第九部 第三章 第9話
轟音――。
地鳴りとともに、大地そのものが揺れる。
岩床の亀裂から砂塵が噴き上がり、霧が波打つ。
《バロール・ビースト亜種》が四体、戦線へ突撃してきていた。
全長三メートルを超す鉄塊のような巨体が、岩床を抉りながら突進するたびに、地面の石片が弾け飛ぶ。
踏みしめる足はまるで杭打ち機のように重く、衝撃が地中を伝って兵士たちの足元を震わせた。
外殻を覆う漆黒の装甲は厚く、刃を拒絶する鈍い光沢を帯びている。
さらにその表面には幾重もの魔術障壁が重ねがけされ、陽炎のような揺らぎをまとっていた。
空間が歪み、視界がわずかに波打つ。
ただの斬撃や爆撃などでは止まらない――一歩誤れば、即座に戦列を粉砕される圧力だった。
「来るッ! 衝撃波、来るぞ! 全員、固定姿勢!」
ナディア・フェルグリッド中尉が叫ぶと同時に、《G-M19》を全展開。
背面ユニットが唸りを上げ、幾重もの装甲板が前方へとせり出す。
魔力収束コンデンサが一気に稼働し、展開式の鋼鉄盾が重厚な音を立てて組み上がる。
盾面に刻まれた術式が青白く輝き、幾何学的な紋様が幾層にも展開。
全方位衝撃吸収結界が最大出力で起動した。
「――《バリア・フォールド》、フルバースト! 出力百二十パーセント、強制解放!」
轟撃の直前。
彼女の前面に蒼い障壁が幾重にも重なり、衝撃を呑み込むように膨張する。
空気が圧縮され、耳鳴りのような高周波が響いた。
次の瞬間、突進してきたバロール・ビーストの巨腕が盾へ直撃。
大地を揺るがす衝撃波が戦場全体に走った。
耳をつんざく金属音と、魔術障壁の軋む音。
結界表面に亀裂のような光が走り、衝撃が波紋となって広がる。
しかしナディアは一歩も退かず、食いしばった歯の奥から低く声を絞り出す。
「っ……持たせる……! 絶対に、ここは抜かせない……! 今のうちにっ!」
結界の外側で蒼白の光が火花のように散り、衝撃が押し込んでくる。
盾越しに伝わる振動で、腕の骨が軋む。
その一瞬が、後方の仲間たちにとっての攻撃機会だった。
直後、轟音。
巨体の突進がナディアの盾を激しく叩きつけ、空気ごと揺さぶる衝撃波が戦場を走る。
ナディアは踏み込み足を深く地面に食い込ませ、腰を沈めて力を殺す。
だが数歩、後方へ押し込まれ、そのたびに地面に深い足跡が抉られていく。
「っぐ……出力、予想以上! だが――まだ耐える!」
歯を食いしばりながらも、盾面に流し込む魔力をさらに増幅させる。
盾の術式紋様が赤熱し、軋む音を立てた。
その隙を突くように、左側からもう一体が回り込む。
「レナ、そっち! 横を取らせるな!」
「任せてッ! 右脚ブースター、最大推進!」
フロリア・カンタール軍曹が即座に脚部推進ブースターを噴射。
爆ぜる蒼光と共に、閃光のように横へ滑り込む。
鋭い軌道で接近し、ブレードユニットが閃いた。
咆哮を上げる第二体の進路へと叩き込まれる高周波刃。
しかし、斬撃は厚い防御層を切り裂けず、魔力装甲の表面を火花と共にかすめただけ。
装甲表面に走る障壁が波打ち、衝撃を分散させる。
「装甲、第三層まであるわね……厄介! でも止めるわ、絶対に!」
フロリアは舌打ちしながらも、一瞬の間合いを稼ぐ。
敵の視線を引きつけ、突進軌道をわずかに逸らす。
そのさらに後方――。
ミリエル・オストン准士官が展開していた迎撃兵装のセンサーが、霧の中を回り込む第三体の動きを捕捉する。
両腕から投影された光のパネルが高速演算を開始し、幾重もの予測線が宙に描かれる。
赤いロックサインが敵の影を捉えた。
「捕捉完了……座標固定、散布開始! そこ――ッ!」
迎撃術式が発動。
無数の光子タグが敵の周囲に散布され、空間に見えない座標格子が構築される。
直後、空を裂いて雷撃が降下。
蒼白の電光が第三体の肩部を直撃し、硬質な装甲を焼き焦がしながら関節部を痙攣させる。
雷光が霧を照らし、影が白く浮かび上がった。
「命中確認! 一時機動停止! 関節部に損傷!」
ミリエルの報告に応じ、ナディアが声を張り上げる。
「今だ、押す! 全推進、前面集中!」
衝撃を押し返すように、ナディアの全身の兵装が蒼光を噴出。
魔導盾を突進させ、雷撃で怯んだ第三体を正面から押し潰す。
重量と力の奔流がぶつかり合い、金属と魔力の衝突音が響く。
巨体は踏みとどまろうとするが、関節が悲鳴を上げた。
耐え切れず、巨体が地鳴りと共に地面へ叩きつけられる。
鈍い衝撃音と共に、魔物の呻きが掻き消える。
魔力障壁が崩壊し、黒い装甲に亀裂が走った。
一体――完全に沈黙。
「よし、一体撃破――!」
息を荒げながらも、ナディアの声に確かな自信が宿っていた。
――だが、油断したその刹那。
第四体が、低い唸り声をあげて跳躍した。
質量三メル級の巨体が、まるで重力を無視したかのように地を蹴り、岩床を砕きながら宙を裂く。
砕けた石片が雨のように舞い上がり、霧を巻き込みながら巨大な影が戦場上空へと舞い上がった。
「――ッ!」
誰かが息を呑む。
視界を覆うほどの影が落ちる。
獣とは思えぬ機動。
四肢を折り畳み、重心を前に傾けたその姿は、落下というより“射出”だった。
標的は――フロリア。
「くっ――!」
咄嗟に両腕を交差し、魔力障壁を展開。
青白い光膜が瞬時に形成される。
だが。
直撃の質量は、それを粉砕せんばかりに叩きつけた。
衝撃波が岩床を震わせ、空気ごと爆ぜるような音が走る。
圧縮された衝撃が波紋となって広がり、霧が一気に吹き飛ばされた。
フロリアの身体は宙に弾き飛ばされ、背後へ数メートル転がる。
地面を削りながら止まり、岩屑が散る。
「フロリア!」
ミリエルが叫び、即座に駆け寄る。
展開した補助障壁が追撃を防ぎ、閃光のように重ね張りされた結界が彼女の周囲に広がる。
防御紋様が何重にも浮かび上がり、空間を固定する。
「フロリア、応答して! 意識は!?」
「……っ、あるわよ……! 耳鳴りはしてるけど、まだ死んでない……!」
土煙を払いながら立ち上がったフロリアは、息を荒げて肩を押さえた。
右腕のアーマーは大きくひしゃげ、接続部から火花が散っている。
関節の反応は明らかに鈍く、握りも不安定だった。
「……装甲、軽く持ってかれたわ。でも――動ける! 右は半死にだけど、左がある!」
痛みを堪えながらも、彼女の瞳に戦意は消えていない。
歯を食いしばり、ブレードユニットを再起動させる。
ミリエルは頷きつつ、背後から迫る残敵の反応を確認し、即座に指示を飛ばす。
「無理はしないで! 右腕は補助モードに落とす! 私が援護する――次の一撃は私が受ける!」
「借りは作らないわよ、ミリエル! 援護はいい、隙を作って!」
残るは三体。
一体は膝関節を損傷しており、動きが鈍り始めている。
だが残る二体は健在。
互いの動きを読み合うかのように位置を変え、包囲の布陣を狙っていた。
まるで意思を共有しているかのように、間合いを詰め、死角を探る。
「数は減ったけど……こいつら、単純な突撃型じゃない。囲みに来る……! 連携してるわよ!」
ナディアの声に、ミリエルが険しい顔で応じる。
「情報共有してる? ……バロール・ビーストにしては異常よ。指揮個体がいるの……?」
「そんな報告は上がってない! でも事実として、動きが読めない!」
通常、群れの指揮個体を失った魔獣は一気に統制を崩すはずだった。
だが、この亜種は違う。
動きは依然として組織的。
あたかも見えない指揮者に操られているかのようだった。
しかし――いまは分析より対応が先だ。
「態勢を立て直すわよ。ミリエル、迎撃パターン変更。レナ、援護を優先して! 単独突撃は禁止!」
「了解! 迎撃モードβへ切替、索敵拡張!」
「任せてッ! 牽制に回る、深追いしない!」
応答と同時に、三人の兵装が一斉に輝きを増す。
ミリエルの背後に展開した迎撃オーブ《ルーメン・スフィア》が唸りを上げ、赤い警告光と共に索敵範囲を拡大する。
複数の照準線が霧の中へと伸び、敵の軌道を予測する。
ナディアの魔導盾は再び前面に構えられ、複層障壁の紋様が光を帯びて脈動を始めた。
衝撃吸収率を再計算し、盾面が低く唸る。
「まだいける……! ここは抜かせない、絶対に!」
フロリアの脚部スラスターが青白い炎を吹き、右腕の損傷を補うように左手のブレードユニットに力を集中させる。
蒼光が刃を包み、空気を震わせる。
「……来なさいよ。今度は、こっちから迎え撃つ!」
霧を震わせる魔力の唸りが空気を満たし、岩棚全体に低い振動を走らせた。
負傷と消耗で動きは鈍りつつあったが、それでも三人は歯を食いしばり、再び陣形を取り直す。
迫り来る巨獣――残された三体のバロール・ビースト亜種へと、鋭い眼差しを向けながら。
――その瞬間、空気が変わった。
戦場を満たしていた重圧が、わずかに裂ける。
バロール・ビーストの突進を必死に受け止めていたナディアたちの前線へ、突如として一条の光が降りる。
霧を切り裂き、岩床を滑り、蒼白の軌跡が一直線に走った。
「増援……!? いや、あれは――」
ナディアの視線が鋭く跳ね上がる。
「……セシリア准尉……!」
霧を裂く金属音。
黒銀の魔導兵装を纏った一人の女騎士が、戦場へと踏み込んできた。
その装甲は極限まで無駄を削ぎ落とされ、細身ながらも隙のない輪郭を描く。
指揮官仕様の特化兵装。
重装防御を捨て、その代わりに機動力と反応速度にすべてを注ぎ込んだ実戦仕様だ。
肩部からは薄いフィン状の魔力制御板が展開し、微細な魔力粒子を放射しながら空気流を制御している。
脚部には高出力スラスター。
光の粒子を撒き散らすその駆動は、まるで風そのものを纏うかのようだった。
「状況、把握しました。敵三。損耗確認。――私が、一体引き受けます」
静かだが揺るぎない声。
戦場の騒音の中でも、不思議なほど明瞭に届く。
同時に、セシリア・グレオールの脚部スラスターが高音を轟かせて展開。
地を抉るほどの推進力で踏み込み、残る三体のバロール・ビーストのうち、最前にいた一体へ向け、一気に距離を詰める。
「うおっ、マジかよ……! 正面から行くのか!?」
ナディアが思わず声を漏らす。
だがセシリアはすでに加速の渦中。
光の残滓と魔力の唸りを残し、敵の懐へ突撃していた。
突進してくるバロール・ビーストの進路に、セシリアはあえて正面から飛び込んでいく。
質量三メルの巨体が影を落とす。
誰もが「正面衝突か」と思った刹那――彼女の身体が、わずかに沈んだ。
重心を極限まで落とす。
踏み込み角度を一瞬で修正。
次の瞬間、鋭い滑走。
巨体の影を掠めるように潜り抜け、すれ違いざまに装甲腕部のホルスターから射出された超振動ブレードが閃く。
「――切り札はここ」
蒼白の刃が突き刺さったのは、バロール・ビーストの左膝関節部。
厚い外殻を穿ち、内部の魔力伝導路へ到達。
金属と骨の擦過音が耳を刺す。
「……術式、零距離転換。爆縮展開――起動」
冷徹な声と共に、内蔵術式が起動。
ドンッ!
関節部が内側から爆ぜ、血と魔力光が飛散する。
蒸気が霧と混じり、黒赤の液体が地面を焦がす。
脚を奪われた巨体が重心を失い、咆哮を上げる間もなく揺らぐ。
その瞬間を逃さず、セシリアは脚部スラスターを最大出力で噴かし、一気に跳躍。
巨獣の背に駆け上がる。
滑る装甲を足場に変え、装甲背部のエネルギーリアクター部へと到達。
視線が一点に固定される。
「……見切った」
突き出された超振動ブレードが光を纏い、重装甲を貫く。
ギィン、と金属が裂ける音。
次の瞬間、リアクター内部で魔力が暴走し、巨体が痙攣。
赤黒い光が内部から亀裂のように走る。
咆哮を上げる暇すらなく、バロール・ビーストはそのまま前のめりに崩れ落ちた。
一体――瞬殺。
岩床が揺れ、粉塵が舞い上がる。
その光景に、戦線の空気が一瞬張り詰め、仲間たちの息を呑む音が重なった。
圧倒的な制圧力。
的確な術式運用。
まさに、戦場を知り尽くした一撃。
その鮮やかな動きに、ナディアが低く唸るように呟いた。
「……やっぱりな。あの人が“ティアナ様の懐刀”ってのは、伊達じゃないわね。速さも判断も、段違いだ……」
荒い息を吐きながらも、フロリアが苦笑を浮かべる。
肩で呼吸しながら、ブレードユニットを肩口に担ぎ直す仕草は、緊張と同時にわずかな安堵を滲ませていた。
「懐刀どころか……本人がもう指揮杖振ってるようなもんでしょ。あの動き、真似できる気がしないわ。あれでまだ“准尉”って、どういう人事よ」
ナディアは血に濡れた額を袖で拭いながら、盾を正面へと突き出す。
金属音と共に魔力障壁が揺らぎ、その姿はまさに戦場の最前を押さえる守護者そのものだった。
「にしてもさ……あの腕で、まだ“准尉”とか、納得いかねぇんだよなあ……昇進、何回蹴ってると思ってんだ」
すぐさまフロリアが応じる。
「昇進、断ってるらしいじゃない。補佐官職に集中したいって。それに、うちは公女殿下直属の部隊。……色々あるんでしょ。立場も、責任も」
言葉の端に、ほんの僅かな羨望が滲む。
ナディアは肩越しにちらりとセシリアの背中を見やり、息を吐き捨てるように言った。
「ったく……実力あって、頭も回って、性格までお堅いって……どうすりゃ勝てんだよ、あの人に。完璧超人かよ」
愚痴混じりの声音。
だがその目には、畏敬の色が隠せなかった。
そのやりとりを聞きながら、ミリエルは一言も発さない。
ただ淡々と端末に指を走らせ、迎撃用の術式パターンを再構築していく。
ディスプレイに浮かび上がる複雑な魔法陣が、高速で回転を始めた。
蒼白の演算光が彼女の横顔を照らす。
冷静沈着なその表情には、仲間たちの会話に乗らずとも確かな信頼が滲んでいた。
――戦場には、まだ三体の巨影が残っている。
霧の向こうで、赤黒い単眼が鈍く光る。
一体は先の攻撃で膝関節を損傷し、よろめきながら呻き声を上げている。
砕けた関節部から黒紫の体液が滴り、蒸気と混じって不気味な臭気を放っていた。
片脚を引きずるたびに岩床を削り、ぎり、と耳障りな摩擦音が響く。
だが残る二体は健在。
互いの間合いを測るように位置を変えながら、じりじりと隊を包囲するように動いていた。
巨躯の足音が大地を揺らすたびに、細かな石片や土砂が跳ね上がり、衝撃が足裏を通じて伝わる。
低い唸り声が腹の奥に響き、魔力障壁が微かに軋んだ。
全員の心臓が、不規則な鼓動を刻む音さえ聞こえそうな静寂。
息を吸う音すら大きく感じる。
誰もが次の一撃を予測し、指先に力を込め、視線を逸らさない。
しかし――先ほどまでとは決定的に違っていた。
黒銀の兵装を纏い、堂々と前線に立つ一人の女がいる。
セシリア・グレオール。
薄霧を背に受け、彼女の兵装が静かに光を放つ。
肩部のフィンがわずかに角度を変え、脚部スラスターが低く唸りを上げる。
その立ち姿は微動だにせず、盾も構えず、ただ冷静に敵を見据えていた。
その背中は、言葉以上に雄弁だった。
「落ち着いてください。呼吸を整える。敵は三。こちらは四。数は足りています」
静かだが、確信を宿した声音。
「准尉……まだ三体います。囲みに来てます」
ナディアが低く告げる。
「見えています。膝を損傷している個体は放置。健在二体を先に削る。ナディア中尉、防御線を半歩前へ。押し返す準備を」
「了解……! 全員、聞いたな! 前出るぞ、ビビるなよ!」
盾面が前へとせり出し、術式紋様が再び強く脈打つ。
フロリアが唇の端を吊り上げる。
「は……はは。ほんと、迷いがないわね。ああいう声出されると、逃げる気なくなるわ」
「逃げる選択肢はありません」
セシリアは淡々と続ける。
「ここは防衛線。崩れれば後方が壊滅します。ならば、崩させない。それだけです」
その言葉に、霧の中の重圧がわずかに後退したように感じられた。
巨獣が吠える。
地を蹴る音。
再び迫る赤黒い影。
「来るぞ、右!」
「迎撃準備!」
だが、先ほどまで胸を締め付けていた“圧”は違う。
そこにあるのは恐怖ではなく、研ぎ澄まされた集中。
セシリアがわずかに視線を流す。
「焦らない。間合いを詰めさせる。……勝機は、もうこちらにあります」
その一言で、隊の呼吸が揃う。
心臓を締め付けていた重圧が、いつの間にか「勝機の予兆」へと塗り替わっていく。
それを誰もが肌で感じ取っていた。




