何かの鐘が鳴り響く予感、何秒か前
なぜ、勇者がこんな村に来るのか、そんな疑問は考えても仕方がない。問題は、現在ベッドで眠っているキルトがなぜあそこまで狼狽していたのか、である。
夜の帳が下りる時間帯、星が地上を見下ろすように無数に輝いている。村人は寝静まり、閑散とした空気が村全体に流れていた。二人部屋の中には最低限の家具しかなく、ベッドやテーブル、タンスがあるだけの簡素なものだ。
ミコトに言われ、キルトをベッドまで運んできたアリスは、ベッドに腰掛けてキルトの寝顔を眺めていた。すやすやと眠る彼の表情には苦痛が宿っており、悪夢にうなされている。
何の夢を見ているのかは分からない。きっとそれは彼の根底に関わるものなのだろうという推測を立ててみるが、そんなものアリスが考えた拙い推測でしかなく、真実は案外別のものの可能性が高い。
眉間にシワを寄せ、キルトの髪を撫でる。五年前から寝付けないアリスを落ち着ける為にしてくれた動作を、今はキルトにしている。これはアリスがキルトの隣に立ちたい、という願望の表れ。こうする事で自らの心を慰めているのだ。
明日、おそらくアリス達は勇者と関わりを持つ。どれだけキルトが避けても、あのミコトが積極的ならば抵抗も虚しく引き摺られていくはず。その時に、どうすればキルトの心を落ち着かせられるだろうか。
あんなにも焦り、顔を蒼白にするキルトを見るのは久しぶりだった。何の理由があるのか、それは彼が語ってくれなければ分からない。
だけど、キルトと勇者が何らかの繋がりを持っているのは明白である。召喚されたばかりの勇者と、一介の冒険者でしかないキルトにどんな繋がりがあるというのだろう。
それに勇者よりも巫女、という言葉に反応していたようにも見えた。ならば、巫女とキルトは過去に何かがあった、と考える。少なくとも、アリスと共にいたこの五年間の出来事ではなくもっと昔の話だ。
五年前よりも以前、キルトがまだ旅をしていた時代。十年より前は辺鄙な場所で暮らしていたという話なので、おそらく旅に出てからアリスと出会うまでの五年間だ。この期間に何かがあった。
しかし、アリスはキルトの過去についてあまり詳しくない。自主的に聞こうとも思わないし、聞かれてもいないキルトが話す事はないだろう。どんな場所で生まれたか、どういう人達と出会ってきたか、どんな出来事があったのか、アリスは知らなかった。
過去に辛い出来事があって、深い傷を抱えているであろうキルトに過去を思い出させるのは、アリスには出来ない。癒したいはずの傷を更に抉り、腐らせてしまうのは絶対に無理だ。
だから少ない情報の中でも理解しようと考えを巡らせていた。
まず、巫女という存在について思い出してみる。セフィル教が抱える光の勇者を召喚させる為の女性。選定と召喚を行う彼女は、滅多に人前には姿を現さない。もちろん、旅人だったキルトが姿を見る機会すらかなり運が良くても見れないだろう。
光の勇者の資格を持つものを召喚、支援する役割も持つ巫女はセフィル教の中でも権力者だ。財力もあり、発言力もある。更には強大な魔法の使い手で、異世界から勇者を召喚するのは彼女しか使えない古代魔法という話を聞いた事があった。
ふと、突拍子もない事を思い付く。キルトの人生と、勇者の不在が重なっている。十年前には旅を始め、光の勇者がいなくなった。五年前はアリスと出会い、光の勇者が死んだ。もちろん、無茶苦茶な考えだとは理解していた。
でもやはり巫女との繋がりを探してみれば、ここしか行き当たる材料がない。アリスには推測する情報が不足しているから、突飛な発想でしか真実には近付けない。何を言ってたとしても、証拠も何もない子供の戯れ言なのだ。
つまらない推測をするくらいならば行動を起こした方が良いのは分かっているが、アリスの性とキルトの教育がそれを許さなかった。思考を停止させるな、常に頭を動かしておけ。何かに委ねて自己を縛り付けるのは簡単だが、愚かしい行為だ。疑問と解答を繰り返して、最適な行動を導き出すのが一流の冒険者である。
自分の小さな手へと視線を落とし、僅かに息を吐く。何の長所も美点もないアリスには、キルトの教えを忠実に守ることでしか強くなれない。戦闘能力はミコトの足元さえ拝めない、冒険者としてブレンニアほど完成されていないし、キルトのような強さを持っているわけでもない。
こんな脆弱な人間が出来ることは流されない強固な意思と、何にでも対応出来る柔軟な思考が必要不可欠。ならば、時間が許す限り考えるだけだ。
夜は更けていき、近いうちに朝が来るだろう。
ーー何かが動き始める。そんな漠然とした予感を抱えながら。
▼▼▼
翌朝、目を覚ましたキルトは目を真っ赤にさせ疲れた様子のアリスを確認してからベッドから立ち上がった。
「クソッタレ! ミコトの奴はどこだ!」
今回、ちょっとの事ではミコトに対して怒らないキルトは完全に怒っていた。
「俺を怒らせた事を後悔させてやる」
思わず漏れてしまう言葉に、アリスが眠そうな目をして返す。
「本当に言ってるの?」
何を言っている、といった鋭い視線をアリスに浴びせる。寝起きでボサボサの頭を掻き、この溢れんばかりの激情をどうしてくれようかと思考した。
「当たり前じゃねぇか。いくらミコトでも、やって良い事と悪い事があるんだよ」
ナメるなよ、などとここにはいないミコトに対して呟いた。確かに戦闘能力や魔法に関しては負けているが、キルトには誰にも負けない才能がある。これは共に旅をしていた人物も認めた程だ。
「俺に嫌がらせをされて、泣いて謝ってこなかった奴はいねぇ」
「人を不快にさせる天才だもんね、キルト」
「誉め言葉として受け取るぜぇ。ナメんなよォ、ナメてんじゃねぇぞォ」
「……キルトが泣かされる未来しか見えないよ。止めときなって」
「じょ、冗談じゃ、ねぇ! ここまで挑発されて受けなかったら男じゃないだろう。戦争だよ戦争。戦争を始めるぞ!」
まずはミコトに最も有効な挑発を入れて怒りを煽ってやる。最初は微々たるものだが、沸点の低い彼女には効果は抜群だ。心をすり減らして、遂には止めてくれと懇願するまで嫌がらせを止めない。
「塵も積もれば山となる」
「なにそれ?」
「あぁ? ……積み重ねが大事って事だよ」
「聞いた事ないよ、そんなの」
「まあ良いじゃねぇか。そんな事より、俺は今からこの部屋に引きこもるから、ミコト探してこい」
敵の所在地を知らなければ作戦の精度が落ちてしまう。戦いにおいて最も重要なのは戦闘能力ではなく、情報収集能力とそれを処理して扱えるだけの思考能力だ。
朝の陽気が窓から差し込み、キルトの全身を包む。起き出した村人達の声が静かに響き、何かの到来を予感させる。
勇者には絶対に会いたくないが、それも村人の動きや声を頼りにすれば回避出来るはず。情報収集はアリスに任せて、キルトは部屋で引きこもる。外に出ても勇者がいる方向には絶対に行かなければ何の問題もない。
ミコトが馬鹿をしなければ万事うまくいくはずーー
その時、村全体に響き渡る金属音がキルトの鼓膜を揺らした。
「なんだぁ!? 何の音だよ!」
瞬時に導き出される嫌な予測を振り払うように部屋を飛び出した。アリスも驚いたようにそれに続き宿を出て音の正体を確かめるために走った。
宿を出たキルトが目撃したのは剣を構えるミコトの姿と、彼女に警戒感を表すまだ二十にも届かない年齢の青年。
ーーその横には、美しい白銀の髪を靡かせる人形のような少女がいた。
この物語はプロット通りに動いておりません。




