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第十一部 第一章 第6話

「じゃあ、ちょっとコネを使ってきますね! 第二十階層までの攻略立案は、みんなに任せます!」


 アリスは満面の笑みでそう言い放つと軽く両手をひらひらと振ってみせ、その無邪気さと悪戯っぽさが混じり合った表情に周囲は自然と警戒を覚える。


 見る者が思わず何か企んでいると直感するほど、あからさまに楽しそうな笑顔だった。

 金色の髪が光を受けて揺れ、その瞳はきらきらと輝いている。


 ラースが思わず手を伸ばす。


「お、おい待て、待てって、今の言い方絶対ろくでもない方向に行くやつだろ、具体的にどこ行くんだ、誰動かすつもりだ」

「ひ・み・つ」


 アリスは人差し指を立てて唇に当てる。


「ちゃんと戻ってくるわよ、むしろ“いいもの”持って帰るから、期待してて」


 その言い方がまた怪しく、周囲の警戒をさらに強める。


 ラースがさらに何か言おうとした瞬間、アリスは軽やかに踵を返す。

 ひらりとスカートの裾が揺れ、靴音が石床に軽快に響く。

 足取りは小走りではないが明らかに浮き立っており、小鳥が餌を見つけた時のように弾むようなリズムを刻んでいた。


 その背中に仲間たちの視線が自然と集まる。


「……行ったな」


 ラースが腕を組み低く唸る。


「完全に“なにか企んでる人の笑顔”だったぞあれ、しかも自覚ありのやつだ」


 ミレーネが肩をすくめる。


「うん……あれは確実に普通の補給申請じゃないわね、絶対“試験投入”とか“特例許可”とか、そういう単語が飛び交うやつよ」

「……まったくだ」


 ザックは端末を取り出し落ち着いた手つきでメモを書き込みながら、状況の変化に備えて思考を巡らせる。


「彼女が本気で動く場合、想定外の装備が加わる可能性が高い、補給計画を柔軟にしておく必要があるな、問題はどの筋を動かすかだ、技術局か、それとも……軍側か」

「いやいやいや……」


 ラースが両手を上げる。


「あの顔は絶対“大物”引っ張ってくる気だぞ、俺の勘が言ってる、あれは“やる気スイッチ入った顔”だ、絶対学院の枠超えるやつだ」


 ミレーネが思わず吹き出しそうになる。


「でもそれがアリスらしいわ、危険に対して中途半端に構えない、準備できるなら全部取りに行く」


 リゼットが静かに言う。


「……予想通り」


 その一言が場に妙な重さを残す。


 レティアが小さくため息をつく。


「ほんと昔から変わらないんだから、ああいう時のあの子は止めても止まらないのよ、もう頭の中では次の三手くらい先まで読んでる」

「止められる気がしねぇな」


 ラースがぼそりと漏らす。


「ええ、でもね」


 レティアは微笑む。


「あの子が動くときは必ず何かを掴んで帰ってくるわ、空振りはしない、無茶はするけど無駄はしないのよ」


 その声音には諦めにも似た信頼と、どこか誇らしげな響きが宿っている。


 扉が開き外光が差し込み、金色の髪がふわりと光を反射する。

 アリスは最後にもう一度だけ振り返り、楽しげな笑みの奥に何かを確信している目を見せる。


 そして扉が閉まる重い音が響き、静寂が戻る。



 残された五人はしばし無言で立ち尽くし、互いの視線だけが静かに交差していた。


「……俺たち、今から“とんでもない隠し玉”と合流することになるんだよな」


 ラースが苦笑を浮かべながら肩をすくめる。


「ええ、たぶんそうね」


 ミレーネが小さく頷き、ザックは端末を閉じながら静かに息を吐く。


「想定上限を一段階引き上げておくか、どうせそうなる」


 リゼットは静かに目を伏せる。


「……備えるだけ」


 レティアが最後に言う。


「信じて待ちましょう、あの子が“面白い顔”をしているときは、大抵――歴史が一歩動くときだから」


 その言葉が場に落ちた瞬間、五人の間に期待と不安が静かに混ざり合い、言いようのない緊張が共有される。


 その後ろ姿は、まるでとんでもない隠し玉を持って帰ってくると宣言しているようで、班員たちの心に強く刻まれていった。


 部屋に戻ったアリスは扉を閉めると同時に静かに鍵をかけ、外界と隔てられた空間にわずかな静寂が満ちる。

 そのまま迷いなく机へ向かい、椅子を引く動作すら最小限に抑えたまま腰を下ろす。


 携帯式魔導通信機を取り出して掌に収め起動すると、端末表面に刻まれた細密な魔力紋が波紋のように広がる。

 淡い青白光が机上を照らし、空気がわずかに震える。

 あらかじめ設定された暗号回線が低く唸り、接続術式が段階的に展開して符号が次々と重なっていく。


 ――表示された宛先は、《クラリス・ノーザレイン》。


 数秒の呼び出し音が規則正しく鳴り、そこに微かな魔力振動が重なる。

 やがて画面が淡く揺れ、像が結ばれる。


 白衣を羽織ったクラリスが映し出され、眼鏡越しに分厚い資料へ目を走らせている。


 背後の書架には魔術理論書が溢れ、石板が立てかけられ、魔導器材が所狭しと並んでいる。

 結晶灯の青白い光が研究室特有の冷たさと内包された熱気を同時に照らしている。

 机上では符術回路がじりじりと発光し、細かな魔力音が絶え間なく鳴っていたため、明らかに実験の途中だった。


『……ん、アリス? どうしたの、演習の最中じゃなかったっけ』


 クラリスは書き込みの手を止めて顔を上げ、眉をわずかに持ち上げながらこちらを見据える。

 声は普段どおり落ち着いているが、瞳の奥にはどうせ面倒ごとでしょと言いたげな確信めいた光が宿っていた。


「そっちはそっち、こっちはこっち……ちょっと装備関係でお願いしたくて通信したの」


 アリスは椅子に腰を下ろしたまま背筋を伸ばし、まっすぐ画面を見据える。

 クラリスが一瞬だけ視線を伏せ、眼鏡を押し上げてから深く息を吐く。


『……あー、なるほど、やっぱりね、そういうことか、例の“特別任務”ってやつでしょ』


 声音は呆れ半分だが拒絶の色はない。


「早いわね、話が」


 アリスが口元を緩め、クラリスが片眉を上げる。


『そりゃ学院の臨時講師でもあるからね、演習名簿や軍部の申請記録くらい嫌でも目に入るわよ、あなたの名前が特別枠に入っていた時点でああまた厄介なことになるって嫌な予感しかしなかった』


「……私って、そんなに信用ない?」


 アリスは冗談めかして首を傾げるが、その瞳の奥にはわずかな本音の揺らぎがある。

 クラリスは肩を竦める。


『信用はあるわよ、むしろ人一倍ね、問題は――信用できるからこそあなたは平気で無茶をするって点、だからこそ私は頭を抱えるの』


 その声音には親友ゆえの心配が滲んでいたが、すぐに表情を切り替えて研究者の顔に戻り書類をめくる。


『で、どうせ頼みたい内容は言わなくてもわかる、防具や補助ユニットならいくらでも融通できる、出力補正型の安定器も回せるわ、深層干渉対策の簡易フィールドも調整できる、でも武器は無理、納入枠や認可の都合があるし学院経由の調整枠をすり抜けるなんてリスキーすぎるわ』


 淡々と告げられる制限の言葉の裏で、その瞳は次にアリスが何を言うかをすでに読んでいるかのように微かに光っていた。


「武器はね、こっちに“当て”があるから大丈夫、ちゃんと別ルートで確保できるからそこは心配しなくていいわ」


 アリスはにっこりと笑い、片目を軽く閉じてウィンクしながら余裕を見せる。

 その仕草は軽やかだが、瞳の奥にはすでに策を打ち終えている確信が宿っている。


 ――策はすでに打ってあると、画面越しにもはっきり伝わる。


 それを読み取ったクラリスが額に手を当てる。


『ほんと、あなたって子は……自分で火をつけて、自分で消火計画まで立ててくるんだから、で私は何を回せばいいの? 強化外套? それとも携行用の補助ユニット?』


「両方、できれば防御系を優先で深層干渉域を想定した耐圧調整済みのやつ、それと分析補助の新型――まだ実戦に出してないプロトタイプあるでしょう、演算補正が強化されたやつ」


 クラリスの眉がわずかに上がる。


『……やっぱり狙ってきたわね、あれはまだ正式承認前よ、評価試験も終わってない』


「だからこそでしょ、実戦データが一番早いし深層環境なら負荷も十分、ちゃんと記録は全部提出するわ」


『ああ~、やっぱり国家権力使うんだ~、あーあ知らない知らない私は何も聞いてないし何も見てない』


 声音は呆れ気味だが、どこか楽しげな響きも混じっている。


「ひどいなぁ、ちゃんと合法の範囲内だよ、書類も通すし記録も残す、形式は守る」


『その“合法”のスケールが違うのよ、普通の学生はね強化外套一着で悩むの、あなたは“国家レベルの試験機”を当然のように持ち出そうとするの、基準がおかしいのよ』


「うん、でも必要だから」


 即答で返される言葉には迷いがない。


『……で、いつまでに必要なの?』


「明後日、さすがにそれ以降は演習真っ只中で受け取りにくいから搬送も目立つと困る」


 クラリスは深く息を吐きながらもすでに手を止めず、端末を操作して別系統の承認画面を開いている。


 背後の書架から術式封印された資料箱が淡い光を放ち、封印符が一枚ずつ剥がれて箱が自動展開する。


 内部に収められた結晶ユニットが青白く脈動する。


『分かった、こっちもある種の国家権力ってやつ使って手回しするから明後日には届くと思ってて、演習支援物資扱いにしておくわ、防御外套二着追加、補助ユニット三基、分析プロトタイプ一基、あなた専用にチューニングし直す』


「さすが、仕事が早い」


『早くしないと、あなたが勝手に取りに来るでしょ』


「否定はしない」


 クラリスが苦笑する。


『……本当に気をつけなさいよ、深層干渉域は理論値通りにいかないし想定外の魔力乱流が起きる可能性もある、防御優先で動きなさい』


「うん、無茶はしないし必要なだけやる」


『その言い方が一番信用ならないのよ』


「ちゃんと帰ってくるよ、約束」


 わずかな沈黙が流れ、画面越しに互いの呼吸だけが静かに伝わる。


『……分かった、じゃそっちも気をつけて』


「了解! 助かるよほんとに、あとでお菓子送るね」


『食べ物で釣ろうとしない』


 通信が途切れ、画面の光がゆっくりと消えていく。


 部屋に静寂が戻り、結晶灯の淡い光が机上に落ちる影を揺らす。

 アリスは深く息を吐きながら思考を落ち着かせる。


「……さて。あとは、あっちの“当て”に話を通すだけね」


 机の端に置かれた小さな通信結晶の漆黒の表面が、心臓の鼓動のようにゆっくりと脈動している。

 淡い光が内部から滲み、それが学院経由では決して許可されない別系統の特別回線であることを示していた。


 王権に軍、あるいはそれ以上に繋がる回線を前に、アリスは指先を添えて静かに微笑む。


 クラリスとの通信を終えたアリスは、端末の光が完全に消えるのを確認してからほんの一瞬だけ深く息を吸い込み、胸の奥に溜まっていた熱と緊張を静かに吐き出した。

 思考を整えながら次に繋ぐ回線は軽い冗談では済まないと意識を切り替える。


 机の上に置かれた黒く光る小型通信結晶の漆黒の表面がわずかに脈打ち、指先を添えると淡い光が走って幾何学的な魔力紋が浮かび上がる。

 空間がわずかに歪み、特別回線特有の低い共鳴音が静かに響いた。


 ――《レイラ・アスコット》の名が表示され、その簡潔な文字列に重みが宿る。


 アリスは迷わず通信符を操作し、魔力をわずかに注ぎ込んで回線を開いた。


 ほとんど待つ間もなく応答が返り、画面に黒髪の騎士が映し出される。

 背後には王都の石造りの執務室が広がり、重厚な机の上には整然と鎧と武具が並び、窓から差し込む弱い光が金属面を冷たく反射していた。


 その光景とともに空気が引き締まる。


『……どうした。演習の最中だろう?』


 低く無駄のない声で問いかけながら、レイラは姿勢を崩さず真っ直ぐにアリスを射抜く。

 その瞳は冷静でありながら、一瞬で状況を測ろうとする鋭さを帯びている。


「うん。でもちょっと重要な話があるの」


 アリスは背筋を伸ばしながら声音を自然と引き締め、軽口を挟む余地のない状況へと切り替える。


「今回のダンジョン演習――実のところ学院の訓練というより王国軍からの依頼任務に近い形で動いてるの。表向きは演習だけど、実質は調査作戦」


 レイラの瞳がわずかに細まり、状況を受け止めていく。


『軍主導、か。規模は』


「限定的。でも深層絡みで最深層のさらに下に未探査領域が確認されていて、場合によってはそれが“門”である可能性もあるってギルベルト教官から直接通達があったの」


 その言葉が落ちた瞬間、通信越しでさえ空気が変わり温度がわずかに下がったように感じられる。

 レイラの瞳が鋭さを増し、氷の刃のような光を宿す。


『……門、か』


 短い一言に重い沈黙が続き、レイラは一瞬だけ目を伏せて思考を巡らせる。


『……そうか。数年前の観測記録にあった“不確定領域”――あれを思い出した。最深部の魔力干渉の下にさらに隠された層があるかもしれないと一部で議論されていたが、干渉値が異常で位置の特定もできず記録は半ば放棄されていたはずだ』


 再び視線がアリスを捉える。


『つまり……その調査を君たちが担うというわけか』


 問いというより確認に近い言葉に、アリスは小さくうなずく。


「今のところはあくまで可能性の一つ。でももしそうなら想定される敵性はバロール・ビースト亜種クラス以上で、通常個体より魔力濃度が高い変異種になる可能性があるし結界耐性も上昇しているはず」


 言葉を重ねながら状況を整理していく。


「それなりの戦力と装備がなければ突破どころか到達すら困難になるかもしれないし、前衛が削られたら後退すら難しい、閉鎖空間なら尚更よ」


 レイラは動かないまま沈黙を保つが、その静けさには確かな重みがある。


『戦力は六名か』


「ええ、現行班構成で標準装備は強化済みだけど深層想定には足りない」


『……補強を求めたい、ということだな』


「正確には“選択肢”が欲しいの。切り札を持たずに行くのは無責任だから」


 しばし沈黙が続き、レイラの瞳がわずかに揺れる。


『君は自分の力量を理解しているから無謀ではないが、門絡みとなれば話は別だし下手をすれば局地戦では済まない』


「分かってる。でも引く選択肢はないし放置すればいずれ誰かが巻き込まれる」


 視線がぶつかり合い、緊張が静かに張り詰めてアリスの胸の奥で鼓動が速まるが、それでも目は逸らさない。


 通信結晶の向こうでレイラが瞳を細めたまま沈黙を保ち、その沈黙が次に返る言葉が単なる返答ではなく重い決断を伴うものになると告げていた。

 レイラはしばし沈黙し続け、石造りの執務室の空気が通信越しでさえ重く伝わってくる。


 やがてレイラが低く吐息をもらし、沈黙の重さを切り裂くように言葉を落とす。


『……さすがに、《G-M19/EX》を六機丸ごと渡すのは無理だ、あれは騎士団内でも限られた精鋭しか扱えない機体だし運用には長期の適応訓練が必要になる、神経リンクの安定化や魔力循環の最適化、精神負荷の分散処理――どれも即席でどうにかなるものではないし即席で渡して使いこなせるような代物じゃない』


 言葉を区切ると同時に、黒髪の隙間から覗く瞳が鋭く光る。


『……もっとも“君”だけは別だがな、魔力適応値と制御能力の両方を備えている者は例外的に運用できるし実戦投入の許容範囲に達する可能性があるのは現時点で君のみだ、だが君の班全員にというのは到底不可能だ』


 その断言は揺るがず、場に重く残る。


 アリスは小さく目を伏せながら苦笑を混ぜる。


「やっぱりそうよね……訓練なしで扱えるなんて私ぐらいしかいないんでしょ、あれ扱うだけで魔力の流れを全身で受け止める感覚になるし」


『ああ、だからこそ過信するな、EXは“力”を与える代わりに精神と魔力の消耗を容赦なく削り取るし出力を上げれば上げるほど反動は指数的に跳ね上がる、君ひとりに背負わせるにはあまりに危うい』


 静かな叱責が空気に沈む。


 アリスは視線を上げる。


「分かってる、でも深層が“門”なら通常装備じゃ足りない可能性が高いし接触した瞬間に魔力干渉が跳ね上がる、突破力と耐圧が必要になる」


『門が実在するなら局地戦では済まんし空間歪曲や魔力逆流、未知の敵性反応が発生する、最悪の場合は上層への干渉も起こり得る』


 レイラの声は冷静だが、その奥底には戦場を知る者の警戒が滲んでいる。


『EXは確かに突破力はあるが持久戦には向かんし君が単独で突出する形になる危険が高い』


「だから全員分は求めないし必要なのは“切り札”、選択肢があることが大事なの」


 数拍の沈黙が流れる。


 レイラはわずかに視線を落とし、思案する。


『……状況がそれを必要とするなら最大限の援助は検討するしティアナ様と相談の上で別の形で装備支援を用意しよう、EXそのものではなく出力抑制型の派生ユニットか干渉耐性特化の増設モジュールだ、君たちの任務が“特例”である以上私たちにも準備の責務がある』


 その言葉には騎士団副長としての責任が宿る。


「助かるわ、レイラ。本当に」


 素直な声音に、レイラは小さくうなずく。


『演習の名目でここまで踏み込むのは例外中の例外だし、それだけ君たちの班に相応の覚悟と力があると判断されたということでもある、期待と同時に責任も伴う』


「受け止めるわ、逃げない」


 即答だった。


『こちらでも調整を急ぐし明後日には必要物資を届けられるように手配しよう、騎士団経由ではなく別系統で回す』


「うん、よろしく頼むわ、きっと助かる装備になるはずだから」


『任せろ……アリス、無茶はするなよ』


 ほんのわずかに声音が柔らぐ。


「了解、するけど無謀はしないから」


 一瞬レイラの瞳が細められ、厳しさの奥に柔らかさが滲む。

 妹を案ずる姉のような温度がそこにあり、やがて唇の端がわずかに緩んで堅い表情が崩れる。


 ――それは誰よりも信頼している相手にしか見せない希少な笑みだった。


 通信が切れた瞬間、部屋の中に静寂が戻り、結晶灯の淡い光が机と壁に柔らかな影を落とす。


 アリスはしばらくその場に立ち尽くし、手のひらに残る微かな魔力の余韻がゆっくりと消えていくのを感じていた。

 やがて深く息を吸い、胸の奥に溜まっていた緊張を吐き出すようにゆっくりと呼吸を整える。


 そして――。


 ソファへと歩み寄り深々と背を預けると同時に身体の力が抜けていくのを感じる。

 白い漆喰の天井を見上げながら数秒の沈黙に身を委ねる。


 次の瞬間、勢いよく立ち上がってくるりと身を翻し、そのままベッドへとダイブする。

 柔らかなマットレスが身体を受け止めてわずかに沈み込み、金色の髪がふわりと広がった。


「――ふふ、これで“コネ”は全部使い切ったなぁ……ほんと贅沢な使い方しちゃった」


 枕に顔を埋めると、くぐもった声が布に吸い込まれていく。


「クラリスにプロトタイプ、レイラ経由で騎士団支援、ティアナ様案件まで動くかもしれない……普通の演習でやることじゃないよね」


 くすりと笑いながらも、その笑みには確かな満足が滲んでいる。


 クラリスの協力にレイラとティアナを通じた装備支援を受け、かき集められるだけの縁と信頼をすべて注ぎ込んだと実感する。

 過去に築いた関係と命を懸けて守ったもの、共に戦った時間が今この瞬間に集約されている。


 それらすべてを無駄にはしないと胸の奥で強く思う。


「これで、きっと戦える……どんな“未知”が来てもみんなとなら」


 枕から顔を少しだけ上げ、静かに光る瞳の奥で確かな決意が形を成す。


 脳裏に浮かぶのは仲間たちの顔であり、ラースの豪快な笑いとミレーネの落ち着いた判断、ザックの冷静な分析とリゼットの静かな覚悟、そしてレティアの揺るがない信念が次々と重なっていく。


 六人という存在が欠けてはならないものとして心に刻まれる。


 迫る任務と未踏の深層領域、そして“門”の可能性を思い浮かべると胸の奥に確かな重圧が生まれる。

 だがそれは恐怖だけではなく挑戦と責任、そして期待が混ざり合った熱として燃え上がっていた。


 アリスは小さく息を吐く。


「大丈夫、準備はした……あとはやるだけ」


 瞼を閉じると完全に眠るわけではなく思考を整理するための短い静止へと意識を落とす。

 鼓動がゆっくりと整い、わずかな休息の中でさえ心はどこか軽やかだった。


【お知らせ】

短編『勇者を看取った元魔王、現代日本で平穏に暮らしたい』 https://ncode.syosetu.com/n5231mh/ を投稿しました。


長編ばかり書いている作者が初めて挑戦した短編作品です。

普段の調子で書いていたら10話以上になりそうだったので、必死に削りました(笑)。


『白銀の継承者 - Gate of Sealed Eternity -』とはまた違った雰囲気の作品になっていますので、よろしければ息抜きにでも読んでいただければ幸いです。

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