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第十五部 第四章 第1話

 ――数日後。


 長く続いていた準備期間が終わり、人族連合軍はついに大規模な進軍を開始した。

 地を踏み鳴らす無数の足音が重なり、馬蹄と車輪の音を巻き込みながら平原へ広がっていく。

 隊列の上では各国の軍旗が風を受け、一定の間隔を保ちながら前方へ進んでいた。


 目指すのは〈ファーレン平原城塞域〉。

 かつて人族側の要衝だったその土地は、現在では魔国軍に占領され、本土防衛へ繋がる前線拠点として使われている。

 魔国本土へ軍を進めるなら、この城塞を敵の手に残したまま先へ進むことはできない。


 湿った風が草原を抜け、兵士たちの鎧や外套を揺らす。

 遠くには低く連なる城塞と、その周辺に設けられた防衛陣地が黒く浮かんでいた。

 砦の上には魔国軍の旗が並び、そのさらに外側まで土塁や防御施設が広がっている。


 今回の進軍を可能にした大きな理由の一つが、長期間建設を続けていた〈大空洞〉だった。

 すべての工事が終わったわけではないが、主要区画と前線運用に必要な設備が完成し、先行稼働が始まっている。

 これによって、人族連合軍は従来とは比較にならない規模の補給を維持できるようになった。


 地下に広がる巨大空間には、転移門と物資搬送用の通路が並べられている。

 食糧、水、武具、矢弾、薬品、術式触媒が次々と運び込まれ、各部隊へ振り分けられていた。

 壁面を走る魔導路には淡い光が流れ、転移門が作動するたびに周囲の空気が細かく震える。


 後方と前線を結ぶ設備が動き始めたことで、兵の交代や負傷者の後送も現実的になった。

 補給部隊はすでに何度も試験輸送を行い、その結果を確認したうえで本格運用へ移行している。

 少なくとも、城塞域を攻略するために必要な兵站は確保されたと判断されていた。


 やがて、人族連合軍の先頭部隊が停止した。

 〈ファーレン平原城塞域〉を囲む魔国軍の防衛線が、肉眼でも確認できる距離まで迫っている。

 幾重にも築かれた土塁の間では魔石陣が赤黒く明滅し、その前方には鎖で繋がれた魔獣が低い唸り声を上げていた。


 城塞の正面には、半透明の結界が複数展開されている。

 砦上の射撃陣地には魔導兵が並び、その後方でも新たな術式が次々と起動していた。

 魔国軍が人族連合軍の進軍を把握し、迎撃準備を終えていることは明らかだった。


 対する人族連合軍も、その場で陣形を広げていく。

 前方には盾兵と重装歩兵。

 その後方に槍兵と騎兵隊が展開し、さらに後ろでは魔導師団が杖を構えている。

 補給隊と治療部隊は戦列から距離を取り、後退路を確保した状態で待機していた。


 戦太鼓が低く鳴る。

 ドン――。

 間を置き、もう一度。

 ドン――。


 兵士たちの視線が、一斉に前へ向いた。

 その最前列で、レティシアは馬上から城塞を見据えていた。

 身にまとっているのは、金の縁取りが施された深紅の軍装。


 肩を守る小型の装甲と純白のマントが風を受け、黒髪がその背後で揺れている。

 腰には、数日前にアリスから返された《フレア=アリア》が収まっていた。

 レティシアはゆっくりと剣を抜く。


「……ここを奪還しなければ、先へは進めない」


 周囲の指揮官たちが表情を引き締める。

 レティシアは城塞を見据えたまま、《フレア=アリア》を高く掲げた。


「――全軍、前へ!」


 号令と同時に、戦太鼓が激しく打ち鳴らされた。

 前線の盾兵が一斉に動き、重装歩兵がその後ろへ続く。

 騎兵隊も左右へ展開し、突撃のための間隔を取りながら速度を上げていった。


 その瞬間、魔国軍の砦から黒い光が立ち上った。


「来るぞ!」


 誰かが叫ぶ。

 次の瞬間、漆黒の炎が城塞上から放たれた。

 複数の黒炎が弧を描きながら人族側へ飛来し、前線をまとめて焼き払うように迫る。


「防御陣、展開!」


 後方の魔導師団が一斉に術式を完成させる。

 蒼白の光が前方へ広がり、複数の防御結界が重なる。

 直後、黒炎が最外層へ激突した。


 轟音。

 結界表面を黒い炎が這い、青白い光との境界で激しく火花を散らす。

 衝撃が大地を伝わり、前列の兵士たちの身体を揺らした。


「止まるな! 前へ!」


 指揮官たちの声が飛ぶ。

 盾兵が結界の下を進み、その後ろから弓兵が一斉に矢を放つ。

 無数の矢が空へ上がり、城塞側から放たれた黒い矢の群れと交差した。


 魔国軍の魔獣を繋いでいた鎖が外される。

 獣たちが咆哮を上げ、土を蹴って前線へ走り出した。

 その巨体が迫るのを見た槍兵たちが隊列を詰め、槍先を揃えて迎え撃つ。


「騎兵隊、右から回れ!」


 レティシアが剣を振るう。

 合図を受けた騎兵隊が進路を変え、魔獣群の側面へ回り込んでいく。

 同時に魔導師団から光弾が放たれ、最前列を走る魔獣へ次々と着弾した。


 爆発とともに土煙が上がる。

 その煙を突き破るように、残った魔獣が人族側の前線へ飛び込んだ。

 盾と巨体が衝突し、兵士が数人まとめて後方へ弾き飛ばされる。


「陣形を崩すな!」


 レティシアは馬を走らせ、そのまま最前線へ向かった。

 《フレア=アリア》を振り抜く。

 刃が魔獣の前脚を斬り裂き、巨体が大きく傾いた。


 続けて馬上から身を捻り、迫っていた魔国兵の槍を剣で弾く。

 返す一撃で胸甲を斬り裂き、その横を駆け抜けた。


「――突撃! ここを突破するぞ!」


 レティシアの声が響く。

 先鋒の騎兵隊が一斉に速度を上げた。

 槍を前へ倒し、土煙を巻き上げながら魔国軍の第一防衛線へ突っ込んでいく。


 魔国兵も槍を揃えて迎え撃つ。

 次の瞬間、双方の前列が真正面から激突した。


 金属が砕ける音。

 馬の嘶き。

 魔法の爆発と兵士たちの叫びが重なり、平原全体へ広がっていく。


 後方からは新たな歩兵部隊が前へ進み、空いた場所を埋める。

 魔導師団は次の術式へ移り、城塞側の結界を削るための集中砲撃を始めた。

 レティシアは前線の中央で《フレア=アリア》を振るい続ける。


 ただ一つ確かなのは――すでに戦いは始まったということだった。


 ――その頃、大空洞。


 前線では、すでに〈ファーレン平原城塞域〉を巡る戦いが始まっている。

 大空洞に残っていたアリスは、前線から届き始めた報告を確認しながら、その名を頭の中で反芻していた。


 〈ファーレン平原城塞域〉。

 その名には覚えがある。

 記録として知っているだけではなく、アリスの中にはレティシアから受け継いだものと思われる記憶が残っていた。


 焦げた風の匂い。

 血と鉄が混じった空気。

 視界を塞ぐ煙と土埃の向こうで、何度も剣を振るう感覚。


 記憶の中では、すでに戦闘が始まっていた。

 人族連合軍と魔国軍が正面から激突し、各所で戦列が崩れては組み直されている。

 その中でレティシアの部隊は敵の圧力に押し分けられ、本隊との間を断ち切られていた。

 やがて周囲を魔国軍に囲まれ、レティシアとリディアだけが敵陣の中へ取り残される。


「背を預けろ!」

「了解!」


 記憶の中のレティシアが振り返ることなく叫び、リディアが即座に応じる。

 二人は背中合わせになり、四方から迫る魔国兵を迎え撃った。

 レティシアが正面の敵を斬り伏せれば、その背後へ回ろうとした兵をリディアの剣が止める。

 互いの死角を埋めながら、押し寄せる敵を一人ずつ確実に退けていった。


 刃と刃がぶつかり、火花が散る。

 結界へ魔法が叩きつけられ、衝撃で足元の土が弾け飛ぶ。

 腕が痺れ、呼吸が乱れても、二人は背中を離さなかった。


 アリスは小さく息を吐く。

 これから起きることが、その記憶と同じになるとは限らない。

 すでに自分が介入したことで、ここまでの歴史にも記憶とは違う結果が生まれている。


 それでも、前線から伝えられている城塞と周囲の地形は、残っている記憶とよく似ていた。

 アリスの知る記録では、この戦いは後に――「ファーレンナイト奪還戦」と呼ばれる。

 前線から届く報告と脳裏に残る記憶を重ねながら、アリスは腰の《ルミナ=コード》へ視線を落とした。


 記憶と同じ戦いになるのか。

 それとも、ここでも違う結果へ進むのか。

 答えはまだ分からない。

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