第十五部 第一章 第10話
「ほかの層は?」
「大きな異常はありません。ただ、門全体の位相がわずかに変化しています」
クラリスが解析結果を確認する。
「アリスが近づいたことに反応している可能性はあります」
「アリスさん」
セシリアが呼びかける。
「一度戻ってください」
「はい」
アリスが一歩下がる。
「反応、低下しています」
さらに距離を取ると、青白い光は元の明滅へ戻った。
「……少なくとも、無関係とは言い切れなくなったな」
マーロが低く呟く。
「ですが、分かったのは接近に反応したことだけです」
「それ以上はまだ断定できない、か」
「はい」
アリスは《封印門》へ視線を戻した。
《……フローラ》
《うん》
《反応したね》
《したね。でも、それだけ》
《まだ触らない方がいい?》
《私はそう思う。何が起きるか分からないから》
アリスは少しだけ目を伏せる。
《でも、決めるのはアリスだから》
《……うん》
アリスは顔を上げた。
「……確かに、私が何かに関わっているのかもしれません。けど――」
一度目を閉じ、《封印門》を正面から見据え直す。
「私が応じるべき時が来るのなら……その時は、覚悟を決めます」
誰もすぐには答えなかった。
青白い光だけが一定の間隔で明滅している。
《――よっし! なら私も全力で応援するぞ、アリス! がんばれーっ☆》
《……っ、フローラ、今それ言う!?》
《だって真面目なだけじゃ息が詰まるでしょ? ほら、私がついてるから大丈夫大丈夫♪》
アリスは思わず小さく息を吐いた。
セシリアがクラリスへ視線を向ける。
「先ほどの反応を踏まえて、直接接触を試すことはできますか?」
「ヴァルク准将と同じ条件なら可能です」
クラリスが端末を操作する。
「魔力は流さず、触れるだけ。異常が発生した時点ですぐに離脱します」
「分かりました」
セシリアはアリスへ向き直る。
「……アリスさん。無理を強いるつもりはありません。ただ、次に確認するならアリスさんになるでしょう」
「やります」
クラリスがすぐにアリスを見る。
「アリス」
「大丈夫」
「まだ何が起きるか分からないよ」
「分かってる」
アリスは小さく頷いた。
「触れるだけにするから」
クラリスはしばらくアリスを見つめたあと、頷いた。
「……分かった」
セシリアが全員へ指示を出す。
「接触試験を一度だけ実施します。結界部隊は防御を最大まで維持。兵装班は現在位置を保持してください」
「了解!」
アリスは深く頷き、ゆっくりと前へ歩を進める。
青白い脈動を放つ《封印門》へ近づくにつれ、白銀の紋様が再び淡く輝き始めた。
しかし、ヴァルク准将の時に見られた侵入拒絶層の増幅は起こらない。
《……大丈夫。私がついてる》
《……わかってる。でも、これは私が選ばなきゃいけない》
《うん。それでいい。だから、迷わないで》
アリスは短く目を閉じ、再び見開いた。
青白い光をまとった門の中心へ、右手を差し伸べる。
アリスの指先が《封印門》の青白い膜に触れた瞬間――拒絶の衝撃は訪れなかった。
代わりに、静かな震動が掌から腕へ伝わり、光の膜が淡い波紋を広げていく。
「……っ!」
背後で誰かが息を呑む。
門全体が低く脈打ち、白銀と漆黒の紋様がゆっくりとうねり始めた。
しかし――開かない。
アーチの内部は青白い光を強めながらも、通路を形成することなく揺らめいている。
「拒絶反応は……ありません」
マーロが端末を確認する。
クラリスも解析結果を追う。
「侵入拒絶層は安定しています。ただ、門全体の位相は変化しています」
「つまり……アリスさんなら触れられるということか」
ヴァルク准将が門を見据える。
「現時点で確認できるのは、そこまでです」
クラリスが答える。
「アリスが何らかの条件を満たしているかどうかは、まだ分かりません」
《……ね、ほら言った通りでしょ? アリスだけは弾かれなかった!》
《……でも、まだ開いてない》
《まあまあ、それはまだ分からないってこと。焦るな焦るな♪》
《……あなたは相変わらず呑気ね》
《でしょ? そうやってバランス取ってあげてるの。こっちは真面目一辺倒じゃ長持ちしないから》
アリスは小さく息を吐いた。
「アリス、いったん手を離して」
「うん」
アリスが指先を離す。
波紋はゆっくりと消え、門の光も元の明滅へ戻っていった。
「……大丈夫?」
クラリスがすぐ傍まで歩み寄る。
「うん、大丈夫だよ」
「体に変な感じは?」
「ないよ」
「魔力も?」
「減った感じはしない」
クラリスはアリスの様子を確認すると、端末へ視線を戻した。
「接触中の波形も安定していました」
アリスは深く息を吸い直し、セシリアへ視線を向けた。
「……もう一度、やってみます」
セシリアはすぐには答えなかった。
「今度は何を試すつもりですか?」
「触れるだけで反応するなら、少しだけ魔力を流したらどうなるか確かめたいです」
クラリスの表情が変わる。
「アリス。それはさっきまで禁止していたことだよ」
「分かってる」
アリスは頷いた。
「だから、勝手にはやらない」
セシリアがクラリスを見る。
「安全条件を設定できますか?」
「流す量を最低限にするなら。ただし、何が起きるかは分かりません」
クラリスはアリスを見る。
「最初は本当に最低限だけ。少しでも異常が出たら、すぐに魔力を止めて手を離して」
「うん」
セシリアは短く考えたあと、頷いた。
「……分かりました。今回に限り、最低量での魔力供給試験を許可します」
「はい」
「無理はしないでください」
「分かりました」
アリスは再び《封印門》の前へ立った。
青白い光を帯びる膜へ指先を伸ばし、静かに触れる。
拒絶反応は起こらない。
「では、始めます」
クラリスの声に、アリスが小さく頷いた。
最低限の魔力を、ゆっくりと流し込む。
――応えがあった。
膜が淡く脈打ち、波紋が掌を中心に広がる。
先ほどまでとは異なる反応が、《封印門》全体へ走った。
「門の反応値、上昇しています!」
解析班の端末に新たな波形が刻まれる。
アリスは魔力量を増やさず、そのまま維持する。
白銀と漆黒の紋様が一斉に輝き、微細な光粒が周囲へ散り始めた。
「……っ!」
数値が一気に跳ね上がる。
「アリス、もう止めて!」
クラリスの声が飛ぶ。
アリスはすぐに魔力を止め、手を引こうとした。
だが――動かなかった。
「……え?」
指先が青白い膜の内側へ沈み始める。
「アリス!」
クラリスが声を上げる。
「待って!」
アリスも腕を引こうとする。
しかし、門側から引かれる力の方が強い。
「接続反応が上昇しています!」
「魔力は止まっています!」
レイナが端末を確認する。
「それでも反応が止まりません!」
青白い光がアリスの腕を包み込んだ。
《フローラ!》
《アリス、無理に引っ張らないで!》
アリスの身体が大きく揺れる。
「アリス!」
クラリスが駆け出した。
その手が届くより早く、青白い光がアリスの全身へ広がった。
「――っ!」
アリスの姿が光の幕に呑まれる。
次の瞬間、アーチ全体が爆発的な閃光を放った。
「っ……!」
全員が腕で目を庇う。
衝撃が基壇を走り、空気が大きく震えた。
光が視界を覆う。
そして――収束した。
「……アリス?」
クラリスが顔を上げる。
そこにアリスの姿はなかった。
青白く揺らめいていたアーチも形を変えている。
基壇の中央には、白銀と漆黒の文様が刻まれた重厚な石造の扉が立っていた。
数秒、誰も動けなかった。
「……全員、動くな! 防衛陣形を維持!」
セシリア准尉の鋭い声が響く。
兵装班が即座に銃口を構え直し、結界部隊も術式を維持する。
解析班は一斉に端末を操作し、消失直前の波形を追った。
「アリスさんの反応を確認してください!」
「確認中です!」
レイナが記録を走査する。
「……ありません」
「転位反応は?」
「通常の転位波形とは一致しません」
マーロも資料端末を操作する。
「接続反応が最大まで上がった直後、アリスさんの魔力反応だけがこちら側から消えています」
「門の向こうへ移動した可能性は?」
「あります。ただ、現時点では確認できません」
「アリス……!」
クラリスが石造の扉へ向かって名を呼ぶ。
返事はない。
「……落ち着け!」
ヴァルク准将が声を張る。
「敵性反応はない! まず周囲の安全確認を優先しろ!」
兵装班と結界部隊が配置を維持する。
解析班の端末には、先ほどまでとは異なる安定した波形が流れ始めていた。
セシリアが石造の扉を見据える。
「直接接触は禁止します」
各班の動きが止まる。
「アリスさんの所在と門の変化を確認するまでは、誰も近づかないでください。解析班は消失直前の記録を最優先で照合。結界部隊と兵装部隊は現状維持」
「了解!」
クラリスは扉の前から視線を外さなかった。
「アリス……」
小さく名前を呼ぶ。
返事はない。
先ほどまで青白い光を放っていた《封印門》は、重厚な石造の扉へ姿を変えている。
白銀と漆黒の文様だけが表面に残り、光も脈動も消えていた。
「……反応は……ないのか……」
誰かが低く呟く。
「アリスさんの魔力反応は、依然として確認できません」
レイナが答える。
「門内部の反応は?」
「こちらから観測できる範囲では安定しています。ただ……内部までは追えません」
マーロが石造の扉を見る。
「取り込まれたと断定するのは早い。接続先へ移動した可能性もある」
「でも、どこへ……」
クラリスが端末を握ったまま扉を見つめる。
「アリス……応答して……聞こえているなら、返事して……」
呼びかけに応える声はなかった。
セシリアは解析班へ向き直る。
「記録を最初から洗い直してください。接続先を特定できる情報がないか確認します」
「了解しました」
端末に残された波形が再び照合されていく。
基壇の中央では、重厚な石造の扉だけが動かない。
その向こうにアリスがいるのか。
別の場所へ移されたのか。
まだ、誰にも分からなかった。
「……アリス……どこへ」
クラリスの小さな呟きが、静まり返った基壇へ残った。
石造の扉は何も答えず、沈黙を守り続けていた。




