第十五部 第三章 第17話
――ガンッ!
分厚い扉が弾け飛ぶように開いた。
鉄製の金具が壁に叩きつけられ、重低音の衝撃が部屋全体に響き渡る。
卓上のランタンの炎が大きく揺さぶられ、影が壁に跳ね返るように踊った。
暗がりを切り裂くように飛び込んできた人影は、一歩の迷いもなく石床を蹴り、重い靴音を立てながら一直線にアリスへ迫る。
「――っ!」
アリスが目を瞬かせる間もなく、その影は目前まで迫っていた。
鋭い靴音が唐突に止まり――次の瞬間、アリスの胸元に激しい衝撃が叩き込まれる。
息が一瞬で奪われ、身体が後ろへと持っていかれる。
反射的によろめきかけた身体は、しかし強い腕にがっちりと捕らえられていた。
「アリス! アリス!!」
耳元で響く声は熱を帯び、弾む息とともに迸る。
黒髪が舞い上がり、柔らかな香りが鼻先をかすめた。
抱き寄せられた腕は容赦なく強く締めつけられ、骨の軋みすら感じるほどの力が込められている。
胸元には確かな体温があり、激しく脈打つ鼓動まで伝わってきた。
「レティア・エクスバルドに会ったぞ!!」
その叫びには、歓喜と昂揚がそのまま乗っていた。
不意を突かれたアリスは瞳を大きく見開き、完全に硬直する。
「……え?」
思考が追いつかない。
だが、抱きしめている人物が誰なのかだけは、考えるまでもなかった。
フローラは反射的に立ち上がろうとしたが、途中で力が抜け、椅子の背へ手をついた。
「……っ」
震える指先が卓の端へ伸びる。
レティシアが目の前にいるという事実を、まだ理解しきれていないようだった。
一方、レイリスは椅子から立ち上がると、即座に腰の剣へ手を伸ばした。
何が起きたのか判断できないまま、身体だけが先に警戒態勢へ入っている。
その瞬間、アリスへ抱きついたままのレティシアが声を弾ませた。
「それに……あの星空の空間も面白かった。まるで“月面歩行”を体験しているようでな。重力の違いを確かめられるとは思わなかったぞ」
子どものように無邪気な笑みを浮かべながら、レティシアは楽しそうに話し続ける。
黒髪がアリスの肩越しにさらりと流れ、ランタンの淡い光を受けて揺れた。
そのあまりにも場違いな明るさに、つい先ほどまで部屋を満たしていた重苦しい空気が強引に吹き飛ばされていく。
フローラは卓へ手をついたまま、何度か瞬きを繰り返した。
レイリスも剣の柄を握ったまま、目の前の人物を凝視している。
そしてアリスは――抱きしめられたまま固まっていた。
「ちょ、ちょっと――!? きゃああああ!!!」
ようやく声を取り戻したアリスが、顔を真っ赤に染めながら悲鳴を上げた。
その叫びは分厚い壁を越え、廊下の奥まで響いていく。
――その直後。
廊下の向こうから、複数の足音が一斉に近づいてきた。
「何事だ!」
開け放たれたままの扉から、先頭にオルトが飛び込んでくる。
その後ろには、武装した兵士たちが続いていた。
オルトの鋭い眼差しが室内を一瞬で捉える。
アリスへ抱きついているレティシアと、完全に硬直しているアリス。
わずか一拍。
「……レティシア。さすがに、それはダメだろ?」
呆れ混じりの声が落ちた。
だが、その後ろから飛び込んできた兵士たちは、状況を確認するより先に武器へ手を伸ばしていた。
鞘から刃が抜かれ、盾が前へ出される。
「な、なぜアリス様に――!」
「侵入者か!? 捕らえろ!」
前列の兵士が一歩踏み出しかけた、その瞬間だった。
「待って!」
アリスが鋭く声を上げる。
レティシアに抱きつかれたまま、必死に身体を離そうとしながら兵士たちへ顔を向けた。
「みんな、剣を下ろして! ……これは、その……!」
言いかけて、言葉が止まる。
レティシアが突然戻ってきた。
しかも扉を勢いよく開け、いきなり自分へ抱きついた。
どう説明すればいいのか、アリスにも分からなかった。
「……はぁ」
フローラが椅子へ深く腰を落とし、片手で顔を覆った。
「どう説明すればいいのかしら……」
レイリスは剣へ添えていた手をわずかに緩めた。
しかし完全には離さず、レティシアの姿を注意深く確認している。
そんな張り詰めた空気をものともせず、当のレティシアはようやくアリスから身体を離した。
「いやはや、すまないな」
少し照れたように笑う。
「久しぶりに胸が躍ってしまって……つい、取り乱した」
「取り乱したっていうレベルじゃないよ!」
アリスがすぐさま返す。
「扉もすごい音したし! いきなり抱きついてくるし!」
「む……確かに少し勢いが強かったか」
「少し!?」
そのやり取りを聞きながら、兵士たちの間に戸惑いが広がっていく。
オルトは最初からレティシア本人だと分かっている。
その様子を見ていた前列の兵士も、ようやく目の前の人物を落ち着いて見直した。
深紅の軍装。
純白のマント。
そして、見慣れた黒髪と声。
「……レティシア様……?」
一人の兵士が呆然と呟いた。
その声をきっかけに、周囲の兵士たちの表情が変わる。
「え……?」
「本当に……レティシア様……?」
剣先がゆっくりと下がっていく。
やがて、完全に本人だと理解した兵士たちは慌てて武器を収めた。
続いて一斉に片膝をつき、深く頭を垂れる。
「し、失礼いたしました!」
「まさか、総督閣下とは……!」
狭い室内に、慌てた声が重なった。
レティシアはそんな兵士たちを見渡し、表情を少しだけ引き締める。
「気にするな。突然飛び込んできた私が悪い」
先ほどまでの無邪気な笑顔とは違う。
総督としての落ち着いた声音だった。
「見ての通り、怪我もない。騒がせたな」
その一言で、兵士たちの間に残っていた緊張がほどけていく。
「……レティシア、無事だったの?」
「ふふ、心配をかけたな」
レティシアは柔らかく笑う。
その言葉を聞いた瞬間、アリスの肩からようやく力が抜けた。
レイリスも深く息を吐き、剣から手を離す。
「……戻られたのなら、もういい。だが……心臓に悪い」
低く吐き出された声には、疲労と安堵が混じっていた。
フローラは完全に力が抜けたように卓へ突っ伏す。
「……もう、本当に……」
その肩が小さく上下している。
オルトが一歩前へ出た。
「問題ないんだな?」
アリスは姿勢を正し、はっきりと頷く。
「うん。ありがとう、オルト。大丈夫」
「よし」
オルトは小さく息を吐き、レティシアへ視線を向けた。
「――済まんが、仲良しはもう少し小さい声でやってくれ。こっちの心臓が保たん」
「む?」
「レティシアのせいだよ!」
「そうなのか?」
「そうだよ!」
オルトが苦笑する。
そのやり取りに、兵士たちの緊張もようやく薄れていった。
「撤収!」
「はっ!」
オルトの声に、兵士たちは一斉に立ち上がる。
整然と列を作り、そのまま順に部屋から退いていった。
最後の兵士が退出すると、オルトも扉の前で足を止める。
「じゃあ、あとは任せる」
「ありがとう」
アリスが答えると、オルトは片手を上げて廊下へ出ていった。
今度こそ重い扉がゆっくりと閉じられる。
低い軋みを残しながら閉ざされると、室内へ再び静けさが戻ってきた。
部屋に残ったのは、アリス、フローラ、レイリス、そして戻ってきたレティシア。
ランタンの淡い光が、四人の影を壁へ伸ばしていた。
つい先ほどまで、この場所ではレティシアをどう探すのか話し合っていた。
フローラは《封印核》を使う覚悟まで決めていた。
その本人が今、何事もなかったかのように目の前に立っている。
アリスはしばらくレティシアを見つめたあと、ようやく大きく息を吐いた。
安堵したはずなのに、聞きたいことは山ほどある。
そして何より――。
「……それで」
アリスはゆっくりと目を細めた。
「レティア・エクスバルドに会ったって……どういうこと?」
レティシアの顔が、再びぱっと明るくなった。




