第2声目 『――桜咲く今日。』
「――桜咲く今日。新しい制服に袖を通した小さな背中が、春の光に照らされて、とても眩しく揺れる。」
静かな、けれど深く心に染み渡るような少女の声が、朝の淡い空気の中に溶け込んでいく。
本校舎の最上階。マイクやアンプ、そして過去の試合映像のディスクが整然と積まれた小さな放送室。高校1年生になったばかりの天音すずは、両手でしっかりとマイクを握りしめ、大きな窓の外を真っ直ぐに見つめていた。
視線の先では、満開を過ぎてなお美しく舞い散る桜が、校門へと続く坂道を淡いピンク色の絨毯に変えている。
「まだちょっと着慣れない、少し硬いブレザー。学校指定の短いスカートの裾を気にして、そわそわと歩く姿が、とても初々しい」
すずは窓の向こうの景色を愛おしそうに見つめながら、一つひとつの言葉をそっと置くように紡いでいく。マイクが、彼女の静かな衣擦れの音をかすかに拾った。
「新入生の皆さんのカバンの中には、これから始まる毎日の、たくさんの期待が詰められていることでしょう。……おはようございます、桜ヶ丘魔法学校の生徒の皆さん。4月15日、木曜日の朝の定時校内放送です。本日のお相手は、放送部1年の天音すずです」
すずが一度言葉を区切り、小さく息を吸い込む。
窓の外では、遅刻しそうになった生徒たちが、身体強化の魔法を使って教科書を抱えたまま、必死に坂道を駆け上がっていくのが見えた。すずはその様子を優しく目で追いかける。
「今朝は少し風が強いですが、空には雲一つない青空が広がっています。最高気温は18度になるみたいです。これから始まる新しい日々にワクワクして、体調を崩しちゃわないように、こまめな水分補給を忘れないでくださいね。皆さんの新しいスタートが、素敵なものになりますように…。」
すずがマイクに向かって柔らかく語りかけるたびに、彼女の膝近くまである美しいピンク色の長い髪が、机の上でさらさらと揺れた。
「それでは、本日最初の曲をお届けします。Mrs. GREEN APPLEで、『StaRt』。今日という新しい一日が、皆さんの背中を少しだけ押す、素敵な時間になりますように」
すずがフェーダーを滑らかに下げると、弾けるようなイントロのメロディがスピーカーを通じて校舎全体へと広がっていった。
マイクのスイッチをオフにした瞬間、すずは「はぁ……」と小さく息を吐いた。ほんの数分の放送だというのに、彼女の額にはきらりと光る汗が浮かんでいる。
「……相変わらず、朝っぱらから丁寧な仕事してんな、お前は」
カチャリとドアが開き、ブレザーのボタンを外した男が、あくびを噛み殺しながら入ってきた。手には温かい缶コーヒーが握られている。
担当教師であり、放送部の顧問という名目の見張り役でもある、右京徹だった。右京はだるそうにパイプ椅子に身体を預け、すずを見やる。
「当然です、右京先生。放送部の私が、適当な言葉を届けるわけにはいきません」
すずはキッと右京を見つめ、真面目な目で答える。
「はいはい。お前が喋るだけで、ただの登校風景が歴史の一ページみたいに聞こえるから不思議なもんだわ。……だがな、すず。お前、さっき『新入生の皆さん、初々しい』とか言っておきながら、自分自身はどうなんだ?」
「え?」
「お前もその、今日が入学式の高校1年生なんだよ。しかも早生まれで、周りより頭一つ分身体が小さいちびっ子が、どの目線から全校生徒を見守ってんだって話だ」
右京にニヤニヤとからかわれ、すずは途端に顔を真っ赤にした。
「ち、ちびっ子って言わないでください! これでも中学のときからずっと高校部の放送部室に出入りを許されていた、立派な放送部員です!」
ぷくー、と両頬を膨らませてすずが怒った瞬間、部屋の中にハラハラと、数枚の桜の花びらが舞い上がった。すずの持つ魔法《心象花》。感情が一定以上に高ぶると自然に現れる完全な非戦闘魔法だ。今は、彼女の生真面目な怒りと高揚が、淡い桜を咲かせていた。
キーンコーンカーンコーン……。
その時、校舎全体にひときわ大きく、厳かなチャイムの音が響き渡った。入学式の開始を告げる、特別な鐘の音だ。
「わわっ! 大変です、右京先生! 入学式が始まっちゃいます!」
「おいおい、慌てるな。お前が始めた放送だろ」
「だって、遅刻したら新入生の席に座れなくなっちゃいます! とにかく早く講堂に行かないと!」
マイクを丁寧に片付け、カバンを引ったくるようにして肩にかけた。すずは右京にぺこりと一礼して、放送室の重い扉を勢いよく開ける。
走りやすいようにと愛用しているお気に入りのスニーカーが、床を軽快に叩いた。
「置いていきますよ、右京先生!」
「へーへー、走るなよ、ちびっ子。転んでも知らねえぞ」
後ろから聞こえるだるそうな声を背中で受けながら、すずは長い廊下を全力で爆走していく。
自分が走ることで生じる強烈な風を孕んで、彼女の膝近くまである美しいピンク色の超ロングヘアが、背中の後ろでダイナミックに大きく跳ね、なびいた。
これは、戦えない一人の少女が、その声ですべての『主人公たち』の人生を実況する、新しい季節の始まり。
疾走するすずの足元には、風に煽られた桜の花びらが、また新しく一枚、応援するようにそっと絡みついていった。




