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閑話 第一六二回 王立魔導学院 学内武術競技会 -四年次- 第1話

不定期にはなりますが、

『白銀の継承者 - Gate of Sealed Eternity -』の閑話として「第一六二回 王立魔導学院 学内武術競技会 -四年次-」を書いていきたいと思います。


このお話は、本編でいうところの第一部第一章第1話より1,2か月前の時間軸のお話です。


本編の流れを知らなくても読める内容になっていますので、少し寄り道する感覚で楽しんでいただければ幸いです。

 季節は冬真っさかりの二月に入り、いよいよ年に一度、在学四年生以上を対象に行われる王立魔導学院学内武術競技会の予選会シーズンとなった。

 学院の石造りの回廊には、冬特有の乾いた冷気が満ちている。

 吐く息は白く、足元の石畳は夜の冷えをそのまま残して硬く冷たい。

 窓から差し込む陽光は澄みきっており、埃ひとつない空気の中で細い光の筋となって床へと落ちていた。


 だが、その静けさは表層に過ぎない。

 耳を澄ませば、遠くから金属が打ち合わされる鋭い音、術式展開の低い唸り、歓声とざわめきが絶え間なく流れ込んでくる。

 学院全体が、まるで巨大な戦場へと変貌しつつあるかのようだった。


 掲示板には予選組み合わせが張り出され、羊皮紙が風にわずかに揺れている。

 その前には人垣ができ、名前を探す声、歓喜、落胆、様々な感情が交錯していた。

 肩がぶつかり合い、押し合うようにして紙へと手を伸ばす者たちの熱気が、冬の空気すら押しのける。


 アリス・グレイスラーとレティア・エクスバルドはともに四年次になったことで、この武術競技会への参加資格を得た。

 回廊の端、比較的人の少ない窓際に並び立ちながら、二人は少し距離を取ってその光景を眺めていた。

 アリスは腕を軽く組み、視線だけを掲示板へ向ける。

 蒼の瞳は静かに澄んでいるが、その奥にはわずかな高揚と、確かな覚悟が宿っていた。


 隣のレティアは、窓から差し込む光を受けて栗色の髪を淡く輝かせながら、胸の前で手を重ね、ゆっくりと息を整えている。

 指先はわずかに冷え、白い吐息が一定の間隔で揺れていた。


「……ついに、だね」

「四年になって、ようやく正式参加。ここまで長かった気もするし……でも、振り返ると本当にあっという間だったね」

 レティアは小さく息を吐きながら、視線を遠くの訓練場へと向ける。


「うん。でも、ここからが本番だよ。今までは“準備”だったから」

 アリスは穏やかに応じ、わずかに視線を横へ流す。


「準備、か……。アリスって、ほんとそういう言い方するよね。でも、わかる気がする。怖いけど、それ以上に楽しみ」


「うん。怖さも含めて“今の自分”だから。ここで逃げたら、きっと次はない」

 アリスは短く言い切る。


「……相変わらずだね。でも、そのおかげで私も立っていられる気がする」

 レティアは小さく笑い、肩の力を抜いた。


「強制参加の総合演習とはいえ、全員が本気で来る。手加減なんて、期待できない」


「うん。だからこそ意味がある。全部、はっきりするから」

 アリスの視線は再び掲示板へと戻る。


 騎士部に籍を置くものは総合部門と剣術部門。

 訓練場では、刃がぶつかるたびに火花が散り、空気が裂けるような鋭い音が響く。

 踏み込みと同時に地面がわずかに沈み、次の瞬間には逆側へと跳ねる。


 速度、重さ、間合い――すべてが実戦を前提とした動きだった。

 風を裂く斬撃が幾重にも重なり、わずかな遅れがそのまま致命に直結することを、見る者すべてに突きつけている。


「見て。あの踏み込み……無駄がないね」


「うん。一歩で詰める精度、かなり高い。正面からだと厄介」

 二人は自然と分析を交わす。


 学術部に籍を置くものは総合部門と魔術部門。

 別区画では、複数の魔法陣が同時展開され、空気が震えている。

 詠唱が重なり、魔力が収束し、放たれた瞬間、空気そのものが裂けたかのような衝撃が走る。


 光が閃き、的が粉砕され、遅れて爆音が響いた。

 余波だけで周囲の空気が揺らぎ、魔力の残滓が霧のように漂っている。


「……火力だけなら、別次元だね」


「うん。でも制御も精密。あれは厄介」


 そしてアリス達が在籍する探索者育成部は、すべての部門への参加が認められていた。

 剣術、魔術、そして総合。

 あらゆる状況に適応することが求められる彼女たちにとって、それは当然とも言える規定だった。


 だからこそ――アリスとレティアは、必須である総合部門に加え、自由参加であった剣術部門と魔術部門、その個人戦すべてにエントリーしていた。


「……全部、出るんだ」


「うん。中途半端にはしたくないから」


「ほんと、徹底してるね。でも……嫌いじゃないよ」

 レティアは柔らかく笑う。


 ただし、剣術部門の団体戦には参加していない。

 実際、何度か声はかけられていた。

 実力を見込んだ勧誘であることは明白で、どのチームも真剣そのものだった。


「正直、かなり誘われたんだけどね」


「うん。私も。でも……戦力前提の勧誘だった」


「……だよね」


「それに、レティアが団体に出ないって決めてたし」


「うん。今回は個人だけって決めてたから」


 本来であれば、組みたい相手がいなかったわけではない。

 連携を組めば、確実に上位を狙える――そう思える相手は確かに存在していた。


 だが、その彼ら彼女らもまた、同様に個人部門のみへの参加を選択していた。


「……結局、みんな同じだったんだね」


「うん。だから今回は、それぞれで勝つ」


 ただし、すべての部において総合部門のみは四年次であれば授業の一環とされており、授業中に必須カリキュラムとして「総合演習」という名の強制参加となっていた。


 アリスとレティアは、一人の人物の名前を探していた。

 掲示板の前に集まる人の流れを縫うように視線を巡らせ、幾重にも並ぶ名の列を一つずつ確かめていく。

 ただ組み合わせを確認するためではない。

 互いに言葉には出さないまま、しかし同じ人物を探していることを、二人は当然のように理解していた。


 やがて、その名を見つける。

 昨年の剣術部門第一位となった今年六年次の騎士部主席であるフレイド・クレイスの名が、剣術部門と総合部門に名があった。

 掲示板の中央、ひときわ大きく書かれたその名前は、まるで周囲の空気を押しのけるかのように存在感を放っている。

 紙面の上に刻まれた文字でしかないはずなのに、その背後にある実力と実績が、視線を向ける者に無言の圧力を与えていた。


 周囲では、その名を見つけた学生たちが自然と声を潜める。

 ざわめきは消えない。

 だが、その一角だけは、どこか質の違う緊張が流れていた。


「……やっぱり、出てるね」

 レティアが静かに呟く。

 その声には驚きはなく、予想通りであることを確認するような響きがあった。


「うん。剣術も総合も、両方」

 アリスは短く答え、視線を外さない。


「去年の優勝者が、そのまま主席で今年も出場……正直、相手としてはこれ以上ないくらい厄介だよね。噂だけでも相当だけど、実際に見た人の話だと“別格”って言われてたし」


「うん。間違いなく強いと思う。でも――だからこそ、やる価値がある」

 アリスは静かに言い切る。


 剣術部門の予選会では別組であるため、本選トーナメント戦で当たることになる。

 組み分け表の線を指でなぞるように視線を動かせば、その位置関係はすぐに見て取れた。

 予選では交わらない。

 だが、勝ち上がった先に、必ず交差する構造になっている。


「……うまくできてるよね。絶対に、上位同士がぶつかるように組まれてる」


「うん。逃げ場はない」


 レティアは予選を勝ちぬき、順当に勝ち上がれば準々決勝の相手となる。

 その位置に書かれた名前を見つめながら、レティアはほんのわずかに視線を細めた。


「……準々決勝、か。そこまで行けば確定で当たるね。正直、早い段階で当たるのは嫌だけど……でも、避けても意味ないし」


「うん。どこで当たっても同じ。勝つなら、全部越えるしかない」


 アリスの言葉に、レティアはふっと小さく笑う。


「ほんと、容赦ないね。でも……そうだね。そこまで行けるかどうかも含めて、まずは一つずつ勝たないと」


 アリスの場合は、決勝で対戦することとなる。

 トーナメントの最下段。

 最後に辿り着く場所に、その名は配置されていた。


「……決勝、か」


「うん。そこまで行けたら、だけどね」


「でも、行くんでしょ?」


「行くよ」


 迷いのない即答だった。


 総合部門は授業の一環の為、本選に勝ち上がった後に抽選会で対戦相手が決まる方式の為、全くわからない。

 予選を勝ち上がった者同士であっても、どの相手と当たるかは直前まで確定しない。

 実力順や戦績による配置ではなく、完全な抽選によって組み合わされるその形式は、実力差だけでは測れない不確定要素を色濃く含んでいた。


「……総合の方は、完全に運だね」

 レティアが小さく肩をすくめる。


「うん。誰と当たるかで、試合の流れが大きく変わる」

 アリスは掲示板から視線を外さず、静かに応じる。


「例えば、初戦で上位と当たる可能性もあるし、逆に決勝まで強い相手を避け続けることもあり得るってことだよね」


「うん。でも――それも含めて“総合”なんだと思う」

 アリスはわずかに目を細める。


「状況がどう転んでも対応できるかどうか。それを見られてる」


「……なるほどね。確かに、学院らしい試し方だね。相手も状況も選べない。その中で勝てるかどうか――それがそのまま“実力”ってことだ」


 レティアは納得したように頷き、もう一度掲示板へと視線を戻した。


「つまり、誰が相手でも勝てる準備をしておくしかない、ってことだね」


「うん。それが一番確実」


 静かに交わされたその言葉には、偶然に左右されない確かな覚悟が込められていた。



 魔術部門に関しては、昨年度の上位がすべて六年次であったことから皆卒業したことで、誰がどうなるかの予想が全くできなかった。

 掲示板に並ぶ名前の列を追っても、決定的な基準となる存在が不在であることが、かえって全体の輪郭を曖昧にしている。

 実績という指標がごっそり抜け落ちたことで、今年の魔術部門はまるで霧の中にあるかのように先が見えなかった。


 過去の戦績からある程度の序列を推測することもできない。

 誰が上に来るのか、どこで勢力図が塗り替わるのか――それすら見通せない状況だった。


「……魔術の方は、ほんと読めないね」

 レティアが掲示板を見つめたまま、ぽつりと呟く。


「うん。去年の上位が全員卒業してるから、基準がない」

 アリスは静かに応じる。


「こういうのって、普通は“あの人がいるからこの辺まで”って目安があるのに、それが全部なくなってる感じ。ちょっと怖いね」


「うん。誰が来てもおかしくない。逆に言えば、全員に可能性がある」


 アリスの言葉は淡々としていたが、その内容は鋭く本質を突いていた。


 唯一実力がわかるのは自分と同じ探求者育成部の四年次のみだった。

 日々の演習や実戦訓練を通じて、互いの力量はある程度把握している。

 だからこそ、そこだけは“見えている領域”だった。


「少なくとも、探索者育成部の連中は読めるよね。あの辺は普段から一緒にやってるし」


「うん。大体の実力はわかる。でも、それ以外は完全に未知数」


「……未知数って、やっぱりやりにくいね」


「うん。でも、それが今回の魔術部門だと思う」


 静かに言い切るアリスの視線は、掲示板の奥――まだ見えない対戦相手へと向けられていた。



 学院事務局の人が現われて、今回の武術競技会のルールを記載したものを配りだした。

 ざわめきに満ちていた掲示板前の空気が、わずかに引き締まる。

 整然とした足取りで歩み寄ってきた事務局員は、手際よく用紙を配布していき、その動きには一切の無駄がなかった。


 配られた紙が手から手へと渡り、乾いた音を立てて広げられていく。

 アリスとレティアもそれぞれ用紙を受け取り、軽く視線を落として内容を確認した。


 剣術部門のルールは、剣、つまりロングソードや短剣など、学院が用意する模造剣を使用する方法で、それ以外の武器や自分の剣は使用不可。

 身体強化系の魔術行使は一切不可能で、純粋に剣技で競うこと。

 装備として、学院が用意する軽量のアーマーを装備して戦闘し、打撃ポイントや一定以上の衝撃が加わった場合に、その部位のアーマーが自動脱着する仕組みで、三つ以上のアーマーが脱着した場合や気絶、剣そのもの破壊や剣破損は試合継続不可能と判断し、試合終了し、剣が破損した方が負けという安全ルール。


「……完全に“技量だけ”だね」

 レティアが紙面をなぞりながら呟く。


「うん。強化も装備差もなし。純粋な剣の腕だけで決まる」

 アリスは短く応じる。


「これ、誤魔化し効かないね。体術も含めて、全部見られる感じ」


「うん。間合い、反応、判断……全部そのまま出る」


 アリスの視線は淡々としていたが、その奥にはわずかな緊張が宿っていた。


 魔術部門は、接近戦は不可で遠距離であれば、どのような魔術でも使用可能だが、呪いや死霊系魔術の使用のみ不可。

 唯一の武具は、旧式の魔導ライフル系で、魔力コンデンサー未装備で、自身の魔力により形成した魔力弾を放てる学院が用意するもののみ使用可能。

 また剣術部門と同様に学院が用意した軽量アーマーを装備し、三つ以上のアーマーが脱着した場合や気絶などで試合終了というルール。


「……こっちは逆に、かなり自由度高いね」

 レティアが小さく息を吐く。


「うん。術式の選択と構成で、いくらでも戦い方が変わる」


「でも、接近戦は禁止か……距離管理がそのまま勝敗に直結しそう」


「うん。それに、魔力の使い方も問われる。コンデンサーなしってことは、自分の魔力だけで戦い切る必要がある」


 アリスは紙面から視線を上げ、遠くの魔術演習場へと一瞬だけ目を向けた。


「消耗戦になるね。撃ちすぎたら、それだけで不利になる」


「……確かに。火力だけじゃ押し切れないね」


 レティアは用紙を軽く折り、手元で整えながら小さく頷いた。


 どちらの部門も、余計な要素を削ぎ落とし、純粋な技量と判断力を試すための構成になっている。

 そこに運や偶然が絡む余地はあっても、最終的に残るのは“実力”だけだった。



 総合部門のルールは――何でもありだった。

 配布された用紙の該当欄を追うごとに、その一文の重みがじわりと実感へと変わっていく。

 紙面に並ぶ文字は淡々としているはずなのに、そこに記された内容が意味するものは明らかに“競技”の枠を超えていた。

 剣術と魔術、それぞれで課されていた制限はほとんど取り払われ、許容される選択肢は一気に広がっていた。


 周囲でも同じ用紙を手にした学生たちがざわめきを強めている。

 低く抑えた声、驚きを含んだ吐息、互いに内容を確認し合う視線。

 そのすべてが、これから行われるものが単なる試合ではないことを示していた。


「……本当に、何でもありだね」

 レティアが思わず小さく息を吐く。

 視線は紙面に落ちたままだが、その指先がわずかに止まる。

「ここまで制限がないと、逆に何を基準に組み立てるか迷いそう。戦い方の幅が広すぎて、正解が一つじゃなくなる」


「うん。制限が少ない分、全部自分で決めないといけない。装備も、距離の取り方も、仕掛けるタイミングも」

 アリスは淡々と読み進めながら応じる。

「選択を間違えたら、そのまま負けに直結する。だから……ごまかしは効かない」


 唯一の制限は、学院が用意する軽装アーマーが装着できること。

 その条件さえ満たしていれば、鎧などの装備は私有を含めてすべて使用可能とされていた。

 金属製の重装鎧、軽量化された魔導装甲、補助機構を組み込んだ装備――どの選択を取るかで戦闘の様相は大きく変わる。


 さらに、ガントレットなどの武具の使用も可能であることから、拳での直接打撃系を含めた戦闘も認められていた。

 メイスや鞭といった多様な武器の使用も可能とされている。

 ただし、それらについては安全面の観点から、とげの除去など一定の加工が施されたものに限ると明記されていた。


「……装備も武器も自由ってことは、本当に“自分の戦い方そのもの”が問われるね。軽くして速度を取るか、重くして受け切るか、それとも両方をバランスよく組むか」

 レティアは視線を紙面から外し、遠くの訓練場へと向ける。

「しかも、拳での打撃もありってことは……間合いの概念自体が変わる。剣の距離だけ考えてると、足元をすくわれそう」


「うん。武器が増える分、攻撃の起点も増える。逆に言えば、どこから来ても対応できる前提で動かないといけない」

 アリスは静かに言いながら、紙面の該当箇所を指でなぞる。

「メイスや鞭も使えるってことは、単純な直線戦じゃなくなる。軌道も、タイミングも、全部変わる」


 武器に関しては、剣は学院が用意した模造剣に加え、同じく学院が用意した刃を潰した魔導剣の使用が許可されていた。

 純粋な剣技だけでなく、魔力干渉や術式破断を伴う戦闘も前提となる。

 剣と魔術、その境界が曖昧になる領域だった。


「……魔導剣まで許可されてるんだ。これ、完全に“剣術だけ”でも“魔術だけ”でも対応しきれないね」

 レティアはわずかに目を細める。


「うん。両方を同時に扱う前提。どちらかに寄りすぎると、そこで穴ができる」

 アリスの声音は落ち着いているが、その内容は極めて実戦的だった。


 身体強化系魔術の使用も可能。

 筋力、速度、反応――すべてを引き上げた状態での戦闘が認められている。

 ただし、魔術部門で禁止されている呪いや死霊系魔術については、総合部門においても同様に使用不可と明記されていた。


「……強化あり、魔導剣あり、装備自由。これ、ほぼ制限ないよね」

 レティアは苦笑混じりに呟く。

「ここまで来ると、“何を使うか”より“どう使うか”の方が重要になりそう」


「うん。むしろ、選択肢が多い分だけ難しい。全部を使いこなせるかどうか」

 アリスは短く答える。


 そして勝敗判定。

 総合部門においては、剣術と魔術の双方の要素を含めた総合的な戦闘結果によって決定される。

 打撃によるアーマーの脱着、魔術による損傷判定、行動不能状態、武器の使用継続可否――それらすべてを含めた総合判定で勝敗が確定する仕組みだった。


「……つまり、どっちかに偏ってても駄目ってことだね。剣だけ強くても、魔術で崩される可能性があるし、その逆もある」


「うん。どっちも一定以上じゃないと通用しない。どこか一つでも欠けたら、その時点で崩れる」

 アリスは静かに言い切る。


「ほんとに、“総合”だね。ここまで徹底されると、逆に清々しいかも」

 レティアは小さく笑い、紙をゆっくりと下ろした。


 そこに記されていたのは、単なる競技のルールではない。

 戦闘という行為そのものを、どこまで再現し、どこまで対応できるかを問うための枠組みだった。



 いよいよ今週末に行われる総合演習という名の授業。

 聞いてはいたが、これが総合部門の予選会を兼ねているということを、アリスとレティアはこの場で初めて実感していた。


 配布された用紙の一文が、静かに、しかし確実に現実を突きつけてくる。

 それは単なる競技ではない。

 授業として組み込まれた時点で、全員にとって避けることのできない“試験”だった。


 回廊に流れていたざわめきが、わずかに質を変える。

 先ほどまでの高揚や期待だけではない。

 そこに、明確な緊張が混じり始めていた。


「……授業、なんだよね。これ」

 レティアが苦笑混じりに呟く。

 手にした用紙を軽く振りながら、その文字列を改めて確かめる。


「うん。単位に直結する」

 アリスは短く答える。

 その声音は変わらず落ち着いているが、視線はすでに先を見据えていた。


「つまり、途中で棄権とか、様子見とかはできないってことか。勝ちに行くのが前提で、その過程も全部評価対象になる……」


「うん。結果だけじゃなくて、内容も見られる」

 アリスはゆっくりと言葉を重ねる。

「どう戦ったか、どう判断したか、それを含めて“総合演習”なんだと思う」


 レティアは一度だけ息を吐き、視線を掲示板へ戻す。

 そこに並ぶ無数の名前が、単なる対戦相手ではなく、“評価対象”へと意味を変えていく。


「……なんていうか、逃げ場がないね」


「うん。最初から最後まで、全部見られる」


 アリスは淡々と応じる。

 だが、その言葉にはどこか確信があった。


「でも、それでいいと思う。中途半端な状態で終わるより、全部出し切った方がいい」


「……やっぱり、そう来るよね」

 レティアは小さく笑う。

 肩の力が抜けるのと同時に、その表情にわずかな覚悟が宿る。


「じゃあ、やるしかないか。どうせなら、ちゃんと結果も取りに行こう」


「うん。授業だからって、手を抜く理由にはならないしね」


 二人の視線が、同時に掲示板の奥へと向く。

 そこにあるのは、これから始まる戦いの連なり。


 総合演習という名の最初の授業。



 そして週末となり、最初の総合演習の授業。

 まだ朝の冷気が残る中、学院の中央演習場にはすでに多くの学生が集まっていた。

 吐く息は白く、地面には霜がわずかに残り、踏みしめるたびにかすかな音を立てる。

 空は澄み切った冬の青で、その静けさとは裏腹に、場の空気は張り詰めていた。


 広大な演習場の周囲には、観戦用の簡易席や記録用の魔導装置が設置されている。

 術式で形成された結界が薄く展開され、外部への影響を抑えると同時に、内部の戦闘を正確に記録するための準備が整えられていた。

 その中心には、いくつもの区画に分けられた戦闘エリアが並び、それぞれが独立した戦場として機能する構造になっている。


 この場に集められているのは、探索者育成部に所属する四年次の学院生のみ。

 互いの顔を知る者も多く、普段の演習で見慣れた相手であるはずなのに、その空気は明らかに違っていた。

 “仲間”として並んでいたはずの存在が、これからは“対戦相手”として向かい合う。

 その事実が、場の緊張をより一層強めている。


 参加者たちは各自の装備を確認しながら、静かにその時を待っていた。

 軽く体を動かして感覚を確かめる者。

 目を閉じ、呼吸を整える者。

 仲間と短く言葉を交わす者。

 そのすべてが、これから始まる戦いに向けて意識を集中させている。


 アリスとレティアもまた、その一角に並んで立っていた。

 すでに学院指定の軽装アーマーを装着し、動きやすさと防御のバランスを確かめている。

 金属と魔導素材を組み合わせたそれは軽量でありながら、確かな防護性能を持ち、動作を妨げることはほとんどない。


「……空気、違うね」

 レティアが周囲を見渡しながら静かに言う。


「うん。演習っていうより……ほとんど試合そのもの」

 アリスは短く応じる。


「それに、観てる人の数も多い。記録も取られてるし……これ、完全に評価対象だね」


「うん。総合部門の予選を兼ねてるから」


 アリスの視線は前方の戦闘エリアへと向けられていた。

 まだ開始前であるにもかかわらず、その場所にはすでに戦いの気配が満ちている。


「……ここから先は、もう言い訳できないね」


「うん。全部、そのまま結果になる」


 短い会話。

 だが、それで十分だった。


 やがて、演習場の中央に一人の教官が進み出る。

 厚手の外套の裾がわずかに揺れ、踏み出す足取りは静かだが、確かな存在感を伴っていた。

 その場に立った瞬間、周囲の視線が自然とその人物へと集まる。


 拡声の術式が展開され、空気がわずかに震える。

 低く通る声が、演習場全体へと行き渡った。


「――総合演習を担当する、ギルベルトだ。これより説明を行う」


 無駄のない簡潔な言葉。

 だが、その一言で場の空気は完全に切り替わる。


「まず、本演習の構成について説明する。ここに集まっているのは探索者育成部四年次のみだ」


 ギルベルト教官は一度だけ周囲を見渡す。

 その視線は鋭く、全員を一瞬で見抜くかのようだった。


「本演習では、学院側で割り振った五名単位のリーグ戦を行う」


 わずかなざわめきが走る。


「各リーグ上位二名が、この総合演習内で実施する本選トーナメントへ進出する」


 間を置かず、言葉が続く。


「さらに、そのトーナメントで上位四名に入った者が、本来の武術競技会における総合部門決勝トーナメントへの出場権を得る」


 空気が、さらに引き締まる。


「なお――授業内で上位四名が出そろった時点で、本演習における対戦は終了とする」


 その一言で、わずかにざわめきが広がる。


「準決勝および決勝は、本演習内では実施しない。よって、この場で一位を決定することはない」


 静かな断言。


「順位の最終決定は、武術競技会本戦に委ねる」


 その言葉は、明確な線引きだった。


「――つまり、ここは“選抜”であって“決着の場ではない”」


 その一言が、場の全員に深く刻まれる。


「次にルールについてだ。本演習は授業の一環として実施されるため、本来の総合部門ルールとは一部異なる」


 ギルベルトはわずかに間を置く。


「装備は学院支給の軽量アーマーのみとする。私有装備の使用は禁止だ」


 数名がわずかに表情を変える。


「魔導剣の使用は禁止。武器は指定の模造剣および許可された簡易武装のみとする」


「また、広域攻撃魔術の使用を禁止する。周囲への影響が大きい術式はすべて制限対象だ」


 淡々とした説明。

 だが、その一つ一つが戦い方を大きく制限していく。


「その他、細則は配布資料に記載してある。各自確認しておけ」


 拡声術式が静かに収束する。


 再び訪れる静寂。

 だが、それは先ほどまでとは明らかに違う。


 全員が“戦う前提”へと意識を切り替えた空気。


 総合演習という名の、最初の戦いが始まろうとしていた。

どうだったでしょうか。

少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。


このストーリーは、ほぼリアルタイムで執筆しています。

予約投稿は行わず、出来上がり次第、即投稿していきます。

そのため、投稿時間や日時は未定となります。


次のお話も、これから書きます。

少しずつの更新になりますが、気長にお付き合いいただければ嬉しいです。


本編も引き続き、よろしくお願いいたします。

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