第十一部 第一章 第5話
午後の陽光が差し込み、廊下の石床を白く照らしていた。
高窓から射し込む光が細い帯となって床に落ち、歩くたびに六人の影が重なり合う。
アリスたちは拠点施設――学院演習棟付属の装備管理室へと足を運んでいた。
扉を開けると空気がわずかに変わり、油と革の匂いが立ち込める中で金属と魔力結晶が混ざり合った独特の気配が鼻をついた。
そこは各班が装備申請や物資調整、魔導バックの補充を行う拠点だ。
通常であれば講堂と並行して混雑し、申請書類と声が飛び交う場所となる。
だが今は時刻が区切られており、室内は比較的落ち着いている。
魔力灯の柔らかな光が静かに空間を満たし、紙の擦れる音だけが規則的に響いていた。
「――《グレイスラー班》六名。特別任務指定につき、装備申請は優先扱いとの通達を受けております」
カウンター奥の管理士が淡々と告げ、指先で書類を滑らせながら確認印を刻んでいく。
収納棚から水晶盤が取り出され、投影板が淡く光を帯びながら標準装備リストを空中に浮かび上がらせる。
「こちらが基本支給品です。魔導バック、保存食パック、水濾過器、携行式照明、応急処置セット。いずれも二十日間を前提とした数量です。追加希望があれば申請を」
透明な文字列が整然と並び、その内容が一目で把握できるように整理されている。
ミレーネは応急処置セットへ視線を落とし、包帯の質や止血薬の量を確かめながら実戦での使用を想定する。
ラースは魔導バックの容量を確認するように腕を組み、重量配分と携行時の負担を頭の中で計算する。
ザックは細かい字を追いながら保存食の栄養比率や水濾過器の耐久回数を検証し、長期行動への適合性を測る。
リゼットは保存食の配分を静かに確認し、均等性と予備量の有無を慎重に見極めていた。
管理士がさらに指を動かすと、別枠の項目が新たに表示される。
「特別申請可能な品目です。希望があれば順に」
浮かび上がったのは《中型魔導ライフル》や《折りたたみ式魔導剣》をはじめ、《結界展開符》や《空間固定杭》といった軍規格装備の一覧だった。
通常演習ではまず目にすることのない装備群が、静かに存在感を放っている。
「……これ、本当に演習用の枠か?」
「明らかに軍規格ね。実戦想定どころじゃないわ」
ラースの呟きにレティアが応じ、真剣な眼差しでリストを追いながら装備の性質と用途を瞬時に整理する。
アリスは小さく息を整え、その一つ一つの選択が生死に直結する現実を静かに受け止める。
選択一つで、生死が分かれる。
「ずいぶん揃ってるわね」
「資源制限がほぼ解除されている。任務の重さがわかるな」
ザックが静かに言う。
「魔導バックは全員持っていこう。食料と水は最大量にして移動回数を減らす」
アリスが即断する。
「私は《空間固定杭》を三本申請する。地形不安定区域で必須になる可能性が高い」
リゼットが淡々と申請する。
「了解しました」
管理士が即座に記録を刻む。
「私は《補助回復符》と《バリア展開符》を申請する。前線が崩れたときの立て直し用に必要になるわ」
ミレーネの声音は落ち着いている。
「俺は《魔導剣(実戦型)》の軽量片手仕様を選ぶ。取り回しを優先する」
ラースが記入するとロッカーから剣が取り出され、硬質な金属音が静かに響いた。
「私は魔力増幅触媒と術式増幅符を申請する。それと――」
アリスが言いかけるとラースが口を挟む。
「おいアリス。魔導ライフルも持っとけ。魔力封じられたらどうする。封印結界や魔力遮断域だったら火力だけじゃ突破できねぇ」
アリスが眉をひそめる。
「荷物になるわ」
「保険だ。切り札は多い方がいい」
レティアが静かに続ける。
「私も同意見よ。アリスが火力を封じられた場合、持ち替えが可能かどうかで班の生存率は変わる。リーダーなら選択肢は増やすべき」
アリスは一瞬考え、そして息を吐く。
「……わかった。《中型魔導ライフル》一本、追加で」
「了解しました」
封印ケースからライフルが取り出され、鈍い光を放つ黒鉄色の筐体と青白く淡く光る魔力収束管が静かに存在感を示す。
「弾薬と術式カートリッジも最低限は持つべきだな」
ザックが補足する。
「使用しなくても、備えがあるという事実が判断材料になる」
登録が追加される。
「僕は《分析機材セット(携行型)》と空間干渉記録用魔導板を申請する。演算補助装置も可能なら追加したい」
管理士が一瞬驚く。
「特別任務班であれば許可範囲です」
机上に物資が並び、革張りの魔導バックが開かれて装備が整然と詰められていく。
封印符が点灯し、それが登録完了の証であることを静かに示す。
六人は無言で確認し合う。
だが――装備確認の手が止まり、空気の流れがわずかに変わる。
「……ねぇ、レティア」
装備確認の手を止めたままアリスが声を落とし、周囲には管理士と数名の他班員がいるが距離は十分に保たれていた。
「申請できる武装は悪くはないけど……正直、少し物足りないわね。軍規格ではあるけど、“対災害級”の想定には届いていない」
その声音は静かだが、瞳は冷静に状況を計算している。
レティアも同じように小声で返す。
「ええ、水準としては充分よ。でも“それ以上”には届かない。もし想定外の高位魔獣と遭遇したら、火力も干渉耐性も足りない可能性がある」
一瞬だけ視線が交わる。
「まさかとは思うけど、バロール・ビースト級とぶつかったら――あれじゃまず通らないわ」
その名が落ちた瞬間、空気が一段沈み、周囲の気配がわずかに張り詰める。
ミレーネの手が止まり、ザックがゆっくりと顔を上げる。
「おいおい……いくらなんでも、それは飛躍しすぎだろ」
ラースが苦笑混じりに言いかけるが、アリスは真顔のまま首を振る。
「もちろん遭遇しないと信じたい。でも……あの階層下の魔力反応は、ただの魔力瘤で済む雰囲気じゃなかった。揺らぎが不規則すぎる。まるで意思を持ったかのような波形だった」
張り詰めた言葉が落ち、場に妙な静寂が生まれる。
ザックが低く呟く。
「魔力波形が自己修復型だったとしたら、通常の崩落現象とは異なる。災害級存在の可能性は否定できない」
ミレーネが小さく息を呑む。
「……つまり、想定を上げておくべきってことね」
「となると……自前の装備で補うか」
レティアが軽く頷く。
アリスは迷わず受付の管理士へ歩み出る。
「ひとつ確認しておきたいことがあります」
「はい、なんでしょう」
管理士は事務的に応じる。
「今回の任務において、学院支給物資以外に自分たちで用意した武装や装備の持ち込みは許可されていますか。例えば個人所有の魔導武装や特注触媒など」
管理士が一瞬まばたきをし、机上の記録水晶を確認する。
「はい、問題ありません。今回の特別任務は全体方針として“制限なし”が通達されています。ご自身で保有する装備、登録済み武装、私設研究品についても持ち込み可能です。ただし使用責任は班に帰属します」
アリスはわずかに顎を引く。
「登録済みであれば、軍未採用試作型も含まれますか」
管理士は再確認する。
「はい、登録記録が存在するものであれば制限はありません」
静かに、しかし明確に答えが出る。
アリスは振り返る。
「……言質、取ったわ」
その口元に、ほんのり悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
レティアが目を細める。
「やっぱり考えてたのね。学院標準じゃ足りないって」
「ええ。深層干渉域で魔力を封じられたら通常装備は通らない可能性がある。だったら私たちの“切り札”を持ち込むしかない」
ラースがにやりと笑う。
「なるほどな。ようやく本気か」
ザックが冷静に補足する。
「自前装備を持ち込むなら重量と転移誤差も再計算する必要がある。だが選択肢は増える」
ミレーネが頷く。
「なら私は補助系を増幅仕様に差し替えるわ。封印干渉があっても最低限は通せるように」
リゼットが静かに言う。
「空間固定杭も自作型に替える。干渉耐性が高い」
六人の間に理解が共有される。
学院標準の装備だけでは足りないと判断し、想定を超える状況に備えるなら自分たちの真価を持ち込むしかないと結論づける。
革張りの魔導バックが閉じられ、封印符が淡く光る。
学院標準の装備だけでは足りず、自分たちの“切り札”を持ち込む余地があると全員が理解する。
その表情を見た瞬間、レティアは深く溜息をついたが、それは諦めではなく覚悟を固めた静かな納得だった。
「……最大の“コネ”、使う気ね。しかも中途半端じゃなく本気で」
蒼い瞳が細められ、その奥にわずかな高揚が灯る。
アリスは唇の端を悪戯っぽく吊り上げ、金色の髪が光を受けて揺れる。
「ええ。うちの“技術局筋”、フル稼働してもらうわ。せっかく未確認深層なんて舞台が用意されたのよ。実戦データが欲しくてうずうずしてる人たちがいるでしょう?」
その瞬間――周囲の空気がわずかに軋むように張り詰める。
「ひっ……」
「さ、寒っ……なんか空気、急に冷えてきた……?」
「……なんだこの圧……」
ミレーネ、ザック、ラースが同時に身震いしながら互いに視線を交わし、ただの冗談ではない何かが動き出すという確信を共有する。
それはとんでもない規模の変化が始まる予兆であり、言葉にせずとも全員が理解していた。
机上の魔導板が淡く明滅し、立ち上る光が揺らいでアリスとレティアの背後に黒い翼の影を描くかのように歪む。
二人は視線を交わす。
「やっぱり、アレを実戦試験に回してもらえるかどうか……押してみる価値はあるわ。まだ正式配備前。でも理論上は完成している」
「同感よ。もし許可が下りれば、従来装備では絶対に届かない領域を突破できる。深層干渉域でも干渉破断が可能になるはず。……正直、成功したら学院記録どころか軍史料に刻まれるわ」
「ふふ……楽しみね。封印処理も含めて、全部データ取らせてもらうわよ」
声は潜められているが、その響きには明らかな弾みが含まれている。
ミレーネが小さく肩をすくめる。
「な、なんか怖い……アリスの“楽しみ”って、たいてい普通じゃない方向に行くのよね……」
ザックが冷や汗を拭う。
「理論的には可能性はある。だが……あれはまだ試験段階だったはずだ。実戦投入は想定外のリスクが――いや、むしろそれを試す気か……」
ラースが一歩後ろへ下がる。
「お、お前ら……その顔やめろって……絶対ロクなことにならねぇやつだろ……前にその顔で“ちょっと実験”って言ったとき、演習場の半分吹き飛んだの忘れてねぇからな……」
アリスが肩をすくめる。
「吹き飛んだのは結界の外縁だけよ。制御はしてたわ」
「制御の定義がおかしいんだよ」
ラースが即座に返し、レティアがくすりと笑う。
「でも今回は違うわ。目的は突破じゃない。観測。だからこそ干渉耐性の高い装備が必要になるのよ。あれなら、深層魔力の波を“裂ける”」
「裂くって言うな裂くって」
ザックがぼそりと突っ込み、リゼットだけが無表情のまま告げる。
「……予想はしてた。二人とも、あの地図を見た時点で目の色が変わってた」
その一言で全員が少しだけ黙り、アリスとレティアの間から漂う気配が場を静かに支配する。
極めて洗練され冷静でありながらどこか危険な匂いを帯びたそれは無謀ではなく合理の極みに近く、だからこそ恐ろしいと誰もが感じていた。
「じゃあ決まりね」
アリスが軽く言う。
「技術局に連絡を入れる。任務名目での試験投入申請。承認が下りれば、私たちの火力と干渉耐性は一段階上がる」
「上がるどころじゃない気がするがな……」
ラースがぼやき、ミレーネが小さく息を吐く。
「……でも、必要なんでしょう?」
「ええ。必要よ」
アリスは即答する。
「深層が本当に“何か”を孕んでいるなら、中途半端な装備で行く方が無責任だもの。準備できるものは全部持っていく」
レティアが静かに続ける。
「切り札は温存するためにあるんじゃない。使うべき時のために持つのよ」
六人の間に沈黙が落ち、不安と高揚と期待が静かに混ざり合う。
未来の《特別装備》が、この瞬間からすでに彼らの行く先に影を落としていた。
【お知らせ】
短編『勇者を看取った元魔王、現代日本で平穏に暮らしたい』 https://ncode.syosetu.com/n5231mh/ を投稿しました。
長編ばかり書いている作者が初めて挑戦した短編作品です。
普段の調子で書いていたら10話以上になりそうだったので、必死に削りました(笑)。
『白銀の継承者 - Gate of Sealed Eternity -』とはまた違った雰囲気の作品になっていますので、よろしければ息抜きにでも読んでいただければ幸いです。




