先送りにした結果が今のキルトだ。
無意識に、魔力が全身に駆け巡る。
「テメェーー」
「終わりです。貴方も、勇者様も」
キルトに漂う剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、今まで傍観していた白銀の少女が止めに入ってきた。そこには一欠片の感情も込められていないが、暗い瞳はキルトに向けられている。
「今、ここで意味の無い会話をしている暇はありません。私達はこんな事をする為にここへ来たのではないのですから」
冷えきった声に、頭の中が澄んでいく。徐々に熱を失っていく自分に、キルトは苦虫を噛んだように表情を歪めた。
「けどーー」
「神託に従い、人々を救うのが勇者の役割。それを忘れて、冷静さを失ってしまっては勇者失格ですよ?」
同じく、青年も悔しげに拳を握った。
一方、冷静になった脳で、キルトは少女の言葉に戦慄を覚えた。
ーーそういう事かよ。
空を睨み、『向こう側』の住人へ怨みの思念を発する。不自然過ぎる状況に疑問を持たなかったのも、『向こう側』の住人が関わっているとなれば説明はつく。そしておそらく、気付いてしまったのもキルトだけ。
ーー俺達はテメェらの駒じゃねぇんだ。
神と呼ばれる存在が、この世界に生きるありとあらゆる存在を家畜のように見ている事は知っていた。
ファメルキスと対面した時の記憶は無いが、確かに覚えている。胸に広がる嫌悪感と、自分を下位の存在として嘲笑を浮かべるファメルキスを。
キルトは知っていた。自分達が『向こう側』の住人に支配され、動かされている事に。この不自然な状況も、不自然な心の動きも、好き勝手に操られているのだ。
しかし、ふと重大な事実に気付いた。
ーーなら、なんで俺達はまだ生きてんだ?
『それはまだ早い。核心に近付くのはもう少し後の話だからな』
記憶も、思考も、軌道修正されていく。全てが拒絶されたような感覚が一瞬、その後には白紙に戻った思考が残っていた。
「そうだったな。少し熱くなりすぎた」
呆然と立ち尽くすキルトに、少女は無感情な言葉を放った。
「初対面の方に、こういう事を言うのは何ですが……貴方は、かなり歪んでいますね」
見抜かれていた。矛盾した行動と思いに、彼女は気付いていたのだ。それで、泳がされた。絶妙なタイミングで制止の声をかける為に、待っていた。
「……そうだな、巫女様。初めて会う奴に言う事じゃねぇや」
言い訳、現実逃避、利己的な行動で彼女を苦しめてしまった。こんな役割、本当はしたくなかったはずなのに、何の躊躇もなく実行した。
そして、教えてくれた。今、キルトの目的は達成できない。どれだけ言葉を並べようと、青年には届かないのだろう。自分の薄っぺらな言葉では、強固な意思は貫けないのだ。
神託に導かれ、ここに来た勇者はキルトと出会った。少女の言葉の意味を深く考えると、この状況もまた彼女が言う神によって作られたもの。その際にミコトやキルトが僅かながらにでも会話を出来たのは、何かしらの意味がある。
だから、この場所で勇者を辞めさせるわけにはいかない。彼女は暗にそう言っているのだ。
「今回の件については、そちらの謝罪は必要ありません。現実に私や村人に危害は加えられていないのですから。焦点に当てられている私達を置いて話を進めるのは無駄な行いだと気付きませんか?」
うまく場が収束されていく。
「……私と貴方は会わなかった。それで良いのでは?」
私達、ではなく私と言う辺り彼女も思うところがあるのだろう。これが終わりではなく、始まりでもない。何も起こっていない、そういう事にしたいのだ。
「それで、納得しろと? 確かに直接の被害は無かったにしろ、メフィス達が危険に晒された事には違いない。俺は、納得出来ない」
少女、メフィスは首を横に振る。
「周りを見る事も重要です。誰一人、あの行為に納得していない人物はいない。それは貴方の貢献でもあります。少なくとも間違った行いではない、そう自信を持っていただいて結構です。しかし、認めなければ前には進めません」
ここが境界線だ。勇者に楔を打てたキルトにはそれで納得させ、当人達の気持ちを代弁する事で青年の勇者としての資格を失わせる事なく、理不尽だと思える事を認めさせる。
「……分かった。今回は、認めよう」
これで満足か、そうキルトに強い視線を向けてくるメフィスに、頷いた。一歩でも踏み出せば、誰も納得しない結末になるであろう事は理解出来る。
「では、行きましょう。……目的はまだ達せられてません」
何事もなかったように歩き始めたメフィスの後を追う青年に、キルトは弱ってしまった心を表に出さず声をかけた。
「お前、名前は?」
この世界では、名とは自分を構成する重要な意味を持つものだ。アリスにも、ブレンニアといった人物にも必ず名には意味がある。例外でもない限り、意味の無い名を持つことはない。
青年は振り返り、その名を口にした。
「ーーハルトだ」
驚愕に、全身が凍り付く。そして少しだけ理解してしまった。
「そうかい。俺はキルト・レイデンムーンだ。巫女様も、また会う事が会ったら宜しくな」
光の勇者とは、どこまでも救われない存在なのだと、理解してしまった。その名に意味はなく、重要なのは勇者である青年がその名を持っていた事だ。
どこかで聞いた事のある名前だな、と誰かに対して言った。
序章終了。




