第十五部 第三章 第3話
「――よし、これで布陣は整った」
レティシアの言葉と同時に、会議室にいた面々が一斉に立ち上がる。
椅子がわずかに軋み、張り詰めていた空気が一気に動き始めた。
その場にいるのは、イリア・フェンリス、マリナ・ヴァルステラ、セリオナ・エクスバルド、エリシア・グランフォード、カティア・ルヴェールの五人のナンバーズ。
そしてリディア、フローラ、レイリスも、それぞれ与えられた役割へ向けて準備を始めていた。
彼女たちはそれぞれ、自らに最適化された《ワルキューレ》を纏っていく。
漆黒の金属と光の装甲が音を立てて展開し、機構音とともに魔力の光が装備の各部へ走った。
機構が噛み合い、流れ込んだ魔力が姿を変える。
背部から広がった光が翼のような形を取り、淡い輝きが周囲へ広がっていった。
レティシアもまた、中央でその身に《ヴァルキリー》を装備する。
青白い輝きと黄金の紋が交錯し、先ほどまで地図を前にしていた姿が、一瞬で戦場へ赴く将のものへ変わった。
「各自、出立の準備にかかれ!」
イリアは双剣を手に笑みを浮かべ、カティアは軽快に頷いて魔導弓を構え直す。
動きに迷いはなく、必要な装備を次々と確認していった。
セリオナは結界符を収納しながら背部ユニットを調整し、マリナは治癒系の支援プログラムを起動する。
符が収まる乾いた音の横で、淡い光がマリナの装備へ走った。
エリシアは静かに剣を抜き、刃へ魔力を通して状態を確かめる。
微かな振動を確認すると、そのまま剣を構え直した。
リディアは重厚な防御ユニットを背負い、その固定を確認する。
「突破は許さん」
低く呟くと、最後の留め具を締めた。
フローラは後方支援用の分析機構を起動する。
幾何学的な光の文様が周囲へ浮かび上がり、情報表示が次々と展開されていった。
レイリスは双刃を背に収めると、静かに瞳を閉じた。
一度深く呼吸し、再び目を開く。
五人のナンバーズと、リディア、フローラ、レイリス。
そして《ヴァルキリー》を纏ったレティシアが並び立つ。
装備から漏れる光が壁や床へ反射し、出撃を待つ兵士たちもその姿へ視線を向けていた。
先ほどまで会議をしていた面々が、すでに戦場へ向かう姿へ変わっている。
アリスは一歩引いた位置で、その光景をじっと見つめていた。
自分がその列の中にいないことを意識しながらも、なぜか目を逸らすことができない。
胸の奥に、妙なざわつきが広がる。
目の前の光景に、どこか覚えがあった。
(……この光景……)
アリスは僅かに目を細めた。
記憶の奥に沈んでいた断片が、目の前の光景をきっかけに少しずつ浮かび上がってくる。
(……知ってる……?)
装備を整えたナンバーズ。
出撃を告げるレティシア。
要塞を包囲しようとする魔国軍。
断片が一つずつ繋がっていく。
(……そうだ……)
脳裏に、一つの言葉が浮かんだ。
――要塞攻防戦。
アリスの知る記録の中に、その名は確かに残っていた。
三百年前の人魔大戦において、多くの犠牲者を出した大規模戦闘の一つ。
だが、ここが本当にその時代なのかは、まだ分からない。
それでも目の前で起きていることは、アリスの知る要塞攻防戦の記録とあまりにもよく似ていた。
「……まさか……」
無意識に、小さな声が漏れる。
《……アリス? 何か思い出した?》
思念のフローラが問いかける。
アリスはすぐには答えなかった。
出撃準備を進めるレティシアたちから視線を逸らさず、記憶を辿っていく。
(……私の知ってる要塞攻防戦と……似てる)
《要塞攻防戦……?》
(うん。でも……まだ同じものだって決まったわけじゃない)
そこだけは、自分自身へ言い聞かせるようにはっきりと考える。
似ている。
あまりにも似すぎている。
けれど、それだけでここを三百年前だと決めつけることはできない。
やがて要塞の大門がゆっくりと開かれた。
重厚な鎧と光の翼を背負った面々が、次々と外へ進み出ていく。
巨大な門が軋む音とともに外気が流れ込み、その向こうに戦場へ続く景色が広がった。
兵士たちの声が重なり、要塞の中に緊張が走る。
アリスは高台から、その光景を遠く見つめていた。
レティシアを先頭に進んでいく姿を見ていると、また記憶の断片が浮かび上がる。
《……ねぇ、アリス》
思念のフローラの声が、今度は少しだけ低くなった。
《もしこれが、本当に私たちの知ってる要塞攻防戦と同じなら……》
アリスの拳に、無意識に力が入る。
(……うん)
浮かび上がる記録を、一つずつ思い返していく。
「……もし、本当に同じ戦いなら……」
視線の先では、レティシアの背中が光に包まれていた。
「……最後に、この要塞は――」
一度、言葉が止まる。
知っている記録を口にすること自体が、急に怖くなった。
「……陥落する……」
声にした途端、胸の奥が冷えた。
それは目の前で起きると決まった未来ではない。
それでも、アリスの知る記録では確かにそうなっている。
《……アリス》
フローラの声が静かに響く。
《もう一つあるよ》
「……え?」
《もし、この戦いが本当にあの要塞攻防戦なら――》
一瞬の間。
《オルトが、戦死する》
「っ……!」
アリスの全身に冷たいものが走った。
脳裏に浮かんだのは、あの真っ直ぐな眼差しと、素朴で温かい笑顔だった。
つい数日前、要塞の中で軽口を交わしたばかりの青年。
「……そんな……」
記録の中では、ただ一人の戦死者として知っていた名前。
けれど今のアリスにとって、オルトはもう名前だけの人物ではない。
実際に言葉を交わし、笑っている姿を見た相手だった。
《まだ決まったわけじゃないよ》
フローラがすぐに続ける。
《ここが本当にその時代なのかも分からないし、この戦いが本当に同じ要塞攻防戦なのかも分からない》
(……うん)
《でも……もし同じだったら》
アリスは《ルミナ=コード》の柄へ手を添えた。
(……オルトは、死ぬ)
その可能性を考えただけで、胸が締めつけられる。
そして、その瞬間。
さらに別の記憶が、ふいに繋がった。
「……あ……」
《どうしたの?》
アリスは口元へ手を当てた。
今度浮かんできたのは、戦場そのものとは少し違う記憶だった。
「……オルトって……レティシアの……初恋の相手……?」
一瞬の沈黙。
《え?》
今度はフローラの方が固まった。
《……そうだったの?》
アリスの頬が、じわじわと熱くなる。
「た、たぶん……記憶が合ってれば……」
《あぁ……なるほど》
フローラの声が、少しずつ楽しげなものへ変わっていく。
《戦闘のあと、レティシアって数日部屋から出てこなかったよね。私はずっと、要塞が落ちたショックだと思ってたけど……》
「……うん」
《オルトだったんだ……あの時に初めて自覚したのかも》
アリスは両手で顔を覆った。
「……じ、自分のことじゃないのに……なんでこんなに恥ずかしいの……!」
《アリス、顔真っ赤だよ》
「だ、だって……!」
アリスは視線を泳がせる。
「あんなに堂々と戦ってるレティシアが……初恋って……!」
《いいじゃない。誰より強くても、そういうところは普通なんだね》
「……うぅ……」
他人のことのはずなのに、なぜか完全には他人事だと思えない。
レティシアと自分の間に何があるのか、まだ何も分かっていないというのに。
アリスはしばらく顔を覆ったまま唸っていたが、やがてゆっくりと手を下ろした。
戦場へ向かったレティシアたちの姿を思い出し、表情が再び引き締まる。
「……でも」
《うん》
「もしここが本当に過去だったら……歴史を変えるようなことって、簡単にしていいものじゃないよね」
《そうだね。何が起きるか分からない》
フローラの返事も、今度は真剣だった。
《下手に大きく変えたら、どこに影響が出るかも分からないし》
アリスは少し黙り込み、視線を伏せた。
「……でも……このままだと、私だって危ないんだよね」
自分で言いながら、小さく肩をすくめる。
《まぁ……要塞が落ちるなら、そうなるね》
「それに……」
アリスは顔を上げた。
「少なくとも、私がここにいる時点で……私の知ってる記録とまったく同じじゃない」
《……アリス?》
アリスの瞳が、少しだけ挑むように輝く。
「だったら……私にできる範囲で動くのは、アリなんじゃない?」
フローラはすぐには答えなかった。
アリスも、歴史を変えていいと言い切るつもりはない。
ここが本当に過去なのかさえ、まだ分かっていない。
それでも、知っているかもしれない悲劇を何もせず見ていることもできなかった。
「……ただ、問題があるんだよね」
《何?》
「私が知ってるのって、前線側の記録が中心なんだよね。要塞がどういう流れで陥落したのか、細かいところまでは分からない」
アリスは腕を組み、考え込む。
その時、フローラがふと声を上げた。
《……あ》
「どうしたの?」
《レティシアのヴァルキリー》
「え?」
《思い出した》
アリスが目を瞬かせる。
《要塞攻防戦の記録で故障したのは、ヴァルキリーのVer四だった》
「……うん?」
《でも、その前に使われてたVer三は、故障して交換されたわけじゃない》
フローラが記憶を確認するように続ける。
《Ver四へ更新されたから、旧型として外されただけだったはず》
アリスの瞳が僅かに見開かれた。
「……つまり」
《もしここが本当にその時代なら、Ver三がまだ残ってる可能性がある》
「……!」
アリスの表情がぱっと明るくなる。
「それ、いい!」
頭の中に、一つの可能性が形を取り始める。
「もしここが本当に過去だったとしても……できるだけ元の流れを大きく壊さずに、私が別の戦力として動けばいい」
《うん。少なくとも、いきなり全部をひっくり返すよりはいいと思う》
アリスは《ルミナ=コード》の柄へ手を置く。
「でも……私にVer三が使えるかな?」
《そこは試してみないと分からないね》
一拍置き、フローラが続ける。
《でも、アリスとレティシアは魔力波形がかなり近いし、魂の色も似てるって言われてる》
「……うん」
《だったら、適合する可能性はあると思う》
断定ではない。
それでも、今まで何もなかったところに一つの道が見えた。
「……でもフローラ、どうやってVer三ヴァルキリーを手に入れるの?」
《そこなんだよね》
フローラが少し考え込む。
《開発時、更新のたびに旧型は保管庫へ回されてたはずなんだけど……》
「破棄されてなければ?」
《まだ残ってるかもしれない》
アリスは唇に指を当て、考え込んだ。
「じゃあ、この要塞のどこかに……?」
《可能性があるとしたら、格納庫か兵装庫かな》
「……もしそうなら、探さなきゃ」
アリスの視線が廊下の先へ向く。
《どうする? さすがに正面から「古いヴァルキリーはどこですか」って聞くのは怪しいよ》
「もちろん、それとなく聞くよ」
アリスは軽く咳払いすると、廊下で見かけた兵士へ近づいた。
「すみません。この要塞……兵装庫はどこにあるんですか? ちょっと装備を見ておきたくて」
兵士は特に怪しむ様子もなく、すぐに答えた。
「兵装庫ですか? 一番奥の区画ですね。古い兵装の格納庫もあって、もう使われていないものも山ほど置かれてますよ」
アリスの心臓が大きく鳴った。
(……古い兵装の格納庫!)
「ありがとうございます。助かりました」
表情には出さないように礼を言い、その場を離れる。
《アリス》
(うん)
《たぶん、そこだね》
アリスは小さく頷いた。
まだ本当にVer三が残っているとは限らない。
残っていたとしても、自分が使える保証もない。
それでも、確かめる価値はあった。
アリスは抑えきれない鼓動を感じながら、要塞の奥へ向かって足を速めた。




