第六章 隣国の診療所
馬車が止まったのは、日が傾き始めたころだった。
「コルネリア、着いたよ。具合はどう?」
テオドールに声をかけられ、私は目を開けた。
「……少し、疲れました」
「痛みは?」
「背中が少し痛みますけれど、我慢できないほどではありません」
「分かった。中へ運んでから診察しよう。今日はもう、ゆっくり休んでほしい」
朝、村を出発してから、何度か休憩を挟みながら進んできた。横になっているだけとはいえ、馬車が揺れるたびに身体へ力が入ってしまい、途中からは話をするのも億劫になっていた。
窓の外を見ると、二階建ての建物が見えた。白い壁に木枠の窓が並び、入口の脇には薬草らしい植物を植えた鉢がいくつも置かれている。
その入口から、年配の男性が出てきた。
「テオドール!」
「師匠、お久しぶりです」
「久しぶりじゃのう。手紙を読んだときは驚いたぞ。まさか親子三人を連れてくるとは思わんかったわい」
「俺も驚きましたよ。川岸で三人を見つけたときは、どうしたものかと思いましたから」
男性は馬車の中を覗き込み、私の姿を確かめると、すぐに表情を改めた。
「まずは中へ運ぼう。話はそれからじゃ」
「お願いします」
テオドールが答えると、男性は建物の中へ向かって声をかけた。
「エルザ! 準備しておいた部屋を開けてくれ。患者が着いたぞ」
奥から女性の返事が聞こえ、間もなく二人の男性が担架を持って出てきた。
「コルネリア、こちらが俺の師匠のエドガー先生だよ」
「初めまして。コルネリアと申します。このたびは、お世話になります」
「エドガーじゃ。挨拶はそれで十分じゃよ。まずは身体を休めることじゃな」
そう言って、エドガー先生は私の脚を見た。
「動かすと痛むかの?」
「はい。特に脚と背中が……」
「分かった。できるだけ負担をかけんようにする。痛みが強ければ、すぐに言うんじゃぞ」
担架へ移されるときには、やはり胸と背中が痛んだ。けれど、テオドールがそばで身体を支えてくれたおかげで、どうにか建物の中へ入ることができた。
「お母様!」
廊下を運ばれている途中で、オスカーが駆け寄ってきた。
「大丈夫? 痛くない?」
「少しだけよ。オスカーたちは?」
「ぼくは大丈夫。リリアも元気だよ」
その言葉どおり、リリアは廊下の向こうで女性に手を引かれながら、興味深そうに辺りを見回していた。
「おかあさま、ここ、おおきいね!」
「そうね」
「おへや、いっぱい!」
「リリア、廊下で走っちゃだめだよ」
「はしってないもん!」
オスカーが注意すると、リリアは頬を膨らませた。
その様子を見たエドガー先生が笑った。
「元気なお嬢さんじゃな。子供たちの部屋も用意してあるから、あとで案内してもらうとよい」
「ありがとうございます」
私はもう一度礼を言い、診察室へ運ばれていった。
◇
診察が終わるころには、窓の外が薄暗くなっていた。
エドガー先生は私の脚を固定し直し、背中の傷を確かめたあと、テオドールと何やら相談していた。
「骨の位置は大きくずれておらんのう。固定も悪くない。ただ、傷の状態を考えると、しばらくは慎重に診ていく必要があるじゃろう」
「はい。村ではできる処置が限られていたので、こちらで一度詳しく診ていただきたかったんです」
「それは正しい判断じゃ。無理に動かさなかったのもよかった」
エドガー先生は私のほうへ向き直った。
「コルネリアさん。脚の骨折も背中の傷も、すぐに治るものではない。しばらくは寝台で過ごしてもらうことになるが、焦らず治していこうではないか」
「はい。よろしくお願いいたします」
「いつ歩けるようになるかは、今の段階では何とも言えんのう。ただ、回復の具合を見ながら、少しずつ身体を動かす練習も始めるつもりじゃ」
「……また、歩けるようになるでしょうか」
尋ねると、エドガー先生はすぐには答えなかった。
診察のあいだ、何度も脚の状態を確かめていたことを思い出す。
「今のところ、歩けなくなると決まったわけではない。じゃが、必ず元どおりになるとも約束はできん。治療を続けながら判断していくしかないのう」
「分かりました」
村にいたころは、怪我が治れば歩けるようになるのだと、どこかで当然のように考えていた。けれど、そう簡単なことではないらしい。
「コルネリア」
テオドールが声をかけてきた。
「今すぐ結論が出る話じゃないからね。俺も師匠と一緒に診ていくし、何か気になることがあれば遠慮なく聞いてほしい」
「はい」
頷いたものの、胸のあたりが重くなった。
もし、このまま歩けなかったら。
子供たちと一緒に暮らしていくことさえ、難しくなるのではないだろうか。
そんなことを考えていると、エドガー先生が椅子を引いた。
「それから、子供たちのことじゃが」
「はい」
「二人とも大きな怪我はないと聞いておる。念のため、明日はこちらでも診察させてもらおう」
「ありがとうございます」
「しばらくここで暮らすことになるじゃろうから、何か困ったことがあればエルザに相談するとよい。食事や洗濯のことも、こちらで面倒を見るからの」
「そこまでしていただいて、よろしいのでしょうか」
「患者を診るのがわしの仕事じゃ。子供たちを連れてきたからといって、放り出すわけにもいかんじゃろう」
エドガー先生はそう言うと、テオドールを見た。
「お前も、しばらくこちらに残るんじゃろう?」
「そのつもりです。コルネリアたちのこともありますし、師匠に相談したいこともあるので」
「なら、あとで話そう。まずは患者を休ませてやることじゃな」
「はい」
テオドールが私の寝台を整えてくれる間、エドガー先生は使い終わった道具を片づけ、診察室を出ていった。
「疲れただろう。夕食は部屋へ運んでもらうから、少し休んでいて」
「ありがとうございます。あの、子供たちは……」
「エルザが案内してくれているよ。食事の前には顔を見せに来ると思う」
「そうですか」
それを聞いて、ようやく身体の力を抜くことができた。
◇
夕食の前に、オスカーとリリアが部屋へやってきた。
「お母様、ぼくたちの部屋、隣なんだって」
「そうなの?」
「うん。ベッドが二つあって、窓から庭が見えるんだ」
「おはなもあるよ!」
リリアが嬉しそうに教えてくれた。
「お花?」
「うん! ちいさいの!」
「寒いのに、咲いていたのね」
「エルザさんが、温室で育てているんだって」
オスカーが補足すると、リリアは何度も頷いた。
「あとで、おかあさまにもみせる!」
「ええ。歩けるようになったら、ぜひ見せてね」
そう答えると、リリアは私の手を握った。
「はやく、あるけるといいね」
「そうね。お母様も早く歩けるようになりたいわ」
「いたいの、なくなる?」
「ええ。先生たちが治してくださっているから、きっと少しずつよくなるわ」
「じゃあ、リリアもおてつだいする!」
「ありがとう。何をしてくれるの?」
「えっとね……」
リリアはしばらく考えてから、私の手を両手で包んだ。
「おてて、にぎってあげる!」
「まあ。それは嬉しいわ」
「ぼくも何か手伝うよ。お母様、欲しいものがあったら言ってね」
「ありがとう、オスカー。でも、二人とも自分のこともちゃんと楽しんでね。ここにはお庭もあるそうだし」
「うん。エルザさんが、明日案内してくれるって」
「それは楽しみね。あとでどんなところだったか教えてちょうだい」
「うん!」
そのあと、エルザが夕食を運んできてくれた。
温かいスープと柔らかく煮込んだ野菜、それに小さく切ったパンが並んでいる。
「馬車での移動でお疲れでしょうから、今日は食べやすいものにしました。お口に合うといいのですが」
「ありがとうございます。とてもおいしそうです」
「お子様方のお食事も、隣のお部屋に用意してありますよ」
「ぼく、リリアと一緒に食べてくるね」
「ええ。行ってらっしゃい」
オスカーはリリアの手を取り、部屋を出ていった。
扉が閉まると、エルザが私の寝台のそばへ椅子を寄せた。
「お食事のお手伝いをいたしましょうか」
「……お願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
私は自分で匙を持とうとしたけれど、身体を起こした姿勢を保つだけでも辛く、結局エルザに手伝ってもらうことになった。
公爵家にいたころも、身の回りの世話を侍女に任せることはあった。けれど、食事を口へ運んでもらうようなことは、子供のころ以来だ。
「すみません。こんなことまでお願いしてしまって」
「気になさらないでください。お怪我をされているのですから」
エルザはそう言って、匙を差し出してくれた。
温かいスープを飲むと、ようやく空腹だったことに気づいた。
「おいしいです」
「それはよかった。おかわりもありますからね」
エルザは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ているうちに、私は少しだけ気持ちが軽くなった。
今は一人でできないことが多い。けれど、できないからといって、何もかも諦める必要はないのかもしれない。
まずは治療を受けて、少しずつ身体を動かせるようになること。
それから、子供たちと暮らしていく方法を考えよう。
◇
アレクシスが王都へ戻ったのは、セシルからの手紙を受け取ってから三日後のことだった。
馬車がセシルの屋敷へ到着すると、彼は使用人の案内も待たずに玄関へ向かった。
「セシルはどこだ」
出迎えた侍女が慌てて頭を下げた。
「お嬢様はお部屋にいらっしゃいます」
「具合はどうなんだ」
「それが……」
侍女は言いよどんだ。
「何だ。悪いのか?」
「いえ、その……今朝はお食事も召し上がっておいででしたし……」
「食事が取れるようになったのか。それなら少しはよくなったんだな」
アレクシスはそう言って階段を上がった。
セシルの部屋の前に着くと、扉を叩く。
「セシル、私だ」
「アレクシス様?」
中から驚いたような声が聞こえた。
「入ってもいいか」
「ええ、もちろんですわ」
扉を開けると、セシルは窓際の椅子に座っていた。
膝には刺繍枠が置かれ、小卓には茶器と菓子皿が並んでいる。
「アレクシス様!」
セシルは立ち上がり、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「お帰りになったのですね!」
「ああ。手紙を読んで心配したんだ。熱は下がったのか?」
「ええ。おかげさまで、だいぶよくなりましたの」
「そうか。それならよかった」
アレクシスは安心したように息をついた。
「食事も取れないと書いてあったから、ずいぶん心配したんだぞ」
「ごめんなさい。あのときは本当に辛くて……」
「いや、謝る必要はない。具合が悪いときは、遠慮せず知らせてくれと言っただろう」
セシルは微笑んだ。
「ありがとうございます。アレクシス様のお顔を見たら、もっと元気になれそうですわ」
「そうか」
アレクシスは椅子を引き、セシルを座らせた。
「医師は何と言っている?」
「しばらく無理をしないように、と」
「そうだろうな。まだ本調子ではないんだから、ゆっくり休んでいなさい」
「はい」
セシルは素直に頷いた。
アレクシスはその隣に腰を下ろし、侍女に茶を頼んだ。
「捜索のほうは、どうなりましたの?」
セシルが尋ねた。
「まだ何も見つかっていない。雪が深くて、思うように進まないんだ」
「そうですか……。コルネリア様たち、ご無事だとよろしいのですけれど」
「ああ」
アレクシスは短く答えた。
現場では今も騎士たちが捜索を続けている。何か分かれば、すぐに知らせが届くはずだ。
「でも、アレクシス様まで戻っていらして、本当によろしかったのでしょうか」
「君の具合が悪いと聞いたんだ。放っておけるわけがないだろう」
「……ありがとうございます」
セシルは目を伏せた。
その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
アレクシスはそれに気づかず、運ばれてきた茶器を手に取った。
「しばらくは王都にいるつもりだ。何かあれば、すぐに知らせてくれ」
「はい。そうしていただけると、心強いですわ」




