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第十五部 第三章 第4話

 要塞の奥へと進み、重厚な扉を押し開けると、ひんやりとした空気と長年使われていない埃の匂いが漂っていた。

 肌に触れる空気は冷たく、外の慌ただしさから切り離されたような静寂が広がっている。

 並ぶ兵装の数々は布や鎖で覆われ、薄暗い格納庫の中で眠っていた。

 魔力灯の淡い光に照らされ、古びた装備の輪郭だけがぼんやりと浮かび上がっている。


 アリスは息を呑み、ゆっくりと中へ足を踏み入れた。

 一歩進むごとに靴音が低く反響し、その音だけが静まり返った空間に残る。


《……ここだね。まだ魔力の残り方が違う》


 思念のフローラが囁く。


(分かるの?)

《うん。完全に魔力が抜けた装備とは違うよ。もっと奥》


 アリスは周囲へ視線を巡らせながら、慎重に進んでいった。

 幾つもの古い武器や装甲を通り過ぎた先で、一際大きな布に覆われた輪郭が目に入る。


「……あれ……?」


 周囲の兵装とは明らかに形が違い、アリスは足を止めてその大きな影をじっと見つめた。


《アリス》

(……うん)


 ゆっくりと近づいて布の端へ手を掛け、一度だけ息を整えると、そのまま両手で布を引き払った。

 乾いた音とともに埃が舞い上がり、その奥から白銀の装甲に青白い紋様を刻んだ機構が姿を現す。


「……っ!」


 アリスの瞳が大きく見開かれた。

 目の前にあったのは、アリスの知る記録に残されていた旧式機構。

 レティシアが《ヴァルキリーVer四》へ更新する以前に使用していた――《ヴァルキリーVer三》だった。


「……本当に……あった……」


 最新のVer四と比べれば、装甲の構造は少し大きく、各部の機構もまだ荒削りに見える。

 それでも白銀の装甲には今も僅かな魔力が残り、青白い紋様がごく淡く光っていた。


《……やっぱり残ってたね》


 フローラの声にも、隠しきれない驚きが滲んでいる。


「うん……」


 アリスは思わず手を伸ばし、指先で白銀の装甲へ触れた。


「……あれ?」


 冷え切っていると思っていた金属から、ほんの僅かな温もりが返ってきた。

 深く眠っている機構の内側に、まだ魔力が残っているのが指先から伝わってくる。


《完全に死んでるわけじゃなさそう》

「……まだ動くのかな」

《可能性はあると思う》


 アリスは装甲に触れたまま、しばらくその姿を見つめた。

 記録の中でしか知らなかった機体が、いま自分の目の前に存在している。

 ただし、それだけで何かが確定したわけではない。

 ここが本当に三百年前なら、Ver三が残っていても不思議ではないという推測が、一つ現実になっただけだった。


《……起動してみる?》


 フローラが少し期待を込めて問いかける。

 アリスは一瞬迷ったものの、すぐに首を横へ振った。


「……今はやめておく」

《だよね》

「ここで動かして、大きな魔力反応が出たら絶対に気づかれるよ」

《うん。Ver三でも消費する魔力はかなり大きかったはずだから、動かした瞬間に分かると思う》


 アリスはゆっくりと手を離し、まだ微かな温もりの残る指先を見つめた。


「それに……私が本当に使えるかも分からない」

《そこは試さないとね》

「魔力波形が近いからって、必ず適合するとは限らないし」

《うん。それはその通り》


 アリスは一歩下がり、改めてVer三全体を見上げた。


「……まずは情報を整理しよう」

《何から?》

「私が装備できる可能性と、適合条件。それから……この戦いが本当に私の知ってる記録と同じものなのか」


 フローラは少し間を置いてから答えた。


《それがいいと思う。急いで全部決めなくてもいいよ》

「うん」

《でも、少なくとも一つは分かったね》

「一つ?」

《アリスが動くための選択肢が、ちゃんとここに残ってた》


 アリスはもう一度Ver三を見つめた。

 白銀の装甲は何も答えず、薄暗い格納庫の中で静かに眠っている。


「……使うかどうかは、慎重に決めないとね」


 アリスは自分に言い聞かせるように呟いた。


 翌朝、夜明けとほぼ同時に、要塞内へけたたましい警鐘が響き渡った。

 眠っていた兵士たちが一斉に動き始め、廊下を駆ける足音と指示を飛ばす声が各所から聞こえてくる。

 魔力灯も通常の淡い色から警戒を示す赤へと切り替わっていた。


「……始まった……!」


 アリスはベッドから跳ね起き、そのまま窓辺へ駆け寄った。

 要塞そのものが攻撃を受けているわけではなく、遠く北東の空で幾つもの魔術の光が連続して瞬いている。

 昨日、作戦会議で地図を囲んだ時に示されていた森、その出口に続く細い谷の方向だった。


《アリス、あっちだね》

(うん……)


 遠くからでも分かるほど、幾つもの魔力が激しくぶつかり合っている。

 時折、低い轟音が遅れて届き、窓硝子が僅かに震えた。

 アリスはすぐに部屋を出ると、要塞上部の高台へ向かった。

 すでに何人もの兵士や斥候が北東の戦況を確認している。


 高台へ出た瞬間、冷たい朝の空気が頬を撫でた。

 その先、森と谷が続く方角では、光と黒い影が激しく入り乱れている。


「……すごい……」


 距離があるため、一人ひとりの姿までははっきり見えない。

 それでも、強い魔力を放つ幾つかの光だけは容易に判別できた。


《あの大きいの、レティシアだね》

(……うん)


 青白い光が谷の入口付近を大きく横切り、その少し離れた場所では炎の軌跡と幾つもの魔術光が次々と瞬いていた。


「イリアたちも……戦ってる」


 アリスは胸元へ手を当てた。

 昨日立てた作戦が、今まさに実行されている。


《……アリス》

(何?)

《記録にあった戦いと、かなり似た流れになってきてる》


 アリスの表情が僅かに強張る。


(……うん)


 敵の規模、北東からの進軍、森と谷、そしてこの時期に起きた大規模戦闘。

 記憶に残る要塞攻防戦と重なる部分は、確かに増えていた。

 けれど――。


(まだ、同じだって決まったわけじゃない)

《うん》


 フローラも否定しなかった。

 アリスは視線を戦場へ戻す。

 遠く離れた谷では、すでに最初の激突が始まっていた。


 北東の森を抜けた先、細い谷へ入り始めた魔国軍の前方では、エリシアたち第一陣が身を潜めていた。

 黒き軍勢が谷へ流れ込み、先頭部隊が分岐へ入ったところで、後続との距離が僅かに開く。

 エリシア・グランフォードは地形と敵の流れを見極めながら、静かに右手を上げた。


「……まだだ」


 イリア・フェンリスは双剣を握ったまま身を低くして待ち、カティア・ルヴェールも森の中で魔導弓へ矢を番えている。

 敵の前方部隊がさらに分岐へ入り込み、後続の軍勢が谷へ差し掛かった、その瞬間。


「――今だ!」


 エリシアの声が飛ぶ。


「待ってたッ!」


 イリアが地面を蹴り、炎を纏った双剣を一気に振り抜いて、分岐へ入りかけた敵兵を横から薙ぎ払った。


「ハァァッ!」


 爆ぜた炎とともに先頭の隊列が崩れ、突然の奇襲に後続が足を止める。

 谷の中で軍勢の流れが詰まり始めた。


「左側、指揮官を狙う!」


 森の中からカティアの魔導矢が飛び、一条の光が敵部隊を貫いて指揮を執っていた魔族の肩へ突き刺さる。


「敵、混乱!」

「予定通りだ! 前へ出すぎるな!」


 エリシアが剣を振り、第一陣の動きをまとめる。

 その直後、谷の中央へ幾枚もの結界符が舞い上がった。


「《聖紋結界・展開》!」


 セリオナ・エクスバルドが両手を広げると、符が地面へ突き刺さり、谷を横切るように巨大な光の障壁が立ち上がった。

 敵の後続部隊が勢いのまま障壁へぶつかり、鈍い轟音とともに光が大きく揺れる。

 それでも結界は崩れない。


「もう一枚!」


 セリオナが続けて符を放ち、第一の障壁から少し離れた位置へ二枚目の結界を展開する。

 先に分岐へ入った部隊と、谷の中で止められた後続。

 二つの軍勢の間に、明確な空白が生まれた。


「分断成功!」


 エリシアの声が響く。


「よしっ!」


 イリアが笑みを浮かべ、再び双剣を構えた。

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