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第十五部 第三章 第2話

 兵士に案内され、アリスは要塞の奥へと急いだ。

 足音が石床へ鋭く響き、幾つもの廊下を駆け抜けていく。


 先ほどまで部屋でじっとしていたせいか、身体は十分に動いた。

 それでも呼び出された理由を考えるたび、胸の奥へ緊張が広がっていく。


 重厚な扉を抜けた先には、大きな地図を広げた戦況会議の場が作られていた。

 魔力灯に照らされた卓上には、敵軍の進路を示す赤い石がいくつも並べられている。


 すでにレティシア、リディア、そしてナンバーズが揃っていた。

 アリスが入ると、全員の視線がこちらへ向けられる。


「来てくれたか、アリス」


 レティシアが頷き、手で地図の前を示した。


「君にも、この状況を共有しておきたい」


 アリスは卓上へ近づき、赤い石の配置を見つめる。

 先ほどまでよりも数が増え、森の周囲から要塞へ向かう複数の進路が示されていた。


「魔国軍、総勢およそ二千。北東の森を迂回し、この要塞を包囲する動きを見せている」


「二千……」


 アリスは息を呑んだ。

 最初の報告より、遥かに多い。


 セリオナ・エクスバルドが地図を見ながら口を開く。


「もし完全に囲まれれば、こちらの兵力では持ちません」


「だが、全軍が到着するにはまだ時間がかかる」


 エリシア・グランフォードが剣の柄に触れながら続けた。


「いま叩ければ、各個撃破も可能だ」


 イリア・フェンリスが拳を握りしめる。


「なら、正面から叩き割ろう!」


 マリナ・ヴァルステラがすぐに首を横へ振った。


「無茶は禁物よ。治癒や結界の余力が尽きれば、持久はできない」


 イリアが反論しかけるが、セリオナも地図へ視線を落としたまま考え込んでいる。

 正面からぶつかるには、敵の数が多すぎる。


 意見が飛び交う中、レティシアがアリスへ視線を向けた。


「……アリス。君の意見を聞きたい。君なら、どう動く?」


 その場にいる全員の視線が、アリスへ集まった。

 先ほどまで交わされていた声が止まり、室内が静まり返る。


《……アリス、意見を聞かれてるよ。焦らなくていいから、今分かってることだけ見て》


 思念のフローラの声を聞きながら、アリスは地図へ視線を落とした。


 赤い石で示された敵軍の進路を追う。

 森、谷、そして要塞へ続く道を順番に見比べていく。


 森を抜けた先で道幅が狭まり、その先で進路が二つに分かれている。

 アリスは何度か指先で道筋を追い、やがて一つの地点で止めた。


「……ここです。森の出口、この細い谷を抜ける地点」


 全員の視線が、アリスの指先へ集まる。


「敵が二手に分かれ始めるこの地点で奇襲を仕掛ければ……互いの合流を断って、戦力を分断できます」


 室内に短い沈黙が落ちた。

 レティシアをはじめ、全員が地図へ視線を戻す。


 アリスは続けた。


「数で劣る以上、正面から全軍とぶつかれば消耗が激しくなります」

「だから、敵軍を分断して一度に戦う数を減らし、それぞれを各個撃破するべきです」


 イリア・フェンリスが目を見開き、拳を打ち鳴らした。


「なるほど! 分断して各個撃破か!」


 セリオナ・エクスバルドも地図へ身を寄せる。

 谷の形と周囲の地形を確認しながら、指先で位置を追った。


「……谷での戦闘なら、結界を展開しやすい。防御線も維持できる」


 マリナ・ヴァルステラが頷き、手元の記録板へ書き込んでいく。


「治癒班を後方に置けば、持久力も確保できるわ」


 カティア・ルヴェールが森の位置へ指を滑らせた。


「私たち遊撃隊が森に潜んで撹乱すれば、さらに敵の足並みは乱せる」


 先ほどまで分かれていた意見が、少しずつ一つの作戦へまとまり始める。

 イリアも今度は反論せず、谷の位置を見ながら何度か頷いていた。


 エリシアも地図の上へ手を伸ばし、谷の出口と要塞までの距離を確認する。


「分断に成功すれば、後続が追いつく前に片方を叩ける」

「……そういうことです」


 アリスが頷く。


 レティシアはアリスが示した地点をしばらく見つめていた。

 周囲の地形、敵軍の進路、そして各隊の配置を確かめるように視線を動かしていく。


 やがて顔を上げ、静かに頷いた。


「……よく見抜いたな。君の提案を採用する」


 アリスは思わずレティシアを見る。

 自分の意見が、そのまま作戦の一部として組み込まれていく。


 少なくとも、もう何も知らない客人としてこの場に呼ばれたわけではない。

 そのことだけは、アリスにもはっきりと分かった。


《……ちゃんと意見を聞いてもらえたね、アリス》


 思念のフローラが嬉しそうに笑う。


(……うん)


 アリスも小さく頷いた。


 レティシアは地図の上へ手を置き、全員を見回す。


「――では、奇襲部隊を編成する。アリス、君にはここ、後方で待機してもらう」


「……わたし?」


 思わず声を上げるアリスに、レティシアは柔らかく微笑んだ。


「君の力は切り札だ。序盤で使うものではない。ここぞというときまで温存する」


 アリスは僅かに唇を噛んだ。

 胸の奥では、前へ出たい気持ちがまだ消えていない。


 だが、先ほど自分で正面からの消耗を避けるべきだと提案したばかりでもある。

 切り札を最初から投入しないという判断も、理解できないものではなかった。


「……わかりました」


 レティシアは頷くと、再び地図へ視線を戻した。


「奇襲の先頭はイリア、遊撃にはカティア。谷の出口を塞ぎ、敵を分断する」


「はい!」


 イリアは瞳を輝かせて力強く応え、カティアも軽く手を上げて頷いた。


「任せて。森の中なら動きやすいからね」


 レティシアは二人の返事を確認すると、次へ進む。


「防御と結界展開はセリオナ。後衛で治癒と支援をマリナが担当」


「承知しました」

「任せて」


 セリオナは地図上の谷へ視線を落としたまま、結界を張る位置を確認している。

 マリナも記録板へ必要な人員を書き込み、治癒班の配置を整え始めた。


 レティシアは続いてエリシアへ視線を向ける。


「第一陣の統制と戦況判断はエリシアに任せる。イリアたちをまとめてくれ」


「お任せください」


 エリシアは短く答え、イリアとカティアへ視線を送る。

 イリアはすぐに頷いたが、カティアは小さく肩をすくめて笑った。


「分かってるよ。勝手に飛び出したりしないって」

「……本当か?」

「たぶん」

「おい!」


 イリアの声に、張り詰めていた室内へ僅かな笑いが漏れる。

 だが、それもすぐに収まり、全員が再び地図へ向き直った。


 五人はそれぞれの役割を確認し、必要な準備を頭の中で組み立てていく。

 先ほどまで交わされていた議論は止まり、今は出撃へ向けて具体的な確認だけが進んでいた。


 レティシアは次にリディアを見た。


「リディア、君は私と共に第二陣を率いる。谷で分断しきれなかった敵、あるいは突破してきた者を迎え撃つ」


「了解しました」


 リディアは迷いなく頷いた。

 そのまま第二陣の進路を地図で確認し、谷から要塞までの距離へ目を走らせる。


 最後に、レティシアはフローラとレイリスへ視線を移した。


「フローラ、レイリス――君たちは後方支援に回れ。援軍が到着した際の受け入れ態勢と、状況に応じた遊軍としての展開を任せる」


 フローラはにこりと微笑み、胸に手を当てて頷いた。


「はい、後方から必ず支えます」


 レイリスも静かに続く。


「必ず援けます」


 それぞれの配置が決まり、地図の上へ新たな印が置かれていく。

 赤い石で示された敵軍の進路を囲むように、味方の位置が少しずつ形になっていった。


 レティシアは全員の顔を順番に見回した。

 そして、深く息を吸う。


「――よし、これで布陣は整った」


 誰も口を開かなかった。

 先ほどまで地図を囲んでいた会議室には、出撃を前にした静かな緊張が満ちている。


 アリスも地図へ視線を落とした。

 自分が示した谷を中心に、今まさに一つの作戦が動き始めようとしていた。

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