第十五部 第三章 第13話
新しい魔導剣《フレア=アリア》は、手に吸いつくように馴染んだ。
柄の革はしっとりと掌に寄り添い、わずかな動きにも遅れなく応じる感触が、指先から腕へと自然に伝わっていく。
重心もよく計算されていて、軽く振るだけで刃が自然と軌道を描く。
余計な力を加えなくとも意図した軌跡をなぞり、身体の動きと一体化するような操作感を生んでいた。
形も重さも、戦士として不足はまったくない。
むしろ実用品としては申し分なく、鍛冶と術式を兼ねた技術が惜しみなく詰め込まれていた。
それでも――レティシアの胸奥には、ぽっかりと小さな空白が残っていた。
満たされているはずの手応えとは裏腹に、どうしても埋まらないものがある。
彼女は刃を覗き込みながら、ゆっくりと息を吐く。
吐息はわずかに白く、空気の中へ溶けていった。
「……拒絶は、しないんだな」
《フレア=アリア》は静かにそこに在る。
彼女を拒むこともなく、特別な反応を返すこともない。
持ち主を選ばず、誰の手でも扱えるように設計された剣。
それは武器として考えれば、むしろ大きな長所だった。
だからこそ、レティシアには《ルミナ=コード》との違いがはっきりと分かってしまう。
魔導剣《ルミナ=コード》。
あの剣が見せたのは、単純な性能だけではなかった。
同調者の魔力と心に応じ、まるでこちらの動きを先に知っているかのように刃が馴染む。
レティシアが手にしても拒絶せず、初めて触れたはずなのに、不思議なほど自然に応じてくれた。
なぜ自分にもあれほど馴染んだのか、その理由は今も分からない。
それでも、あの特別な感覚だけは確かに残っていた。
新しい剣を握る手に力を込める。
返ってくるのは、確かな重みと、優れた武器としての手応えだった。
何一つ不満はない。
それなのに、レティシアは小さく唇を噛んだ。
(……贅沢なのは分かってる)
(それでも……あの響きが、少し恋しい)
まるで、長く共に戦ってきた戦友を恋しがるような感覚だった。
本当にそうだったのかは分からなくても、レティシアにはそう思えてしまうほど《ルミナ=コード》の感触が強く残っていた。
そんなレティシアを見ていたアリスが、苦笑しながら声をかける。
「……寂しい?」
「……ちょっと、な」
レティシアは子どものように小さく唇を尖らせ、《フレア=アリア》へ目を落とした。
アリスは少し考え込んだあと、柔らかな笑みを浮かべる。
「……じゃあ、明日の朝までは《ルミナ=コード》を持っていていいよ」
その言葉を聞いた瞬間、レティシアの表情がぱっと明るくなった。
「おお……!」
そして、何を思ったのか両手を胸の前で組み、そのまま膝をついた。
「おお、神よ! 慈悲深きアリスよ! 《ルミナ=コード》を、そして新しき友《フレア=アリア》をも受け入れる寛大さよ!」
突然の大仰な行動に、周囲の者たちが一斉に振り返った。
口元を押さえる者もいれば、ぽかんとレティシアを見つめる者もいる。
「ちょ、ちょっと!」
アリスは顔を真っ赤にして、慌ててレティシアの前へ出た。
「《ルミナ=コード》も《フレア=アリア》も、神聖な祭具みたいに扱わないでよ、レティシア!」
しかしレティシアは膝をついたまま、大真面目な顔で声を張り上げる。
「あなたに永遠の祝福を! 我が魂は《ルミナ=コード》との再会に歓喜し、《フレア=アリア》との旅立ちに感謝しております!」
「やめなさいってば!」
アリスが腕を引っ張るが、レティシアは膝立ちのまま動かない。
その姿を見て、周囲からとうとう笑い声が漏れ始めた。
「ぷっ……」
「あはは……」
ひとつ漏れた笑いにつられるように、あちこちから笑い声が重なる。
レティシアはそれでも真剣な顔を崩さなかった。
アリスは頬を真っ赤にしたまま、レティシアを睨みつける。
「……もうっ!」
現地のフローラはそんな二人を見ながら、腕を組んで小さくため息をついた。
「ほんとに……舞台でもやってるみたいね。観客まで巻き込んで」
「舞台じゃない、真心だ!」
「はいはい」
現地のフローラが手をひらひらと振る。
その返事に、周囲からまた笑い声が上がった。
やがて、アリスがひとつ咳払いして声を張る。
「……じゃあ本当に、明日の朝までだからね! 《ルミナ=コード》は返すんだから!」
「……!」
レティシアの顔がぱっと輝き、両手が再び胸の前へ動きかける。
「ちょ、ちょっと、もう拝まなくていいから!」
先回りされたレティシアが動きを止める。
それを見て、周囲が再び笑いに包まれた。
レティシアは《ルミナ=コード》を胸へ抱き、腰の《フレア=アリア》を誇らしげに撫でる。
「じゃあ今日は、この二振りを大事に抱いて寝る!」
「はあっ!?」
アリスが素っ頓狂な声を上げる。
現地のフローラは額に手を当て、深々とため息をついた。
「……本当に舞台劇の主人公みたいね、あなた」
周囲の笑い声はさらに大きくなり、その日の訓練場は剣をめぐる騒動で明るい声に包まれていた。
笑い声がひと段落したころ、現地のフローラがそっとアリスの隣へ立った。
「……ありがとうね、アリス」
「え?」
アリスが振り返る。
「こんなにも笑うレティシアを見るのは……多分、私たちは初めてよ」
先ほどまでとは違う穏やかな声だった。
「これも全部、あなたがここに来てくれたおかげ」
「本当に、ありがとう」
アリスの頬が赤く染まる。
思わず視線を逸らし、両手の指をもじもじと動かした。
「そ、そんなことないよ……私は、ただ……」
言葉を濁すアリスを見て、現地のフローラは微笑み、そっと肩に手を置いた。
――その時。
「何をコソコソしてるんだ~!」
明るい声とともに、レティシアが勢いよく二人の間へ顔を突っ込んだ。
「えっ!? ちょ、レティシア!」
アリスが驚いて身体を跳ねさせる。
現地のフローラは肩をすくめて苦笑した。
「まったく……レティシアは空気を読むのが下手なんだから」
「だって二人で内緒話してるから気になるじゃないか!」
大真面目に言い返すレティシアを見て、アリスは呆れたようにため息をつく。
けれど、結局は堪えきれずに笑い声をこぼした。
現地のフローラも口元を緩める。
「この調子なら、剣がなくても……レティシアがいるだけで戦場は明るくなりそうね」
「ちょっと待て! それって褒めてるのか、からかってるのか!?」
「もちろん褒め言葉よ」
現地のフローラがあっさりと答える。
アリスは再び吹き出した。
レティシアも少し遅れて笑い始め、三人の声が重なる。
その夜も、互いに茶化し合いながら、時折真面目な話を交え、笑い声は遅くまで途切れなかった。
――そして翌朝。
まだ外には夜の気配がわずかに残り、冷たい空気が要塞を包んでいた。
アリスは目を覚ますと、寝ぼけ眼を擦りながら隣室の扉をそっと押し開けた。
視線がベッドへ向いた瞬間、動きが止まる。
そこには、すやすやと安らかな寝息を立てるレティシアの姿があった。
戦場で見せる鋭さなどどこにもなく、穏やかな表情で眠っている。
その両腕には、同調鞘に収められた《ルミナ=コード》がしっかりと抱きしめられていた。
鞘の隙間から漏れる青白い光が、朝の淡い光の中で静かに揺れている。
レティシアは大切なものを守るように同調鞘へ頬を寄せ、わずかに口元を緩ませていた。
さらに枕元には、《フレア=アリア》が丁寧に置かれている。
光の剣と炎の剣を、どちらも手放したくないと言わんばかりの光景だった。
「……ほんとに抱いて寝てるし!」
アリスは思わず小声で突っ込み、額へ手を当てる。
背後から覗き込んだ現地のフローラも目を瞬かせ、やがて口元を押さえて笑った。
「……有言実行にも程があるわね。というか、欲張りすぎでしょう」
二人が声を潜めて笑っていると、レティシアがふいに寝返りを打った。
柔らかな髪が頬へ流れ落ちる。
そして、閉じたままの唇がわずかに動いた。
「……ダメ……この子たちは……渡さない……」
寝息に溶けるような声だった。
アリスと現地のフローラは顔を見合わせる。
次の瞬間、二人は声を殺して吹き出した。
肩を震わせながら笑いを堪えるアリスの目には、うっすらと涙まで浮かんでいる。
「……返してもらうからね、レティシア」
もちろん、眠っている本人から返事はない。
「……ダメ……」
「寝ながら拒否しないでよ!」
小さな突っ込みに、現地のフローラがまた吹き出す。
こうして新しい一日の始まりも、やはり笑いと温かさに包まれたまま訪れた。




