第十五部 第二章 第9話
笑いと談笑が広がる中、酒の香りが食堂を満たしていく。
温もりを帯びた空気が、ゆっくりと広がっていく。
緊張に包まれていた兵士たちの顔にも、次第に明るい色が戻り始めていた。
張りつめていた表情が、少しずつほどけていく。
「さて……」
杯を置いたのは、万能型の剣士――エリシア・グランフォードだった。
彼女は静かにアリスへと視線を向ける。
その瞳には静かな探究の光が宿っている。
「アリス。ひとつ聞かせてくれ。君は……どんな戦いを得意とする?」
その問いに、周囲のナンバーズたちも興味深そうに耳を傾ける。
自然と視線が集まっていく。
「剣か? それとも魔術か?」
イリアがにやにやと笑いながら続ける。
「隠す必要はないよ。ここに座っている時点で、ただ者じゃないのは誰だってわかる」
マリナが穏やかな声で加え、セリオナも小さく頷いた。
アリスは杯を指でなぞりながら、胸の奥に小さなざわめきを覚える。
指先に伝わる冷たさが、逆に意識を引き締める。
(ここでどう答えるべき……? 正直に言えば疑われるかもしれないし、でも……)
《どうする、アリス? 全部話してもいいし、ちょっと誤魔化すのもありだよ》
思念のフローラがくすくすと笑う。
アリスは口を開きかけ、少し言葉を選んだ。
呼吸を整え、やがて小さく笑みを浮かべて答える。
「……得意と言えるほどではありませんが……剣も、魔術も……どちらも使います」
その言葉に、食卓の空気がわずかに揺れる。
イリアは目を見開き、やがて豪快に笑った。
「ははっ! どちらもか! 欲張りなやつだな!」
「でも、謙遜してる顔じゃないな」
カティアが茶化すように身を乗り出す。
「きっと相当やれるんでしょ?」
「……いえ、本当にまだまだ未熟なんです」
アリスは慌てて手を振り、視線を伏せる。
胸の奥で小さく息を吐く。
「剣も魔術も、か」
エリシアが顎に手を添え、興味深そうに目を細めた。
「それは並大抵の訓練で成し得るものではない。……実戦も経験しているようだな」
セリオナ・エクスバルドが静かに頷く。
「いずれにせよ、この要塞にいる限り、いずれ力を借りることになるかもしれない。……その時は、我らと肩を並べてほしい」
「……はい」
アリスは胸の奥に熱いものを感じながら、小さく頷いた。
その言葉の重みを受け止めるように。
《やっぱり見抜かれたね。でも……今のアリスの答え方なら、悪い印象にはならないと思うよ》
思念のフローラの声に、アリスは心の中で小さく息を吐いた。
杯を傾けながら、リディアはじっとアリスを見つめていた。
視線は鋭く、しかし何かを確かめるような色を帯びている。
やがて、彼女は小さく呟いた。
「……やっぱり、レティシアと同じ……魂の色」
その言葉に、レティシアが即座に反応した。
「どういうこと!?」
椅子を鳴らして身を乗り出し、勢いよくリディアへ顔を向ける。
その動きは普段の彼女からは想像できないほど鋭い。
碧眼は真剣そのもので、抑えきれない感情がその奥に浮かんでいた。
「お、おいレティシア……」
イリアが目を丸くし、カティアは吹き出しそうになりながら口を押さえる。
「めったに見ないな、あの人があんな顔をするのは」
マリナが苦笑し、兵士たちの間からも小さな笑い声が漏れる。
アリスは突然の展開に固まり、思念のフローラだけが大笑いしていた。
《あははは! アリス、見た? レティシア、すごい前のめり! これ、かなり珍しいよ!》
笑いに包まれる中、リディアは真剣なまなざしを崩さずに言葉を継いだ。
「……私には“魂の色”が見える。訓練で得たものではなく、生まれつきの感覚だ。人は皆、それぞれに違う輝きを放っている。……けれど」
彼女の視線が再びアリスに向けられる。
「あなたのそれは……レティシアと同じ。鮮烈で、けれどどこか儚い、白銀の色をしている」
「……!」
レティシアはさらに身を乗り出し、息を呑んだ。
その瞳には、抑えきれないほど強い関心が浮かんでいる。
「リディア、それは――」
「……レティシア」
フローラが小さく制するように声をかける。
レティシアははっとして周囲を見回した。
兵士たちもナンバーズも、珍しく動揺を見せる彼女を興味深げに見つめている。
その光景に気づき、わずかに表情が引き締まる。
「……すまない。詳しくは後にしよう」
レティシアは大きく息を吐き、背もたれに身を戻した。
感情を押し込み、いつもの威厳を取り戻していく。
「今は皆と共に食事を楽しむべき時だ」
その言葉に、再び場の空気が和らぎ、笑い声と談笑が戻っていく。
賑わいを取り戻した食堂で、アリスは杯を口に運びながら小さく息をついた。
胸の奥に残っていた緊張が、ゆっくりとほどけていく。
その胸中で、思念のフローラが囁く。
《……やっぱり、アリスの“色”は隠せないみたい》
(……うん。実はね、レイリスにも言われたことがあるの)
アリスは心の中で返す。
《えっ、レイリスにも?》
(そう……。『あなたの魂の色は、一発で見抜ける』って。……リディアなら、一発でわかるって)
《ぷっ……ははははっ!!》
思念のフローラが爆笑し、アリスは慌てて杯で口元を隠した。
笑いをこらえるために息を整える。
《あはは! 確かにリディアなら一発だね! むしろ、あれを見抜ける人なんてそうそういないよ!》
アリスは苦笑をこぼしながら、(……笑い事じゃないんだけど)と心の中で返すしかなかった。
それでもどこか救われるような感覚があった。
杯が重なり、笑い声が絶え間なく響く。
温かな音が空間を満たしていく。
兵士たちは頬を赤らめ、ナンバーズも珍しく談笑を交わしていた。
戦場にいることを忘れさせるような穏やかな時間だった。
戦時下にありながら、ここだけはまるで別世界のように温かい空気が流れていた。
その優しさが、胸の奥に染み込んでいく。
アリスも肩の力を抜き、フローラやカティアの冗談に小さく笑みを返す。
自然と表情が柔らいでいく。
思念のフローラはといえば、まだ先ほどの「リディアなら一発」の話を思い出してはくすくす笑っていた。
その軽やかな気配が心の内に響く。
やがて、杯の底が尽きる頃。
時間がひとつ区切られる。
レティシアがゆっくりと立ち上がり、全員の視線を集める。
「――今宵はここまでとしよう」
その声に、場が静まり返る。
自然と全員の意識が集中する。
「束の間ではあったが、有意義な時だった。皆、英気を養え」
短くも凛とした言葉に、兵士たちが一斉に立ち上がり、敬礼で応じる。
規律と信頼がその場を満たす。
そして、彼女の碧眼がまっすぐにアリスへ向けられた。
「……アリス。後で私の私室へ来てほしい」
「……っ!」
突然の言葉に、アリスは思わず杯を握りしめた。
胸の奥で鼓動が一気に跳ね上がる。
周囲のナンバーズや兵士たちは驚いたように目を見交わし、ざわめきが広がった。
《来たね、アリス。呼び出しだよ!》
《……やっぱり、魂の色の話かな》
《たぶんね。さっき途中で止めたし》
思念のフローラの声に、アリスは小さく息を吐いた。
食堂のざわめきが徐々に落ち着き、兵士たちが席を立っていく。
賑わいがゆっくりと引いていく。
アリスも立ち上がり、レティシアの私室へ向かうべく歩き出そうとした。
その時、静かな声が背後から届いた。
「……アリス」
振り返ると、セリオナ・エクスバルドがそこにいた。
彼女は椅子から半身を起こし、凛とした眼差しでこちらを見つめている。
「我らがレティシア様に呼ばれるということは……軽いことではないわ」
言葉に感情を強く乗せはしない。
だが、その声には明確な重みがあった。
アリスは思わず息を呑む。
「何を聞かれても、落ち着いて答えることね。……レティシア様はあなたを信じている。それだけは間違いないから」
「……はい」
アリスは小さく頷き、再び歩き出す。
《うわぁ……やっぱり大事な話になりそうだね、アリス》
《余計に緊張してきたんだけど……》
思念のフローラが半ば茶化すように囁き、アリスは苦笑を浮かべた。
要塞の奥へと続く石造りの廊下。
壁に埋め込まれた魔導灯が淡い光を放ち、足音が静かに響いた。
(……呼び出し、か。いったい何を話すつもりなんだろう……)
アリスは緊張で胸の鼓動を早めながら歩を進める。
やがて兵士に案内され、重厚な扉の前へと辿り着いた。
「こちらです」
兵士が敬礼し、静かに退いた。
アリスは一度深呼吸をし、意を決して扉を叩く。
指先にわずかな震えが残る。
「……入れ」
低くも澄んだ声が中から響いた。
扉を押し開けると、そこには静謐な空間が広がっていた。
外の喧騒が嘘のように消え去る。
灯火に照らされる机。
その背後に立つのは――レティシア・ファーレンナイト、その人であった。
碧眼がまっすぐにアリスへ向けられる。
《うわぁ……始まっちゃったね、アリス。ここからが本題だよ》
思念のフローラの声に、アリスはごくりと唾を飲み込んだ。
静謐な室内に立つレティシアは、しばしアリスを見据えていた。
その眼差しは厳しくも、どこか揺れるものを孕んでいる。
やがて彼女は小さく息を吐き、机の前に置かれた椅子を示した。
「……座って」
「……はい」
アリスは緊張を隠しきれぬまま、ぎこちなく腰を下ろした。
椅子の感触がやけに現実的に感じられる。
レティシアも対面に腰を下ろし、指先で杯を転がすように弄ぶ。
微かな音が静寂の中で際立つ。
重苦しい沈黙が数瞬流れ、彼女の視線はアリスから逸れなかった。
《おぉ……ガチ対面モードだね。アリス、またお見合いみたいになってる》
《今それ言う!?》
思念のフローラが冗談めかして囁くが、アリスは笑う余裕などなかった。
胸の奥で鼓動が強く響く。
レティシアはやがて、静かに口を開いた。
「……さて。君に聞きたいことは多い」
レティシアは杯から指を離し、改めてアリスを見つめた。




