第八部 第一章 第13話
視線を向けてきた仲間たちに向け、レティアは一歩前に出て胸を張った。
背筋を伸ばし、学院生会副会長としての自覚を込めて、はっきりと宣言する。
「これより正式な依頼状を作成します!」
その一声に、学院生会室の空気がぴんと張り詰めた。
先ほどまでの達成感に満ちた余韻は一瞬で引き締まり、会議の場としての緊張感が戻ってくる。
仲間たちは次々と動き出した。
庶務のエリナが羊皮紙の端を揃え、しわ一つないよう丁寧に机へ並べる。
書記のミーナは手元の議事録を引き寄せ、余白に素早く《依頼状起案》と書き込み、顔を上げた。
インク壺の蓋が開く音、ペン先が調整されるかすかな擦過音が重なり、室内には小さな準備のざわめきが広がる。
それぞれの表情は、完全に仕事モードへと切り替わっていた。
そんな中で、会長ユリウス=ノイエラントが椅子の背に軽く身を預け、腕を組んだまま鋭い視線をレティアへと向ける。
沈黙ののち、低く落ち着いた声が響いた。
「……ところで、レティア。誰にお願いしてきたのだ?」
その問いかけに、学院生会室の空気が一瞬だけ凍りつく。
レティアは胸の前で拳をきゅっと握り、小さく息を整えてから、正面を見据えた。
「――ミラージュ王国、第三王女殿下フィオナ=ミラージュ様に、です」
「……なっ!?」
最初に声を上げたのは庶務のエリナだった。
瞳を大きく見開き、思わず椅子から立ち上がりかける。
「だ、第三王女殿下!? 本当に!?」
書記のミーナも驚きのあまりペンを取り落としそうになり、慌てて掴み直す。
「わ、私たちが以前検討したときは……結局“正式なルートがない”って判断して、断念したはずじゃ……」
その言葉に、副会長リヒト=クロイツベルクが懐中時計を閉じる音を静かに響かせ、冷静に頷いた。
「確かに。我々も過去に一度、外交窓口を通じて依頼できないか検討した。だが、正式な伝手がなく、時間的にも現実的ではなかった。――しかし」
その続きを待たず、レティアが一歩踏み出して慌てて口を開く。
「ち、違います! 王女殿下としてではなく……“学院四年生フィオナ・ミラージュ”として、学院生代表の挨拶をお願いしました!」
その補足に、室内が再びざわめいた。
驚き、戸惑い、そして理解しようとする視線が一斉にレティアへ集まる。
ユリウスの鋭い視線は揺らぐことなく注がれ続ける中、副会長リヒトが目を細め、慎重に問い返した。
「……なるほど。だが、それでは失礼にはならないか? 相手は一国の王女殿下でもあるのだぞ」
その一言で、空気は再び緊張を帯びた。
誰もが一瞬、言葉を失う。
レティアは息を詰まらせかけたが、すぐに両手を胸の前で組み直し、強い意志を宿した瞳で答えた。
「……はい。その点については、私も最初に確認しました。ですが、殿下ご本人から“学院四年生フィオナ・ミラージュとして、その立場で挨拶を引き受ける”と、はっきりお言葉をいただいています」
その断言に、室内を満たしていた緊張が、驚きと安堵の入り混じったざわめきへと変わる。
エリナは胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「ご本人が、そこまで……」
ミーナも肩の力を抜き、ほっとしたように頷く。
「……それなら、問題にはならなさそうですね」
ユリウス=ノイエラントはしばし黙したまま、レティアを真っ直ぐに見つめていた。
その沈黙は短いが重く、会長としての判断を下す時間だった。
やがて、低く落ち着いた声が静かに響く。
「……つまり、殿下のご意向を直接確認した。そのうえでの判断、ということだな?」
「はい!」
レティアは背筋を伸ばし、力強く頷いた。
頬はわずかに紅潮しているが、その表情に迷いはない。
ユリウスの鋭い視線が、ほんの僅かに和らぐ。
口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「……そうか。ならば問題はない。学院の“学院生代表”としての依頼であれば、王代家や外交筋から文句を言われる筋合いもないだろう」
その言葉に、室内の空気が一段落する。
副会長リヒトも小さく肩をすくめ、半ば感心したように呟いた。
「よくその返事を取り付けたものだ。……本当に、君には驚かされてばかりだな」
「えへへ……」
緊張が解けたレティアは、思わず照れ笑いを浮かべた。
その様子に、エリナもミーナも安堵したように笑みを返す。
ユリウスは机上の羊皮紙に手を置き、会長としての声音に切り替えた。
「――では、依頼状は“学院学院生フィオナ・ミラージュ”宛。この一本だ。正式な書式で整える」
「了解しました」
リヒトが即座にペンを取り、過去の定型文を参照しながら、静かに文面の準備を始める。
学院生会室は再び、集中した静けさに包まれていった。
会長席の前で、ユリウス=ノイエラントは一度だけ深く息を整えた。
学院生会室の中央に置かれた長机には、淡く灯る魔導ランプの光を受けて、羊皮紙、封蝋、王国正式書式の定型文控えが整然と並べられている。磨かれた木肌の上に、これから残るであろう“決定の証”が、静かに待っていた。
「……よし。では、始めよう」
低く落ち着いたその一言に、室内の空気が一段引き締まる。
副会長リヒト=クロイツベルクは懐中時計を取り出し、蓋を開いて時刻を確かめると、すぐに閉じて小さく頷いた。
「残された猶予は三日。時間は十分だが、無駄は許されない。丁寧に、しかし迅速に進めよう」
「はい!」
レティアは胸の前で手を握りしめ、意識的に一歩前へ進み出た。
先ほどまでの緊張はまだ残っているが、それ以上に“やり遂げる”という決意が背筋を支えている。
庶務のエリナ=フォルセティが、羽根ペンとインク壺を両手で差し出した。
「文言の下書きはこちらで整えました。まずは一度、目を通してください」
レティアは受け取り、羊皮紙を慎重に開く。
淡いクリーム色の紙面には、整った文字で丁重な文言が連なっていた。
――学院学院生会より
――学院四年生 フィオナ=ミラージュ殿下へ
文面は簡潔で、過不足のない格式を備えている。
ただし、最後の一文だけが、意図的に空欄のまま残されていた。
「……ここ、どう書けばいいの?」
不安を隠しきれないまま問いかけると、ユリウスが即座に応じる。
声は冷静で、迷いがない。
「“学院生代表として、開会式にてご挨拶賜りたく存じます”。その一文で締めろ。それ以上の飾りも、説明も不要だ」
その言葉には、会長としての判断と責任が込められていた。
「……はい!」
レティアは一度だけ大きく深呼吸をし、羽根ペンを執る。
インク壺にペン先を浸し、余分な雫を払ってから、紙面へと運んだ。
――学院生代表として、開会式にてご挨拶賜りたく存じます。
指先はわずかに震えていたが、文字は崩れない。
一画一画を確かめるように、丁寧に紡いでいく。
その様子を、リヒトは鋭い眼差しで、
エリナと書記のミーナは息を詰めるように見守っていた。
最後の一文字を書き終えた瞬間、
室内に小さな吐息がいくつも重なった。
「……できました」
レティアは、まだ震えの残る指で羊皮紙を掲げる。
ユリウスはそれを受け取り、無駄のない動作で目を走らせた。
沈黙は短い。だが、その数秒は、場の全員にとって重みを持っていた。
「問題ない」
そして、力強く頷く。
「これで正式に依頼状が整った」
赤い封蝋が溶かされ、羊皮紙の端に落とされる。
蝋が広がり、艶やかな光を帯びた瞬間、ユリウスは学院生会の刻印を押し当てた。
――ぱちり、と乾いた音。
それは、学院学院生会としての正式な意思が刻まれた証だった。
「……っ」
レティアの胸が大きく上下する。
握りしめた拳に、無意識に力がこもった。
「よくやったな」
リヒトが短く言い添える。
口調はいつもと変わらないが、その眼差しには、確かな評価が滲んでいた。
「ありがとうございます……!」
レティアは深く頭を下げ、頬を赤らめる。
達成感と安堵が、一気に胸へと押し寄せていた。
ユリウスが机に置いた依頼状を、レティアは両手で受け取る。
まるで壊れ物を扱うかのように、大切に抱え込む。
その表情には、まだ緊張の余韻が残っている。
だが同時に、自分の役割を果たしたという確かな自信が宿っていた。
「――では、この依頼状は、クラリス臨時講師を通じて、殿下へ届けられることになる」
ユリウスの声音は淡々としているが、そこには明確な指示と信頼が込められている。
「はい。責任をもって……」
レティアが頷いたその時、隣のエリナがぱっと笑顔を浮かべた。
「これでもう大丈夫ですね! クラリス先生に託せば、間違いなくフィオナ殿下に届きます!」
「ええ」
ミーナも柔らかく微笑み、胸元で手を組む。
「さっきまで不安でいっぱいでしたけど……こうして正式な形になって、本当に安心しました」
その言葉を受け止めつつ、ユリウスは再びレティアへ視線を向ける。
先ほどよりも、わずかに厳しさを帯びた眼差しだった。
「レティア。依頼状を届ける役目、最後まで気を抜くな」
「……はい!」
レティアは胸の前でぎゅっと羊皮紙を抱きしめ、力強く答える。
副会長リヒトは懐中時計を指先で軽く弾き、わずかに口角を上げた。
「期限にはまだ余裕がある。だが、君の働き次第で舞踏祭の開会はさらに盤石になる。――任せたぞ」
「必ずやり遂げます!」
その声は、学院生会室の中央に、はっきりと響いた。
こうして、学院生会の総意として整えられた依頼状は、
学院の臨時講師クラリス・ノーザレインを経由し、
第三王女フィオナ・ミラージュのもとへと届けられることになる。
その未来を思い描きながら、レティアは深く息を吸い込んだ。
胸の奥で高鳴る鼓動を、静かに勇気へと変えて。
(……これで、次はフィオナ様へ)
彼女はそう心の中で呟き、確かな一歩を踏み出す準備を整えていた。




