第十五部 第三章 第19話
フローラは腕を組み、少し考え込むように瞳を伏せた。
やがて静かに息を吐き、視線を斜め下へ落とす。
「……やはり、“時間のずれ”が起きている可能性は高そうね」
低く落ち着いた声が室内に響く。
フローラはゆっくりと顔を上げ、指先で空中に小さな円を描いた。
「現象そのものは単純に見えるけれど、異なる時点が一時的に繋がったと考えれば、今回のことは説明できるかもしれない。レティシアにとっては“ついさっき”でも、アリスにとってはすでに過去の出来事になっていた……そういうことね」
アリスは黙ってその説明を聞いていた。
映像に残された第四層と、つい先ほどそこから戻ってきたレティシアを交互に見る。
「……もしそうなら、私が気になるのは……やっぱり“光の門”かな」
アリスは記憶を辿るように瞳を細めた。
「私が第四層から移動した時も、光の門を通った。レティシアも、第四層では光の門から現れたんだよね?」
「ああ」
レティシアが頷く。
「私が要塞で光に包まれたあと、気づいた時にはあの空間にいた。向こうでは、どうやら光の門から出てきたようだったな」
「だったら、あの門が時間のずれに関係している可能性はあると思う。でも……それ以上は分からないね」
フローラもゆっくりと頷いた。
「そうね。門そのものが原因なのか、それとも別の現象の出口として現れただけなのか、それすら今は判断できないわ」
室内に短い沈黙が落ちる。
レイリスは腕を組んだまま、三人の話を聞いていた。
「……ですが」
その一言に、アリスたちの視線が集まる。
「もし今のお話が正しいのであれば、偶然だと決めつけるのも危険ではありませんか?」
「意図的に……ってこと?」
アリスが尋ねると、レイリスは頷いた。
「はい。誰かがこの現象を起こした可能性も、考えておくべきではないかと」
レティシアの表情がわずかに引き締まる。
「……確かにな。偶然だったと判断できる材料もない以上、その可能性も捨てるべきではないだろう」
フローラは顎へ手を添えた。
「意図的な干渉……か。でも、それを裏付ける痕跡は何も残っていないのよね」
「……うん」
アリスも小さく頷く。
「だから、偶然の可能性もあると思う。あの光の門自体が特殊なものだったのかもしれないし、別の原因があったのかもしれない」
レイリスはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……どちらとも決められない、ということですね」
「そうなるわね」
フローラが答える。
「今あるのは、レティシアが消えたこと、第四層に現れたこと、そしてアリスたちが以前見た記録と今回の体験が一致したこと。そのくらいよ」
レティシアも静かに頷いた。
「原因について考えるのは構わないが、分からないことまで答えにしてしまうのは危険だな」
「うん」
アリスは映像端末へ視線を落とした。
「それに、あの門を調べようにも……今ここにはないしね」
「ええ。少なくとも、私たちの知っている術式体系に、あれと同じものはないわ」
フローラは小さく首を振る。
「構造も術式も確認できていない以上、再現しようにも手掛かりが足りなさすぎる」
「結局のところ、残されたのは“現象”だけ、というわけだな」
レティシアの言葉に、三人もそれぞれ頷いた。
レイリスはまだ納得しきれない様子だったが、それ以上は口を挟まなかった。
映像に映る第四層とレティシアを交互に見ながら、何かを考えている。
アリスも映像へ目を戻した。
深紅の軍装をまとったレティシア。
腰には、アリスから借りていた《ルミナ=コード》。
映像の姿は、レティシアが要塞から消える直前と何も変わっていない。
「……少なくとも」
アリスは静かに口を開いた。
「この映像のおかげで、あの時みんなが会った人がレティシアだったことは分かったね」
「ああ。それだけでも十分な収穫だろう」
レティシアは映像を見ながら小さく笑った。
「以前君から聞いた時は、まさか自分のことだとは思わなかったがな」
「私もだよ」
アリスも苦笑する。
「ずっと誰だったんだろうって思ってたから」
フローラが映像を見つめながら、静かに息を吐いた。
「原因は分からなくても、ひとつ謎が解けたのは確かね」
「……そうだな」
レティシアはそこで腰へ手を伸ばした。
そして、下げていた《ルミナ=コード》を鞘ごと外す。
「では、これも返しておこう」
アリスが目を瞬かせる。
「《ルミナ=コード》……」
「もともと君から借りていたものだからな。随分と長く借りてしまった」
「長くって……レティシアにとっては一日も経ってないでしょ?」
「こちらへ戻ってきたことを考えれば、十分長い気がするぞ」
「そういうもの?」
「そういうものだ」
レティシアが差し出した《ルミナ=コード》を、アリスは両手で受け取った。
手に馴染んだ重みが戻ってくる。
魔力を流すと、青白い光が刀身へ淡く走った。
「……おかえり」
アリスが小さく呟く。
《ルミナ=コード》はその魔力に応えるように、もう一度だけ淡く瞬いた。
「……そんなに私が嫌だったのか?」
レティシアが冗談めかして言う。
「ち、違うよ! そういう意味じゃないって!」
アリスが慌てて首を振る。
「ちゃんとレティシアにも応えてたでしょ? 私だって、なんで使えたのか分からないんだから」
「それもそうだな」
レティシアは腰に手を当て、少しだけ名残惜しそうに《ルミナ=コード》を見る。
「結局、なぜ私を受け入れたのかは分からないままか」
「うん。そこは今でも謎だね」
フローラも興味深そうに二人を見る。
「アリスとレティシアの魔力波形がかなり近いことと、魂の色が似ていることは分かっています。でも、それだけで《ルミナ=コード》が受け入れたとまでは言い切れませんね」
「やっぱり分からないことばっかりだな」
レティシアが苦笑する。
「今回の件も含めて、な」
「本当にね」
アリスも笑ったところで、ふと思い出したように顔を上げた。
「あっ」
「どうした?」
「返すの、こっちもだった」
アリスは自分の傍らへ手を伸ばし、借りていた《フレア=アリア》を手に取った。
「はい。《フレア=アリア》」
「おお、そうだった」
レティシアは差し出された剣を受け取る。
鞘ごと腰へ戻すと、そこに本来あるべきものが収まったことを確かめるように、軽く柄へ触れた。
「これで元通りだな」
「うん」
アリスも《ルミナ=コード》を腰へ戻した。
互いの剣が、それぞれの手元へ帰っている。
ほんの少し前までなら当たり前だった状態が、今は妙に安心できた。
レティシアは《フレア=アリア》の柄へ手を置きながら、小さく息を吐く。
「しかし……《ルミナ=コード》も悪くなかったな」
「気に入ってたよね」
「当然だ。あれだけ素直に応えてくれる剣は珍しい」
「返したくなくなってない?」
「……少しだけ」
「やっぱり!」
アリスが思わず笑う。
フローラも口元を緩め、レイリスまで小さく息を吐いた。
アリスは腰の《ルミナ=コード》へそっと手を置く。
「でも……帰ってきてくれて、本当に嬉しい」
その言葉に応えるように、《ルミナ=コード》が淡く光った。
アリスはその光を見つめてから、今度は目の前のレティシアへ視線を向ける。
剣も戻った。
レティシアも戻ってきた。
まだ答えの出ないことは多い。
それでも今は、それで十分だった。




