第十五部 第二章 第10話
「率直に聞くよ。君は……私の、なんだ?」
言葉が空気を裂くように落ちる。
アリスは息を呑んだ。
胸が大きく波打ち、喉の奥が熱くなる。
「……っ」
レティシアは自分の言葉に気づき、苦い笑みを浮かべてかぶりを振る。
感情の高ぶりを押さえ込むように。
「いや……すまない。動揺しているな」
言葉を整え、しかし瞳は逸らさない。
「……過去か、未来か。それすら、まだ分からない。だが……君と私は、本当に何の関係もないのか?」
その問いかけは鋭くも、かすかに震えていた。
レティシア自身にも、答えが分からないのだろう。
《……アリス。これ、かなり大事なところだよ》
思念のフローラの声が、胸奥で静かに響いた。
アリスは胸の奥のざわめきを抑えきれず、唇を噛みしめた。
だが、やがて小さく首を振り、真正面からレティシアを見つめ返す。
「……私は、アリス・グレイスラー。ただ、それだけです」
その言葉に、嘘は一切なかった。
レティシアの碧眼が細められ、じっと彼女を見つめる。
「……」
アリスは続ける。
言葉を選びながらも、逃げないように。
「分からないんです。私とあなたが……どういう関係なのか」
「……」
「私はあなたの記憶を持っています。魂の色まで同じだと言われました。でも――どうしてなのかは、私にも分かりません」
その正直な告白に、部屋へ静寂が落ちた。
レティシアの指が杯の縁に触れ、わずかに動きを止める。
「私の……記憶を……」
彼女の声は低く、かすかに震えていた。
《……うん。それでいいよ。今分かってることだけ答えればいい》
思念のフローラが柔らかく囁き、アリスは小さく息を吐いた。
レティシアはしばらく黙っていたが、やがてアリスへ向き直った。
「ならば――もう一つ、確かめさせてほしい」
その言葉に、アリスは息を呑む。
「君の力を……見せてくれないか」
「……私の、力?」
「ああ。魂だけではない。君から感じるものが、私とどこまで重なっているのか……確かめたい」
アリスは指先をわずかに握り込む。
(……どうしよう……)
《アリスが見せてもいいと思うなら、私は止めないよ》
思念のフローラの言葉を受け、アリスは小さく頷いた。
「……分かりました」
ゆっくりと立ち上がり、深く息を吸う。
胸の奥に眠る魔力を呼び覚ますと、身体を覆うように光が奔った。
抑えていた力が解放され、室内の魔力が一気に濃くなる。
「――!」
レティシアの目が大きく見開かれる。
アリスの金の髪が眩い白銀へと変わり、瞳は蒼銀の輝きを帯びた。
淡い光が全身を包み、白銀の魔力が室内へ広がっていく。
――白銀化。
「……っ」
レティシアの指先が震え、口元がわずかに開く。
「その姿……その魔力……」
彼女は言葉を失ったまま、白銀のアリスを見つめ続けた。
「……私に、近い……」
そこでレティシアは眉を寄せる。
「いや……同じじゃない」
「……」
「近い。あまりにも近いのに……完全には同じじゃない……」
レティシアの瞳が揺れる。
「なのに……どうしてなんだ……」
その声から、先ほどまでの鋭さが消えていく。
「どうして君を見ていると……こんなに懐かしい……」
《……やっぱり、同じじゃないんだね》
《……うん》
《でも、何か繋がってるように感じるのも本当みたい》
白銀の光に包まれたアリスを前に、レティシアはゆっくりと立ち上がった。
その足取りには、普段の彼女にはない迷いがあった。
「……レティシアさん……?」
次の瞬間――彼女は勢いのままアリスの肩を掴み、そのまま強く抱きしめた。
「――っ!?」
アリスはあまりの突然さに息を呑む。
驚きのあまり光がふっと揺らぎ、髪と瞳は元の金と蒼に戻ってしまった。
「……どうしてだろう……」
レティシアの声が震える。
「ずっと前から知っていたような気がする……。ずっと……会いたかったような気がするんだ……」
そして、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「理由なんて……何も分からないのに……!」
碧眼からこぼれる涙が、アリスの肩を濡らしていく。
アリスもまた、胸の奥を突き動かされるものを抑えきれず、そっと両腕を回して抱き返した。
「……レティシアさん……」
その声は震えていたが、確かに優しさを含んでいた。
抱き合う二人の影が、揺らめく灯火に重なる。
室内には、しばらくレティシアの小さな泣き声だけが残った。
《……アリス……あのレティシアが、こんなふうに泣くなんて……》
思念のフローラの声も、いつもの軽さを失っていた。
しばらく抱き合っていたレティシアが、名残惜しそうに腕を離した。
離れる瞬間、指先がわずかにアリスの肩へ残る。
涙を拭ったその顔には、もう先ほどまでの厳しさはなかった。
張り詰めていたものがほどけたような、柔らかな表情だった。
「……アリス」
呼びかける声は、不思議なほど柔らかい。
「やっと……やっと、同じ高さで話せる人が現れてくれたような気がする」
「……っ」
アリスは驚きに目を瞬かせる。
(……あのレティシアが……こんな話し方を……!)
《アリス、すごいね。レティシア、完全に心を開いてる》
思念のフローラが笑い、アリスは頬を赤らめて言葉を失った。
レティシアは涙の跡を指で拭いながらも、まだ微笑みを崩さなかった。
「うまく言えないんだ」
「……」
「君が私なのか、それともまったく別の誰かなのか……それすら、まだ分からない」
レティシアはアリスから視線を逸らさない。
「でも、君なら……私が見ているものを、少しは同じ場所から見てくれる気がする」
その言葉に、アリスは返す言葉を失った。
「……うれしい。本当に」
小さく息をつき、アリスを見つめたまま続ける。
「だから、君のことをもっと知りたい」
「……私の、こと……?」
アリスは胸の奥が強く震えた。
レティシアは小さく頷く。
「どこから来て、何を見て、どうしてここに辿り着いたのか」
「……」
「君と私に、これだけ重なるものがあるのなら……なおさら、私は知りたい。君が歩んできた道を」
その声音は、指揮官としての尋問ではなかった。
命令でも、疑念でもない。
ただ、アリス自身のことを知りたいと願う声だった。
《アリス……かなり心を開かれたね》
《……うん》
思念のフローラが柔らかく笑い、アリスは喉が熱くなり、言葉を探す。
「レティシアさん――」
声に出した瞬間、レティシアがすぐに口を開いた。
「――レティシアでいい」
アリスは思わず言葉を詰まらせる。
「え……?」
レティシアの顔に浮かんだのは、先ほどまでとは違う柔らかな笑みだった。
「名前で呼んでくれるだけで……うれしい」
頬をわずかに染めながらも、真っ直ぐにアリスを見つめている。
アリスは戸惑いながら視線を逸らした。
「……っ」
しばし迷った末、小さく息を吸い込む。
「……レティシア」
呼び直した瞬間、レティシアの瞳がぱっと明るくなり、再び柔らかな笑みが広がった。
《……分かりやすいね》
《言わないでよ……》
思念のフローラの囁きに、アリスは顔を赤らめるしかなかった。
「……アリス」
小さく呼び返した後、レティシアは少し身を乗り出した。
「もっと話を聞かせて。君がどこから来て、何を見てきたのか……全部じゃなくてもいい、少しでも知りたいんだ」
その声音は真剣だった。
アリスはその眼差しに息を呑み、胸の奥でざわめく思いを抑えきれなくなる。
《……ゆっくりでいいよ、アリス》
《……うん》
《全部じゃなくていい。今話せることからで大丈夫》
思念のフローラの言葉を聞き、アリスは小さく唇を噛んだ。
しばらく言葉を探していたが、やがて小さく肩を落とし、ぽつりと口を開いた。
「……えっと……私は……ファーレンナイト王国の、魔導学院の……学生で……」
言葉は不器用で、途切れ途切れだった。
それでも、嘘は一つも含まれていない。
レティシアは黙ったまま、その一言一言を聞いている。
アリスは視線を落とし、思い出を手探りするように続けた。
「……学院で、仲間たちと過ごしていて……それから、いろいろあって……」
どこから説明すればいいのか分からず、言葉が何度も途切れる。
「その後……《封印門》って呼ばれている門の調査に、参加していたんです」
「……封印門?」
「はい。何重にも封印されていて……何があるのか、誰にも分からない門です」
レティシアの瞳がわずかに細くなる。
「最初は近づいて調べるだけだったんです。でも……私は、その門に触れることができて……」
アリスは自分の右手へ視線を落とした。
「それから、ごく少しだけ魔力を流しました。すぐに止めたんですけど……門の反応が止まらなくなって……」
「……」
「手を離そうとしても動かなくなって……そのまま、門に引き込まれました」
あの瞬間の青白い光が、脳裏に蘇る。
「クラリスが走ってきたところまでは覚えています。そのあと光に包まれて……そこから先は、分かりません」
アリスは一度言葉を止める。
「次に目を覚ました時には……知らない草原に、一人でいました」
レティシアの眉がわずかに動いた。
「……草原?」
「はい。周りには誰もいなくて、どこなのかも分からなくて……戻ろうとして転移魔法も試したんですけど、使えませんでした」
アリスは膝の上で指を組み、続ける。
「それで周囲を調べながら歩いていたら、壊れた建物を見つけて……そこで、レイリスに会いました」
「……レイリスに」
「はい。そのあと……フローラにも会って。それから、この要塞まで連れてきてもらって……」
声がかすかに震えた。
「……正直、まだ夢を見てるみたいで……」
その言葉には、迷いと不安がそのまま滲んでいた。
「私の知っている名前や場所が、あまりにもたくさんあって……でも、ここが本当に私の知っている過去なのか、それとも別の何かなのか……まだ分からなくて……」
レティシアはそんなアリスの姿を黙って見つめていた。
頷きも口を挟むこともなく、ただ話を聞いている。
《……アリス。たどたどしくても大丈夫だよ》
《……ちゃんと伝わってるかな》
《大丈夫。今分かってることだけ話せばいいよ》
思念のフローラがそっと支えるように囁いた。
アリスは小さく息を整え、もう一度言葉を紡ごうと口を開いた。
だが、何から続ければいいのか分からず、言葉が止まる。
「……その……」
沈黙が落ちた。
自分でも何をどう話しているのかわからず、不安に視線を伏せる。
だが――レティシアの碧眼は真剣に、ただその一言一句を追っていた。
そして、そっと微笑んで首を振る。
「……まだ続けて」
アリスは驚いて顔を上げた。
「え……?」
「断片でもいい。思い出した順でいい」
「……」
「君がここに来るまでに、何を見て、誰と過ごしてきたのか……もっと知りたい」
レティシアの声音は穏やかだった。
「……レティシア……」
アリスは胸を震わせ、唇を噛んだ。
《……アリス、かなり心を開かれたね》
《今それ言う?》
《だって、本当にそう見えるんだもん》
思念のフローラがくすくす笑う。
アリスは深く息を吸い込み、再び言葉を紡ぎ始めた。




