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第十五部 第二章 第11話

今回は二分割したくなかったので、かなり長いです。

あ、昔の白銀の長さですけどね・・・・。

「……たぶん、ここは……三百年前の世界なんですね」


 アリスの口から自然にこぼれた言葉に、レティシアの眉がぴくりと動いた。


「……え?」


 彼女は思わず聞き返す。

 碧眼が大きく揺れ、無意識のうちに机へ手をついた。


「今……君はなんと言った?」


 その声は低く、しかし確かに震えていた。


 アリスははっとして、言葉を探すように唇を噛む。

 言い直せば戻れるかもしれないという甘い考えが一瞬よぎる。


 だが、それはすぐに消えた。

 ここまで来て、偽ることはできないと理解してしまったから。


「……あ、その……わ、私がいたのは……おそらく三百年後の世界、だと思うんです」


 室内の空気が一瞬にして凍りついたように感じられた。

 音も温度も、すべてが遠のく。


 レティシアはしばし無言でアリスを見つめ、その言葉を頭の中で反芻するかのように視線を伏せる。

 理解しようとするほどに、現実が重くのしかかる。


「……三百年後……」


 低く呟いた声は、かすかに震えていた。

 それは恐怖か、それとも希望か、自分でも分からないまま。


《あー……やっぱり言っちゃったか。アリス、これ、かなり大きな話だよ。絶対に動揺してる》


 思念のフローラが半ば苦笑交じりに囁き、アリスの心臓は早鐘を打った。


「……おそらく三百年後の世界、だと思うんです」


 アリスの声が静かに響いた。

 今度は逃げず、自分が考えていることをそのまま口にする。


 レティシアはその言葉を胸の奥で繰り返すように沈黙し――やがて顔を上げる。

 ゆっくりと、重く、確かめるように。


 碧眼は揺れながらも、真っ直ぐにアリスを射抜いていた。

 その視線には、もはや疑いだけではないものが宿っている。


「……仮に、君の言う通りだとして。その世界は……どんな世界なんだ?」


 押し殺すような声。

 口では「仮に」と置きながら、その碧眼にはすでに疑いよりも確信の色が強く浮かんでいた。


「人々は……生き延びているのか? 魔国はどうなった? ……戦は、まだ続いているのか?」


 言葉は次々と溢れ、止まらない。

 三百年という空白を埋めるかのように。


 レティシアの指先がわずかに震える。

 その震えは、積み重ねてきた重責そのものだった。


 彼女は決して「三百年前」という言葉を繰り返さなかった。

 ただ未来を知ろうとする。


 必死に、縋るように。


《……アリス。分かってることと、そうかもしれないって思ってることは、ちゃんと分けて話そう》


 思念のフローラが穏やかに促し、アリスは喉の奥が詰まるのを感じながら唇を開いた。


 アリスは胸の奥を震わせながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 ひとつひとつ、確かめるように。


「……もし、本当にここが三百年前なら……人々は生きています」


「戦いも、ずっと続いているわけではありません」


「魔国が打倒されたあと、ファーレンナイト王国が成立し、エルファーレ王国も復興します」


 レティシアの碧眼が大きく揺れた。


「……魔国が……?」


 レティシアは息を止めたように動きを止める。

 アリスはさらに続けた。


「ファーレンナイト王国」


「私がいた時代には、もう存在している国です。……もし、ここが本当にその時代なら、あなたたちの戦いの先に生まれる国なんだと思います」


「街も文化も、学院も……そこから続いているんです」


 言葉を重ねるごとに、胸の奥の熱が増していく。

 それは誇りであり、アリスが知る時代へ確かに残っているものだった。


「……ファーレンナイト……」


 レティシアは小さくその名を繰り返す。

 初めて聞くはずのその響きが、なぜか胸に馴染む。


 唇がかすかに震え、机の縁を強く握りしめていた。

 感情が溢れそうになるのを必死に抑えている。


「つまり……私たちの戦いは……“未来を築く始まり”になるのか」


 その問いは確認ではない。

 願いだった。


 アリスは一瞬だけ迷い、それから頷いた。


「……はい。もし本当にここが三百年前なら、そうだと思います」


「あなたたちが守ろうとしているものは、私のいた時代までちゃんと残っています。……だから、それだけは伝えられます」


 その言葉はまっすぐで、強く響いた。


 レティシアの瞳が潤み、碧眼が光を帯びる。

 嗚咽こそ漏らさなかったが、その表情は言葉にならないほどの安堵と誇りに揺れていた。


 長く抱え続けた恐れが、ようやく少しずつほどけていく。


《……アリス、今の言葉でちゃんと届いたね。レティシア、ずっと“無駄にならないか”を気にしてたのかもしれない》


 思念のフローラの声が胸奥に響き、アリスの目頭も熱くなる。

 その想いの重さを、今ようやく理解できた。


 しばし沈黙のあと、レティシアは深く息を吐いた。

 胸の奥に残る震えを押し殺すように、ゆっくりと息を整えていく。


 まだ涙の余韻が残る顔で、それでも真剣な眼差しをアリスに向ける。

 その瞳は揺れていながらも、確かな意思を宿していた。


「……アリス。そのさっき言っていた学院というのは……どんな場所なんだ?」


 その問いには、兵を率いる将としての興味ではなく――未来を知りたい、一人の人間としての純粋な渇望が込められていた。

 未知への恐れではなく、確かめたいという強い願いが滲んでいる。


「学院……ですか」


 アリスは少し微笑み、胸の奥に浮かぶ光景を言葉に変えていった。

 思い出すだけで、自然と心がほどけていくような温かさがあった。


「王都に建てられた、とても大きな建物で……魔術と剣術を学ぶ者たちが集う場所です」


「学年ごとに実習があって、演習場や図書館、それに仲間と語り合える談話室もあって……」


 語りながら、目の前に広がるのは見慣れた学院の風景。

 賑やかな声や、笑い合う仲間たちの姿が、ありありと蘇る。


「……談話室?」


 レティシアがわずかに目を丸くする。


「はい。戦や訓練のことだけじゃなくて、将来の夢や、他愛もない話をして……」


「みんなで学び、悩んで、時には競い合って……でも最後には、支え合える仲間がいるんです」


 アリスの声には、懐かしさと温かさが滲んでいた。

 その響きは、過酷な現実の中にあるレティシアにとって、まるで別世界の物語のように優しく届く。


 それは未来の「平穏」を象徴するようで、レティシアの胸に深く沁み入っていく。

 戦いの中では得難い、穏やかな日常の重みとして。


「……そんな日常が……三百年後にはあるのか」


 レティシアはぽつりと呟き、ゆっくりと微笑んだ。

 その笑みには、かすかな羨望と、そして救われるような安堵が混じっていた。


《ねぇアリス。戦いの中にいるレティシアにとって、学院での話は宝物みたいに響いてるのかも》


 思念のフローラが優しく囁き、アリスは胸が熱くなった。

 自分にとって当たり前だったものが、どれほど尊いものなのかを、今初めて実感する。


 レティシアはしばし学院の情景を思い描くように目を伏せ、そして静かに顔を上げた。

 その間、言葉はなくとも、心の中で何度もその光景をなぞっていた。


 その瞳はどこか柔らかく、しかし確かめるようにアリスへと向けられる。

 知りたいという想いが、さらに強くなっていた。


「……アリス。君には、どんな仲間がいた?」


 その問いは、未来の世界そのものではなく――そこに生きる“人”を知ろうとするものだった。

 レティシアにとって、それこそが何より大切なことだったから。


 アリスは一瞬、言葉を飲み込んだ。

 胸の奥に、いくつもの顔が一斉に浮かび上がる。


 心に浮かんだのは、学院で共に歩んだ顔ぶれ。

 笑い合い、ぶつかり合い、それでも隣にいた仲間たちの姿。


「……たくさんいます」


 少し照れくさそうに、けれど胸を張って答える。

 その言葉には迷いがなく、誇りが込められていた。


「一番の親友は、レティア・エクスバルド。魔術の腕は私と張り合うくらいで……いつも支えてくれる存在です」


 レティシアの眉がわずかに動く。

 その名に、かすかな反応を見せる。


「……エクスバルド……」


 口の中でその名を繰り返し、何かを思い出すように目を細めた。

 まだ見ぬ未来の繋がりを、無意識に感じ取っているかのように。


「それから、フィオナ・ミラージュ。隣国の王女様で、学院では学友として一緒に頑張ってます」


「ラースやザック、リゼット……演習で苦楽を共にした仲間もいます」


 次々と名前を挙げながら、アリスの表情は自然と和らいでいく。

 思い出すたびに、胸の奥に温かな光が灯る。


 それは過去ではなく、確かに生きている“今”の記憶だった。

 そして、そのすべてが自分を形作っていると、はっきりと感じていた。


「それぞれ得意なことがあって、時にはぶつかって……でも、みんなで一緒に乗り越えてきました」


「あの人たちがいるから、私はここまでやってこれたんです」


 その言葉には、揺るぎない実感があった。

 一人ではないという確かな証として。


 レティシアは黙って聞いていた。

 頷くことも、口を挟むこともせず、ただ静かに。


 その瞳は、アリスの言葉を一つも取りこぼすまいとするように、深く、真剣に向けられていた。

 まるで、そのすべてを自分の中に刻み込もうとしているかのように。


 だが、その目はどこか遠くを見ているようでもあり、同時に誇らしげな光を宿していた。

 過去と未来を同時に見つめているかのような、不思議な深みを帯びている。


《……アリス、いいね。今のあの人の顔、完全に“姉が妹の成長を見守る顔”だよ》


 思念のフローラが優しく囁き、アリスは胸の奥が温かくなるのを感じた。

 その言葉が、胸の奥で静かにほどけていく。


 アリスが仲間たちの名前を並べ終えると、レティシアは静かに目を伏せた。

 そのまましばらく動かず、言葉の余韻を噛みしめるように沈黙する。


 そして、少し間を置いてから顔を上げる。

 ゆっくりと、しかし確かな意思を持って。


「……アリス」


 声は低く、慎重に言葉を選んでいるのが伝わってきた。

 その一言に、先ほどまでの柔らかさとは違う緊張が混じる。


「その仲間たちにも……私のことは、伝わっているのか?」


 碧眼が真っ直ぐに射抜いてくる。

 逃げ場を与えないほどに真剣で、それでいてどこか怯えるような光を含んでいた。


 そこには、強き将の威圧も、涙を流したときの揺らぎもなく――ただ一つ、純粋な問いだけがあった。

 知りたいという願いと、知ることへの恐れが静かに混じり合っている。


 アリスは息を呑む。

 喉の奥がきゅっと締まり、言葉がすぐには出てこない。


(……レティシアのこと……言えるのは、限られた人だけ……)


 胸の奥に浮かぶのは、クラリスとレイラの顔。

 軽々しく口にしていいものではないと、本能が警鐘を鳴らす。


《アリス、ここは慎重にね。何を話すかで、レティシアが未来の話をどう受け止めるかも変わるよ》


 思念のフローラが静かに告げ、アリスの胸に重みがのしかかる。


 アリスはしばし唇を噛み、胸の奥の迷いを押し殺すように目を閉じた。

 心の奥で、何度も言葉を選び直す。


 そして、ゆっくりと顔を上げてレティシアを見つめる。

 その瞳には、もう迷いは残っていなかった。


「……はい。知っている人はいます」


 レティシアの碧眼が大きく揺れる。

 一瞬、呼吸すら忘れたかのように静止する。


 その表情には驚きと、信じたいという切実な想いが同時に浮かんでいた。

 その言葉を受け止めようとするように、アリスを見つめ続ける。


「でも……あなたのことを知っているのは、本当に限られた人だけです」


「そして、その人たちは……この戦いで守られたものが、私のいた時代まで残っていることも知っています」


 アリスの声は静かだったが、揺るぎない芯を持っていた。

 一つ一つの言葉が、確かな重みを伴って空気に落ちていく。


 レティシアにとって、それは未来から届いた証言にも等しかった。


「……そう、か……」


 レティシアの声が震えた。

 その一言に込められた感情は、言葉では言い尽くせないほど深かった。


 机の上に置いた手が小さく握り込まれ、堅く結んでいた口元がわずかに緩む。

 張り詰めていた感情が、ようやくほどけていくのがはっきりと見て取れた。


「私たちの戦いは……ただの犠牲じゃなかったんだな」


 その言葉には、長い孤独を背負い続けてきた者の心からの安堵が滲んでいた。

 戦いの果てに何も残らないかもしれないという恐怖から、ようやく解放されたような響きだった。


 アリスはその姿を見て、胸の奥に熱いものが込み上げる。

 言葉にしなくても伝わる感情が、静かに胸を満たしていく。


《……よかったね、アリス。レティシア、今は“未来まで残っている”って感じられたんだと思う》


 思念のフローラがそっと囁き、アリスは小さく頷いた。

 その声に背中を押されるように、胸の奥の震えが落ち着いていく。


「……私たちの戦いは、報われていたんだな……」


 レティシアは小さく呟き、しばらく黙り込んだ。

 その言葉を何度も反芻するように、静かに噛みしめている。


 やがて、ふっと顔を上げ、碧眼に淡い光を宿してアリスを見つめる。

 その光は先ほどまでとは違い、確かな希望を帯びていた。


「……アリス」


 呼びかける声は、先ほどまでよりもずっと穏やかで、どこか希望に揺れていた。

 その声音には、もう恐れはほとんど残っていなかった。


「その仲間たちと……私は会えるだろうか?」


 アリスは一瞬、言葉を失った。

 胸の奥がきゅっと締めつけられる。


 心の奥に浮かんだのは、学院で共に笑い合った仲間たち――レティア、フィオナ、ラース、ザック、リゼット、ミレーネ……。

 その一人一人の顔が、はっきりと浮かび上がる。


 アリスのいた時代に生きる、かけがえのない友人たちの顔。

 その距離の遠さが、急に現実味を帯びて迫ってくる。


「……」


 返事に迷いながらも、アリスの胸は熱くなる。

 何かを伝えなければならないという思いが、強く込み上げてくる。


《アリス……どう答える? 希望を与えるのか、それとも現実を伝えるのか……》


 思念のフローラが小さく囁き、アリスの視線はレティシアの真剣な瞳に絡め取られた。

 その瞳から逃げることは、もうできなかった。


 レティシアの問いに、アリスは胸の奥が締めつけられるのを感じた。

 言葉一つで、この人の未来への見方が変わってしまうと直感する。


(……もし本当に三百年の時を隔てているなら……確かなことなんて言えない)


 それでも、真剣に見つめてくる瞳を前に、黙っていることはできなかった。

 逃げることは、きっと許されない。


 アリスは小さく息を吸い、穏やかな声で答えた。


「……わかりません」


 レティシアの碧眼がわずかに揺れる。

 だが、その言葉を否定するような色はなかった。


 アリスは続けた。


「でも……きっとどこかで、会えると思います」


「だって……もし本当にここが三百年前なら、あなたの想いはずっと受け継がれて……私たちの時代まで届いているんですから」


 静かに、けれど確かな響きを持った言葉だった。

 断言ではないが、確信に近い願いが込められている。


 レティシアは一瞬だけ目を伏せ、そしてゆっくりと笑みを浮かべた。

 その動きはとても静かで、しかし確かな変化だった。


 それは、涙を抱えながらも未来を信じる者の笑顔。

 長い戦いの中で、初めて見せる穏やかな表情だった。


「……そうか。なら……楽しみにしていよう」


 その声音には、戦場の将ではなく、一人の人間としての素直な希望がにじんでいた。


《いい答えだったよ、アリス。約束はしなかったけど……ちゃんと希望は渡せたね》


 思念のフローラの声が優しく響き、アリスの胸も温かく満たされていった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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1週間かけてここまで全話見ました。 まだまだ続きそうですが、これからも楽しみにしています!
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