第八章 雪解けの先
事故から二か月近くが経ち、山間部でも少しずつ雪解けが進んでいた。
「隊長! こちらへ来てください!」
川沿いを調べていた騎士の声に、隊長は足を速めた。
冬の間は雪に埋もれていた川岸も、ようやく地面が見えるようになってきた。とはいえ、雪解け水で川は増水しており、流れの速い場所には近づけない。
「何か見つかったか」
「はい。あの木の根元に、馬車の一部らしいものが引っかかっております」
騎士が指さした先には、大きく張り出した木の根があった。その下に流木が何本も絡まり、間から割れた木材が突き出している。
隊長は足元を確かめながら近づいた。
「……確かに、馬車の部品に見えるな」
木材には塗装が残っており、端には金具もついている。雪崩で転落した馬車のものかもしれない。
「引き上げられるか」
「川に入らずに届くところまでは。ただ、ほかの木に挟まっていて、簡単には動きそうにありません」
「無理に引っ張るな。まず周囲を調べろ。ほかにも何か流れ着いているかもしれん」
「はっ!」
騎士たちは手分けして川岸を調べ始めた。
隊長も流木の周囲を確かめていたが、少し離れた岩場で別の騎士が立ち止まっているのに気づいた。
「どうした」
「隊長、こちらにも何か……」
近づいてみると、岩と岩の間に馬の死骸が挟まっていた。
水に浸かっていたらしく、状態はひどい。それでも、胴体に残っていた馬具を調べると、公爵家の馬車に使われていたものと特徴が一致した。
「事故の馬か……」
隊長は川の上流へ目を向けた。
雪崩が起きた崖は、ここからさらに上流にある。馬車が川へ落ち、そのまま流されてきたのだとすれば、ほかの残骸もこの近くにあるかもしれない。
「周辺をもっと詳しく調べろ。下流にも人を向かわせるんだ」
「承知しました!」
「それから、発見したものは勝手に動かすな。どこに何があったか、必ず記録しておけ」
隊長は部下に指示を出すと、再び流木のところへ戻った。
騎士たちが長い棒を使って周囲の木を取り除くと、割れた馬車の側板が姿を現した。
引き上げた木材を調べていた騎士が、声を上げる。
「隊長、こちらに紋章が残っております!」
側板の一部には、公爵家の紋章が描かれていた。
「間違いないな。奥様方が乗っていた馬車だ」
隊長は紋章を確かめ、部下に命じた。
「公爵邸へ急使を出せ。馬車の残骸と馬の死骸を発見したことを伝えるんだ。それから、明日以降はこの辺りを中心に捜索を進める」
「はっ!」
返事をした騎士が走っていく。
隊長は川岸に立ち、下流へ続く水面を見つめた。
馬車の残骸が見つかったことで、調べるべき場所は以前より絞り込めるようになった。だが、肝心の三人については、まだ何の手がかりもない。
川沿いには、ようやく通れるようになった場所がいくつもある。
隊長は地図を広げ、翌日から調べる範囲を確認し始めた。
◇
「馬車が見つかった?」
ヘルマンから報告を受けたアレクシスは、手にしていた書類を机へ置いた。
「はい。正確には、川岸に引っかかっていた車体の一部でございます。公爵家の紋章が確認されております」
「ほかには?」
「馬の死骸が一頭発見されております。こちらも、馬具から奥様方の馬車を引いていた馬と考えられるそうです」
「……コルネリアたちは?」
「残念ながら、まだ発見されておりません」
アレクシスは差し出された報告書を受け取り、目を通した。
馬車の残骸が見つかったのは、事故現場から下流へ進んだ場所らしい。雪が減ったことで、ようやく川岸を調べられるようになったという。
「では、三人もその近くにいるかもしれないな」
「騎士隊長もその可能性を考え、周辺の捜索を進めております。ただ、川の流れが速いため、さらに下流へ流された可能性もあるとのことでございます」
「ならば、下流も調べさせろ」
「すでに手配しております。通行できるようになった場所から、順に捜索範囲を広げているそうです」
「そうか」
アレクシスはもう一度報告書に目を落とした。
馬車の残骸と馬の死骸。
ようやく手がかりが見つかったというのに、三人の行方は依然として分からない。
「何か分かったら、すぐに知らせろ」
「承知いたしました」
ヘルマンが報告書を受け取った。
「それから、旦那様。領地の管理人からも書類が届いております」
「今度は何だ」
「春の工事について、追加の費用を承認していただきたいとのことでございます」
ヘルマンが差し出したのは、領地の水路に関する報告書だった。
冬の間に一部の土手が崩れ、雪解け水とともに大量の土砂が水路へ流れ込んでいるという。春の作付けに備えるため、管理人は早急な補修を求めていた。
「昨年も水路の工事をしていなかったか?」
「昨年は別の区間でございます。今回崩れた場所は、以前から補強が必要だと報告されていたところのようです」
「ならば、なぜ去年のうちに直しておかなかった」
「昨年の工事計画では、優先順位の高い場所から順に進めることになっておりました。こちらも今年中に補修する予定だったようですが、冬の間に崩れが進んでしまったとのことでございます」
アレクシスは費用の欄を見た。
「ずいぶん高いな」
「土砂を取り除くだけでなく、崩れた土手を補強する必要があるそうです」
「土砂を取り除けば、とりあえず水は流れるのだろう?」
「そのようですが、管理人は再び崩れる危険があるため、補強も同時に行いたいと申しております」
「今すぐ全部やる必要があるのか?」
アレクシスは書類をめくった。
捜索にかかる費用も少なくない。領地の修繕が必要なのは分かるが、何もかも一度に支出を増やすわけにはいかないだろう。
「まずは土砂を取り除かせろ。補強工事については、もう一度費用を見積もらせればいい」
「ですが、春の作付けが始まりますので、管理人は早めの工事を希望しております」
「水が流れるようになれば、ひとまず問題はないだろう。補強はそのあとで考えればいい」
ヘルマンは書類に目を落とした。
「……承知いたしました。そのように伝えてまいります」
「ああ。ほかには?」
「本日は以上でございます」
「分かった。下がっていい」
ヘルマンが退出すると、アレクシスは中断していた仕事に戻った。
窓の外には、春の日差しが差し込んでいる。
王都ではすでに雪もほとんど残っていない。山のほうでも雪解けが進んでいるというのだから、捜索もこれからは順調に進むだろう。
アレクシスは次の書類を引き寄せ、筆を取った。
◇
「お母様、今日は一緒にお昼を食べられるの?」
朝食を終えたばかりだというのに、オスカーが嬉しそうに尋ねてきた。
「ええ。エドガー先生が、短い時間なら食堂へ行ってもいいとおっしゃってくださったの」
「本当に?」
「本当よ。ただし、途中で疲れてしまったら、お部屋に戻ることになるけれど」
「じゃあ、ぼく、先にお母様の席を用意しておくね!」
「ありがとう。でも、椅子はエルザさんが用意してくださるそうだから、オスカーはいつもどおり過ごしていていいのよ」
「分かった。じゃあ、お昼になったら迎えに来るね」
「ええ。お願いね」
オスカーは元気に返事をすると、リリアを呼びに部屋を出ていった。
診療所へ来てから一か月ほどが過ぎていた。
毎日少しずつ身体を動かす練習を続けたおかげで、今では人に支えてもらえば、寝台から椅子へ移ることもできるようになっている。
とはいえ、まだ右脚には体重をかけられない。部屋の外へ出るときには、身体を支えてもらいながら移動する必要があった。
それでも、今日は子供たちと同じ食卓につける。
今までは二人が私の部屋へ来て、一緒に過ごしてくれることばかりだったから、食堂へ行けると聞いたときには思わずエドガー先生に何度も確認してしまった。
昼が近づくと、テオドールと診療所の男性が部屋へやってきた。
「コルネリア、準備はいい?」
「はい。よろしくお願いします」
「じゃあ、まずは椅子に移ろうか。脚はこっちで支えるから、無理に動かさないでね」
テオドールが身体を支え、もう一人の男性が脚を持ってくれる。
寝台から椅子へ移るのは、まだ慣れない。身体を持ち上げられるときにはどうしても緊張してしまうけれど、二人がゆっくり動かしてくれたおかげで、無事に腰を下ろすことができた。
「痛みは?」
「大丈夫です」
「よし。じゃあ、食堂まで運ぶよ」
椅子に座ったまま運んでもらい、部屋を出る。
診療所へ到着した日以来、廊下へ出るのは初めてだった。
途中で何人かの患者や職員とすれ違い、そのたびに挨拶を交わす。これまでは部屋を訪ねてくれる人としか顔を合わせる機会がなかったので、見知らぬ人が何人もいることに少し驚いた。
「こちらの食堂は、患者さんも利用されるんですか?」
「うん。動ける人はここで食事を取っているよ。部屋で食べる人もいるけどね」
「そうなんですね」
「今はまだ長く座っていられないと思うから、食事が終わったら部屋へ戻ろう。少しずつ慣れていけばいいよ」
「はい」
食堂へ入ると、すでに何人かが席についていた。
奥ではエルザが食事を並べており、私たちに気づくと手を振ってくれた。
「コルネリアさん、こちらですよ。お子様たちのお席も用意してあります」
「ありがとうございます」
窓際の席には、脚を伸ばせるように低い台が置かれていた。テオドールたちが椅子を運び、身体を支えて座らせてくれる。
「どう? 苦しくない?」
「はい。これなら大丈夫そうです」
「よかった。何かあったら、すぐに呼んでね」
テオドールはそう言うと、男性と一緒に椅子を運ぶための道具を片づけに行った。
私は食堂を見回した。
部屋にいるときには聞こえなかった食器の音や人々の話し声が、あちこちから聞こえてくる。
「お母様!」
声のしたほうを見ると、オスカーがリリアの手を引いて駆け寄ってきた。
「本当に来た!」
「ええ。約束したでしょう?」
「おかあさま、ここ!」
リリアが私の隣の椅子を指さした。
「リリア、お母様の隣に座るの!」
「ぼくもお母様の隣がいいな」
オスカーが反対側の椅子を引いた。
「じゃあ、オスカーはこちらね。二人とも座れるわ」
「うん!」
リリアは椅子によじ登ると、人形を膝に乗せた。
「リリア、お人形も一緒なの?」
「うん! おひるごはん!」
「お人形は食べられないだろ」
「たべるの!」
「じゃあ、何を食べるの?」
オスカーに尋ねられたリリアは、しばらく考えたあと、人形の顔を覗き込んだ。
「……パン!」
「パンが好きなの?」
「うん!」
「リリアと一緒だね」
オスカーが笑うと、リリアも嬉しそうに頷いた。
そこへエルザが食事を運んできた。
「お待たせしました。今日は鶏肉と野菜の煮込みですよ」
「わあ、おいしそう!」
オスカーが身を乗り出した。
「リリア、にんじんいらない」
「あら。今日は人参も柔らかく煮てありますよ」
エルザが皿を置きながら笑った。
「でも、いらない」
「昨日は食べられたじゃないか」
「きのうは、ちいさかったもん」
リリアは真剣な顔で皿の中を覗き込んでいる。
「それなら、小さく切ってみましょうか」
私が言うと、リリアは顔を上げた。
「ちいさく?」
「ええ。お母様が切ってあげるわ」
皿を引き寄せようとしたところで、オスカーが先に手を伸ばした。
「ぼくがやるよ。お母様はまだ怪我してるんだから」
「ありがとう。でも、これくらいなら大丈夫よ」
「そう?」
「ええ。だからオスカーは、自分のご飯を食べてちょうだい」
「分かった」
息子は素直に手を引っ込めたものの、私が人参を切り終えるまで、じっと手元を見ていた。
「はい、リリア。これなら食べられるかしら」
「うん!」
リリアは小さくなった人参を一つ口へ運んだ。
「……おいしい?」
オスカーが尋ねる。
「うん!」
「じゃあ、最初から食べればよかったのに」
「おにいさま、だめ!」
「何が?」
「リリアのにんじん!」
「取らないよ!」
二人のやり取りに、私は思わず笑ってしまった。
食事の途中、エドガー先生が食堂へ入ってきた。
「おお、コルネリアさん。どうじゃ、初めての食堂は」
「とても楽しいです。子供たちと一緒に食事ができるのも久しぶりですから」
「それはよかった。具合はどうじゃ?」
「今のところ大丈夫です」
「うむ。では、食事が終わったら一度休むことじゃな」
「はい」
エドガー先生は頷くと、食堂の奥にいる職員に声をかけ、そのまま別の席へ向かった。
先生もこれから昼食を取るらしい。
「お母様、先生もここで食べるんだね」
「そうね。先生だってお昼ご飯は召し上がるでしょう?」
「うん。でも、いつも診察してるから、どこで食べるのかなって思ってた」
「そういえば、私も先生がお食事をされているところは見たことがないわ」
「じゃあ、一緒だね」
「ええ。そうね」
オスカーは納得したように頷き、再び食事を始めた。
私も匙を手に取り、残っていた煮込みを口へ運んだ。
途中で少し疲れを感じたものの、用意してもらった食事は最後まで食べることができた。
「お母様、もう食べ終わった?」
「ええ。オスカーも?」
「うん。リリアはまだ」
「リリア、あとちょっと!」
見ると、娘の皿には小さく切った人参が二つ残っている。
「無理に急がなくていいのよ」
「うん!」
リリアは返事をすると、残っていた人参を一つずつ口に入れた。
「たべた!」
「全部食べられたわね」
「うん!」
娘が得意そうに空の皿を見せてくる。
そのとき、テオドールが食堂へ戻ってきた。
「そろそろ部屋に戻ろうか。疲れていない?」
「少しだけ。でも、最後まで一緒に食べられました」
「それならよかった。じゃあ、戻る準備をするね」
テオドールが椅子を運ぶために人を呼びに行くと、オスカーが私のそばへ来た。
「お母様、明日もここで食べられる?」
「どうかしら。先生に聞いてみないと分からないわね」
「そっか。じゃあ、また食べられる日が決まったら教えてね」
「ええ。もちろんよ」
「ぼく、お母様の席、取っておくから」
「ありがとう。頼りにしているわ」
オスカーは嬉しそうに笑った。
その隣では、リリアが人形を抱え直している。
「リリアも、おかあさまのとなり!」
「ええ。また一緒に食べましょうね」
娘が大きく頷いたところで、テオドールが戻ってきた。
私は二人に手を振り、部屋へ戻る準備をしてもらった。




