第十五部 第三章 第6話
右側へ分断した魔国軍をほぼ壊滅させたことで、第一陣の戦線には一時的な余裕が生まれていた。
谷の反対側では依然として敵の後続がセリオナの結界を攻め続けているものの、先ほどまで続いていた右側からの激しい攻撃は止んでいる。
味方の兵士たちから歓声が上がり、押し返したという確かな手応えが戦場へ広がっていった。
だが、後方支援地点で分析表示を見つめていたフローラだけは、その歓声に加わらなかった。
表示の端には、これまで確認できなかった魔力反応が次々と浮かび上がっている。
「……おかしい」
フローラが眉をひそめる。
「敵の魔力反応が増えてる……しかも、こっちとは別」
隣にいたレイリスが、すぐに表示へ目を向けた。
「別の部隊ですか?」
「うん。それも……かなり大きい」
フローラは分析範囲を北東へ広げた。
谷へ進軍してきた部隊よりさらに北側、森の奥を回り込むように幾つもの反応が移動している。
「さっきまで、ほとんど反応が出てなかった……魔力を抑えて移動してたんだ」
フローラはすぐに通信を開いた。
「エリシア、聞こえる?」
『聞こえる。どうした?』
「北東側に新しい大規模反応。いま戦ってる部隊とは別だよ」
『何だと?』
通信へレティシアの声も割り込む。
『規模は?』
「まだ全部は拾えてない。でも……こっちより大きい」
短い沈黙が落ちた。
『……まさか』
レティシアが低く呟いた直後、要塞の方角から重い轟音が響いた。
ドォォン……!
遠く離れた谷にまで大地を伝った振動が届き、レティシアが即座に要塞の方角を振り返る。
『フローラ!』
「要塞側で大規模な魔力反応!」
分析表示へ新たな光点が次々と現れ、これまで森の奥に隠れていた反応が一斉に強まり始めた。
「……これ、これまで斥候が確認してた約二千とは別だよ」
『別……?』
「うん。魔力をほとんど外へ漏らさずに、北側の森を回ってたみたい」
リディアが重盾を握りしめる。
『つまり……こちらへ出てきた部隊は――』
レティシアの表情が変わった。
『囮だった可能性がある』
これまで把握していた魔国軍の後方に、別の大規模部隊が潜んでいた。
谷へ兵力を引きつけている間に、その部隊が別経路から要塞へ接近していたのだ。
『急ぎ戻るぞ!』
レティシアが剣を上げる。
『要塞を落とされれば終わりだ! 第一陣は撤収準備! 左側を牽制しながら順次下がれ!』
『了解!』
エリシアの返答と同時に、戦場の空気が再び大きく動き始めた。
――ゴォォォン……!
要塞全体が大きく揺れ、高台にいたアリスはとっさに壁へ手をついた。
足元から突き上げるような衝撃が走り、石造りの壁から細かな砂埃が落ちてくる。
「な、何……!?」
次の瞬間、要塞内へ警鐘が鳴り響いた。
「敵襲!」
「北東側へ大規模魔力反応!」
「結界班、急げ!」
兵士たちが一斉に走り出し、要塞の中が慌ただしくなる。
《アリス!》
(うん……分かる!)
要塞の外から、膨大な魔力が押し寄せていた。
まだ防壁そのものへ敵兵が取りついているわけではないが、遠距離から放たれた魔術が外郭結界へ次々と叩きつけられている。
ドォンッ!
再び大きな衝撃が走り、赤い魔力灯が揺れた。
廊下の奥からは、兵士たちの怒号が次々と聞こえてくる。
「……敵の大軍が、こっちへ来てる……!」
《レティシアたちは谷から戻る途中だよ。このままだと、先に要塞へ届く》
アリスは拳を握りしめた。
脳裏に浮かんだのは、昨日見つけた《ヴァルキリーVer3》だった。
適合できる保証はなく、正常に動く保証もない。
それでも、何もしないまま待っている時間はもう残されていなかった。
《アリス、どうする?》
アリスは一瞬だけ目を閉じ、すぐに顔を上げた。
「……行こう、フローラ」
《うん》
「あれを起動させる!」
アリスは高台を飛び出し、兵装庫へ向けて駆け出した。
警鐘の響く廊下を駆け抜ける間にも、兵士たちが装備を抱えて行き交い、各所から防衛配置を指示する声が飛んでいた。
アリスはその人の流れを縫うように進み、兵装庫へ続く通路へ向かう。
「……急がなきゃ!」
角を曲がったところで、聞き覚えのある声が飛んできた。
「アリス!?」
「えっ?」
思わず足を止めると、そこには鎧を身につけたオルトがいた。
彼は周囲の兵士へ指示を飛ばしていたが、アリスの姿を見つけると驚いたように目を見開く。
「お前、どこへ行くつもりだ!?」
「……オルト……」
その姿を見た瞬間、アリスの胸が強く締めつけられた。
もし、この戦いが自分の知る要塞攻防戦と同じものなら、記録ではオルトは――。
《アリス》
(……分かってる)
まだ決まったわけではない。
ここが本当に過去なのかも、この戦いが本当に同じなのかも分からない。
アリスは浮かびかけた考えを振り払い、オルトを真っ直ぐ見た。
「……どうしても、やらなきゃいけないことがあるの!」
オルトは一瞬、困惑したように眉を寄せた。
だが、アリスの表情を見ると、それ以上問い詰めることはしなかった。
「……分かった」
「え?」
「何をする気か知らないが、無茶だけはするなよ」
「……うん」
「気をつけろ!」
オルトはそう言い残し、再び兵士たちへ指示を飛ばし始めた。
アリスは一度だけその背中を見つめると、すぐに前を向いて兵装庫へ向けて走り出した。
重厚な兵装庫の扉を押し開けると、昨日と変わらない冷たい空気が流れてきた。
その奥では、《ヴァルキリーVer3》が静かに眠っている。
「……行くよ」
《準備できてる》
アリスは白銀の装甲へ手を当てた。
「お願い……動いて!」
魔力を流し込むと、低い機構音とともに青白い紋様が一つ、また一つと点灯していく。
ゴウン……。
「……!」
眠っていた内部回路へ魔力が流れ始め、装甲各部から微かな駆動音が聞こえた。
《起動反応あり!》
「動いた……!」
《アリス、そのまま魔力を流して! 適合状態を確認する》
「うん!」
アリスがさらに魔力を送り込むと、装甲各部がゆっくりと展開を始めた。
青白い光が機体全体を走り、内部から淡い魔力が溢れ出していく。
ゴウン……ゴウン……!
《適合率……九十八%》
「九十八……?」
《高いよ。全系統、起動できる》
アリスは思わずVer3を見上げた。
「……本当に、使えるんだ」
《うん。でも理由まではまだ分からないからね》
「分かってる」
ドォォォンッ!
「っ!」
要塞が再び大きく揺れ、天井から砂埃が落ちた。
魔力灯も激しく明滅し、外から続けて低い轟音が聞こえてくる。
《アリス、もう時間がない!》
「……うん!」
アリスは《ヴァルキリーVer3》の中心部へ駆け寄った。
「装着する!」
《了解!》
認識用の魔法陣がアリスの足元へ広がり、展開していた装甲が一斉に動き始める。
白銀の装甲が腕、脚、胸元へ次々と装着され、最後に背部ユニットが固定された。
「……っ!」
青白い紋様がアリスの魔力に合わせて脈動し、全身を強い魔力が駆け抜けていく。
装備そのものの重さはあるが、不思議と身体の動きを妨げる感覚はなかった。
《リンク完了! 全系統正常!》
アリスはゆっくりと手を握る。
装甲は身体の動きへ僅かな遅れもなく追従し、まるで以前から使っていたかのように自然に動いた。
「……すごい」
《アリス、いける?》
「うん」
アリスは《ルミナ=コード》を握り直した。
「――行こう!」




