第十五部 第一章 第8話
門の脈動が速まり、周囲の空気がざわめいた。
耳で聞く音ではない。
皮膚と骨を通して、低い振動が身体の内側へ直接響いてくる。
石柱群を走る白銀の光も次第に速さを増し、基壇の周囲へ淡い光粒が舞い始めた。
その瞬間、アリスの意識へ懐かしい声が触れた。
《……アリス。聞こえる?》
「……!」
忘れるはずのない声だった。
アリスは《封印門》を見つめたまま、心の中だけで応じる。
《フローラ……?》
《ごめんね、急に。でも、今のうちに伝えておきたいことがあるの》
フローラの声はいつもより静かだった。
《あの門、やっぱり閉じ込めるだけのものじゃないみたい。外と内を繋ぐための流れも残ってる》
《……クラリスたちの見立てと同じなんだね》
《うん。でも、私にも全部は分からないよ》
そこでフローラは一度言葉を止めた。
《ただ……通るのが人や物だけとは限らない気がする。魔力とか、それ以外の何かまで通せるような感じがするの》
アリスは剣の柄へ手を掛けた。
《それ以外の、何か……》
《まだ分からない。だから今は触らないで》
フローラの声が少しだけ強くなる。
《観測して、記録して、見極めて。それで十分だから》
《……分かった》
《でも、もしこの門が本当に動き始めたら――》
思念が大きく揺らいだ。
《フローラ?》
《――アリス。気をつけて》
その声を最後に、フローラの気配が急速に遠ざかっていく。
同時に、《封印門》の脈動が大きく跳ね上がった。
「……っ、来る……!」
アリスの声に、周囲の隊員たちが一斉に門へ向き直る。
石柱群の間を強い風が吹き抜け、髪と外套を激しく揺らした。
基壇の表面を走る文様が次々と輝き、門を覆っていた光の層が水面のように波打ち始める。
「魔力反応、急上昇! 観測値が一気に跳ね上がっています!」
ミオラが端末を確認しながら叫ぶ。
「全員、警戒! 結界部隊は展開を強化してください!」
セシリアの指示が飛ぶ。
ナディアたち兵装部隊が前へ出て、ミリエルとフロリアも武器を構えた。
結界側ではサリナたちが展開陣を確認し、各所へ防御術式を重ねていく。
アリスも剣を抜き、《封印門》を見据えた。
門の表面を覆う白銀の文様が急速に明滅する。
その中心で青白い光が渦を巻き、これまで壁のように見えていた光層が大きく歪んだ。
「光層が変化しています!」
ユリスが補助結界を展開する。
次の瞬間、青白い光が門の内側へ吸い込まれた。
そこに現れたのは、底の見えない暗い空間だった。
完全な闇ではなく、深い青白の輝きが奥でゆっくりと揺れている。
「……これ……」
アリスが息を呑む。
門の向こうには、先ほどまで存在しなかった奥行きが生まれていた。
壁だった場所が、どこかへ続く空間へ変わっている。
「接続反応を確認!」
レイナが端末を操作する。
「空間位相が変わっています。ただし、接続先までは追えません!」
「兵装班、防衛態勢を維持!」
ヴァルク准将の声が響く。
誰も門へ近づかない。
各班は前日の会議で決めた通り、観測と防御を優先した。
やがて、激しく渦巻いていた青白い光が突然止まった。
「……?」
次の瞬間、音が消えた。
石柱の低い振動も、風の音も、衣擦れも聞こえない。
目の前では仲間たちが動いているのに、そのすべてから音だけが切り離されていた。
アリスは思わず周囲を見回した。
ミオラが何かを叫んでいる。
ナディアも口を動かしているが、何も聞こえない。
結界の光は残っている。
だが魔力の流れまで止まって見えるほど、周囲は異様な静けさに包まれていた。
アリスは再び《封印門》へ視線を戻した。
青白い光の奥から、何かに見られているような感覚がある。
ほんの数秒だった。
石材が軋む音が、不意に戻った。
「――っ!」
続いて風の音が蘇り、端末の警告音が一斉に鳴り始める。
「全員、状況確認!」
セシリアが即座に声を上げた。
「兵装部隊はそのまま防衛態勢を維持! 結界部隊は展開状態を確認してください! 解析班、今の反応を追って!」
止まっていた各班が一斉に動き始める。
「波形を確認します!」
ミオラが端末へ視線を落とした。
「……え?」
「どうしました?」
レイナが横から画面を覗き込む。
「今の異常反応……途中から記録がありません」
「記録がない?」
「はい。急上昇までは残っています。でも、その直後から正常値に戻るまでの区間が……抜けています」
レイナも自分の端末を操作する。
「こちらも同じです。機器停止の記録もありません」
クラリスが眉を寄せ、《封印門》へ視線を向けた。
「空間そのものが、一時的にこちらの観測から外れた……?」
「可能性はあります」
レイナが答える。
「ただ、現時点では断定できません」
「結界側も確認します」
サリナが展開陣へ手を伸ばした。
「術式は維持されています。でも、さっきの無音状態の間だけ、外部からの干渉値が完全に止まっています」
「完全に?」
「はい。結界が遮断したというより、周囲から干渉そのものがなくなったような記録です」
クラリスが端末へ視線を落とす。
「……やっぱり、普通の空間遮断とは違いますね」
アリスは黙ったまま、《封印門》を見つめていた。
《アリス……》
再び、フローラの声がかすかに響く。
《今の間……門の向こうから、こっちを探られていたような感じがした》
《……私も、そう感じた》
《でも、まだ決めつけないでね》
《うん》
アリスは小さく息を吐いた。
「アリス?」
クラリスが隣から声をかける。
「……大丈夫。ただ、さっきの無音になった瞬間、門の向こうから見られているような感じがしたの」
「見られている……」
クラリスが門へ目を向けた。
「感覚だけだけど」
「それでも記録しておきましょう。今はどんな小さな情報でも必要です」
アリスは頷いた。
その間にも、解析班は観測値の照合を続けていた。
「クラリスさん、侵入拒絶層の反応が少し変わっています」
レイナの声に、クラリスが端末へ向かう。
「どこが?」
「基本構造そのものは変わっていません。ただ、さっきの活性化以降、外側から内側へ向かう干渉に対して反応が強く出ています」
クラリスが数値を追う。
「……本当ですね」
五層構造のうち、侵入拒絶を担う術式はすでに確認されている。
しかし現在の反応は、これまで記録されていたものより明確に外部からの干渉へ偏っていた。
「つまり、侵入を拒む機能が強まった?」
マーロ中尉が問いかける。
「そう見えます。ただ……少し気になることがあります」
クラリスが表示を拡大した。
「単純に外から入れないようにしているだけなら、ここまで内側へ干渉を逃がす必要はありません」
「どういうことだ?」
ヴァルク准将が尋ねる。
「外から受けた魔力を弾くだけではなく、内側へ影響が届かないように流れを逸らしているように見えるんです」
周囲が静かになる。
「では……中にあるものを封じながら、同時に外部から守っている可能性もあると?」
マーロが確認する。
「可能性の一つです」
クラリスはすぐに答えた。
「現時点では、それ以上は言えません。侵入拒絶層の本来の目的も、まだ確定していませんから」
「その判断で進めましょう」
セシリアが全員を見渡す。
「解析班は現在の位相変化を記録してください。結界部隊は干渉強度を継続監視。兵装部隊は防衛態勢を維持します」
「了解」
各班が再び作業へ戻る。
クラリスは端末を抱えたまま、アリスの隣へ戻ってきた。
「……封じるだけじゃなく、守っている可能性もある、か」
「うん」
「だとしたら、何を守っているんでしょうね」
アリスは答えなかった。
目の前では、《封印門》が何事もなかったかのように淡い光を明滅させている。
だが、先ほどまでとは違う。
門の向こうに何かがある。
そしてそれが、こちらの存在に気づき始めている。
アリスには、そんな感覚だけが残っていた。




