第十五部 第二章 第3話
アリスは視線を移し、背後に控える“レイリス”と呼ばれた幼いエルフの少女を見つめた。
その瞬間、息が止まる。
(……まさか……!)
確かにそこに立っているのは、偽装を解除したレイラを幼くしたような姿。
いや――それだけではない。
レティシアの記憶に残る、三百年前の戦場にいた“あの少女”を、さらに幼くしたような姿だった。
(……レイリス……? 本当に……?)
あまりにも似ている。
偶然と片づけるには、その面影はあまりにも重なっていた。
その時、頭の中でフローラが弾けたように笑った。
《ちっさ! ちっさ!! あのレイリスが、こんなちっちゃい子供になってるなんて!》
《……っ、笑ってる場合!?》
《ごめんごめん、でも可愛すぎて……っ、ちょっと待って、これ本当にレイリスなの!?》
フローラの声が思念を通じて響き、アリスは必死に顔に出さないよう唇を結んだ。
頬の筋肉がわずかに震えるのを、どうにか抑え込む。
目の前にいる“もう一人のフローラ”と、記憶の中のレイリスによく似た幼い少女。
次々と重なる一致に、アリスはまだ状況を整理できずにいた。
アリスの視線が幼い少女に吸い寄せられているのを見て、銀髪の“もう一人のフローラ”が静かに口を開いた。
「……驚いているようね。その子は“レイリス・セリンドリス”。私たちの庇護のもとにある存在よ」
アリスは思わず息を呑む。
(……やっぱり……レイリス・セリンドリス……!)
目の前のフローラは落ち着いた声音で続けた。
「彼女はまだ幼く、この世界の理からすれば未熟な力しか持たない。けれど……ここでは彼女の血筋と魂が、とても重要なの」
背後のレイリスは、不安げにフローラの袖を握りながらも、アリスを睨むように見つめ返している。
その瞳には、まだ恐怖が残っていた。
逃げたい気持ちを押さえ込むように、それでもその場から離れようとはしない。
《……やっぱり、本当にレイリスなんだ……》
アリスの中で、フローラがようやく笑いを収めた。
《でも……偶然にしては出来すぎてるよね。私までいるし、ちょっと気になる》
アリスはルミナ=コードを静かに納め、深く息を吸った。
刃を収めることで、改めて敵意がないことを示す。
(……フローラが二人。そして、レイリスまで……これは一体……?)
思考はまとまらない。
それでも、今は目の前にいる二人から情報を得るしかなかった。
銀髪の“もう一人のフローラ”は周囲を一瞥し、冷静に口を開いた。
「……とりあえず、ここはまだ危険よ。廃墟には魔力の残滓が濃く残っている。詳しい話は、私たちのベースに戻ってからにしましょう」
アリスが頷きかけた、その時――思念の中のフローラが急に声を張り上げた。
《さっ、生きてる私に続けーっ!》
《……はぁ!? 何そのテンション!?》
《いやだって、目の前に“私”が動いて喋ってるんだよ! こんなの気にするなって方が無理でしょ!》
アリスは思わず頭を抱えそうになるが、どうにか表情には出さずに耐えた。
目の前のフローラは至って真剣な顔でこちらを見つめている。
同じ顔をしているのに、アリスの中から聞こえてくる声との温度差があまりにも大きかった。
「……分かったわ」
アリスは小さく息をつき、答えた。
「あなたたちのベースに、案内してもらえる?」
「ええ」
フローラは小さく頷き、レイリスを促すように肩へ手を置いた。
レイリスは一瞬だけアリスを警戒するように見たが、やがて小さく息を吸い、歩き出した。
アリスは歩き出そうとするフローラの背に問いかけた。
「……その、“ベース”って何?」
フローラは振り返り、柔らかな微笑を浮かべて答える。
「人族連合軍の拠点よ。あなたがどこから来たのか、どうして一人でこんな場所にいたのか……そこでなら、もう少し話ができると思う」
「……人族、連合軍……?」
耳慣れない言葉に、アリスの眉がわずかに寄る。
するとフローラはしばらくアリスを見つめ、ふと瞳を細めた。
「……あなた、不思議ね。初めて会ったはずなのに……どうしてかしら。どこか懐かしい。いえ……まるで知っている人の気配に、とてもよく似ている」
「……?」
アリスは首を傾げた。
だが胸の奥では、別の意味で強く波が立っている。
《おっと、アリス! なんか気づかれてない?》
《……何に?》
《いや、それが分からないから困ってるんだけど!》
アリスは心の中でため息をつきながらも、表情には出さず、フローラの視線を受け止めた。
フローラはアリスをじっと見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……あなた、私たちのトップにそっくりなの。――レティシア・ファーレンナイトに」
「……っ!」
アリスの瞳が大きく見開かれる。
《ちょ、ちょっと待って!? 今、この人……“レティシア”って言った!?》
《……言った》
《アリス……これ、さすがに偶然で片づけるには多すぎない?》
アリスは必死に表情を整えたが、次々と浮かぶ疑問を抑えられなかった。
(……どうして、この場所に“レティシア”の名が……? しかも、トップ……?)
フローラはアリスの反応を見ながら、静かに言葉を続ける。
「私たちの連合軍は、レティシアの意思を掲げて戦っている。……あなたの雰囲気が似ているのも、少し気になるわね」
アリスは思わず呟いた。
「フローラがいて……レイリスがいて……そのうえ、レティシアまで……」
指先がわずかに震える。
「……こ、ここって……まさか、三百年前なの!?」
目の前に重なる情報から、思わずその可能性が口をついて出た。
《アリス、まだ決めつけないで!》
《でも……!》
《分かってる。私も混乱してる。でも、本当に過去なのか、それとも別の何かなのか、まだ分からないよ》
フローラの声にも戸惑いが残っていた。
《だって、ここには“私”がいて、“レイリス”までいるんだよ? こんなの私だって説明できない》
アリスは深く息を吸い込んだ。
(……どうして……三百年前の記憶にある名前が、今ここに……?)
問いは繰り返されるばかりで、答えには辿り着かない。
目の前の“もう一人のフローラ”は、そんなアリスを静かに見つめていた。
「……三百年前……なの? だって、フローラも……レイリスも……レティシアまで……!」
必死に言葉を繋げるアリスを見て、幼いレイリスが首をかしげた。
「……三百年前? なに言ってるの?」
その小さな声には、純粋な疑問しかなかった。
「よく分からないけど……今は魔国との戦争の真っ最中だよ」
「……っ!」
アリスの呼吸が一瞬止まる。
“魔国との戦争”。
それは、レティシアの記憶に残る三百年前にも存在した戦いだった。
《……アリス》
《うん》
《三百年前の記憶と重なる部分が多すぎる》
《じゃあ、やっぱり……》
《まだ分からない。過去そのものなのか、別の場所なのか……今の情報だけじゃ決められないよ》
アリスは混乱を抑え込みながら、幼いレイリスを見つめ返した。
(……魔国との戦争の最中……? じゃあ、ここは……?)
思考は答えに辿り着かないまま、同じ問いを繰り返す。
アリスの動揺を見て、銀髪のフローラは小さく息を吐いた。
「……どうやら、かなり混乱しているようね」
声は穏やかだった。
「無理もないわ。あなた自身も、ここへ来た理由が分からないのでしょう? まずは私たちのベースで休んだ方がいいわ」
その言葉に、アリスはかろうじて呼吸を整えた。
(……落ち着け。焦っても何も分からない……)
《そうそう、深呼吸深呼吸。頭がパンクしちゃう前に、まずは情報集めよう》
《……誰のせいで余計に混乱してると思ってるの》
《え、私?》
《あなた以外に誰がいるの》
《ひどいなあ》
「……はぁ」
アリスは思わず小さくため息を漏らした。
けれど肩の力は、ほんの少しだけ抜けていた。
フローラはレイリスの肩に手を置き、アリスへと視線を向ける。
「さあ、行きましょう。話の続きは、拠点に着いてからよ」
アリスはフローラとレイリスに続き、崩れた廃墟を後にした。
歩き出すと、草原の光景は少しずつ表情を変えていった。
先ほどまでの穏やかさの奥に、別の景色が広がり始める。
遠くには巨大な岩の裂け目があり、そこから淡い赤紫の光が漏れている。
その光は不規則に揺れ、周囲の空気まで歪んで見えた。
地平線には、黒雲のような魔力の瘴気が揺らめき、時折、稲妻のような光が走っていた。
「……これは……」
アリスは息を呑む。
草原の穏やかさとは裏腹に、その先には明らかに異質な景色が広がっていた。
《あれ……魔力の感じがかなり濃いね》
《魔国と関係あるのかな》
《可能性はあるけど、まだ分からない》
ふと足元に目をやると、古い石畳が草の下から顔をのぞかせていた。
ところどころに戦闘の爪痕が残り、焼け焦げた土と砕けた石が点々と続いている。
廃墟だけではなく、この一帯にも争いの痕跡が残っていた。
「……ここを通って、ベースに?」
アリスが尋ねると、銀髪のフローラは軽く頷いた。
「ええ。少し歩けば、結界の内側に入れるはずよ」
レイリスは振り返り、じっとアリスを見つめた。
その瞳にはまだ警戒が残っていたが、どこか好奇心も混じっている。
アリスは胸のざわめきを押さえながら、再び前を向いた。
(……ここは本当に、三百年前の“戦場”なの……? それとも――三百年前とよく似た、まだ知らない“どこか”なの……?)
風が吹き抜け、草原の波がゆっくりと揺れる。
答えはまだ出ない。
アリスはフローラとレイリスの背中を追いながら、一歩ずつ拠点へ向かって歩いていった。
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