第十五部 第三章 第5話
少し離れた後方では、マリナ・ヴァルステラが負傷者の搬送路と前線の双方を確認していた。
「治癒班、第一陣の後ろへ! 結界の外には出ないで!」
「はい!」
淡い光がマリナの両手へ集まる。
「《ヒール・フィールド》!」
暖かな光が地面へ広がり、負傷した兵士たちを包み込んだ。
傷口が塞がり、前線から下がってきた者たちの呼吸も少しずつ整っていく。
「無理に戻らなくていいわ! 動ける者だけ前へ!」
マリナは治癒を続けながら、次々と兵士たちへ指示を出した。
さらに後方、要塞側へ続く街道付近では、フローラとレイリスが待機していた。
フローラの周囲には複数の分析表示が浮かび、谷で起きている魔力変化が次々と映し出されている。
「第一陣、分断成功」
表示を確認し、フローラが息を吐く。
「いまのところ予定通りだね」
レイリスは双刃を背負ったまま、街道の先を見つめていた。
「援軍からの連絡は?」
「もう少しかかるみたい」
「了解」
二人はまだ動かず、後方支援と援軍受け入れ、そして状況が崩れた時に動く遊軍として戦況を見守っている。
レティシアから与えられた役割を守り、前線へ飛び出すことなく状況を確認していた。
谷の中央ではセリオナの結界が再び激しく揺れ、後続の魔国軍が障壁へ魔術を集中させ始めていた。
「セリオナ!」
「まだ持つ!」
セリオナは両手を結界へ向け、魔力を流し込む。
「ここは絶対に通さない!」
光の障壁が再び強く輝いた。
その間に、第一陣は分岐側へ押し出された敵部隊へ攻撃を集中させる。
「イリア、右へ!」
「任せろ!」
イリアが炎を纏った双剣を振り抜き、敵兵を一人、二人と切り崩しながら、そのまま隊列の中央へ踏み込んだ。
「《フレア・クロス》!」
二本の炎が交差し、敵陣の中央で爆炎となって弾ける。
密集していた魔族たちが、左右へ大きく吹き飛ばされた。
「突っ込みすぎるな!」
「分かってるって!」
返事をしながらもイリアはすぐに一歩下がり、その隙を埋めるようにエリシアが前へ出た。
「前列、押し込め!」
剣を振り抜いて崩れた敵の流れをさらに分断し、周囲の兵士たちもその指示へ従って一斉に前進する。
森側からは、カティアの魔導矢が途切れることなく飛んでいた。
「次、右奥!」
カティアの一射が敵の術者を捉え、詠唱を終える前にその身体が崩れ落ちる。
「その後ろ!」
二射目が別の魔族を射抜き、続く詠唱を途中で止めた。
カティアは前へ出ず、森の中を移動しながら狙うべき相手だけを正確に射抜いていく。
そして第二陣では、谷のさらに後方で待機していたレティシアとリディアが、分断線から抜け出してくる敵を迎え撃っていた。
「来るぞ!」
リディアが重盾を構える。
結界の端を迂回しようとした魔族の一団が、斜面を駆け上がってくる。
「突破は許さん!」
巨盾が振り抜かれ、最前列の敵が正面から弾き飛ばされる。
その後ろにいた者たちまで巻き込まれ、斜面の途中で次々と転倒した。
その横を、青白い光が駆け抜ける。
「――遅い!」
《ヴァルキリーVer四》を纏ったレティシアが一気に間合いへ踏み込み、走った剣閃が立ち上がろうとした魔族の武器をまとめて切り払った。
「リディア、右!」
「了解!」
リディアが盾を滑らせるように移動し、別方向から突破しようとした敵を押し戻す。
レティシアはその空いた位置へ入り込み、剣を横薙ぎに振り抜いた。
青白い閃光が走る。
「ぐあっ!」
敵の一団がまとめて吹き飛ばされ、斜面を転がり落ちていった。
レティシアは追わず、谷の全体を見渡して第一陣と結界の位置を確認する。
「……いい」
アリスが示した地点で敵を切り離し、一度に戦う数を減らす作戦は、予定通り機能していた。
「第一陣へ伝令!」
「はい!」
「予定通り、先に右側を潰す! 左側は結界と第二陣で押さえる!」
命令を受けた伝令兵が、第一陣のもとへ走り出した。
要塞の高台では、遠くの戦場を見つめていたアリスにも、軍勢の流れが二つへ割れたのが見えた。
「……分断した」
《うん。アリスの作戦、うまくいってる》
アリスは僅かに息を吐いたものの、胸に残る緊張までは消えなかった。
記録の中にある要塞攻防戦では、この先に要塞の陥落が待っている。
ただし、今目の前で起きている戦いが、本当にその記録と同じものなのかはまだ分からない。
(……このまま勝てれば……)
《アリス》
(分かってる)
アリスは小さく頷く。
(まだ安心しちゃだめだよね)
《うん》
視線の先で、また大きな光が弾けた。
「まずは右側を叩く!」
伝令を受けたエリシアが声を上げる。
「イリア、正面! カティアは指揮系統を潰せ!」
「了解!」
「任せて!」
イリアが敵軍へ突っ込み、炎の双剣が弧を描いて、崩れかけた前列を一気に薙ぎ払った。
「うおおおッ!」
敵兵が次々と倒れる中、奥からさらに大柄な魔族が前へ出てくる。
「まだ来るか!」
巨大な斧が振り下ろされ、イリアは双剣を交差させて正面から受け止めた。
「くっ……!」
足元の地面が沈んだその瞬間、横から一本の魔導矢が飛び、大柄な魔族の腕を射抜いた。
「今!」
「助かる!」
イリアが斧を弾き上げ、身体を回転させながら炎の刃を胴へ叩き込む。
「ハァッ!」
巨体が後方へ吹き飛ばされた。
少し後ろでは、エリシアが全体の流れを見ながら前線を調整していた。
「左へ寄りすぎるな! 結界側へ押し込め!」
兵士たちが応じ、敵部隊は少しずつ逃げ場を失いながら狭い範囲へ追い込まれていく。
「セリオナ、まだいけるか!」
「問題ない!」
谷を塞ぐ障壁は、激しい攻撃を受けながらも維持されている。
後続の敵は前へ進めず、先に分断された部隊にも援軍が届かない。
マリナの治癒支援を受けた兵士たちが前線へ戻り、第一陣の勢いはさらに増していった。
「押せ!」
エリシアの号令に、イリアがすぐさま応える。
「一気にいくぞ!」
炎と剣閃、さらに森から飛来する魔導矢が三方向から重なり、右側へ分断された魔国軍の隊列を大きく崩していく。
それでも敵は退かず、残った兵が密集して最後の抵抗を見せる。
その時、遠く第二陣の位置から強烈な青白い魔力が立ち上がった。
「……レティシア!」
イリアが思わずそちらを見る。
《ヴァルキリーVer四》の翼を広げたレティシアが谷の上空へ僅かに浮かび上がり、剣へ集まった魔力が青白い光となって刃を包み込んだ。
「第一陣、退け!」
エリシアが即座に叫ぶ。
「全員、後退!」
イリアたちが一斉に距離を取った次の瞬間、レティシアが剣を振り抜いた。
「――光よ、我が刃に集え!」
巨大な青白い斬撃が谷を走り、右側へ分断されていた魔国軍の中央を一直線に貫く。
密集していた敵兵がまとめて吹き飛び、轟音が谷全体へ響き渡った。
立ち上った土煙の向こうで、敵の隊列が完全に崩れる。
「今だ!」
エリシアが前へ出る。
「残敵を叩く!」
「おおッ!」
味方の兵士たちが、一斉に突撃した。
やがて右側へ分断された魔国軍の抵抗は急速に弱まり、逃げ始めた敵をカティアが牽制する。
その間にもイリアとエリシアが前線を押し上げ、残る隊列をさらに崩していった。
「右側、ほぼ壊滅!」
伝令の声が飛び、兵士たちから一斉に歓声が上がった。
「やったぞ!」
「押し返した!」
「作戦成功だ!」
イリアも双剣を肩へ乗せ、大きく息を吐く。
「よっしゃあ!」
「まだ終わってない!」
エリシアがすぐに釘を刺す。
「分かってるって!」
そう答えながらも、イリアの口元には笑みが浮かんでいた。
後方では、マリナが次々と戻ってくる負傷兵を受け入れていた。
「重傷者を先に! 歩ける人はそのまま座って待って!」
治癒光が絶え間なく広がる中、セリオナも障壁を維持したまま額の汗を拭った。
「……右側は終わったみたいね」
「次は左だね」
マリナが前線を見ながら答える。
後方支援地点では、フローラの分析表示からも右側敵部隊の反応が急激に減っていることが確認できた。
「右軍、ほぼ沈黙」
レイリスが小さく息を吐く。
「順調ですね」
「うん。今のところはね」
フローラは別の表示へ目を向ける。
左側にはまだ大きな魔力反応が残っていたが、分析表示の端に別の異変が現れ始めていた。
「……でも」
「どうしました?」
「何か変」
フローラの表情が僅かに曇る。
谷のさらに北東、魔国軍が進んできた方角から、新しい魔力反応が幾つも現れ、ゆっくりとこちらへ近づいていた。
「……これ……」
フローラが表示を拡大した、その瞬間。
遠方から、重い地響きが届いた。
ドン……。
低く響いた音が消えるより先に、もう一度、大地の奥から振動が伝わってくる。
ドン……。
先ほどまで戦場を満たしていた轟音とは、明らかに違う。
レイリスが双刃へ手を伸ばす。
「……来ます」
フローラも北東の森の奥へ視線を向けた。
「うん……何かが来てる」




