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第十五部 第二章 第1話

 アリスは、まぶしい光に思わず瞼を細めた。


 頬を撫でる柔らかな陽射しと、目の奥まで届くような澄んだ輝き。

 背中には柔らかな感触があり、草の匂いが鼻先をかすめている。

 どうやら、自分は地面に横たわっているらしい。


《……あれ……私……》


 ぼんやりとしていた意識が、少しずつはっきりしていく。


 アリスはゆっくりと目を開けた。

 そこには、どこまでも青く広がる空があった。


《……雲ひとつない》


 身体を起こし、周囲を見回す。

 見渡す限りの草原が続き、小さな花々が風に揺れていた。

 遠くには木々の姿も見えるが、人影らしいものはない。


「……ここ……どこ?」


 その瞬間、途切れていた記憶が一気に戻ってきた。


 第十二層。

 《封印門》。

 最初の接触では拒絶されず、そのあと最低限の魔力を流す試験を行った。


 門の反応が急激に強まり、クラリスの声で魔力を止めた。

 それでも反応は止まらず、手を引こうとしても動かなかった。


「……そうだ」


 アリスは自分の右手を見る。


「門に……引っ張られて……」


 青白い光が腕を包み、全身へ広がった。

 クラリスが駆け寄ってくる姿と、フローラの声までは覚えている。


 そして――そこから先がない。


《フローラ……聞こえる?》


 すぐに、聞き慣れた声が返ってきた。


《聞こえるよ、アリス》

《よかった……》

《私も今、ちょっと安心した。思念体でも意識が飛ぶことってあるんだね。初めて知ったよ》

《そこに感心するの?》

《だって知らなかったんだもん》


 いつもの調子に、アリスは小さく息を吐いた。


《フローラは、何が起きたか覚えてる?》

《アリスが門に引っ張られて、光に包まれたところまでは》

《私と同じ……》

《うん。そのあとがない。気づいたらアリスと一緒にここにいた》


 アリスは周囲へ視線を巡らせる。


《じゃあ、ここが門の向こうなのかも分からない?》

《分からないね。門の内部なのか、別の場所へ飛ばされたのか、それとも全然違う何かなのか》


 フローラが少し間を置く。


《でも、一つ気になることはあるよ》

《何?》

《ここの魔力。私たちがいた場所とは、かなり感じが違う》


 アリスも意識を集中させた。


 草原を満たす魔力は穏やかだった。

 敵意や危険を感じるものではないが、これまで慣れ親しんできた流れとは明らかに違う。


「……本当だ」


 アリスは立ち上がった。


「見た目は普通の草原なのに……魔力が違う」


《うん。だから、少なくとも第十二層のあの場所とは違うと思う》

《……どこまで離されたんだろう》

《それをこれから調べないとね》


 フローラの答えに、アリスは頷いた。


 青空。

 草原。

 遠くに見える木々。


 風は吹いている。

 だが、耳を澄ませても鳥や獣の声は聞こえてこなかった。


「……静かすぎる」


《私もそれは気になる》


 アリスは足元の草へ手を伸ばした。

 指先からわずかに魔力を広げ、地面と周囲の流れを探る。


 魔力そのものは存在している。

 だが、知っている世界の流れとは違い、すぐには特徴を掴めなかった。


「……立ち止まってても仕方ないか」


《そうだね。でも、まず帰れるか試してみたら?》

《……そうだ》


 アリスは目を閉じた。


 転移術式を組み上げ、自分がいた場所へ戻ることを意識する。

 魔力は正常に動き、術式も途中までは形を作った。


 しかし――。


「……っ?」


 完成する直前、術式が崩れた。


 集めた魔力が散り、転移は発動しない。


《失敗した?》

《うん》


 アリスはもう一度試す。


 結果は同じだった。

 術式は構築できるが、転移へ移る直前で崩れてしまう。


《術式そのものがおかしい感じじゃないね》

《私もそう思う》


 アリスは周囲を見回した。


「ここでは、転移がうまく成立しないのかもしれない」


《その可能性はありそう。でも、一回二回じゃまだ分からないね》

《うん》


 アリスは小さく息を吐いた。


「じゃあ、次」


 今度は周囲へ魔力感知を広げる。


 草。

 地面。

 空気中を流れる魔力。


 探れる範囲を少しずつ広げていくが、人や大型の生物らしい反応は見つからない。


「……誰もいない」


《少なくとも、今探れる範囲にはね》


 アリスはさらに意識を集中させた。

 周囲へ感知を広げ、クラリスたちの魔力や気配がないか探してみる。


 だが、何の反応も返ってこなかった。


「……いない」


《うん。少なくとも、近くにはいないみたい》


 アリスは少しだけ俯いた。


 門へ引き込まれる直前まで、クラリスたちはすぐ後ろにいた。

 それが今は、気配すら感じ取れない。


《アリス》

《大丈夫》

《まだ何も分かってないからね》

《うん。分かってる》


 アリスは顔を上げた。


「帰れないって決まったわけじゃない」


《そうそう。その意気》


 少し考えてから、アリスは自分の所持品を確認する。


「……《インベントリア=ゼロ》」


 魔力を通すと、馴染みの反応が返ってきた。


「……使える」


《おお、それは大きい》

《うん》


 収納されている物資も確認する。

 装備や食料、水など、すぐに必要になるものは残っていた。


「……これなら、少なくともすぐに困ることはなさそう」


《よかったね。食べるものまで何もなかったら、さすがに笑えなかったよ》

《フローラなら笑いそうだけど》

《ひどいなあ。私だってそこは心配するよ?》


 アリスは思わず小さく笑った。


 状況は何一つ解決していない。

 それでも、手元に使える物資があるだけで、先ほどよりは落ち着いて考えられる。


「……よし」


 アリスは草原の向こうへ視線を向けた。


「転移は今のところ使えない。でも、魔法そのものが全部使えないわけじゃない」

《うん》

《だったら、ここが何なのか調べる》

《それが一番だね》


 アリスは一歩を踏み出した。


 草原を渡る風が髪とスカートを揺らす。

 振り返れば、先ほどまで倒れていた場所が少しずつ遠ざかっていく。


 見渡す限り、青と緑の景色が続いていた。


《音、匂い、魔力の変化……何かあったら教えて》

《もちろん。アリスも変なもの見つけたら勝手に触らないでよ?》

《……今それ言う?》

《今だから言ってるんだけど》

《分かったよ》


 アリスは周囲へ注意を向けながら歩き続けた。


 しばらく進んでも、景色に大きな変化はない。

 草原の先には同じような緑が広がり、人工物も見つからなかった。


 鳥の声もない。

 獣の気配もない。


「……本当に何もいないね」


《ここまで何もいないと、逆に気になるね》


 アリスは歩みを止めず、遠くの木々を目印に進んでいった。


 やがて太陽が傾き始める。

 青かった空が少しずつ茜色へ変わり、草原に長い影が伸びていた。


「……今日はここまでかな」


《うん。暗くなってから知らない場所を歩く方が危ないよ》


 アリスは周囲を確認した。

 今のところ敵性反応もなく、地面も安定している。


「じゃあ、ここで休もう」


 《インベントリア=ゼロ》から野営に使える道具と食料を取り出す。

 簡単な準備を整え、周囲に警戒用の結界を張った。


「……よし」


 アリスは腰を下ろし、保存食を口に運ぶ。


《味は?》

《いつも通り》

《おいしくない?》

《そこまでは言ってない》

《顔が言ってるよ》

《見えてるの?》

《なんとなく》


 アリスは苦笑した。


 まだ、ここがどこなのか分からない。

 帰る方法も見つかっていない。


 だが、明日も動ける。

 それだけは確かだった。


 やがて空は完全に暗くなり、頭上に星が現れ始めた。


「……知らない星ばかり」


 アリスはしばらく夜空を見上げる。

 少なくとも、自分が見慣れている星の並びとは違って見えた。


《これも記録しておいた方がよさそうだね》

《うん》


 アリスは目にした星の並びを覚えながら、寝袋へ身体を沈めた。


《アリス、今日はもう休んだ方がいいよ》

《でも、警戒は――》

《私も周りを見てるから。何かあったらすぐ起こす》

《フローラは大丈夫なの?》

《さっき一回意識飛んだからね。むしろ今は妙に元気》

《……それ、大丈夫って言っていいのかな》

《大丈夫大丈夫♪》


 アリスは小さく笑った。


《ありがとう、フローラ》

《どういたしまして。こういう時くらい頼ってよ》


 風が結界の外側で草を揺らしている。


 アリスは目を閉じた。


《明日は……何か見つかるといいな》

《見つけよう。帰る方法も、それ以外も》


 その声を聞きながら、アリスはゆっくりと息を吐いた。


 ここがどこなのか。

 《封印門》に引き込まれたあと、なぜ自分がここへ来たのか。


 まだ何一つ分からない。


 それでも、立ち止まるつもりはなかった。


 アリスは明日の探索を思いながら、静かな草原の夜へ意識を預けていった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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