何かの鐘が鳴り響く予感、きっかり三秒前
「こォんな雑魚が光の勇者かよ。前の奴とは大違いじゃねェか」
剣を抜いていたミコトはつまらなさそうな表情で剣を
納めた。彼女にとって、相対している青年は価値のない存在なのだろう。
が、青年はその態度に不満を抱いたように敵意を露にした。そりゃそうだ、とキルトは心の中で突っ込む。いきなり攻撃されて怒らない馬鹿はいないだろう。
「あんた、謝れよ」
それでも何とか対話で解決しようとする辺りは寛大な心の持ち主だ。
「アタシに謝れ? テメェ、ナメてんのかァ?」
こういう女なのだ。気分が乗らなければ是が非でも動かない気分屋。欲望に忠実な人間性を支える実力を伴っているからこそ、彼女はこれまで生きてこれた。逆に、この傲慢さが無ければここまでの強さを得られなかったのかもしれない。
「今の攻撃で横にいる彼女が危険にさらされた。もしその刃が無関係の人に当たってたらどうしていたんだ」
憤怒を湛えた表情が口に出した言葉が正直な心境だと物語っている。自分に危害を加えた事に対してではなく、青年以外の誰かに対しての心配が一番に出てきたらしい。
「……クソッタレが」
ほんの一瞬だけ、ある人物と重なってしまった。容姿は似ても似つかない。青年は黒髪だが、彼はキルトと同じ赤い髪であった。青年の肌と彼の肌も違い、容姿も平凡な青年に比べれば彼はそれなりに整っていた。
だけど、どこか似ている。それを認めたくなくて、キルトは拳に力を込めた。何の幻想を抱いているのか。どこまでも気持ちの悪い自分の内側が憎い。彼はもういない、それは絶対に認めなくてはならなかった。
アレが光の勇者だとしたら、なおのこと拒絶しなくてはならない。これだけは、アリスを残してくれた彼に誓って似ていると思ってはいけなかった。後悔の念が胸を満たし、溢れた。
「ミコト! 何してんだよ!」
どうしても勇者には会いたくなかった。特に、その横にいる白銀の少女にだけは。これまで逃げ続けてきた罪の亡霊を甦らせる。
しかし、心が肉体を動かし意思を支配する。本来ならばキルトらしからぬ行動に、アリスも驚きを隠せないでいた。戸惑ったようにキルトへ手を伸ばすが、届かない。
悲しそうに顔を歪めるアリスを視線の端に置きながらも、憤怒を募らせた。アレがこんな所にいるから悪いのだ。キルトと、そしてアリスの前に現れた時点で青年は罪を犯した。存在しているだけでこんなにも苦しみを与えるのか。
尋常ではないキルトに、ミコトはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「光の勇者が来たと思ったら、こんな雑魚だった。それだけだよ、それだけ」
本当に、ただそれだけの理由でミコトは剣を抜いた。
「こんなクズが勇者なんてなァ、哀れみさえ覚えるぜ」
価値のないゴミクズを見るように、ミコトは青年を見下した。
「興醒めだァ。気分直しに酒でも飲んでくるわ」
朝になったばかりだと言うのに、酒を飲むと言って踵を返してその場を立ち去ろうとするミコトに、鋭い声が放たれた。
「待てよ! ……謝れって言ってんだろ」
ミコトはニヤリと口元を凶悪に歪め、獲物を射殺すような眼光で青年を睨み付けた。
「謝らなかったらどうなんだよ、坊っちゃん」
「謝らせる。彼女と、村人に」
既にキルトの視界は、相対する三人しか映ってはいないが、村人達は異様な雰囲気を感じ取り早々に避難している。皆が遠巻きに眺めながらも、ミコトに嫌悪の視線を送っていた。確かに、誰が見ても今回はミコトが悪い。下手すれば捕まってしまう。相手が勇者である事を考えて、良くても死刑悪くても死刑だ。
だが、キルトは動き出した。またもやミコトに対して余計なマネをしようとしている。いつか斬られるかもしれない、そんなふざけた事を考えながら三人に近付いていく。
その途中で白銀の少女と目が合ってしまった。無表情の中に様々な感情を入り乱れたように、僅かに目を見開いた。
「ハ、ハーー」
「黙れよ、巫女様。ハジメマシテ、だ」
「……ハジメマシテ」
こちらの意図を汲み取ったのか、目を伏せて苦しげに言葉を吐き出した。それさえもお構いなしに、キルトは勇者とミコトの方へ歩を進める。チクリと痛む胸に、笑みがこぼれる。彼女を責める権利など無いのに、激しく渦巻いた感情を抑える為の八つ当たりをしてしまった。
やはり彼女は何も変わっていない。優しい性格も、美しい容姿も、十年前から何も変わっていなかった。キルトの記憶の中の彼女と現在の彼女は、十年の歳月が流れても美しい少女のままだ。
全部、キルトが悪いのに、キルトを憎んでいてもおかしくはないはずなのに、彼女は全てを飲み込んで目を伏せた。ここまでの優しさが無ければ、巫女など出来ていない。
過去にその優しささえ突き飛ばして間違いを犯してしまったのはキルトだ。十年前、あの手を握っていれば違った現在があったのかもしれない。もっとも、それはキルトが望む現在ではないが。
きっと、彼女は救うことを諦めていないのだろう。だから異世界から勇者を召喚してしまった。自らの罪を自覚しながら、無関係の人間を巻き込むという行いをしてしまった。
考えてみれば、勇者として召喚された青年は哀れだ。何の関係もないのに、異世界を救わなければならないのだから。命をかけて、全てを守りこの世界に光を注がなくてはならない。
でもキルトは巫女の優しさや青年の勇気を振り払う為、青年に強い眼差しを向けた。
「止めとけよ。そいつの傲慢さに付き合ってたら、文字通り身が持たねぇぜ」
ここで妥協するようならば、青年は近い将来必ず挫折を味わう。光の勇者は誰よりも傲慢にならなければいけない。何も犠牲にしないまま、何かを得る為には相応の力が必要だ。それは己の身を傷つけ、やがて心を痛め付ける。
完璧。過去に、誰かがそう言っていた。完全無欠、ドラゴンのような力と神のような傲慢さを兼ね備えた存在が光の勇者である。
だから、自分の手で終わらせてほしかった。自らを光の勇者ではない、そう言ってほしかった。
「それでも、自分の身勝手で他人を巻き込むんじゃねぇよ。一言、謝るだけで良いんだ」
ーー自分の身勝手で他人を巻き込むんじゃねぇよ。
あぁ、と声が漏れそうになる。これは、過去にあの人が言った言葉だ。
「何で……」
「あァ? どうしたんだよ、キルト」
目を見開かせ、魔力を漲らせるキルトにミコトが面白そうに目元を細めながら聞く。
「何でテメェがアイツと同じ言葉を言っちまうんだよ。よりにもよって、テメェが!」
光の勇者だけは、彼と同じ存在であってはならない。負け続けて、間違い続けてきた彼は光の勇者を憎んでいたはずなのに、それをしなかった。だけどキルトは認めない。
だって彼はーー
「何を言ってんだよ……」
「俺はテメェを拒絶して、否定してやるよ、光の勇者様」
ーー星が、邪悪に笑った。
『向こう側』の住人、ファメルキスの嘲笑がキルトの脳に響いた。
ーー面白いじゃないか、人間。まさか光の『 』を拒絶するとはなぁ。
嫌悪感を煽る声は、重要な部分だけを聞き取れなくする。あるいは、認識すら出来ない上位の言葉なのか。
それは、キルト・レイデンムーンに差し出された『向こう側』からの好意と称した、悪意の塊であった。




