第九部 第三章 第10話
――残り、二体。
戦場の中央に、仲間たちが撃破したバロール・ビースト亜種の残骸が無残に横たわっている。
破砕された外殻は内側から弾け、裂け目の奥に覗く黒紫の組織が鈍く脈動していた。
流れ出した体液は岩床の亀裂に沿って広がり、霧と混じって鉄錆にも似た濃い臭気を漂わせる。
蒸気を上げる血溜まりの上を、焦げた魔力粒子が淡く舞っていた。
なおも迫り来る二体のバロール・ビーストに対し、セシリアはわずかな隙も見逃さず冷静に状況を分析すると、すぐさま鋭い声で指示を飛ばした。
「ナディア、左前方の個体を牽制。深追いはしない、足を止めさせるだけでいい。ミリエルは右側を回り込んで。索敵範囲を最大にして、退路を塞ぐ。――挟撃するわよ」
声音は静かだが、一切の迷いがない。
「了解! 盾、前面固定! 衝撃吸収、第二段階に引き上げる!」
ナディアが叫び、背部コンデンサが唸りを上げる。
「援護に入る! 右、視界クリア。……捕捉、完了!」
ミリエルの瞳が淡く光り、迎撃ユニットが展開。
一体はすでに膝関節を損傷しており、動きが目に見えて鈍化している。
地を踏むたびに関節部から火花が散り、巨体がぎしりと悲鳴を上げていた。
歪んだ関節部の隙間から赤黒い魔力光が漏れ、制御を失いかけているのが分かる。
その隙を見逃すことなく、ナディアが魔導兵装《G-M19》を展開し、重装型の防壁を前面に叩きつけるように構えて正面から突撃。
「うおおッ! こっちだ、化け物! 受け止めてやる!」
巨体と重装障壁が激しく衝突。
轟音と共に衝撃波が周囲に広がり、地面にひび割れが走る。
岩片が弾け、ナディアの足元で火花が散った。
バロール・ビーストの体当たりを受け止めたその瞬間、盾面の術式が赤熱し、歪む。
「っ……重い……! だが、止まってるぞ!」
ナディアは踏み込み足をさらに沈め、腰を落とす。
歯を食いしばりながら魔力を流し込み、押し返す力を蓄える。
「今だッ!」
ミリエルの迎撃ユニットが高音を立てて回転し、両腕から放たれた魔力投射弾が、精密な軌道で敵の側面を撃ち抜いた。
蒼白の光弾が装甲の継ぎ目へ吸い込まれるように突き刺さり、内部で炸裂。
炸裂音と共に装甲の一部が崩れ、脚部の動きがさらに鈍る。
巨体がぐらりと傾ぎ、片膝が岩床にめり込んだ。
「装甲、第四層まで破断確認! 出力、維持!」
ミリエルの報告に、セシリアが即応する。
「今よ。ナディア、押し上げて。ミリエル、背後へ回り込んで。核の位置、左胸寄り」
「了解! 押すぞォォッ!」
ナディアが盾を押し上げる。
魔導盾の縁が敵の顎下を捉え、強引に体勢を崩す。
その隙を突いてミリエルが背後に滑り込む。
脚部スラスターの光が霧を切り裂き、魔力投射装置が最大出力へ移行。
「これで――終わり!」
二人の魔導兵装が一斉に光を帯びる。
ナディアの突進が胸部を押し込み、同時にミリエルの貫通弾が魔力核を正確に撃ち抜いた。
内部から爆ぜる光。
巨影が痙攣し、喉の奥から断末魔の咆哮が絞り出される。
次の瞬間、膨張した魔力が崩壊し、重々しい音を立てて崩れ落ちた。
地面を揺らす振動と同時に、暗黒の体液が飛沫となって霧に散った。
一体が沈黙するのを確認すると、セシリアはすでに振り返り、もう一体へと視線を向けていた。
鋭い灰褐色の瞳が敵の動きを捉え、次の指示を出すべく息を整える。
――残り、一体。
血煙と焦げた匂いが漂う戦場に、なおも巨大な影が立ちはだかっていた。
爆砕された外殻の破片が岩床に散らばり、赤黒い体液が霧と混ざり合ってぬらりと光る。
焦げた魔力の残滓が空気をざらつかせ、呼吸をするたびに喉の奥が焼けるようだった。
セシリアは一瞬で戦況を読み切る。
敵は脚部を損傷し、鈍重な動きしかできない。
だが、その単眼に集束する魔力が異様な光を帯びていた。
濁った赤黒の光が中心へと吸い込まれ、まるで収束する太陽のように脈動を強めていく。
「魔力誘導反応、出たわ。照準は広域。――射線を切る!」
警告と同時に、彼女は脚部ブースターを全開。
地面を抉るように跳躍し、斜め前方へと滑り込む。
直後、空気を焼き裂く轟音。
背後で樹木が一瞬にして抉り飛び、地面がガラスのように溶け落ちて陥没した。
溶融した岩が赤く泡立ち、熱気が霧を吹き飛ばす。
――バロール・ビーストの単眼から放たれた熱線。その余波だけで大地がえぐり取られる。
「ミリエル、左斜め後方から抑えて! 爆熱系はダメ、神経束が暴走する!」
「了解っ! 熱源偏差、把握! 雷撃系で牽制する!」
刹那、セシリアは地を滑るように踏み込み、右腕のロングブレードを振り抜いた。
硬質な外殻を裂き、青白い火花と共に魔力が飛散する。
露出した内部組織から黒い体液が滲み、敵の動きが一瞬だけ鈍る。
「反応……鈍い。脊索系統の損傷、進行中ね。だが油断はしない」
だが巨獣は反射的に尾を振り回す。
風圧と衝撃で地面が爆ぜ、岩片が弾丸のように飛び散った。
セシリアは即座に左腕の防御ユニットを展開。
蒼光の魔導障壁が扇状に広がり、衝撃を斜めに受け流す。
同時に、逆の手でショートブレードを胸部下へ突き立てた。
「――まだ足りない……魔力核、深いわね」
狙いは、外殻の奥に脈動する魔力制御核。
刃先が触れた瞬間、ビーストは怒声のような咆哮を上げ、血の気を帯びた牙で噛み付こうと迫る。
「ミリエル、今!」
「了解、照準固定――撃つ!」
後方から迎撃弾が炸裂。
爆光と雷鳴が敵の視界を覆い、単眼の焦点が乱れる。
その閃光の中、セシリアはあえて体勢を崩したように見せかけ、敵の死角へと滑り込んだ。
霧と血煙の狭間、密着距離。
短剣の双刃に膨大な魔力が流し込まれ、刃先が白熱し、空気が悲鳴を上げる。
振動が周囲の霧を震わせ、耳鳴りのような高周波が響いた。
「――散ってもらうわ、《スプリット・ナイフ》」
低い声と共に、交差する二閃が胸腔を貫いた。
瞬間、内部から光が炸裂し、巨獣の単眼が弾け飛ぶ。
血と魔力光が混じり合い、夜空に散る火花のように飛散した。
耳をつんざく断末魔を上げながら、バロール・ビースト亜種は巨体を痙攣させ、そして――重力に従うように崩れ落ちた。
岩床が揺れ、黒煙が立ち上る。
黒煙と血の飛沫の中、セシリアは膝を折ることなく、肩で荒い息を整えながら刀身を振り払った。
赤黒い液体が弧を描いて地面に散る。
「……これで、全て」
その声が戦場に落ちた瞬間――。
轟々と満ちていた魔力の唸りは、嘘のように静まり返った。
霧に沈む戦場を支配するのは、ただ、冷たい静寂と焦げた匂いだけだった。
爆砕されたバロール・ビースト亜種の残骸から、じくじくと黒煙が立ち昇る。
焦げた匂いが鼻を突き、霧の中に金属が焼けるような異臭が漂った。
それを見届けたセシリアは、剣を収めるや否や、すぐさま声を飛ばした。
「――ナディア、ミリエル、フロリア。状況報告を。簡潔に」
指揮官の鋭い声音が戦場に響き、戦闘の熱も冷めやらぬ中、呼ばれた三人は反射的に立ち位置を整えた。
背筋を伸ばし、兵装を握る手はわずかに震えているが、その瞳には緊張と共に確かな覚悟が宿っている。
「接近戦区域、制圧完了。追加反応は――なし。視界内、敵影ゼロ」
フロリア・カンタール軍曹が即答。
双腕のブレードユニットからはまだ血煙が滴っていたが、彼女の視線は一切揺らがず、なおも戦場を警戒していた。
「広域防衛網は正常。術式干渉領域は一部に揺らぎが見られましたが……現在は安定。再展開可能です」
ナディア・フェルグリッド中尉が背中の大型兵装からケーブルを接続し、タブレット型の魔導制御板を走査する。
指先は迷いなく術式を切り替え、確認の数字を読み上げる声音は落ち着いていた。
「後方警戒、異常なし。潜在反応ゼロ、感知妨害の痕跡も確認できず。……ただ」
ミリエル・オストン准士官は眼鏡型のスコープを外し、額の汗を拭う。
眉をひそめ、静かに言葉を続けた。
「魔力残渣に――不自然な収束傾向があります。まるで、まだ“何か”が仕掛けられているような……」
彼女の声が落ちると、わずかな沈黙が戦場を覆った。
霧の向こうで、誰もいないはずの岩棚がきしむように鳴り、空気が一層重く感じられる。
セシリアは目を細め、三人を見渡す。
「……全員、警戒を解かないで。戦闘は終わったように見えても、“脅威”は終わっていない。ここからが本番の可能性もあるわ」
三人は揃って頷いた。
戦場を支配していた喧噪は収まりつつある。
だがその奥に、確かにまだ潜む“何か”の気配があった。
セシリアは一瞬だけ瞳を細め、短く頷いた。
「――魔導干渉の可能性がある。のちほどマーロ中尉かエルネア中尉と連携し、記録を回収して。フロリア軍曹、残骸の再活性化に備えて封印結界を張っておいて。完全封鎖で」
「了解。封印式、第三段階まで展開するわ」
フロリアは即座に術式構築を開始し、両腕のブレードユニットから結界符を投射。
青白い光膜が破片の周囲を覆い、残骸を封じ込めていく。
セシリアはその肩越しに視線を走らせ、戦場に散乱する瓦礫や焦げ跡を一瞥したのち、ふと彼女の兵装装甲に深く刻まれた傷跡に気づく。
「フロリア、その損傷……出力系統に支障は?」
「稼働に問題なし。リミッター稼働率も規定内です。まだ戦えます」
確認を終えると、セシリアは即座に他の二人へと目を向ける。
「フロリア・カンタール軍曹の兵装に損傷が見られる。ナディア、ミリエル、あなたたちも現時点での稼働状況と出力残量を報告して。推定値でも構わないわ。ここで過信はしない」
「防御ユニット稼働率、七十二パーセント。継戦可能。次の衝撃は一回までなら耐えられる」
「索敵システム正常。迎撃オーブ稼働率八十六パーセント。遠距離支援は問題ありません」
「……補助障壁の残量、残り四十パーセント。長期戦は厳しいです」
報告を聞きながら、セシリアはその場で背筋を伸ばし、胸の奥で静かに息を整えた。
「……現状の確認、終了。あとは――レイラさんのところ、だけ、でしょうか」
独りごとのように吐かれた声は、ほんの一瞬だけ硬さを帯びていた。
だがすぐに彼女は表情を引き締め直し、再び周囲を見渡して明確な指示を飛ばす。
「三方向、索敵・警戒。反応があれば即座に共有して。おそらく三、四体は残っている。そのうち一体は知識上、記録のない魔獣。だが、取りこぼしは許されない」
「了解!」
応答は即座に返る。
再び動き出す部隊。
術式の起動音と装甲ユニットの稼働音が戦場の沈黙をかき消す中、セシリアの声は終始、低く、落ち着いていた。
戦場における“想定外”は常に存在する――それを潰すのは、冷静と徹底。
セシリア・グレオールは、それを誰よりも深く知っていた。




