第十五部 第一章 第6話
翌日、正午。
実地演習施設内の転移室には、すでに全調査隊員が集まっていた。
高い天井の広間では結界光が静かに揺らめき、中央に据えられた転移装置の基盤を淡く照らしている。
術式円の外周では魔力制御陣が連続稼働し、低い駆動音を響かせていた。
各班の隊員たちは、それぞれの持ち場で最終点検を進めている。
兵装部隊は魔導兵装の固定具を確認し、解析班は記録結晶を調整していた。
結界部隊も符号を照合し、転移直後から展開できるよう準備を整えている。
アリスも腰の剣を確かめながら、隣で端末を操作するクラリスへ視線を向けた。
「……いよいよ、ね」
「ええ。ここからが本番だよ」
クラリスが端末から顔を上げる。
その直後、セシリア准尉が全員を見渡した。
「――準備、整いましたね」
各所から「問題ありません」「完了です」と短い返答が上がる。
セシリアはそれを確認すると、一歩前へ出た。
「では、これより第十二層調査を開始します。全員、転移陣へ!」
号令と同時に、隊員たちが順番に術式円の内側へ入っていく。
結界部隊と兵装部隊が外周を固め、解析班と記録班は中央寄りへ配置された。
最後にアリスとクラリスも定められた位置へ進む。
セシリアが端末を操作すると、転移装置の駆動音が一段高くなる。
円環状の文様が白銀の光を帯び、足元から広間全体へ光が広がった。
空気が震え、身体を包む重力がわずかに揺らぐ。
「全員、姿勢を保って」
次の瞬間、白銀の光が視界を覆った。
音が途切れ、上下の感覚が一瞬だけ失われる。
身体が宙へ持ち上げられたような感覚のあと、足元へ再び確かな感触が戻ってきた。
やがて光が収束し、周囲の景色がゆっくりと輪郭を取り戻していく。
視界の先に広がっていたのは、果てしない群青と銀光の世界だった。
「……っ……!」
記録班のメリナが思わず息を呑む。
「これが……第十二層……」
足元には黒曜石を思わせる巨大な岩盤が広がり、その外縁は空へ向かって切り落とされていた。
その先には大小の浮島が幾重にも連なり、淡い魔力光を帯びながら宙に浮かんでいる。
深い群青の空には銀色の光粒が漂い、遠くの浮島群まで薄い輝きに包まれていた。
「重力の揺らぎを確認。通常空間とは明らかに違いますね」
ロミル・セントレイが腕の解析器へ視線を落とす。
「ここからが本番です」
セシリアは岩盤の縁へ進み、少し離れた最初の浮島を指し示した。
「距離は三メートル前後。まずは第一島へ移動します。結界班、補助を」
「展開します」
ユリス・ヘイヴが術式を起動し、島の外縁へ淡い防護結界を広げる。
「では、私が先に行きます」
アリスが岩盤を蹴った。
重力の揺らぎを受けながらも姿勢を崩さず、次の浮島へ着地する。
「問題ありません。続いてどうぞ!」
兵装部隊が先行して渡り、周囲へ警戒を向ける。
続いて結界部隊、解析班、記録班が順番に移動し、最後にクラリスたちも第一浮島へ到着した。
「全員、到着を確認」
セシリアが周囲を見渡す。
「ここから先は足場も安定しているとは限りません。気を抜かずに進みます」
その直後だった。
――ザザッ。
耳の奥を擦るような高いノイズが走る。
「魔力反応……上空!」
ミリエル・オストン准士官の声に、全員が一斉に空を見上げた。
群青の空を横切るように、黒い影が急降下してくる。
半透明の翼を広げた異形の飛行魔獣が口を大きく裂き、耳障りな咆哮を響かせた。
「来るぞ! 防御!」
セシリアの号令が飛ぶ。
アリスが即座に防御結界を展開し、その上からユリスたちが防音と衝撃緩和の術式を重ねる。
直後に放たれた咆哮が結界表面を大きく揺らし、衝撃が足元まで伝わった。
「っ……耳が……!」
ミオラが頭を押さえながら一歩下がる。
「防音結界を強化します!」
ユリスが結界を重ねると、響いていた高音が急速に弱まった。
「前衛、迎撃!」
ナディア中尉が兵装ユニットを展開し、正面へ防衛障壁を張る。
ミリエルが迎撃射撃を開始し、魔力弾が空を走った。
飛行魔獣が身を捻ってかわす。
そこへアリスの炎弾が飛び、片側の翼を掠めた。
「今です!」
高度を落とした魔獣へ、フロリア・カンタール軍曹が一気に距離を詰める。
双剣が黒い外殻を切り裂き、魔獣が大きく体勢を崩した。
「まだ来ます!」
ナディアが防衛障壁を維持したまま叫ぶ。
飛行魔獣が再び口を開き、二度目の咆哮を放とうとする。
「兵装班、集中!」
セシリアの指示と同時に、三人が動いた。
ナディアが前面の障壁を強化し、ミリエルの迎撃射撃が魔獣の翼と胴体へ集中する。
その射線を縫うようにフロリアが跳び上がり、双剣を振り抜いた。
魔獣の身体が大きく傾く。
「今!」
ミリエルの射撃が一点へ集まり、フロリアの刃が同じ場所を切り裂いた。
衝撃音とともに魔獣が墜落する。
黒い身体が岩盤へ叩きつけられ、そのまま動きを止めた。
「……撃破を確認」
ミリエルが周囲の反応を確認しながら告げる。
「警戒は継続してください。ほかの反応は?」
「現時点ではありません」
セシリアは短く頷き、兵装班へ視線を向けた。
「初動は問題なし。ですが、一体にこれだけの対応が必要でした。複数出現した場合は、昨日の確認通り無理に戦闘を継続しません」
「了解」
ナディアが兵装を警戒状態へ戻す。
アリスも空を見上げた。
一体だけなら、十分に対応できる。
だが、この先も同じ条件とは限らない。
「……進行経路、再確認を」
セシリアの指示を受け、レイナ・アスフォードが魔導端末を操作する。
空中に浮島群の簡易立体図が展開された。
「南側へ浮島を四つ進みます。途中に不安定な連絡橋が二本あり、周辺では魔力の乱れも確認されています」
「さっきのような個体が複数来たら、移動中の方が厄介ね」
クラリスが表示された経路を見る。
「だからこそ、止まりすぎない方がいい」
レイラ少尉が剣を手にしたまま先頭へ進む。
「進みましょう。結界班は移動経路の確認をお願いします」
セシリアの指示で、一行は次の浮島へ向かった。
足元には魔力光を帯びた苔状の物質が広がり、踏むたびに淡い粒子が舞い上がる。
やがて細い連絡橋へ差しかかると、その下には果ての見えない暗闇が広がっていた。
風向きも一定ではなく、ときおり身体を横へ押すような強い流れが吹き抜ける。
「結界維持、継続します」
サリナ・ミルヴァが周囲へ淡い光壁を展開する。
隊員たちは間隔を空けすぎないよう注意しながら、慎重に橋を渡っていく。
「……音が、ほとんど聞こえない」
ミオラが小さく呟いた。
風は吹いている。
それでも、聞こえるはずの風音はほとんどなく、足音だけが妙に鮮明に残っていた。
「空間の影響でしょう。立ち止まらない方がいいですね」
ロミルが周囲の数値を確認しながら答える。
やがて一行は、二つ目の浮島へ到達した。
島の中央には、崩れかけた石碑が一本だけ立っている。
古びた表面に刻まれた文様が淡く光り、そこから微弱な魔力反応が断続的に広がっていた。
「……反応あり。ただし、現時点では起動していません」
セリオ・カルミナが観測器を確認する。
セシリアは石碑を一度見つめたあと、すぐに進行方向へ視線を戻した。
「了解。詳細解析は後回しにします。今は《封印門》への到達を優先しましょう」
全員が頷く。
石碑への警戒を残したまま、一行は再び次の浮島へ向かって歩き始めた。




